88話「斎藤夫妻の新住居」
探索者食堂あかりの実証結果が発表された、その日の午後。
会議を終えて席を立とうとした時、明里さんのスマートフォンが振動した。
「住居管理課からです」
明里さんが、斉藤さんへ画面を見せる。
「涼介さん。出てもよろしいですか?」
「ああ。もちろんだ」
明里さんが通話へ応じる。
「はい。斉藤です」
『探索者専用タワーマンション住居管理課です。斉藤明里様のお電話で、お間違いないでしょうか?』
「はい」
『以前、空室があれば入居を検討したいとお申し出いただいておりましたので、ご連絡いたしました』
斉藤夫妻は、探索者食堂あかりが軌道に乗ったら、探索者専用タワーマンションへの入居を検討していた。
グレイによって二人の名前が知られたこともあり、安全な住居へ移りたいという思いも強くなっていたらしい。
『一二〇三号室のご入居者様が、上階の住居へステップアップされることになりました。来月から空室となる予定ですが、斉藤様ご夫妻も入居をご検討されてはいかがでしょうか?』
「一二〇三号室……」
明里さんが、俺たちを見る。
「一城さんたちのお隣ですよね?」
「はい。俺の部屋が一二〇四号室です」
『クランの構成員が隣接する部屋へ入居していることや、斉藤様ご夫妻の安全性も考慮して、ご案内しております』
「少し、涼介さんと相談してもよろしいですか?」
『もちろんです。ご希望の場合は、入居審査と内覧の日程を調整いたします』
「ありがとうございます。今日中にお返事します」
通話が終わる。
「涼介さん。一二〇三号室が空くそうです」
「一城たちの隣か」
斉藤さんが、少し驚いたように俺を見る。
「俺たちにとっては、願ってもない話だが……」
「涼介。何を迷ってるんだ?」
店主さんが尋ねる。
「収入が安定したら、二人もタワーマンションへ移りたいと言ってただろ」
「そうですが、正式営業が決まったばかりです。まだ、少し早い気もして……」
「収入の見通しなら、もう立ってるから安心しろ」
店主さんが、先ほどの会議で使った資料を持ち上げる。
「明里ちゃんの店は、正式営業後の予約も埋まってる。涼介にも、医務課や探索者から調合依頼が来てるんだろ?」
「はい。継続依頼も頂いています」
「なら、まずは審査を受けてみろ。通るかどうかを決めるのは住居管理課だ」
「佐伯さんは、入居した方がいいと思いますか?」
「ああ。安全な場所に住めるなら、その方がいい」
美咲さんも頷く。
「私も、お二人が隣へ来てくださったら安心です」
「ありがとう、美咲ちゃん」
「斉藤さんたちが入居してくれたら、俺も助かります。何かあった時に、すぐ連絡できますから」
「一城までそう言ってくれるなら、遠慮する必要はないか」
斉藤さんが、妻へ視線を向ける。
「明里は、どうしたい?」
「私は、暮らしてみたいです」
明里さんは、迷わず答えた。
「以前、一城さんたちの引っ越しをお手伝いした時から、とても素敵な場所だと思っていました」
「俺も同じだ。それなら、申し込もう」
「はい」
斉藤夫妻は、その日のうちに住居管理課へ入居希望を伝えた。
◇
それから数日後。
斉藤夫妻は、探索者専用タワーマンションの入居審査を通過した。
部屋の設備については、以前俺たちが引っ越した時に確認している。
そのため、内覧では一二〇三号室の間取りと、傷や設備不良がないことだけを確認した。
二人用の部屋として十分な広さがあり、台所も今の住居より広い。
斉藤さんの調合道具を保管する作業部屋も確保できる。
もちろん、自宅で薬品を作ることはできない。
調合は、これまでどおり協会の登録調合室で行う予定だ。
「問題はなさそうだな」
「はい。ここなら、お店と登録調合室へも通いやすいです」
「斎藤さん。俺たちは三十階の共用区にいるので」
「ああ、分かった」
斉藤夫妻が契約手続きを行っている間、俺と美咲さんは三十階の共用区画を訪れていた。
