60話「幻惑の森と土水晶」
第八層を攻略してから、三日後。
俺たちは第九層への転移門の前に立っていた。
探索者協会から公開されている情報によると、第九層は薄暗い森林階層らしい。
木々へ擬態する魔物や、幻影を作り出す魔物が確認されている。
「第九層では、見えている物だけを信じない方がいいそうです」
「分かった。『解析鑑定』も、周囲へ広く展開しておくよ」
「お願いします。私も、音や足跡に注意します」
「ぷるっ!」
美咲さんの肩にいるシズクが、結晶冠を揺らしながら身体を伸ばす。
「シズクも、勝手に何かを追い掛けちゃ駄目だよ」
「ぷるっ」
「幻影が出ても、美咲さんから離れないようにな?」
「ぷる?」
「分かってるでしょうか……」
「たぶん、大丈夫だと思う」
ボディレコーダーの記録状態を確認し、第九層への転移門へ触れる。
淡い緑色の光が立ち上り、周囲の景色が切り替わった。
◇
第九層は、夜明け前のように薄暗い森だった。
背の高い木々が隙間なく生え、枝葉が天井を覆っている。
地面には青白く光る苔が広がり、それが唯一の明かりとなっていた。
空気は湿っている。
木々の間には薄い霧が漂い、少し離れただけで景色が霞んでしまう。
「静かですね……」
「何もいないように見えるけど」
だが、常時発動させている『解析鑑定』には、いくつもの小さな反応が届いていた。
第九層全体へ意識を向け、詳しい環境情報を確認する。
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『第9層・薄暮森林』
『現在地環境』
・視認可能距離:14.6メートル
・気温:19.8度
・有毒成分:なし
・幻属性魔力濃度:低
『環境上の注意』
・木々や地面へ擬態する魔物が存在
・幻属性魔力による距離感のずれ
・複数種の魔物が群れを形成
・一部の道標に幻影が重なる場合あり
『推奨』
・パーティーメンバーとの距離を5メートル以内に維持
・音、足跡、空気の流れを併用して周囲を確認
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「この霧には、少しだけ幻属性の魔力が含まれてるみたいだ」
「身体への影響はありますか?」
「毒性はない。ただ、距離感がずれることがあるみたいだから注意して」
「では、離れずに進みましょう」
公開地図には、木へ巻き付けられた青い目印を辿るよう記載されている。
俺たちは互いの位置を確かめながら、森の奥へ進み始めた。
森の中は、虫の鳴き声すら聞こえなかった。
足元の草を踏む音。
枝葉から落ちる水滴。
自分たちの呼吸。
僅かな音まで、森の奥へ吸い込まれていく。
「道標が二つありますね」
前方の木へ、青い布が二枚巻かれていた。
一つは右側の道。
もう一つは左側の道を示している。
「協会の地図では、右へ進むことになってる」
「では、左側が幻影でしょうか?」
「ちょっと待って、調べてみる」
二つの道標へ意識を集中させる。
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『探索者協会設置・第9層道標』
『本体:右側』
『幻影:左側』
『幻影発生源』
・付近に生息する幻灯蛾の鱗粉
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「右側は本物。左は魔物が作った幻影だ」
「道標まで複製するんですね」
「知らずに進むと、群れのいる場所へ誘導されるから、コレは報告したほうがいいな」
「そうですね」
左側の道へ意識を広げると、木々の奥から複数の魔物反応が返ってきた。
「右へ行こう」
幻影の道標から離れ、正しい経路へ足を向ける。
その時、右側の茂みから枝の折れる音が聞こえた。
同時に『解析鑑定』へ、七つの反応が現れる。
「っ、囲まれてる!」
美咲さんが剣を抜く。
木の幹と茂み。
頭上の枝。
周囲へ反応はあるが、魔物の姿は見えない。
