80話「明里の未来」
斉藤さんが明里さんへ秘薬の可能性を伝えたのは、その日の夜だった。
翌朝、斉藤さんから連絡を受け、俺と美咲さんは探索者協会の医務課へ向かった。
案内されたのは、一般の診察室から離れた個室だった。
室内には斉藤さんと明里さん。
その向かいには、白衣を着た女性医師が座っている。
「担当させていただく、医務課の豹堂綾乃です」
豹堂先生が、俺たちへ軽く頭を下げる。
「私は、医療に特化した『診察眼』と、診察や治療中の集中力を維持する『超集中』を保有しています」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
豹堂先生が、明里さんへ視線を戻す。
「斉藤さんから、秘薬による治療を希望されていると伺っています。ただし、現時点では治療できると決まったわけではありません」
「はい」
「まずは私の『診察眼』で、現在の状態と原因を調べます。その結果をもとに、一城さんには秘薬が有効か解析していただきます」
豹堂先生の『診察眼』は、患者の身体を診るために特化した技能。
対して俺の『解析鑑定』は、ダンジョンに関わるあらゆる情報に特化した技能なんじゃないかと、俺は推察していた。
俺では明里さんの身体組織まで詳しく調べる事はできない。
「診察中、旦那様には同席していただけます。ほかの方には、一度退室をお願いします」
「分かりました」
「診断結果を一城さんへ共有する場合も、必ず明里さんの許可をいただきます」
「お願いします」
俺と美咲さんは診察室を出て、近くの待合室で待つことにした。
◇
一時間ほどが経過したところで、診察室の扉が開いた。
「一城さん、佐伯さん。入ってください」
斉藤さんに呼ばれ、診察室へ戻る。
明里さんは、少し疲れた顔をしていた。
それでも、暗い表情ではない。
「診断結果は、どうだったんですか?」
「秘薬によって治療できる可能性があります」
豹堂先生の言葉に、明里さんが両手を強く握る。
「本当ですか……?」
「はい。ただし、原因を正確に確認する必要があります」
豹堂先生が端末を操作する。
「明里さんから、一城さんと佐伯さんへ診断結果を共有する許可をいただきました。こちらをご覧ください」
『診察眼』で確認された情報と、明里さんから聞き取った内容が画面へ表示される。
◇____________________
『医務課・精密診断記録』
『患者』
・斉藤明里
『既往歴』
・幼少期の転落事故
・骨盤輪骨折
・骨盤内出血
・入院期間:約一か月
・退院後のリハビリ期間:約二か月
『診断』
・過去外傷による両側卵巣組織の一部損傷
・卵巣周辺の血流低下
・外傷後卵巣機能不全
・生殖機能の著しい低下
『状態』
・生殖器官:残存
・損傷箇所と過去の転落事故:一致
・機能回復の可能性:あり
・妊娠を妨げるその他の重篤な異常:未確認
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「子供の頃の事故が、原因だったんですか?」
明里さんの問いに、豹堂先生が頷く。
「骨盤の骨折自体は、適切に治療されています。現在の日常生活にも影響はありません」
「では、どうして……」
「転落した際に起きた骨盤内出血と、その後の炎症です。それによって卵巣組織と周辺の血流へ影響が残ったと考えられます」
明里さんは、小学生の頃に高い木から落ち、腰を突き出した岩へ強く打ち付け、骨盤を骨折した事があったようだ。
約一か月間入院し、退院後も二か月ほど松葉杖とリハビリを行なったと記録されている。
「今回の検査で、卵巣の機能が低下していることが分かりました。当時は、骨折や出血が治っていたため、幼少期の事故と結び付けることができなかったのでしょう」
「生まれつき、では、なかったんですね……」
「もちろんです。誰かの責任で起きたことではありません」
豹堂先生が、はっきりと答える。
「明里……」
斉藤さんが、隣に座る明里さんの手を握る。
「私、ずっと……自分の身体が弱いからだと思ってた」
「違います。治療できる可能性も残されています」
