36話「シズク、初めてのダンジョン探索」
第五層の探索から戻った翌日。
俺たちは、探索者ストアの休憩スペースへ集まっていた。
昨日見つけた希少区域『スライムの白銀城』については、すでに調査課の高橋さんへ報告してある。
出現まで、あと十二日余り。
協会でも前例のない希少区域であり、出現時には可能な範囲で映像を記録してほしいと頼まれた。
「第五層へ行く前に、今日はシズクの訓練を行いましょう」
俺がそう言うと、美咲さんの膝の上にいたシズクが小さく跳ねた。
「いよいよ、シズクもダンジョンへ入るんですね」
「ぷるっ!」
「最初は第一層だけです。魔物と戦わせることよりも、美咲さんの指示に従って動けるかを確認します」
「分かっています。危険だと思ったら、すぐに抱えて逃げます」
「それじゃ訓練にならねえだろ」
店主さんが呆れたように口を挟む。
「でも、シズクが怪我をしたら……」
「怪我をさせないために訓練するんだ。お前が何でも先回りして守ってたら、いつまで経っても探索へ連れていけねえぞ」
「それは、そうだけど……」
美咲さんが心配そうにシズクを見つめる。
シズクは自分が心配されていることを理解しているのか、身体を伸ばして美咲さんの頬へ触れた。
「シズク……」
「ぷる」
「やっぱり今日はやめようか?」
「ぷるっ!?」
シズクが慌てたように身体を左右へ振る。
「本人は行きたいみたいですよ」
「うぅ……分かりました。でも、絶対に無理はさせませんからね」
美咲さんは、従魔用の小さな素材鞄を確認する。
中に入っているのは、栄養ゼリーと魔力回復ゼリー。それから、シズクを運ぶための柔らかな布だった。
「準備し過ぎじゃねえか?」
「足りないよりいいでしょ」
「第一層へ行くだけだぞ」
「初めてのダンジョンなんだから、これくらい必要だよ」
店主さんは何か言い返そうとしたが、諦めたように肩を竦めた。
「兄ちゃん。美咲が過保護になったら止めてくれ」
「努力します」
「一城さんまで!」
俺は苦笑しながら、シズクへ『解析鑑定』を発動させる。
◇____________________
『個体名:シズク』
『状態:良好』
『魔力残量:十分』
『戦闘経験:なし』
『習得魔法』
・風弾:初級・未成熟
『現在の使用可能回数』
・一日一回
『魔法スライムへの進化条件』
・契約者との信頼を十分に深める:形成中
・魔導具や魔力素材に宿る魔力の流れを学ぶ:達成
・自力で魔力を体外へ放出する:達成
____________________◇
残っている進化条件は、美咲さんとの信頼だけ。
日常生活や訓練を共にしたことで、以前より進んでいるように見える。
だが、まだ達成には至っていなかった。
「状態に問題はありません。魔力も十分です」
「それなら、そろそろ行きましょうか」
「はい」
美咲さんがシズクを抱き上げる。
青い魔導繊維で作られた従魔登録証も、きちんと身体へ巻かれている。
「シズク。お母さんの言うことをちゃんと聞くんだぞ」
「お、お母さんじゃないよ!」
「似たようなもんだろ」
「もう!」
美咲さんが顔を赤くする。
そんな二人を見ながら、俺はボディレコーダーの電源を入れた。
◇
初心者ダンジョンの入口で、美咲さんとシズクの従魔登録証が確認された。
「登録従魔の初回探索ですね」
警備職員が端末へ表示された情報を見る。
「第一層であれば同行可能です。ただし、従魔を他の探索者へ故意に接近させないよう注意してください」
「分かりました」
「魔物との戦闘についても、最初は無理をさせないでください」
「はい!」
美咲さんが真剣な表情で頷く。
俺たちは警備職員へ頭を下げ、入口の揺らぎをくぐった。
足の裏へ、第一層の硬い石畳の感触が戻ってくる。
美咲さんの腕から下ろされたシズクは、身体を伸ばし、周囲を見回した。
美咲さんの従魔として迎える、初めての探索だ。
「怖くない?」
「ぷるっ」
返事をするように跳ねた。
「それでは、撮影を始めます」
周囲に他の探索者がいないことを確認し、俺はボディレコーダーへ向かって話し始める。
