77話「探索者食堂あかり」
探索者専用のタワーマンションへ引っ越してから、五日後。
探索者協会本部の旧飲食店区画に、新しい看板が掲げられた。
『探索者食堂あかり』
白い看板へ、淡い橙色の文字で店名が書かれている。
店内には四人掛けのテーブルが六つ。
壁際には、一人でも利用できるカウンター席が並んでいた。
厨房と客席の間は低い仕切りだけで、料理を作っている様子も見ることができる。
入口には、本日の営業時間と販売数が表示されていた。
◇____________________
『探索者食堂あかり』
『営業時間』
・午前:9時から13時
・休憩:13時から14時
・午後:14時から17時
『本日の販売数:50食』
・午前:25食
・午後:25食
『本日のメニュー』
・豚肉と野菜の生姜焼き定食:1,500円
・鶏肉と茸の香草焼き定食:1,800円
『初心者支援価格:750円』
『適用条件』
・探索者登録から6か月以内
・初心者ダンジョン第五層未踏破
・一人一日一食
・店内での飲食に限る
____________________◇
高級な魔物肉を使った料理については、今後の仕入れ状況に合わせて追加する予定だ。
素材価格によって販売価格が大きく変わるため、初心者支援価格の対象には含まれていない。
いわゆる上級探索者向けのメニューになる。
「本当に、来てくれるかしら……」
開店まで、残り十分。
白い割烹着を着た明里さんが、店内から入口を見る。
「店の前を見てみろ。もう二十人以上、明里の料理を待ってる」
斉藤さんが、入口へ並ぶ探索者たちを示す。
協会から実証事業について告知されていたこともあり、想像していた以上に注目されている。
「でも、最初だけ珍しがって来てくれたのかもしれないでしょう? それに、お金を頂く料理を作るのは初めてだから……」
「いつもどおりで大丈夫だ。俺は何年も明里の料理を食べてきた。その俺が保証する」
「涼介さん……」
明里さんの強張っていた表情が、少しだけ和らぐ。
「涼介の言うとおりだ。受付も配膳も一人でやるわけじゃねえ。明里ちゃんは、料理へ集中すればいい」
店主さんも、受付端末を確認しながら声を掛ける。
「ありがとうございます、佐伯さん」
「困ったことがあれば、すぐに言えよ」
俺にできるのは、完成した料理へ『調理強化』が付与されているか確認すること。
今日は、斉藤さんと明里さんの新しい一歩を見守ろうと思う。
「ぷる?」
「ぴる?」
クラン用の休憩場所では、シズクとユキが並んで俺たちを見上げていた。
シズクとユキは、衛生管理の都合で厨房へ入れない。
その代わり、客席からも見えるガラス張りの休憩場所で待ってもらうことになった。
「シズク、ユキ。明里さんを応援してあげて」
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
「ありがとう、シズクちゃん、ユキちゃん。私、頑張るわね」
明里さんが、シズクとユキへ笑い掛ける。
午前九時。
入口に掛かっていた札が、『準備中』から『営業中』へ変わった。
「いらっしゃいませ!」
明里さんの声と共に、『探索者食堂あかり』の実証営業が始まった。
◇
入店した探索者は、最初に受付端末へ探索者証を通す。
通常価格で利用するだけなら、本人確認だけで終わる。
初心者支援価格を希望する場合は、探索者登録日と階層踏破記録も自動的に確認される仕組みだ。
「七百五十円……本当に、この値段で食べられるんですか?」
受付へ来た若い男性探索者が、何度もメニューを見る。
首から下げている探索者証は、真新しい。
「条件を満たしていれば大丈夫です」
受付を担当する女性職員が、探索者証を端末へ通した。
◇____________________
『初心者支援制度・利用判定』
『探索者登録から:2か月』
『最高到達階層:第3層』