目的は、従魔用のアイテムショップ。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
店へ入った途端、シズクとユキが揃って身体を伸ばす。
店内には、小型従魔用の生活用品や玩具が並んでいた。
探索には使わない物ばかりだ。
「美咲さん。シズクには何を買う?」
「新しいクッションが欲しいです。今使っている物は、少し小さくなってきましたから」
「ぷる?」
自分の名前が聞こえ、シズクが美咲さんを見上げる。
「シズク。好きな物を選んでいいよ?」
「ぷるっ!」
シズクが、クッションの並ぶ棚へ跳ねていく。
丸形。
四角形。
身体を包み込む袋状の物。
様々な形が用意されている。
シズクが最初に近付いたのは、蒼色の丸いクッションだった。
表面には、小さな星の模様が描かれている。
「ぷるっ」
シズクが、クッションの中央へ身体を載せる。
柔らかな表面が丸い身体に合わせて沈み込み、シズクを包み込んだ。
「ぷるるっ〜!」
「気に入ったみたいですね」
「そのまま寝そうだな」
「ぷる……」
シズクの身体から、既に力が抜け始めている。
「シズク。まだ眠ってはいけませんよ」
「ぷる?」
美咲さんに身体を持ち上げられ、シズクが名残惜しそうにクッションへ伸びる。
「それを買いましょう」
「ぷるっ!」
「ユキも選ぼうか」
「ぴるっ!」
ユキが、別の棚へ向かう。
並んでいるクッションを一つずつ確認し、最後に真っ白な物の前で止まった。
表面には、淡い水色で雪の結晶が描かれている。
「これがいいのか?」
「ぴるっ!」
ユキがクッションへ跳び乗る。
「ぴるるっ!」
白い身体とクッションが重なり、雪の結晶の模様だけが目立っていた。
「はは。ユキがどこにいるか、分かりにくいなっ」
「ぴる?」
「似合ってるよ」
「ぴるっ!」
クッションのほかに、室内用の玩具も選ぶ。
シズクは、触れると色が変わる柔らかな魔力球。
ユキは、転がすと小さな音が鳴る白銀色の球を選んだ。
「お揃いの物にしなくてもいいんですか?」
「シズクとユキが、自分で選んだ物の方がいいかな」
「そうですね」
美咲さんが、蒼色のクッションと魔力球を購入する。
俺も、ユキが選んだクッションと白銀色の球を会計へ持っていった。
探索に必要な装備や、パーティー共通の消耗品ではない。
シズクとユキへ個人的に贈る物なので、それぞれ自分の資産から支払った。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
会計が終わったことを理解したのか、シズクとユキが嬉しそうに跳ねる。
「部屋へ戻ったら使おうね」
「ぷるるっ!」
「ぴるるっ!」
◇
翌月。
一二〇三号室の整備が終わり、斉藤夫妻の引っ越しが行われた。
大型の家具や家電は、専門の業者が運び込んでいる。
俺たちは、段ボールの開封と荷物の整理を手伝っていた。
「斉藤さん。この箱は、作業部屋でいいですか?」
「ああ。一城、それは調合道具が入ってる。棚の前へ置いてくれ」
「分かりました」
「明里さん。こちらの食器は台所でよろしいですか?」
「はい。ありがとうございます、美咲ちゃん」
美咲さんが、食器の入った箱を台所へ運ぶ。
「涼介。この棚は、作業部屋でいいんだな?」
「はい。吾郎さん、お願いします」
「分かった。先に組み立てておく」
「俺も手伝います」
「一城は、そっちの箱を先に片付けてもらえるか? 棚くらいなら、一人で組めると思うから」
「はい。分かりました」
店主さんは箱から部品を取り出し、迷うことなく組み立て始める。
シズクとユキも、引っ越しを手伝うつもりらしい。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
小さな布の袋を身体へ載せ、居間の中を移動している。
「シズクちゃん。そちらは寝室ではありませんよ」
「ぷる?」
「ユキちゃんの袋は、台所へお願いします」
「ぴるっ!」
明里さんに教えられ、ユキが台所へ向かう。
