48話「陸斗が辞めた後の会社⑤」
陸斗が会社を去ってから、三か月が経過していた。
深夜を過ぎても、品質管理部の照明は一つも消えていない。
机の上には、鑑定を待つ素材と資料が積み上がり、何人もの社員が疲れ切った表情で端末へ向かっていた。
品質管理課長の斉藤は、画面に表示された業務状況を確認する。
◇____________________
『品質管理部・業務状況』
未処理査定 384件
再鑑定依頼 96件
期限超過 41件
苦情対応中 12件
取引一時停止 2社
____________________◇
「また、増えてる……」
処理しても、翌日にはそれ以上の仕事が届く。
斉藤を含めた社員たちは、三か月にわたって残業と休日出勤を続けていた。
他部署から応援も送られてきたが、素材の鑑定経験がない社員に任せられる仕事は限られている。
新しく採用された鑑定持ちも、すでに一人が辞めていた。
「課長……」
若手社員が、疲れた声で斉藤を呼ぶ。
「どうした?」
「回復薬メーカーから、再鑑定の依頼です。先週納品された薬花草が、査定書の品質と一致しないそうです」
「対象の記録は?」
「こちらです」
端末へ査定書が表示される。
契約上の品質はB。
品質管理部から提出された査定書にも、品質Bと記載されている。
「現物は届いているか?」
「先ほど、返品された物が届きました」
「分かった。俺が確認する」
斉藤は立ち上がり、保管室へ向かった。
箱の中には、乾燥を防ぐため一本ずつ包まれた薬花草が入っていた。
見た目だけでは、大きな異常は分からない。
一本を取り出し、『鑑定』を発動させる。
◇____________________
『薬花草』
『品質:D』
『用途:回復薬の原料』
____________________◇
「品質D……」
別の薬花草も確認する。
品質C。
その隣はD。
箱の奥から取り出した物だけ、査定書どおりの品質Bだった。
「品質の違う物が混ざっている……」
査定記録を確認すると、検査されたのは箱の上部と奥から取り出した数本だけだった。
本来なら、産地や収穫時期が異なる素材は、箱ごとに複数の場所から抜き取って確認しなければならない。
だが、担当者は大量の仕事を処理するため、確認する本数を減らしていた。
その担当者だけを責めることはできない。
斉藤も、検査を早く終わらせるよう指示していた。
「また、俺の確認不足か……」
品質Dの薬花草では、契約どおりの回復薬を作れない。
品質だけなら『鑑定』で分かる。
だが、正確な査定額を出すには、市場価格や産地、保存期間、契約内容を資料と照らし合わせなければならない。
一本ずつ鑑定し、結果を記録し、資料を調べる。
決して短時間で終わる仕事ではない。
それでも一城は、同じ作業を誰よりも早く終わらせていた。
『一城。こっちの急ぎも頼む』
『悪いが、今日中にこれも終わらせてくれ』
『一城ならできるだろ?』
仕事が早いという理由だけで、次々と机へ仕事を積み上げていた。
斉藤自身、何度同じことを言ったか分からない。
一城がどのように査定しているのか、深く考えたこともなかった。
同じ『鑑定』を持っているのだから、自分たちにもできる。
少し処理が遅くなっても、人数で補える。
当時は、本気でそう思っていた。
だが、三か月経っても、一城一人分の穴さえ埋められていない。
「課長。どうでしたか?」
保管室の入り口に、若手社員が立っていた。
「品質の異なる薬花草が混ざっている。すべて再鑑定する」
「全部ですか?」
「ああ。この状態では、どれが品質Bか分からない」
「ですが、百本近くあります。明日の朝までに回答を求められています」
「俺も手伝う。先方には、調査中だと連絡してくれ」
「分かりました」
若手社員が戻ろうとする。
「いや、待ってくれ」
「はい?」
「今日は、もう帰っていい」
「ですが……」
「昨日も終電を逃しただろう。このまま続けても、また見落としが増える」