豹堂先生が俺を見る。
「ここからは、一城さんへお願いします」
「分かりました」
医務課から共有されたのは、秘薬の投与方法を解析するために必要な情報だけだ。
俺は保管容器へ収められた秘薬と、診断記録へ意識を向ける。
明里さんの身体ではなく、診断された症状に対して、秘薬をどのように使えばよいのかを調べる。
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『秘薬・個別使用解析』
『参照情報』
・医務課精密診断記録
・過去外傷による卵巣組織損傷
・外傷後卵巣機能不全
『経口投与の場合の効果』
・全身の現在進行中の外傷を回復
・内臓損傷および古傷の一部を修復
・対象器官への薬効集中率:不足
・外傷後に定着した機能低下の完全回復:困難
『推奨投与方法』
・局所注入
・対象となる器官へ薬効を集中
・一瓶を二か所へ分割して使用
・医療用誘導装置および専門医による投与を推奨
『推定効果』
・過去外傷による損傷組織の修復
・卵巣周辺の血流回復
・外傷後卵巣機能不全の治療
・生殖機能の回復
『秘薬との適合性:問題なし』
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「飲むだけでは、完全には治せないみたいです」
「直接、傷付いている場所へ使う必要があるということですか?」
「はい。秘薬を局所へ注入すれば、薬効を集中させられます」
解析結果を、豹堂先生へ伝える。
「診察眼の結果とも一致しています」
豹堂先生が、診断画像を確認する。
「手術で身体を開く必要はありません。麻酔を使用し、医療用誘導装置で位置を確認しながら、細い針を使って秘薬を注入します」
「危険はありませんか?」
斉藤さんが尋ねる。
「出血や感染など、通常の注射と同様の危険はあります。ただし、私が『診察眼』で針先と血管の位置を確認します。『超集中』も併用するため、危険性は可能な限り抑えられます」
「治療を受ければ、子供を望めるようになりますか?」
明里さんの問いに、豹堂先生はすぐには頷かなかった。
「秘薬によって身体の異常が治っても、必ず妊娠できると保証することはできません。妊娠には、年齢や体調を含めて多くの要因が関係します」
「……はい」
「ですが、現在確認されている原因を治療できれば、子供を望める可能性は大きく上がります」
明里さんが斉藤さんを見る。
「涼介……」
「俺は、明里の意思を優先する」
「私、治療を受けたい」
迷いのない言葉だった。
「もう一度、子供を望めるなら……治療を受けたいです」
「分かりました。正式な治療申請を進めます」
豹堂先生が頷く。
「ただし、医務課へ納品された二本の秘薬は、緊急治療用の在庫として登録されています。そちらを使用することはできません」
「新しく作ります」
斉藤さんが答える。
「明里の治療に使う分は、俺が個人として正式に依頼します」
「俺も協力します」
「一城……ありがとう」
◇
治療方針が決まったあと、俺と斉藤さんは医務課の小会議室へ移動した。
そこで待っていたのは、調査課の髙橋さんだった。
「一城さん、斉藤さん。秘薬の製造記録について、お伝えしておくことがあります」
「製造記録ですか?」
「はい。最初に共同調合室で秘薬を完成させた際の記録には、使用した素材や調合手順が残されています」
共同調合室では、安全管理のために調合中の映像が記録されていた。
「私の判断で一時的な閲覧制限を掛けたあと、協会へ正式な機密指定を申請しました。すでに承認されています」
「誰が閲覧できるんですか?」
「現在は、調査課と医務課の一部職員だけです。閲覧した場合も、必ず記録が残ります」
髙橋さんが、初回調合時の素材情報を端末へ表示する。
「最初に使用した薬花草は、一本八百円。魔力湧水も、一リットル二千円で購入された物です」
「どちらも、普通に購入できる素材ですね」
「だからこそ、厳重に管理する必要があります」
髙橋さんの表情が、僅かに険しくなる。