そのうち二つは空中。
残る五つは、地面を移動していた。
反応の一つへ意識を集中させる。
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『森影狼』
『危険度:D+』
『現在の群れ:5体』
『特性』
・森林擬態
・気配遮断
・群れによる包囲
『攻撃』
・噛み付き
・爪撃
・連携攻撃
『ドロップ品』
・良質な魔核(100%)
・森影狼の毛皮(20%)
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続いて、頭上の反応を調べる。
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『幻灯蛾』
『危険度:D』
『現在数:2体』
『特性』
・幻影鱗粉
・飛行
・魔力反応複製
『注意』
・鱗粉から作られた幻影にも、微弱な魔力反応が存在
・詳細解析を行うことで本体との識別が可能
『ドロップ品』
・良質な魔核(100%)
・幻影鱗粉(15%)
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「森影狼が五体! 頭上に幻灯蛾が二体いる!」
「なんで、狼と蛾が一緒に行動しているんですか!」
「それは分からないが、幻影で混乱させられる前に狼を倒したほうがいい!」
頭上から青白い粉が降り注ぐ。
「まずい! シズクっ! 風を上へ!」
「ぷるっ!」
シズクが身体の前へ風属性魔力を集める。
放たれた風弾が頭上で弾け、降り注いでいた鱗粉を上空へ巻き上げた。
だが、すべてを吹き飛ばすことはできない。
残った鱗粉が淡く輝き、木々の間へ無数の狼が現れた。
一体。
二体。
視界に映る狼の数が、十体を超えていく。
「本物は五体だけだ!」
「どれが本物か分かりますか!?」
「一体ずつなら分かるけど、動きが速すぎる!」
詳細解析を行えば、幻影と本体を識別できる。
だが、一体へ意識を集中させている間にも、他の狼は動き続ける。
十一体の狼が、互いの位置を入れ替える。
解析表示を追うだけで、視界が埋め尽くされていく。
「正面の二体は幻影! 左奥が本物!」
「分かりました!」
美咲さんが左へ踏み込む。
剣が木々の影へ振り下ろされる。
何もいないように見えた空間から、森影狼が飛び出した。
刃が前脚を切り裂く。
森影狼は地面へ転がったものの、すぐに立ち上がって茂みへ姿を隠した。
「後ろから二体来る!」
美咲さんが振り返る。
最初の狼へ剣を振るう。
刃が身体を通り抜け、幻影が光となって消えた。
二体目は本物だった。
美咲さんが盾で噛み付きを受け止める。
森影狼の牙が盾の縁へ食い込み、硬い音が響いた。
「っ……!」
美咲さんが盾を振り、森影狼を弾き飛ばす。
俺も鋼短剣を抜き、周囲の反応を追う。
「右から来る!」
右側へ身体を向ける。
だが、美咲さんが叫んだ。
「陸斗さん、しゃがんで!」
理由を考える前に、その場へ身を沈める。
直後、頭上を森影狼が通過した。
右側から見えていた狼は幻影。
本物は、背後の木から跳び掛かっていた。
美咲さんの剣が俺の頭上を通り、森影狼の腹部を切り裂く。
狼は茶色い粒子となって消えた。
「ごめん、表示に気を取られてた……」
「話はあとです! まだ来ます!」
残る四体の森影狼が、幻影へ紛れながら周囲を走る。
俺は反応を一つずつ追おうとしていた。
だが、それでは間に合わない。
「美咲さん。本物の動きが分かる?」
「完全には分かりません。でも、見せている狼は囮です!」
美咲さんが周囲を見回す。
「森影狼は、逃げ道を塞ぐ位置から攻撃してきます。幻影を追わず、私たちの背後を見てください!」
「分かった!」
表示だけではなく、森影狼の狙いを考える。
俺たちを囲む幻影。
あえて姿を見せている狼。
その反対側。
逃げようとした時、背中を向けることになる場所へ意識を向ける。
三つの反応が重なっていた。
「左後方に本物が二体!」