「課長はどうするんですか?」
「俺は、もう少し残る」
「それでは意味がありませんよ」
「俺には『調合』もある。査定が終わったあと、使える素材が残っていれば、損失を減らす方法を考える」
「また課長が回復薬を作るんですか?」
「勝手には作らない。納入元と取引先の許可を取ってからだ」
以前、品質が低下した薬花草が大量に納品されたことがあった。
薬花草として販売できる品質ではなかったが、補助素材を加えれば低級回復薬へ加工できた。
斉藤は納入元と取引先へ状態を説明し、書面で許可を得たあと、『調合』で回復薬を作った。
完成した回復薬は謝罪品として無償提供され、契約の打ち切りだけは回避できた。
だが、本来は品質管理部が行う仕事ではない。
調合に必要な補助素材にも費用が掛かる。
毎回使える方法ではなかった。
「明日の朝、元気な状態で手伝ってくれ」
「……分かりました。お先に失礼します」
「お疲れさま」
若手社員を見送り、斉藤は再び薬花草を手に取った。
◇
翌朝。
ほとんど眠れないまま再鑑定を続けていると、品質管理部の扉が勢いよく開いた。
「無野部長はいるか!」
怒声と共に入ってきたのは、星川部長だった。
手に握られた何枚もの書類が、僅かに震えている。
「何を騒いでいる」
奥の個室から、無野部長が不機嫌そうに姿を現した。
星川部長は足早に近付くと、持っていた書類を机へ叩き付ける。
「これはどういうことだ! 品質Bとして納品した薬花草へ、品質CとDが大量に混ざっていた!」
「現場の検査に不備があった。それだけの話だ」
「それだけで済むと思っているのか! 先方は製造ラインを停止した。再検査と納期遅延の損害を含め、補償を求めてきているんだぞ!」
無野部長は、僅かに眉を寄せる。
「実務管理は、課長である斉藤の仕事だ」
「ふざけるな!」
星川部長の怒声が、品質管理部へ響き渡った。
「斉藤課長は、納期の延長と増員を求めていただろう!」
「最終的に、現在の人員で対応可能だと判断した」
「誰が判断した!」
「部長である私だ」
「だったら、部下へ責任を押し付ける前に、自分の判断が間違っていたと認めろ!」
無野部長の表情が険しくなる。
「営業部が無理な納期を受け入れたことも原因だろう」
「こちらは、斉藤課長からの連絡を受けて、先方と納期延長の交渉を進めていた! それを取り下げさせたのは、あなたではないか!」
星川部長が、机へ置いた書類の一枚を指で叩く。
無野部長から送られたメールの記録だった。
『一城がいなくなった程度で、処理能力が落ちたと思われては困る』
『予定どおり納品可能と回答すること』
『人員の追加は不要』
「会社の信用を守るためだ」
「その見栄のせいで、実際に信用を失っているんだ!」
品質管理部の社員たちは、誰一人として口を挟めなかった。
「一人抜けただけで処理能力は落ちないと言ったな? その結果が、四十一件の期限超過と、主要取引先二社の取引停止だ!」
「斉藤の管理能力にも問題があった」
「斉藤課長は、三か月前から人員不足と検査精度の低下を報告している! 増員申請も、納期延長の申請も、すべてあなたが取り下げた!」
星川部長が、無野部長を睨み付ける。
「確かに、抜き取り検査が不十分だったことについては、現場にも責任がある。斉藤課長にも、課長として説明してもらわなければならない」
「なら__」
「だが、現場から何度も危険を報告され、それを握り潰した人間が、すべてを部下の責任にすることは許さん!」
無野部長は何か言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。
「明日、役員を交えた緊急会議を行う。今回の件だけではない。過去三か月に発生した査定ミス、期限超過、取引停止についても説明してもらう」
「……分かった」
「斉藤課長」
「はい」
「君も出席してくれ。これまで提出した増員申請と、納期延長を求めた記録をすべて用意してほしい」