「こんにちは。リンです。今日は、パーティーへ加わったシズクの初めてのダンジョン探索です」
「探索者ミサキです。シズクはまだ戦闘経験がないので、第一層で簡単な訓練を行います」
「ぷるっ!」
「今のが、シズクの挨拶です」
シズクがもう一度跳ねる。
「最初は、契約者の指示を聞いて動けるか確認します。従魔を連れてダンジョンへ入る場合、戦闘能力よりも先に、待機や帰還などの指示を覚えさせる必要があるそうです」
美咲さんが、シズクから数歩離れる。
「シズク。待って」
シズクは美咲さんを追い掛けようとしたが、すぐにその場で止まった。
身体を前へ傾けながらも、懸命に動かず待っている。
「そのままだよ」
美咲さんが、さらに二歩離れる。
シズクの身体が細かく揺れた。
「よし。おいで!」
その言葉を聞いた瞬間、シズクが勢いよく跳ねた。
美咲さんの胸元へ飛び込み、そのまま身体を擦り付ける。
「よくできました!」
「ぷるるっ!」
「今のところ、指示には問題なく従えていますね」
「とっても賢い子ですから!」
美咲さんが誇らしげに胸を張る。
待機。
帰還。
右への移動。
左への移動。
何度か繰り返したが、シズクはほとんど間違えることなく指示どおりに動いた。
「ここまでは問題なさそうです」
「次は魔物が現れた時の反応ですね」
「無理そうだったら、すぐに中止しましょう」
「はい」
撮影を続けたまま、俺たちは第一層の奥へ進んだ。
◇
しばらく歩くと、通路の先で青い身体が跳ねた。
野生のスライムだ。
俺たちの姿に気付くと、身体を低く沈ませる。
念のため、『解析鑑定』を発動させた。
◇____________________
『スライム』
『通常個体』
『性格:好戦的』
『従魔適性:なし』
『現在の行動:攻撃準備』
____________________◇
「通常のスライムです。従魔適性はありません。こちらへ攻撃しようとしています」
「まずは私が倒します。シズクは後ろで見ていてね」
美咲さんがシズクを俺の足元へ下ろし、剣を抜いた。
「シズク。待って」
「ぷる……」
野生のスライムが跳び掛かる。
美咲さんは身体を横へずらし、すれ違いざまに魔核を切り裂いた。
スライムは青い粒子となって消え、地面へ小さな魔核が転がった。
シズクはその光景を、動かずに見つめている。
「怖かったですかね……?」
「確認してみます」
シズクへ意識を向ける。
◇____________________
『個体名:シズク』
『状態:緊張』
『恐怖:小』
『好奇心:大』
『契約者の戦い方を観察中』
____________________◇
「少し緊張していますが、怖がってはいません。美咲さんの戦い方を見ていたようです」
「本当?」
「ぷるっ」
シズクが剣を振る真似をするように、身体の一部を細長く伸ばす。
「今の、私の真似ですか?」
「そうみたいですね」
「シズク、ちゃんと見てたんだね!」
美咲さんが屈み、シズクを優しく撫でる。
「次は、シズク自身に回避の練習をさせてみましょう」
「分かりました。でも、少しでも危険だと思ったら、私が倒します」
「はい」
俺たちは、さらに奥へ進むと、二体目のスライムを見つけた。
今度は、美咲さんがシズクを抱き上げることなく、その場で指示を出す。
「シズク。私の近くから離れないでね」
「ぷるっ」
スライムがこちらへ気付き、身体を沈ませた。
「来るよ。よく見て」
地面を蹴るように、スライムが跳び上がる。
「右へ!」
美咲さんの声に反応し、シズクが右側へ大きく跳ねた。
野生のスライムが、さっきまでシズクのいた場所へ落下する。
「戻って!」
シズクはすぐに美咲さんの足元へ戻った。
美咲さんが前へ出て、野生のスライムを一撃で倒す。
「できた! シズク、ちゃんと避けられたよ!」
「ぷるるっ!」
シズクが嬉しそうに何度も跳ねる。
「今の動きなら、第一層のスライムの体当たりは回避できそうです」
「それでも油断はできません」
「もちろんです。今日は回避できただけで十分ですよ」