「そこですね!」
美咲さんが迷わず左後方へ踏み込む。
森影狼が、二方向から同時に飛び掛かってきた。
一体目を盾で弾き、二体目の前脚を剣で切り払う。
「シズク、負傷した方へ氷槍!」
「ぷるっ!」
青白い氷槍が放たれる。
前脚を失った森影狼の身体へ突き刺さり、周囲を凍らせた。
動きを止めた狼へ、美咲さんが止めを刺す。
残り三体。
群れの動きへ意識を向けると、そのうち一体だけが他の狼へ指示を出していることが分かった。
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『森影狼・群れの指揮個体』
『現在の行動』
・幻影と残存個体を用いた再包囲
・一城陸斗を優先攻撃対象へ指定
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「奥にいる一体が、群れへ指示を出してる!」
「見えますか?」
「位置は分かる! シズク、上にいる幻灯蛾へ風弾を撃って!」
「ぷるっ!」
二発目の風弾が、頭上の枝へ向かって放たれる。
風に巻き込まれた幻灯蛾が、木の幹へ叩き付けられた。
鱗粉の供給が止まり、森影狼の幻影が薄くなっていく。
「本物が見えました!」
美咲さんが指揮個体へ駆ける。
残る二体が進路を塞ごうとするが、幻影を失った状態では動きが分かりやすい。
一体を盾で押し退け、もう一体の噛み付きを剣で受け流す。
そのまま指揮個体との距離を詰めた。
森影狼が身体を低くし、正面から飛び掛かる。
美咲さんは半歩だけ横へずれた。
すれ違いざまに剣を振るう。
刃が首元へ入り、指揮個体が粒子となって消えた。
指示を失った二体の森影狼が、別々の方向へ逃げようとする。
「右は俺が見る!」
「では、左を倒します!」
右へ逃げた森影狼の進路を追う。
俺へ飛び掛かる直前、羽靴で横へ移動する。
空中へ飛び出した身体へ鋼短剣を突き立てた。
刃先が魔核へ届き、森影狼が粒子となって崩れる。
美咲さんも、最後の一体を倒していた。
頭上に残っていた幻灯蛾は森の奥へ逃げ、周囲へ静けさが戻った。
「終わった……」
俺は周囲に魔物の反応が残っていないことを確認し、息を吐いた。
「陸斗さん、怪我はありませんか?」
「なんとか。美咲さんが助けてくれたから、大丈夫だ」
「ぷる……」
シズクが地面を跳ね、俺の足元へやってくる。
「シズクも心配してくれたんだな。ありがとう」
「ぷるっ」
美咲さんにも怪我はない。
足元へ残された良質な魔核を回収する。
毛皮や鱗粉は落ちていなかった。
「さっきの狼、俺の『解析鑑定』だけでは追い切れなかった」
「本物の位置は分かっていましたよね?」
「うん。でも、一体へ集中している間に、別の狼へ回り込まれてた」
「群れで戦う魔物は、相手の位置だけでなく、狙いも考える必要があります」
美咲さんが、森影狼のいた場所を見る。
「見せている相手へ注意を向けさせて、別の個体が死角から襲う。群れで狩りをする魔物が、よく使う方法です」
「美咲さんが言ってくれなかったら、幻影を追い続けてたと思う」
「陸斗さんが本物の数と位置を教えてくれたから、私も攻撃を予測できたんです」
美咲さんが柔らかく微笑む。
「どちらか一人だけでは、難しい戦いでしたね」
「そうだな。次からは、表示だけじゃなくて、美咲さんの判断も聞くようにするよ」
「私も、気付いたことはすぐに伝えます」
「ぷるっ!」
「シズクも頼りにしてるよ」
「ぷるるっ!」
解析結果が正しくても、それを戦闘中に生かせるとは限らない。
相手の動きを読み、何を狙っているのか判断する。
それは、探索経験を積んできた美咲さんの方が遥かに優れていた。
休憩を終え、再び森の奥へ進む。
しばらくすると、『解析鑑定』へ強い反応が現れた。
反応は魔物ではない。
地面の下から、安定した土の魔力が伝わってくる。
「この先で、土属性の魔力が反応してるみたいだ」
「何かの素材でしょうか?」
「たぶん。でも、入口らしい場所が見当たらないな」
