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38話「陸斗が辞めた後の会社④」

品質管理部長の名前を『無野(むの)』に営業部長の名前を『星川(ほしかわ)』へ加筆修正しました。


 陸斗が会社を去ってから、二か月が経過していた。

 午後九時を過ぎても、品質管理部の照明は一つも消えていない。

 机の周囲には、鑑定を待つ素材の箱が積み上がっている。


「課長。第三倉庫の分、終わりました」

「ありがとう。記録書は確認しておくから、今日はもう帰ってくれ」

「でも、まだ四箱残っています」

「終電を逃すぞ。残りは明日でいい」

「……分かりました。お先に失礼します」


 若手社員が申し訳なさそうに頭を下げる。

 斉藤はその背中を見送ると、積み上がった箱へ視線を戻した。


 残っている社員は、斉藤を含めて四人。

 その全員が、この一か月近く残業を続けていた。


「課長。第四倉庫から、追加の査定依頼です」

「またか……」


 机へ、新しい依頼書が置かれる。

 緊急と記された素材は、四十八件。


 取引先へ提示する見積書を作成するため、明日の正午までに価格を決めなければならないらしい。


「今から四十八件は無理です」

「営業には?」

「無野部長が、正午までに回答すると伝えたそうです」


 斉藤は眉間を押さえた。

 現場の処理能力を確認せず、無野部長が引き受けた仕事だった。


「こちらから営業部へ連絡する。君たちは今ある分を進めてくれ」

「分かりました」


 斉藤は依頼書を手に、部長の席へ向かう。


「部長。第四倉庫から届いた四十八件についてですが」

「ああ。明日の正午までに終わらせてくれ」

「現時点で、三日分の査定が遅れています。今から追加で四十八件を処理するのは困難です」

「困難でも、やるのが仕事だろう」

「急げば価格を誤る可能性があります」

「だから、君が確認すればいい」


 部長は書類から顔も上げずに答える。


「斉藤君。一城が辞めてから、品質管理部の処理速度が大きく落ちている。課長として、改善策を考えるのも君の仕事だ」

「増員を二度申請しています」

「一人抜けただけで増員など認められるわけがないだろう」

「一城君が処理していた件数は、一人分ではありません」

「それを部下へ割り振るのが、管理職の役目だ」


 その言葉に、斉藤は何も返せなかった。

 以前の自分も、似たようなことをしていたからだ。


 一城なら早く終わる。

 一城へ頼んだ方が確実だ。

 そんな理由で、他の社員が抱えていた仕事を何度も回していた。


「正午までに終わらせてくれ。営業部長には、すでに回答済みだ」

「……承知しました」


 無野部長の席を離れようとしたところで、品質管理部の扉が開いた。


「まだ終わっていないようだな」


 入ってきたのは星川部長だった。

 手には、明日の商談で使用する資料を持っている。


「第四倉庫の四十八件について、確認へ来た」

「今、斉藤へ指示を出したところだ」


 無野部長が答える。


「正午までには、問題なく回答できるから待っていろ」

「本当に可能なのか?」


 星川部長が、斉藤へ視線を向けた。


「正確な査定を行うなら、現状では厳しいです」

「斉藤」


 無野部長の声が低くなる。

 だが、星川部長はそれを手で制した。


「間に合わないなら、先方へ伝える。誤った価格を提示するよりはいい」

「しかし、それでは契約が遅れるぞ!」

「不正確な見積もりを出せば、契約そのものを失う」


 星川部長が依頼書へ目を落とす。


「最低限、優先度の高い十二件を午前十時までに頼めるか?」

「十二件であれば、可能です」

「残りはこちらで先方と調整する」

「助かります」

「礼を言う必要はない。こちらも無理な依頼を出した」


 星川部長は無野部長へ視線を向ける。


「今後、期限を回答する前に現場へ確認してくれ。同じ部長として言わせてもらうが、この状態は正常ではない」

「……ッチ。ああ、分かった」


 無野部長は不満そうな表情を浮かべながらも、それ以上は反論しなかった。

 星川部長が部屋を出ていく。


「斉藤」

「はい」

「優先する十二件については、君の責任で処理しろ」

「課長決裁では、取引価格を確定できません。最終承認は部長にお願いします」

「緊急時の対応だ。私の許可は得ているものとして進めて構わん!」

「それでは、指示の内容をメールで残します」

「好きにしたまえ」


 部長は鞄を手に取る。


「私は役員へ状況を説明してくる。あとは頼んだぞ」

「……はい」


 無野部長が部屋を出る。

 斉藤はすぐに、先ほどの指示を確認するメールを作成した。

 宛先は品質管理部の部長である無野(むの)(すぐる)

