76話「引越し」
探索者専用タワーマンションの契約を結んでから、一週間後。
俺とユキの引っ越し当日を迎えた。
古戦場で撮影した動画は、引っ越しが終わった翌日に公開する予定だ。
動画を見た人に新しい住所を知られないよう、荷物の搬出も協会が認定した引っ越し業者へ依頼している。
「これで、最後の箱です」
作業員が、玄関に置かれた段ボールへ手を伸ばす。
「お願いします」
部屋の中に残っている物がないか確認する。
家具と生活用品。
探索装備の手入れに使う道具。
ユキの従魔用ゼリーや食器。
荷造りは、前日までにほとんど終えていた。
「ユキも準備できた?」
「……」
返事がない。
「ユキ?」
先ほどまで、部屋の中央で作業員の動きを見ていたはずだ。
白銀鎧も見当たらない。
荷物の隙間や、空になった押し入れの中を確認する。
「ぴる……」
小さな声が、玄関にある最後の段ボールから聞こえた。
「まさか……」
蓋を開ける。
中には、寝具として使っていた毛布が入っていた。
その中央で、白銀鎧を身体へ密着させたユキが小さくなっている。
「ぴるっ!」
「一緒に連れていくから、箱へ入らなくても大丈夫だよ」
「ぴる?」
「置いていったりしないよ」
「ぴるっ」
両手を差し出すと、ユキが箱から跳び移ってきた。
柔らかな身体を抱え、作業員へ頭を下げる。
「すみません。作業の邪魔をしてしまって」
「大丈夫ですよ。従魔が荷物へ紛れ込むことは珍しくありませんから。トラックへ積む前に見つかってよかったです」
作業員が笑いながら箱を閉じる。
「移動中は、一城様が抱いていてください」
「分かりました」
「ぴるっ!」
ユキは反省しているのか分からないほど、元気よく身体を伸ばした。
何もなくなった部屋を、最後に振り返る。
会社を解雇され、所持金が三千円しかなかった時も、この部屋へ帰ってきた。
初めてダンジョンへ入り、希少区域を見つけた日。
美咲さんとパーティーを組んだ日。
ユキを新しい家族として迎えた日。
短い間に、多くのことがあった。
「今まで、ありがとうございました」
誰もいない部屋へ頭を下げ、玄関の鍵を閉める。
「ぴる」
ユキも俺の腕の中から、部屋へ向かって小さく身体を傾けた。
◇
探索者専用タワーマンションへ到着すると、入口では警備職員が待っていた。
引っ越し業者の作業員と車両は、事前に登録されている。
荷物へ危険物が紛れ込んでいないか確認したあと、搬入用のエレベーターへ案内された。
「陸斗さん!」
受付の奥から、美咲さんがやってくる。
肩には、黄金兜と結晶冠を装備したシズクが載っていた。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
シズクを見つけたユキが、俺の腕から身体を伸ばす。
「美咲さんたちも、もう着いたんだね」
「はい。大きな家具は、先に運び込んでもらっています」
美咲さんが、腕の中にいるユキを見る。
「ユキちゃんは、大人しくしていましたか?」
「毛布の箱へ紛れ込んでたよ」
「やっぱり……」
「シズクも?」
「タオルを入れた箱から、『ぷるっ』と聞こえてきました」
「ぷる……」
シズクが気まずそうに、美咲さんの首元へ身体を寄せる。
「シズクもユキも、置いていかれると思ったのかな」
「引っ越しが、まだよく分かっていなかったみたいですね」
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
顔を合わせたシズクとユキに、反省している様子はなかった。
「陸斗、何を入口で話し込んでる。荷物が来るぞ」
店主さんが、搬入用エレベーターの前から声を掛ける。
「すみません。すぐに行きます」
俺たちは、シズクとユキを連れて十二階へ向かった。
◇
一二〇四号室へ、次々と荷物が運び込まれる。
家具の設置は、作業員へ頼んでいるので、俺たちは、段ボールの中身を確認しながら、必要な物をそれぞれの場所へ移していった。
「一城。こっちの箱は、装備保管庫でいいのか?」
斉藤さんが、銀光液の保管箱を指差す。
「はい。保管庫の棚へお願いします」
「分かった」
斉藤さんと明里さんも、引っ越しを手伝いに来てくれていた。
二人はマンションの居住者ではないが、クラン構成員として事前に入館申請を行っている。
「一城さん。食器は、こちらの棚でよろしいですか?」
「はい。ありがとうございます」
明里さんが、台所の収納へ食器を入れていく。
美咲さんは、ユキの従魔用ゼリーや手入れ用品を整理してくれていた。
「これは、ユキちゃん用の棚にまとめておきますね」
