28話「陸斗が辞めた後の会社③」
陸斗が会社を去ってから、一か月が過ぎた。
品質管理部の状況は、改善していない。
事務所の床には、鑑定を待つ素材の段ボールが積み上げられていた。
社員たちは朝から休むことなく『鑑定』を使い、資料や過去の取引記録と照らし合わせながら、素材の査定価格を決めている。
「課長。こちらの牙素材、過去の取引価格に幅があり過ぎます」
「直近三か月の市場価格を確認してくれ。品質だけではなく、大きさと欠損の有無も比較するんだ」
「分かりました」
「斉藤課長、こちらの鉱石も最終確認をお願いします」
「そこへ置いてくれ。順番に見る」
品質管理課長である斉藤の机にも、何冊もの資料と査定待ちの素材が積み上げられていた。
通常の『鑑定』で分かるのは、素材の名称と品質、そして用途まで。
買取価格を決めるためには、過去の査定記録や市場価格、需要の変動を調べなければならない。
一つの素材を査定するだけでも、数分は掛かる。
種類によっては資料が少なく、十分以上掛かることもあった。
「一城は、どうやっていたんだ……」
斉藤の視線が、今は誰も使っていない机へ向かう。
一城が会社にいた頃は、素材を手に取ってから査定記録を書くまで、ほとんど時間が掛からなかった。
鑑定の精度も高い。
価格の誤差もほとんどなかった。
斉藤たちは、それを一城の仕事が早いからだと思っていた。
だから、急ぎの仕事があれば回した。
自分たちで調べるより、一城に任せた方が早い。
一城なら断らない。
そんな考えで、次々と仕事を押し付けていた。
今になって、ようやく分かる。
あれは単に仕事が早かったのではない。
一城にしかできない、何かがあったのだ。
「課長」
若い社員の声で、斉藤は我に返った。
「どうした?」
「この薬花草なのですが……」
社員が持ってきたのは、翌日に出荷予定となっている薬花草だった。
回復薬の原料として、取引先へ納品する予定の自社在庫だ。
「鑑定結果が、契約書と合いません」
「見せてくれ」
斉藤は薬花草を一本手に取り、自分の『鑑定』を発動させる。
◇____________________
『薬花草』
『品質:C』
『用途:回復薬の原料』
____________________◇
契約書へ目を移す。
取引先から指定されている品質はB以上。
このままでは、契約条件を満たしていない。
「他の箱は確認したか?」
「三箱確認しましたが、全て品質Cでした。一部は変色も始まっています」
「保管記録を出してくれ。それから、この在庫は出荷保留だ。誰にも動かさせるな」
「はい」
斉藤は自分でも複数の薬花草を鑑定する。
結果は変わらない。
全て品質C。
回復薬の原料として使えないわけではないが、品質Bの薬花草として納品することはできない。
斉藤が出荷保留の処理を行っていると、無野部長が事務所へ入ってきた。
「斉藤。何を止めた?」
「明日出荷予定の薬花草です。契約では品質B以上となっていますが、現在の品質はCです」
「仕入れ時の記録は?」
「品質Bです。保管中に劣化した可能性があります」
「明日の納品だぞ。今さら止められるわけがないだろう」
部長が不機嫌そうに眉を寄せる。
「しかし、このまま出荷すれば契約違反になります」
「見た目では大して変わらん。先方も全て鑑定するわけじゃないだろう」
「それは……品質Bとして処理しろということですか?」
「納期を守ることも信用だと言っているんだ」
斉藤は黙って薬花草へ視線を落とした。
以前の自分なら、部長の言葉に従っていたかもしれない。
何か問題が起きても、最終的な責任を負うのは部長だ。
そう考え、自分の仕事だけを終わらせていた。
だが、一城が倒れた時も同じだった。
部長の指示だから。
他の社員も一城へ仕事を回しているから。
そんな言い訳を重ね、一人の社員へ負担が集中していることから目を逸らした。
「出荷はできません」
斉藤は、はっきりと答えた。