「安価な素材から希少度Sの薬を作れると知られれば、製法を求めてお二人へ接触する者が現れる可能性があります。未完成の情報をもとにした模倣品が、秘薬として流通する危険性もあります」
「記録された手順を真似すれば、ほかの調合師でも作れるのでしょうか?」
「医務課で検証しましたが、再現は困難でした」
髙橋さんが、調合記録を指で示す。
「映像に残っている温度や投入間隔は、当時使われた素材に対する条件です。素材の品質、水分量、含まれる薬効成分が変われば、必要な数値も変化します」
「同じ手順を繰り返すだけでは駄目なんですね」
「はい。通常の『鑑定』では、完成直前の変化や最適な瓶詰め時期も確認できません」
俺が、その時に使う素材の条件を解析する。
斉藤さんが、解析された条件を正確に再現する。
二人の技能がそろって、初めて『秘薬』になる。
「秘薬の価格は、素材の原価だけで決まるものではありません」
髙橋さんが続ける。
「隠された製法を特定する一城さんの技術。それを実行する斉藤さんの調合技術。安全検査と、完成品に対する品質保証。それらすべてを含めた価格です」
だから、共同調合の報酬は斉藤さんが七割で俺が三割となっている。
どちらか一人だけでは、同じ結果を出せないからだ。
「秘薬は、協会にとっても大きな利益につながる薬です。それと同時に、お二人の安全を守る責任もあります」
「製法は、今後も公開しないんですね?」
「はい。今回の治療記録も含め、機密情報として管理します。外部へ情報を公開する場合は、必ず事前に相談させていただきます」
「分かりました。ありがとうございます」
「こちらこそ、秘薬の調合へ協力していただき、ありがとうございました」
◇
治療審査と必要な手続きが終わったのは、それから五日後だった。
俺と斉藤さんは、再び医務課の専用調合室へ入る。
用意されたのは、
品質Aの薬花草。
品質Aの治癒茸。
品質Aの妖精の蜜。
そして、品質Aの魔力湧水と薬効安定剤。
前回と同じ複合回復素材型の製法を使用する。
ただし、素材の状態が同じとは限らない。
「前回と違い、薬花草の水分量が、少なく表示されています」
「投入する間隔を変える必要があるか?」
「はい。治癒茸の抽出液も、加熱温度を僅かに下げた方がいいみたいです」
俺が『解析鑑定』で調合条件を確認し、斉藤さんへ伝える。
斉藤さんは、指定された条件を一つずつ正確に実行していく。
薬花草と治癒茸から抽出した薬液。
魔力湧水へ溶かした妖精の蜜。
複数の回復成分が調合釜の中で重なり、白金色へ変わっていく。
「魔力出力、範囲内です」
「このまま維持する」
「安定まで、あと十五秒です」
斉藤さんの額へ汗が浮かぶ。
それでも、調合釜へ流れる魔力は少しも乱れない。
「三、二、一……今です!」
加熱が止まる。
調合釜の中から、白金色の光が立ち上った。
二本の瓶へ、完成した薬液を移す。
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『秘薬』
『品質:S』
『希少度:S』
『製法』
・複合回復素材型
『完成数:二本』
『安全性:問題なし』
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「成功しました」
「……よかった」
斉藤さんが、大きく息を吐く。
一本は、明里さんの治療用。
もう一本は、治療中に問題が起きた場合の予備として医務課へ預けられる。
使用しなかった場合は、協会が正式に買い取り、緊急治療用の在庫へ加える予定だ。
◇
治療当日。
明里さんは、医務課の処置室の中にいた。
俺と斉藤さん、美咲さんは、観察窓の外にある管理室から治療を見守っている。
シズクとユキは、衛生管理のため別の待合室で店主さんと待っていた。
「局所麻酔の効果を確認しました」
看護師の声に、豹堂先生が頷く。
「これから、秘薬の投与を開始します」
細い注射針が、医療用誘導装置へ取り付けられる。
注射器の中には、白金色の秘薬が入っていた。
豹堂先生の瞳へ、淡い青色の光が宿る。
「『診察眼』を発動します」
続けて、『超集中』が発動した。
処置室の空気が静まり返る。