シズクは寝室へ進もうとして、途中でユキのあとを追い始めた。
シズクとユキの場所も、俺と美咲さんの家同様、作ってくれることになった。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
「シズク。そっちじゃないよ」
「ぷる?」
美咲さんが呼び戻す。
「シズクちゃんとユキちゃんも、ありがとうございます」
「ぷるるっ!」
「ぴるるっ!」
褒められたシズクとユキが、揃って身体を伸ばした。
◇
大まかな荷物の整理が終わる。
二つある個室のうち、一つは寝室。
もう一つは、まだ何も置かれていなかった。
「この部屋は、どうしましょうか?」
明里さんが、空いている部屋を見回す。
「当分は、店と調合の資料を保管する部屋でいいんじゃないか?」
「そうですね」
斉藤さんが、明里さんへ穏やかに笑い掛ける。
「いつか、別の使い道が必要になったら、その時に考えよう」
「はい。涼介さん」
今すぐ、使い道を決める必要はない。
二人には、以前なら考えることのできなかった未来が戻っている。
その未来がどのような形になるのかは、これからゆっくり考えればいい。
「片付けは、このくらいでいいだろ」
店主さんが、居間へ戻ってくる。
「明里ちゃん。今日は料理しなくていいぞ」
「ですが、皆さんに御礼を……」
「引っ越しの日まで働かせたら、手伝いに来た意味がねえだろ」
店主さんが、持参した保冷箱を開く。
中には、人数分の蕎麦と惣菜が入っていた。
「今日は、これを食う」
「用意してくださったんですか?」
「ああ。温めるだけでいい」
「ありがとうございます、佐伯さん」
「気にするな。引っ越し祝いだ」
シズクとユキには、従魔用ゼリーも用意されていた。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
「シズクとユキも、食べよう」
「ぷるるっ!」
「ぴるるっ!」
全員で、新しい居間のテーブルを囲む。
「一城」
食事の途中で、斉藤さんが俺を見る。
「本当に、ありがとう」
「俺は、何もしていませんよ」
「そんなことはない。クランへ誘ってくれたことも、調合へ協力してくれたことも感謝してる」
「俺も、斉藤さんと明里さんに助けてもらっています」
「一城さん。私たちの方が、助けていただいたことは多いです」
「だから、お互いに助け合っていきましょう」
俺が答えると、店主さんが笑う。
「それでいい。誰が上とか下とか、いちいち考える必要はねえ」
「はい。吾郎さん」
「これからも、よろしくお願いします。佐伯さん」
「ああ。よろしくな、涼介、明里ちゃん」
美咲さんも、二人へ微笑む。
「これからは、本当にお隣ですね。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。美咲ちゃん」
一二〇三号室には、斉藤さんと明里さん。
一二〇四号室には、俺とユキ。
一二〇五号室には、店主さん、美咲さん、シズク。
クランの三世帯が、隣り合って暮らすことになった。
◇
引っ越しの片付けを終え、自分の部屋へ戻る。
ユキは、今日買った物ではなく、少し前に購入した雪の結晶柄のクッションへ身体を沈めた。
「ぴる……」
「今日は頑張ったから、疲れたみたいだな」
「ぴるっ」
白銀色の球を身体の横へ置いたまま、ユキが目を閉じる。
その時、スマートフォンへ髙橋さんから連絡が届いた。
『スライム帝王の迷宮、第十一層への進入調査について』
『調査体制が整いましたので、クラン「蒼雪の宝珠」へ正式な探索依頼をご相談したいと思います』
「第十一層……」
「ぴる?」
眠りかけていたユキが、身体を僅かに持ち上げる。
俺はユキに手を伸ばして撫でつつ、呟く。
「いよいよ、本当の迷宮攻略が始まりそうだな」
「ぴるっ〜……」
初心者ダンジョンと呼ばれていた、全五十層の迷宮。
その先へ進む時が、ようやく近付いていた。