『本日の利用履歴:なし』
『初心者支援価格:適用』
『利用者負担:750円』
____________________◇
「適用されています。通常価格との差額は、実証事業費から探索者協会が負担します」
「それなら、本当に強化料理を食べられるんですね!」
「はい。ただし、利用できるのは一日一食までです。料理も店内で召し上がってくださいね」
「分かりました。それじゃあ、生姜焼き定食をお願いします」
男性探索者が注文を済ませ、指定された席へ向かう。
受付では、注文した料理と入店時間が記録されていた。
探索後に任意の簡易報告を行うことで、負傷や途中帰還、救助要請の有無も実証結果へ反映される。
「これなら、初心者だと言い張っても不正はできないですね」
「はい。探索者証へ到達階層が記録されていますからね」
美咲さんが、次々と受付を済ませる探索者たちを見る。
今回の実証事業で、初心者支援価格を利用した記録も残る。
探索者証の貸し借りも、受付時の顔写真と魔力情報の照合によって防止されていた。
◇
厨房では、二人の調理補助員が作業を進めていた。
野菜の洗浄と切り分け。
食器の準備。
炊き上がったご飯や、味噌汁の管理。
料理の盛り付けと配膳。
そこまでを、調理補助員が担当している。
明里さんの仕事は、注文を受けてから主菜へ火を通し、味付けと最後の確認を行うことだ。
「生姜焼き定食、二つです」
「はい」
明里さんが、下処理を終えた豚肉を取り出し、熱したフライパンへ並べていく。
肉の焼ける音と共に、食欲を誘う香りが厨房へ広がった。
生姜を使った調味料を加え、一枚ずつ火の通り方を確かめる。
隣のフライパンでは、香草を使った鶏肉と茸が焼かれていた。
慣れない厨房に戸惑いながらも、明里さんは料理から目を離さない。
完成した主菜が皿へ盛り付けられた瞬間、淡い光が料理全体を包んだ。
俺は生姜焼き定食へ『解析鑑定』を発動させる。
◇____________________
『斉藤明里の強化料理』
『品質:A』
『付与効果:調理強化』
『効果』
・基礎身体能力:10%上昇
・効果時間:12時間
『補足』
・同一効果の重複不可
・戦闘系、生産系スキルそのものの性能は変化しない
____________________◇
「問題ありません。調理強化も、いつもどおり発動しています」
「よかった……」
明里さんが、安堵したように息を吐く。
「大丈夫だっただろう?」
厨房の外から、斉藤さんが声を掛ける。
「そうね。でも、お客様へ出す最初の一皿だから緊張したのよ」
「これから何度作っても、最初の一皿は今日だけだからな」
「涼介さんも、緊張していたんじゃない」
「……少しだけな」
斉藤さんの返事を聞き、明里さんが小さく笑う。
完成した定食が、客席へ運ばれた。
先ほど受付へ来た男性探索者が、待っていた生姜焼きを口へ入れる。
「うまい……」
小さく呟いたあと、すぐに二口目を食べる。
米飯と味噌汁を挟みながら、箸を止めることなく料理を食べ進めていった。
やがて定食を食べ終えると、自分の両手を確かめるように握る。
「身体が軽い……。これが、調理強化なんですね」
店内に設置された測定器でも、基礎身体能力が十パーセント上昇したことが確認された。
「これで七百五十円なら、探索へ行く前に毎日食べたいです」
「支援価格を利用できるのは一日一食ですが、条件を満たしている間は何度でも利用できます」
「明日も来ます!」
男性探索者の言葉が聞こえたのか、厨房にいる明里さんが嬉しそうに微笑んだ。
斉藤さんも、そんな明里さんを見ながら目元を緩めていた。
◇
開店から三十分も経たないうちに、本日分の受付枠が全て埋まった。
料理は注文時間に合わせて作るため、五十食を一度に用意する必要はない。
それでも、明里さんの手が止まる時間はほとんどなかった。
「香草焼き定食、一つ。生姜焼き定食、二つです」