「何?」
「品質管理部が品質Cと確認した素材を、品質Bとして出荷することはできません」
「誰に口を利いている?」
「品質管理課長として報告しています」
部長の表情が険しくなる。
「納品が止まれば、営業から責任を問われるぞ」
「承知しています。営業部へは、私から現在の品質と出荷保留を報告します」
「勝手なことをするな」
「ですが、報告しなければ、明日になってから契約違反が発覚します」
しばらく睨み合ったあと、部長は舌打ちするように息を吐いた。
「なら、お前が責任を持って処理しろ」
「分かりました」
無野部長はそれだけ言い残し、事務所を出て行った。
◇
斉藤はすぐに、営業部の星川部長と仕入れ担当者を交えた緊急会議を開いた。
机の上には、品質Cまで劣化した薬花草と鑑定記録が並べられている。
「明日納品する予定だった商品だぞ」
星川部長が厳しい表情で言う。
「はい。申し訳ありません。品質管理部で確認したところ、契約条件を満たしていないことが判明しました」
「仕入れた時はBだったんだな?」
「記録上はそうなっています。ただし、再鑑定の記録が残っていません。保管中の湿度管理にも不備があった可能性があります」
「代わりの在庫は?」
「社内にはありません」
星川部長が額へ手を当てる。
「今から同じ量を集めるのは難しいぞ」
「承知しています。ですが、品質Cの素材をBとして出荷するより、先方へ正直に説明した方がいいと考えています」
「当然だ。契約条件を満たさない物を送るわけにはいかない」
星川部長は、無野部長とは違い、出荷を強行するつもりはないらしい。
「営業部から取引先へ事情を説明する。代替材料については、仕入れ担当とこちらで探す」
「お願いいたします」
「ただ、納期に間に合わなければ信用は落ちる。何か提案はないのか?」
斉藤は机の上の薬花草を見つめる。
「この薬花草は、品質Bの素材として納品することはできません。契約品としての価値はありません」
「廃棄するしかないということか?」
「いえ。品質Cですが、安全性に問題はありません。下級回復薬の原料としてなら使用できます」
斉藤は自分のスキルを思い浮かべる。
彼が持っている生産系スキルは、『調合』。
会社へ入ってから使う機会は減っていたが、今でも下級回復薬程度なら作ることができる。
「加工部の設備と正式な許可をいただければ、下級回復薬へ加工できます」
「回復薬に?」
「はい。ただし、薬花草の代わりとして納品するわけではありません。契約品の納期変更とは別に、お詫びの品として無償提供する形です」
「先方が受け取るか?」
「営業部から事情を説明していただき、了承を得る必要があります。加工についても、加工部の責任者と品質担当者の承認が必要です」
斉藤は提案書へ必要な手順を書き込んでいく。
「代替材料の確保と納期の再調整は、営業部と仕入れ担当へお願いします。俺は、この薬花草が回復薬へ加工可能か、詳細な記録を作成します」
「分かった。先方へ連絡する」
星川部長はすぐに席を立った。
◇
一時間後。
星川部長から、取引先との協議結果が伝えられた。
「先方には品質Cだったことを説明した。今回分の素材納品は延期。代替品の納期は、明日改めて連絡する」
「申し訳ありません」
「回復薬の無償提供についても了承を得た。探索者向けの試供品として配布するそうだ」
「そうですか」
「ただし、安全性と効果について、正式な検査記録を付けることが条件だ」
「当然です」
加工部の責任者からも、正式な許可が下りた。
会社が所有する品質Cの薬花草を、下級回復薬へ加工する。
調合作業は加工部の管理下で行い、完成品の検査は斉藤以外の品質担当者が行う。
斉藤が勝手に素材を加工するわけではない。
関係部署の承認を得た、正式な対応だった。
「それでは、始めます」
加工部の調合室。
斉藤は白衣へ着替え、薬花草を一枚ずつ確認していく。