 共有先には星川部長も加える。


 口頭だけの指示で査定を進めれば、問題が起きた時に現場だけの責任にされかねない。

 最近では、そうした記録を残すことが増えていた。



 ◇



 斉藤は、優先指定された箱を開けた。

 中に入っていたのは、耐火装備に使われる赤い鱗だ。

 意識を集中させ、『鑑定』を発動する。



 ◇____________________


 『火蜥蜴の鱗』

 『品質:B』

 『用途:耐火防具、耐熱魔導具の材料』


 ____________________◇



 表示されるのは、名称と品質、用途まで。

 ここから価格を決めるには、過去の取引記録や市場価格と照らし合わせなければならない。


 斉藤は社内の素材記録を開く。


 同じ品質の最終取引価格。

 今月の入荷量。

 市場に出回っている数。

 取引先との契約条件。


 一つずつ確認し、ようやく推定価格を算出する。

 一件目を終えるまでに、十二分掛かった。


「十二分……」


 この調子なら、十二件だけでも二時間以上必要になる。


 特殊な素材が混ざっていれば、さらに時間は延びる。

 斉藤は、社内に残されている過去の鑑定記録を開いた。


 作成者の欄には、一城陸斗の名前が並んでいる。

 名称、品質、用途、推定価格。


 記録には必要な情報が過不足なく記載されていた。

 しかも、一件ごとの処理時間が異常に短い。


「一件、二分も掛かっていない……」


 一城も、自分たちと同じ『鑑定』持ちだと、斉藤たちは認識していた。


 素材の名称と品質、用途を確認し、資料や市場価格と照らし合わせて査定額を決める。

 一城も同じ手順で仕事をしているのだと思っていた。


 それなのに、一城は他の社員の数倍もの仕事を、ほとんど間違えることなく処理していた。


 素材に関する知識が豊富だから。

 市場価格を覚えているから。

 単純に仕事が早いから。


 斉藤は、そう考えていた。

 なぜ一城だけがそれほど早く査定できるのか、本人へ尋ねたことは一度もなかった。


 仕事が滞りなく終わるなら、それでいい。

 当時は、その程度にしか考えていなかったのだ


 処理件数を月単位で集計する。

 表示された数字を見て、斉藤の指が止まった。


「品質管理部全体の……四割?」


 ここ数年、部署で処理した査定の四割近くを、一城一人が担当していた。

 他の社員から押し付けられた分も、急ぎだと言われて引き受けた分も、全て記録へ残っている。

 斉藤自身が回した仕事も少なくなかった。


『俺が断れば、誰かへ負担が回るので』


 一城は、そう言って仕事を引き受けていた。

 斉藤は、その言葉に甘えていた。


「一人抜けただけ、か……」


 無野部長の言葉を思い出す。


 一人分の穴ではない。

 初めから、一人へ背負わせていい量ではなかったのだ。


「課長?」


 社員から声を掛けられ、斉藤は画面を閉じた。


「どうした?」

「この素材なんですが、先月の価格表と現在の市場価格が大きく違います」

「見せてくれ」


 差し出された資料を確認する。

 市場へ新しい採取地の素材が流れ込み、ここ一週間で価格が急落していた。

 先月の価格をそのまま使えば、会社側が百万円以上高く買い取ることになる。


「古い価格表は使わないでくれ。最新の市場記録から計算し直そう」

「はい」

「他の素材も、更新日時を確認してから使ってくれ」

「分かりました」


 急がなければならない。

 だが、確認を省くこともできない。

 斉藤たちは一件ずつ資料を調べ、査定結果を積み重ねていった。



 ◇



 最後の査定書が完成したのは、午前二時を過ぎた頃だった。


「終わった……」


 社員の一人が、椅子へ背中を預ける。


「本当にお疲れ様。あとの確認は私がやる。みんなは帰ってくれ」

「課長一人で大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。明日は午後から出社していい。私から部長へ伝えておく」

「ありがとうございます」


 疲れ切った社員たちが、次々と部屋を出ていく。

 一人になった斉藤は、十二件の査定書を最初から確認した。


 数字に誤りがないことを確かめ、営業部へ送信する。

 すると数分も経たず、星川部長から返信が届いた。


『対応に感謝する。明日の午前中に先方へ提示する。品質管理部の職員には、無理をさせたことを謝っていたと伝えてほしい』


 斉藤は短い返事を送り、椅子へ身体を預けた。

 その時、机の上に置いていたスマートフォンが震えた。


『今日も遅いの? 夕飯は冷蔵庫に入れてあります。無理だけはしないでね』


 妻からのメッセージだった。


『今、終わった。心配掛けてごめん』


 そう返信し、スマートフォンを伏せる。

 家族を理由に仕事を、一城へ回したこともあった。


 自分が同じ立場になって、ようやく分かる。

 仕事が早いことは、際限なく仕事を押し付けていい理由にはならない。


「一城……」


 今さら気付いても、遅い。

 謝ろうにも、連絡する資格が自分にあるのかさえ分からなかった。



 ◇



 翌朝。

 ほとんど眠れないまま出社した斉藤の机に、一枚の書類が置かれていた。


『品質管理部・業務改善指示書』


 査定の遅延。

 残業時間の増加。

 他部署への回答期限の変更。


 問題点が並べられ、その下に責任者として斉藤の名前が記載されている。


「これは……」

「昨日の件を含め、改善計画を作成してくれ」


 背後から無野部長の声が聞こえた。


「一週間以内に、処理速度を以前の水準へ戻すように」

「増員なしでは不可能です」

「不可能かどうかを判断するのは君ではない」

「では、部長として具体的な改善案を提示してください」

「現場の運用は課長の仕事だ」


 無野部長は、それだけ言い残して自分の席へ戻っていった。


 斉藤は書類へ視線を落とす。

 どこにも、無野部長の名前は記載されていない。


 遅延も。

 残業も。

 回答期限の変更も。


 全て斉藤の管理不足によって発生したかのようにまとめられていた。

 斉藤は黙って書類を複写し、昨日までのメールと一緒に保管する。


 一城がいなくなってから、二か月。

 品質管理部は、まだ業務を続けている。


 だが、それは立て直せたからではない。

 残された社員たちが、自分の時間と体力を削りながら、崩壊を先延ばしにしているだけだった。

読んでいただきありがとうございます。

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