「はい。すぐに作ります」
一度に複数のフライパンを使いながらも、一皿ずつ火の通り方を確かめている。
作り置きはしない。
注文を受けてから主菜を作り、温かい状態で客席へ届ける。
「提供時間にも、大きな遅れは出ていませんね」
美咲さんが、受付記録を確認する。
「補助の人が下準備と配膳をしてくれるから、明里さんも調理へ集中できているみたいだね」
「それでも、一人で五十食を作るのは大変そうです」
店主さんも、受付記録へ目を通す。
「今日は、このまま予定どおり五十食だ。希望者が多くても、すぐに増やすつもりはねえ」
「お願いします、吾郎さん」
斉藤さんが答える。
調理の合間に水分を取る明里さんを、何度も気に掛けていた。
「初日だけ無理をしても意味がねえからな。三か月続けられる形を作ることが先だ」
「はい」
希望者が多いからと、すぐに販売数を増やしてはいけない。
実証事業は、三か月続く。
初日だけ無理をして、明里さんが身体を壊してしまえば意味がなかった。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
休憩場所から、シズクとユキの声が聞こえる。
シズクとユキも、料理が運ばれるたびに身体を伸ばし、明里さんを応援していた。
時々、客から手を振られると、揃って返事をしている。
「シズクとユキを見に来る人まで増えそうですね」
「料理店の従業員ではないけどね」
「ぷる?」
「ぴる?」
「でも、明里さんを応援してくれていますから、今日はお手伝いですね」
「ぷるるっ!」
「ぴるるっ!」
美咲さんにお手伝いだと言われ、シズクとユキが誇らしそうに身体を伸ばした。
◇
午後一時。
午前分の二十五食を提供し終え、入口の札が『休憩中』へ変わる。
「午後の仕込みを、今のうちに少し進めておこうかしら」
「明里、先に休もう」
斉藤さんが、厨房へ戻ろうとした明里さんを止める。
「でも、午後も二十五食あるでしょう?」
「補助の人たちが、必要な準備はしてくれている。休憩まで明里が抱え込む必要はない」
「少しだけなら……」
「駄目だ」
斉藤さんが、明里さんの手を取る。
「誰か一人が無理をして、仕事を回すやり方を、俺はもう繰り返したくないんだ」
「涼介さん……」
「明日も、その先も続ける店だろう? だから今は休んでくれ」
「……分かったわ。一緒にお昼を食べましょう」
「ああ」
斉藤さんの言葉を聞き、俺は口を挟まずに頷いた。
会社では、誰か一人の無理によって仕事が回っていた。
斉藤さんは、そのことを忘れていない。
同じ失敗を繰り返さないために、今度は自分の手で、大切な人を休ませようとしている。
「休憩も仕事のうちだ。二人とも、しっかり一時間休めよ」
店主さんが、厨房の時計を指す。
「はい。ありがとうございます、佐伯さん」
明里さんが調理用の帽子を外し、用意されていた椅子へ座る。
「ぷるっ」
「ぴるっ」
シズクとユキも休憩場所から出て、明里さんの近くまでやってきた。
「シズクちゃん、ユキちゃん。応援してくれてありがとう」
「ぷるるっ!」
「ぴるるっ!」
シズクとユキへ従魔用ゼリーを渡し、俺たちも遅めの昼食を取ることにした。
◇
午後二時。
店の営業が再開される。
午後分を予約していた探索者たちが、指定された時間に合わせて店へ入ってきた。
午前中に料理を食べた探索者の中には、そのままダンジョンへ向かった者もいる。
既に簡易報告も届き始めていた。
「第五層から帰還した探索者が、いつもより疲労が少なかったと報告しています」
「こちらは、荷物を持ったまま移動できる距離が伸びたみたいです」
美咲さんと店主さんが、端末へ届いた報告を確認する。
まだ数件だけなので、調理強化の効果によって負傷率が下がると断定はできない。
これから三か月掛けて、途中帰還率や救助要請率も含めて記録していく予定だ。