美咲さんはそう答えたが、表情は隠し切れないほど緩んでいた。
さらに待機と回避の訓練を続ける。
シズクは美咲さんの声をよく聞き、指示に合わせて動いていた。
何度目かの訓練を終えた時だった。
「前方に二体います」
曲がり角の先に、二体のスライムがいた。
俺たちへ気付いた二体は、それぞれ別の方向へ跳ねる。
一体は美咲さん。
もう一体は、シズクを狙っていた。
「シズク、私の右へ!」
美咲さんが声を上げる。
だが、二体のスライムはほぼ同時に飛び掛かってきた。
美咲さんが自分を狙った一体を剣で受け流す。
もう一体が、シズクの背後へ迫った。
「シズク、こっちへ跳んで!」
シズクは、背後を振り返らなかった。
美咲さんの言葉だけを信じ、その胸元へ向かって跳ぶ。
直後、美咲さんの剣がシズクの背後を通り過ぎた。
迫っていたスライムの身体が切り裂かれ、青い粒子となって消える。
「よくできたよ、シズク!」
だが、美咲さんがシズクを受け止めたことで、最初に受け流したスライムへ背中を向けてしまった。
野生のスライムが身体を沈ませる。
「ミサキさん、後ろです!」
俺が鋼短剣へ手を伸ばす。
だが、それより先にシズクが動いた。
「ぷるっ!」
美咲さんの腕の中で身体を伸ばし、魔力を集める。
淡い光が圧縮され、小さな風の球体へ変わった。
「シズク?」
美咲さんが振り返る。
同時に、シズクの風弾が放たれた。
飛び掛かろうとしていたスライムへ命中し、その身体を横へ弾き飛ばす。
「今です!」
美咲さんがシズクを抱えたまま踏み込む。
体勢を崩したスライムの魔核を、剣で正確に貫いた。
青い粒子が舞い、通路へ静けさが戻る。
「シズク……私を助けてくれたの?」
「ぷるっ」
シズクが、誇らしげに身体を膨らませる。
「ありがとう!」
美咲さんがシズクを胸元へ抱き締めた。
「すごいよ! ちゃんとウインドバレットも使えたね!」
「ぷるるっ!」
「ただ、少し疲れているみたいです」
「あっ!」
美咲さんは慌ててシズクを地面へ下ろし、素材鞄から魔力回復ゼリーを取り出した。
シズクは差し出されたゼリーを体内へ取り込み、ゆっくりと溶かしていく。
「怪我はありませんか?」
「大丈夫です。魔力を使った分、少し疲れているだけです」
俺はシズクへ『解析鑑定』を発動させる。
状態を確認しようとしただけだった。
だが、視界へ現れた表示は、これまでとは違っていた。
◇____________________
『個体名:シズク』
『状態:軽度の魔力疲労』
『契約者との信頼:良好』
『魔法スライムへの進化条件』
・契約者との信頼を十分に深める:達成
・魔導具や魔力素材に宿る魔力の流れを学ぶ:達成
・自力で魔力を体外へ放出する:達成
『全ての進化条件を達成しました』
『進化先』
・魔法スライム
『現在の状態:進化可能』
『推奨』
・魔力の安定した安全区域で進化を行う
・進化中は一時的に無防備となるため、契約者が付き添うこと
____________________◇
「……達成した」
「え?」
美咲さんが顔を上げる。
「シズクの進化条件です。三つとも、全て達成しています」
「それじゃあ……」
「はい。シズクは、魔法スライムへ進化できます」
美咲さんが、信じられないものを見るようにシズクを見つめる。
「シズクが、魔法スライムに……」
「ぷる?」
当のシズクは、自分に何が起きようとしているのか分かっていないらしい。
「ここで進化させるのは危険です。協会の従魔用訓練施設へ戻りましょう」
「はい!」
美咲さんはシズクを大切そうに抱き上げた。
「シズク。一緒に帰ろう」
「ぷるっ」
初めてのダンジョン探索。
美咲さんはシズクを信じ、シズクも美咲さんの言葉を信じて動いた。
そして、互いに相手を守ろうとした。
それが最後の条件を満たしたのだろう。
俺たちは探索を切り上げ、シズクの進化を行うため、探索者協会へ急いで戻ることにした。
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