変色が激しい物は除外。
使用可能な部分だけを選別し、規定量を調合器へ投入する。
「『調合』」
斉藤の手元から淡い光が広がった。
薬花草の成分が抽出され、魔力を含んだ液体へ溶け込んでいく。
かつては毎日のように使っていたスキルだ。
久しぶりではあったが、身体は手順を覚えていた。
「課長、調合スキルを持っていたんですね」
作業を補助していた社員が驚いたように言う。
「ああ。会社へ入る前は、調合師になることも考えていた」
「初めて聞きました」
「話す機会もなかったからな」
斉藤は完成した液体を確認する。
鮮やかな緑色とは言えない。
品質B以上の薬花草から作った回復薬より、色も効果も薄い。
それでも、安全に使用できる下級回復薬にはなっている。
完成品は別の品質担当者が鑑定し、さらに加工部の検査機器へ通された。
「安全性に問題ありません。効果も、下級回復薬の基準を満たしています」
「分かった。全て記録へ残してくれ」
こうして完成した回復薬は、翌日、謝罪文と検査記録を添えて取引先へ無償提供されることになった。
◇
「先方から連絡があった」
翌日の夕方。
星川部長が品質管理部を訪れた。
「今回の対応には納得してもらえた。契約も継続するそうだ」
「そうですか……」
斉藤は安堵の息を吐いた。
「最初に品質Cだと報告してくれた社員にも、礼を伝えておいてくれ。それから斉藤」
「はい」
「出荷を止めた判断は正しかった。もし品質Bとして送っていたら、契約そのものを失っていたかもしれない」
「ありがとうございます」
「だが、次も同じ方法で切り抜けられるとは思うな。代替材料の確保にも、余計な費用が掛かった」
「承知しています」
星川部長が去ったあと、若い社員たちからも安堵の声が漏れた。
「良かった……契約を切られずに済んだ」
「でも、まだ査定待ちがこんなに残ってますよ」
「今日は優先度の高い物だけ終わらせよう。残りは明日だ」
斉藤は社員たちへ指示を出す。
その時、無野部長が事務所へ入ってきた。
「取引先との契約は継続だそうだな」
「はい。営業部と加工部の協力で、何とか了承していただけました」
「私が早めに対応を指示したおかげだ」
斉藤は一瞬、言葉を失った。
出荷を止めるなと言ったのは、部長自身だ。
それでも無野部長は、何事もなかったかのように続ける。
「役員への報告は私からしておく。品質管理部が迅速に問題を発見し、私の指示で各部署が対応したとな」
「……分かりました」
「それから、今月の処理件数が落ちている。来月も同じ数字なら、課長であるお前の管理責任になるぞ」
「ですが、人員が足りていません」
「一城がいた頃は処理できていた」
「その一城へ、何人分もの仕事を集中させていたからです」
「辞めた人間の話をしても仕方がない。今いる人間で何とかするのが、お前の仕事だ」
無野部長はそれだけ言い残し、事務所を出て行った。
静まり返った室内。
誰も何も言わなかった。
斉藤は、一城が使っていた空の机へ目を向ける。
そこには今、査定を待つ段ボールが積み上げられていた。
自分たちは、この量の仕事を一城一人へ押し付けていたのだ。
スマートフォンが短く震える。
妻からのメッセージだった。
『今日も遅くなる?』
斉藤は返信を打とうとして、指を止める。
かつて一城へ仕事を押し付け、自分は妻が待っているからと帰っていた。
その一言を、一城がどんな気持ちで聞いていたのか。
今なら少しだけ分かる。
『すまない。今日も遅くなる』
妻へ返信し、スマートフォンを伏せる。
会社はまだ立っている。
斉藤や残った社員たちが、必死に支えているからだ。
だが、その場しのぎの対応を続けているだけで、根本的な問題は何一つ解決していない。
「……すまなかったな、一城」
誰もいない机へ向けて、斉藤は小さく呟いた。
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