「数字として効果が出るといいですね」
「そうだな。だが、初日から結果を急ぐ必要はねえ」
店主さんが、厨房へ視線を向ける。
「明里ちゃんが安全に店を続ける。それが最優先だ」
「はい」
明里さんは、午前中よりも落ち着いた様子で料理を作っていた。
注文された主菜を自分の手で仕上げ、温かいまま客席へ届けている。
斉藤さんは客席側から、その様子を見守っていた。
午後四時四十分。
最後の香草焼き定食が完成した。
「お待たせしました」
補助員が、最後の客へ料理を運ぶ。
客が食事を終えたところで、本日の営業が終了した。
「終わった……」
明里さんが厨房の椅子へ腰を下ろす。
斉藤さんが、すぐに飲み物を持って近付いた。
「お疲れさま、明里」
「涼介さんも、一日そばにいてくれてありがとう」
「俺は見ていただけだ。五十食を作ったのは明里だろ」
「見ていてくれたから、頑張れたのよ」
明里さんが、受け取った飲み物へ口を付ける。
「初日で完売だな」
店主さんが、受付端末へ表示された記録を見る。
「しかも、明日と明後日の受付枠も、ほとんど埋まってる」
「もうですか?」
「今日食べた客が、その場で次の予約を入れていったからな」
明里さんが、驚いたように端末を覗き込む。
「五十食より増やした方がいいのかしら……」
「今は、このままにしよう」
斉藤さんが、明里さんの隣へ立つ。
「今日一日作れたことと、毎日続けられることは違う。まずは五十食を無理なく続けられるか、二人で確かめよう」
「涼介の言うとおりだ」
店主さんも、受付記録を閉じる。
「売り切れたからといって、すぐ数を増やす必要はねえ。三か月続けて初めて、実証事業になるんだからな」
「そうですね。まずは五十食を続けられるように頑張ります」
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
シズクとユキが、明里さんの言葉へ返事をする。
初日の販売数、五十食。
調理強化の発動失敗は、一度もない。
体調不良を訴えた利用者もおらず、最初の営業としては十分過ぎる結果だった。
◇
閉店作業が終わり、調理補助員たちが帰ったあと。
店の入口へ、探索者協会の職員が二人やってきた。
一人は、実証事業を担当している探索安全課の職員。
もう一人は、白衣を着た医務課の女性職員だった。
「本日の営業記録は、こちらで確認いたします。斉藤明里さん、初日の営業、お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
探索安全課の職員が、受付端末の記録を保存する。
医務課の女性職員は、斉藤さんへ視線を向けた。
「斉藤涼介さんへ、別件のご相談があります」
「俺にですか?」
「はい。一城陸斗さんにも、共同調合者として参加をお願いしたいと考えております」
斉藤さんが俺を見る。
俺にも、相談の内容は分からない。
「以前、純白スライムのユキさんへ使用された薬について、調合記録と検査結果を確認いたしました」
ユキが、自分の名前に反応して身体を伸ばす。
「ぴる?」
「医務課では、重篤な患者や探索者の治療へ利用できる可能性があると考えています」
女性職員が、正式な依頼書を机の上へ置いた。
「医務課から、斉藤涼介さんへ正式な調合を依頼いたします」
斉藤さんが、依頼書へ視線を落とす。
「何を作る依頼でしょうか?」
「『秘薬』を二本です」
「秘薬を……俺に?」
斉藤さんの声に、驚きが混じる。
明里さんが、斉藤さんの隣へ並んだ。
「涼介さんなら、きっと大丈夫です」
「明里……」
「今度は私が、涼介さんを応援する番ね」
斉藤さんが、依頼書を受け取る。
明里さんが、自分の店で最初の一歩を踏み出した日。
続いて斉藤さんにも、個人の調合師として受ける、初めての正式な医療用調合依頼が届いた。
斉藤夫妻にとって、新しい未来が動き始めた一日だった。