反応があるのは、三本の大樹が重なる場所だった。
太い根が地面を覆い、その先に通れる隙間はない。
詳しく解析する。
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『地脈の祠』
『分類:隠し採取区域』
『状態:隠蔽中』
『隠蔽方法』
・擬態蔦による入口の遮蔽
・幻影苔による奥行きの誤認
『注意』
・擬態蔦を無理に切断すると入口が24時間封鎖
・正規経路から侵入すること
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「擬態する蔦と、幻影を作る苔で入口が隠されてる?」
「正しい入口は分かりますか?」
「祠がある方向は分かるんだけど、どこから入るのかまでは表示されてないな」
三本の大樹の周囲を調べる。
見えている根や蔦は、どれも同じように重なっていた。
無理に切れば、入口が封鎖される。
「少し待ってください」
美咲さんが目を閉じ、木々の間で耳を澄ませる。
「右側から、風の音が聞こえます」
「風?」
「はい。蔦の奥から、僅かに空気が流れているみたいです」
右側の根へ近付く。
意識して見なければ分からないほどだが、蔦の葉が小さく揺れていた。
「シズク。弱い風を送ってみてくれ」
「ぷるっ」
シズクが蔦へ向かって、柔らかな風を起こす。
葉が一斉に持ち上がった。
その奥に、人一人が通れるほどの隙間が現れる。
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『地脈の祠』
『正規経路:発見』
『入口封鎖:解除』
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「美咲さんの言ったとおりだったな」
「陸斗さんが、ここに祠があると見つけてくれたからです」
「じゃあ、みんなで見つけた入口だっ」
「ぷるっ!」
蔦を傷付けないように持ち上げ、隙間へ入る。
大樹の根の下には、土色の石で造られた小さな祠があった。
壁や天井から伸びた根が、中央の石台へ集まっている。
その上には、茶色く透き通った結晶が浮かんでいた。
「ぷる……」
シズクが、再び結晶へ身体を伸ばす。
「シズクに使えそうな物を見つけると、すぐに分かるようになりましたね」
「炎水晶と氷水晶を覚えてるのかも」
茶色い結晶へ意識を集中させる。
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『土水晶』
『品質:A』
『希少度:B』
『推定買取価格:100,000円』
『用途』
・土属性魔導具の素材
・建築用魔導具の魔力源
・土属性魔法の習得補助
『適合対象:シズク』
『習得可能魔法』
・石弾
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「シズクが使える、土属性の水晶みたいだ」
「今度は、どのような魔法ですか?」
「石弾。土属性の魔力で石の弾を作って放つ、攻撃魔法だ」
「これで、四つの属性攻撃を使えるようになるんですね!」
「ぷるっ!」
美咲さんの言葉へ応えるように、シズクが大きく身体を伸ばす。
「持ち帰って、検査を受けてから訓練しよう」
「ぷるるっ!」
採取可能な部分を確認し、小型ピッケルを取り出す。
数度打ち込むと、澄んだ音を響かせながら土水晶の欠片が採取できた。
保護布へ包み、探索鞄へ収める。
「これで、風、火、氷、土の四属性ですね」
「うん。でも、今日の戦いみたいに、魔法や解析結果だけで全部に対応できるわけじゃない」
「そのためのパーティーです」
「そうだな」
俺の『解析鑑定』。
美咲さんの探索経験と戦闘技術。
シズクが少しずつ増やしている魔法。
それぞれにできることは違う。
だからこそ、足りない部分を補い合うことができる。
俺たちは土水晶を持ち帰るため、第九層の入口へ引き返すことにした。