「ありがとう。シズクの物と間違えないようにしないとね」
「シズクのゼリーとは、容器の色を変えた方がよさそうですね」
「ぷる?」
「ぴる?」
二匹が、自分たちの食事を置く棚の前へ並ぶ。
「今は食べる時間じゃないよ」
「ぷる……」
「ぴる……」
同時に身体を縮める姿まで、よく似てきた。
「陸斗。協会の保管庫から届いた物は、これで全部だ」
店主さんが、警備職員と共に部屋へ入ってくる。
黄金と白銀の結晶飴。
銀光液。
持ち運びに注意が必要な素材は、協会の職員が専用容器で運んでくれた。
「ありがとうございます」
受領書へ署名し、装備保管庫へ収める。
扉を閉めると、保管庫へ魔力遮断機能が働いた。
「これなら、部屋の外から素材の魔力を感知される心配もなさそうですね」
美咲さんが、閉じた扉を確認する。
「今までより安心して保管できるな」
「はい。私たちの部屋にも、シズクの装備を入れる場所を用意しました」
「ぷるっ!」
自分の装備という言葉を聞き、シズクが誇らしそうに黄金兜を揺らした。
◇
昼前になると、大きな家具の搬入が終わった。
「皆さん。少し休憩しませんか?」
明里さんが、持参した保冷鞄を開く。
中には、人数分の弁当が入っていた。
「引っ越し作業で身体を動かすと思ったので、朝に作ってきました」
「『調理強化』を使っているのか?」
斉藤さんが尋ねる。
「うん。効果を付けています」
「食材費をお支払いします」
「今日は、私たちからの引っ越し祝いです」
明里さんが、俺の申し出を断る。
「でも、人数分を用意してもらっています」
「継続してお店の料理を作る時は、きちんと費用をいただきます。今日は、友人として受け取っていただけませんか?」
店主さんも、俺を見る。
「陸斗。仕事と祝いまで、全部同じ扱いにする必要はねえ」
「……分かりました。ありがとうございます」
技術や時間を、当然のように求めない。
だが、相手が贈ってくれた物まで、無理に金額へ換える必要はないのかもしれない。
「大切にいただきます」
「はい」
明里さんの弁当には、鶏肉や卵焼き、複数の野菜が入っていた。
どれも冷めても食べやすいよう、味付けが工夫されている。
「美味しいです」
美咲さんが、卵焼きを食べて目を細める。
「お店でも、お弁当を販売できそうですね」
「持ち帰れる料理も、いくつか考えています」
「ダンジョンへ入る前に買う人も多いと思います」
食事を終えると、身体が軽くなる。
基礎身体能力が一割上昇したことで、先ほどまで重く感じていた箱も楽に持ち上げられた。
スキル自体の性能は変わらない。
それでも、引っ越し作業には十分過ぎる効果だった。
「これなら、予定より早く終わりそうだな」
斉藤さんが、二つの箱を重ねて持ち上げる。
「無理はしないでください」
「一割上がっただけで、急に若返ったわけじゃないからな。分かってる」
明里さんに注意され、斉藤さんが箱を一つ下ろす。
「涼介さん。腰を痛めたら、引っ越しを手伝いに来た意味がないよ」
「ああ。気を付ける」
二人のやり取りを見て、美咲さんが小さく笑う。
「仲が良いですね」
「はい。明里さんは、本当に斉藤さんを大切にしているんだと思います」
午後の作業は、予定よりも早く進んだ。
◇
一二〇四号室の片付けが一段落したあと、隣の一二〇五号室を手伝う。
こちらも、大きな家具の設置は終わっていた。
店主さんの部屋。
美咲さんの部屋。
残る一室は、シズクの用品と動画編集機材を置く場所になっている。
「ぷるっ!」
シズクが、自分用のクッションへ飛び乗る。
クッションの中央へ丸い身体が沈み、ちょうど収まった。
「気に入った?」
「ぷるるっ!」
「ユキちゃんのクッションも、同じ物にしますか?」
「そうだね。隣に並べてもいいかもしれない」
「ぴるっ!」
ユキがシズクの隣へ跳び乗る。
一匹用のクッションへ、二匹の身体が並んだ。
「狭くないの?」
「ぷるっ」
「ぴるっ」
二匹は離れるつもりがないらしい。
そのまま互いに身体を寄せ、くつろぎ始めた。
「一城。俺たちも、いずれこういう場所へ住めるように頑張らないとな」
斉藤さんが、部屋の設備を見ながら呟く。
「明里さんのお店と、斉藤さんの調合が軌道へ乗れば、難しくないと思います」
「まだ店も始まってないんだ。先の話だよ」
「目標にするくらいは、いいと思うよ」
明里さんが、斉藤さんへ微笑む。
現在は空いていないが、一二〇四号室の反対側には一二〇三号室がある。
二人が近くへ引っ越してくれば、クランで集まるのもさらに楽になるだろう。
それは、明里さんの店が始まってから考えることになりそうだ。