「承知しました」
「記録は加工せず、そのまま持ってきてくれ。誰が何を判断したのか、役員の前ではっきりさせる」
星川部長は、室内に残っている社員たちへ視線を向けた。
「作業中に大声を出して申し訳なかった」
そして、無野部長へ視線を戻す。
「いいか、無野? これ以上、現場だけに責任を押し付けることは絶対に認めない」
そう言い残し、星川部長は品質管理部を出ていった。
◇
「斉藤。少し来い」
星川部長が去ったあと、無野部長に呼ばれた。
個室へ入ると、机の上に一枚の書類が置かれていた。
「明日の会議では、これを提出する」
「顛末書……?」
書類へ目を通す。
◇____________________
『品質査定不備に関する顛末書』
発生原因
・品質管理課長による監督不足
・検査工程の無断簡略化
・部下への不適切な業務指示
・調合スキルを使用した独断での事後対応
責任者
品質管理課長 斉藤
____________________◇
「待ってください。調合については、納入元と取引先から書面で許可を得ています」
「許可を取ったかどうかは問題ではない。品質管理課の通常業務を逸脱した行為だ」
「契約の打ち切りを防ぐためです。部長にも報告しました」
「私は承認した覚えはない」
「メールが残っています」
「なら、現場から報告を受けただけだと説明する」
斉藤は書類を握り締めた。
「検査工程を短縮するよう指示したのは、部長です」
「具体的な確認方法を決めるのは、課長の仕事だ」
「増員申請も、納期延長も取り下げましたよね?」
「最終判断をしたのは私だ。だが、その判断に必要な情報を上げるのは、お前の役目だった」
「何度も報告しました」
「報告の仕方が悪かったのだろう」
あまりにも身勝手な言葉だった。
「この顛末書へ署名しろ」
無野部長が、机へペンを置く。
「明日の会議で、お前が現場責任者として謝罪する。それで会社への被害は最小限に抑えられる」
「俺一人に、責任を負わせるつもりですか?」
「課長とは、そういう立場だ」
斉藤の脳裏へ、一城の姿が浮かぶ。
仕事が早いから。
断らないから。
一城ならできるから。
そんな理由で、次々と仕事を押し付けた。
問題が起きれば、一城の確認不足だと言ったこともある。
今、自分がされていることは、かつて一城へしていたことと同じだった。
「……署名はできません」
「何?」
「俺にも責任はあります。部下へ無理をさせ、一城にも仕事を押し付けました。その責任から逃げるつもりはありません」
斉藤は顛末書を机へ戻す。
「ですが、事実と違う内容へ署名することはできません」
「自分が何を言っているのか、分かっているのか?」
「はい」
「なら、明日の会議で責任を取ってもらう。お前を課長の座から外すだけでは済まないぞ」
「……承知しました」
斉藤は頭を下げ、個室を出た。
◇
自分の席へ戻り、椅子へ腰を下ろす。
机の上には、まだ大量の仕事が残されている。
スマートフォンには、妻からメッセージが届いていた。
『今日も遅くなりそう? 夕食は冷蔵庫に入れておくね。無理だけはしないで』
「ごめんな……」
小さく呟き、短い返信を送る。
そのあと、連絡先の一覧を開いた。
一城陸斗。
会社を辞めてから、一度も連絡していない。
謝罪の言葉を考えたことは、何度もあった。
それでも、自分が許されたいだけではないかと思い、電話を掛けられなかった。
明日の会議で、自分がどうなるかは分からない。
だが、もし会社を去ることになったら。
その時は、一城へ謝ろう。
許してもらえなくても、自分がしたことを認め、謝罪しよう。
斉藤は連絡先を閉じると、目の前に積まれた薬花草の再鑑定を再開した。
翌日の緊急会議で、自分へすべての責任が押し付けられようとしていることを知りながら。
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