豹堂先生は誘導装置の映像と、『診察眼』で得た情報を同時に確認している。
「針先、血管を回避。対象部位まで、あと十二ミリ」
針が、ゆっくりと進んでいく。
斉藤さんが、祈るように両手を握った。
「斉藤さん」
美咲さんが、小さな声を掛ける。
「豹堂先生を信じましょう」
「ああ……」
「対象部位へ到達しました。秘薬を注入します」
白金色の薬液が、少しずつ注入される。
医療用の画面へ、秘薬の光が広がっていく様子が映し出された。
俺は、投与中の秘薬へ『解析鑑定』を向ける。
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『秘薬・局所投与』
『対象部位への到達:確認』
『薬効浸透:正常』
『修復反応:開始』
『異常反応:なし』
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「薬効は正常に働いています」
俺の報告を、看護師が処置室の豹堂先生へ伝える。
「確認しました。二か所目へ移ります」
残る秘薬が、もう一方の対象部位へ注入される。
画面へ映る白金色の光が、左右へ均等に広がっていった。
「全量の投与を完了。針を抜きます」
豹堂先生が、慎重に注射針を引き抜く。
「出血は僅かです。止血を開始します」
処置が終わるまで、二十分ほど掛かった。
その間、豹堂先生の集中が途切れることは一度もなかった。
最後の確認を終え、豹堂先生が管理室を見る。
「治療は無事に終了しました」
「終わった……」
斉藤さんの身体から力が抜ける。
椅子へ座り込み、両手で顔を覆った。
「よかった……本当に……」
◇
治療から三時間後。
麻酔が切れ、明里さんの体調が安定したことを確認してから、再び精密診察が行われた。
豹堂先生が『診察眼』の結果を、医療用端末へ保存する。
◇____________________
『医務課・治療後診断』
『患者』
・斉藤明里
『治療結果』
・過去外傷による卵巣組織損傷:修復完了
・卵巣周辺の血流低下:改善
・外傷後卵巣機能不全:治療完了
・生殖機能:正常範囲まで回復
『異常』
・秘薬による有害反応:なし
・妊娠を妨げる重篤な異常:未確認
『経過観察』
・一週間後
・一か月後
・三か月後
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「治っています」
豹堂先生が、明里さんへ告げる。
「秘薬によって、事故で傷付いた組織が修復されました。血流も改善し、生殖機能は正常な範囲まで回復しています」
「それなら……」
明里さんの声が震える。
「私たちは、子供を望んでもいいんですか?」
「はい」
豹堂先生が、優しく頷く。
「妊娠そのものを保証することはできません。ですが、これまで妊娠を妨げていた身体的な原因は取り除かれました」
「よかった……」
明里さんの目から、涙が零れる。
「明里……」
「涼介……私、治ったって……」
「ああ」
斉藤さんが、明里さんの手を両手で包む。
「もう、自分を責めなくていいんだ」
「うん……」
二人が泣きながら笑う。
美咲さんも目元を拭い、俺の隣で小さく息を吐いた。
「本当によかったですね」
「うん」
明里さんが、俺たちを見る。
「一城さん、ありがとうございます」
「俺は、秘薬の条件を調べただけです。実際に作ったのは斉藤さんです」
「一城がいなければ、俺は秘薬を作れなかった」
「斉藤さんがいなければ、俺も作れませんでした」
二人の技能がそろったから、完成させられた薬だ。
豹堂先生がいなければ、安全に使うこともできなかった。
「多くの人の力で行った治療です」
豹堂先生が、俺たちの会話をまとめる。
「ですが、治療を受けると決めたのは明里さんです。今日まで諦めずに検査を受け続けたことも、治療へつながっています」
「はい……ありがとうございます」
明里さんが、深く頭を下げる。
子供ができることを保証されたわけではない。
だが、二人が失ったと思っていた未来は戻ってきた。
傷を治すだけではなく、もう一度未来を望めるようにする。
それも、秘薬が持つ力なのだと思った。