◇
夕方。
すべての段ボールを空にすることはできなかったが、生活に必要な物は一通り揃った。
俺は一二〇四号室へ戻り、静岡に住む両親へ電話を掛けた。
会社を辞めて探索者になったことは、既に伝えている。
今回は、探索者協会本部の隣にある、安全なマンションへ引っ越したことだけを報告した。
母は、俺がきちんと食事を取っているのかを最初に心配した。
父は、無理な探索をしていないか尋ねてきた。
ユキという従魔と暮らし始めたことを伝えると、二人とも驚いていた。
いつか静岡へ連れてきてほしいとも言われる。
近いうちに、ユキの写真を送ると約束した。
「ぴる?」
通話を終えると、ユキが足元から俺を見上げていた。
「静岡にいる、俺の両親だよ」
「ぴる?」
「いつか、ユキにも会いたいって」
「ぴるっ!」
ユキが、会ってもいいと伝えるように身体を伸ばす。
家族との関係が悪いわけではない。
会社員だった頃は、仕事が忙しく、電話をする余裕さえ失っていただけだ。
今後は、もう少し連絡するようにしようと思った。
◇
「陸斗。夕飯ができたぞ」
店主さんから連絡を受け、俺とユキは隣の一二〇五号室へ向かった。
玄関を出て、数歩。すぐに隣の扉へ到着する。
「いらっしゃい、陸斗さん」
「お邪魔します」
美咲さんに迎えられ、居間へ入る。
斉藤さんと明里さんも、夕食まで残っていた。
テーブルの中央には、店主さんが作った大きな鍋が置かれている。
「今日は引っ越し祝いだ。遠慮せず食え」
「ありがとうございます」
昼に食べた強化料理の効果は、まだ続いている。
夕食には『調理強化』が付与されていないが、店主さんの料理も変わらず美味しかった。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
シズクとユキにも、従魔用の食事が用意されている。
二匹は新しい食器へ身体を近付け、嬉しそうにゼリーを取り込んでいた。
「食器までお揃いだね」
「ぷるっ」
「ぴるっ!」
シズクは蒼色。
ユキは白色。
色は違うが、形は同じだった。
「改めて、引っ越しおめでとうございます」
明里さんが、俺たちを見る。
「ありがとうございます。今日は手伝っていただいて、本当に助かりました」
「お互いさまです。私たちが引っ越す時には、お願いしますね」
「もちろんです」
「一城。俺の時は、今日より荷物が多いかもしれないぞ」
「その時は、引っ越し業者を増やした方がよさそうですね」
「俺たちだけで運ぶとは言ってないだろ」
斉藤さんが笑う。
食事を終えたあと、斉藤さんと明里さんは自宅へ帰っていった。
店主さんも、自分の部屋へ戻る。
居間には、俺と美咲さん、シズクとユキが残った。
「これからは、本当に隣人ですね」
「そうだね。何かあったら、すぐに呼んで」
「はい。陸斗さんも、遠慮しないでくださいね」
「分かった」
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
二匹も、互いに呼び合うつもりらしい。
「壁は防音だから、声は聞こえないと思うよ」
「ぷる?」
「ぴる?」
シズクとユキが、隣の壁へ視線を向ける。
「会いたくなったら、俺か美咲さんに言ってね」
「ぷるっ」
「ぴるっ!」
今度は、揃って元気よく返事をした。
◇
自分の部屋へ戻り、寝る準備を整える。
ユキのために用意したクッションは、寝室の隅に置いてある。
「ユキは、そこで寝る?」
「ぴる……」
ユキがクッションと俺のベッドを交互に見る。
少し迷ったあと、ベッドの端へ跳び乗った。
「今日は、そっちがいいのか?」
「ぴるっ」
「分かった。ただ、白銀鎧は外そうな」
「ぴる」
白銀鎧を装備保管庫へ収める。
ユキは枕の横へ移動し、丸い身体を小さく縮めた。
スマートフォンへ、美咲さんから写真が届く。
自分用のクッションで、平たくなって眠るシズクの写真だった。
俺も、枕の横にいるユキを撮影して送り返す。
『ユキちゃんも、もう寝たんですね』
『うん。引っ越しで疲れたみたい』
『明日になったら、また二匹で遊ばせましょう』
『そうだね』
やり取りを終え、部屋の明かりを消す。
防音設備のおかげで、外の音はほとんど聞こえない。
会社を辞めた直後には、こんな場所で暮らすことになるとは思ってもいなかった。
隣の部屋には、店主さんと美咲さん、シズクがいる。
枕元には、新しい家族になったユキがいる。
「おやすみ、ユキ」
「ぴる……」
新しい家で過ごす、最初の夜。
俺たちは、これまでよりも近い距離で暮らし始めた。




