19話「陸斗が辞めた後の会社②」
「これは、どういうことだ!」
怒声と共に、品質管理部の扉が開いた。
入ってきたのは、営業部の星川部長だった。
その後ろから、運送業者が台車を押してくる。
台車には、六つの段ボール箱が積まれていた。
どの箱にも、赤い文字で『返品』と書かれた伝票が貼り付けられている。
「返品……?」
斉藤が呟く。
星川部長は一枚の査定記録書を、無野部長へ突き付けた。
「大口取引先へ納品したアイアンリザードの鱗だ! 品質Bとして二百枚納品したはずなのに、品質Cが混ざっていたと連絡があった!」
「そんなはずは……」
無野部長が査定記録書を受け取る。
そこには確かに、アイアンリザードの鱗、二百枚、品質Bと記載されていた。
「先方が再鑑定したところ、少なくとも二十七枚が品質Cだったそうだ」
「二十七枚も?」
「他にも傷や欠けがある物が含まれていたらしい。契約内容と違うと、全品返送された!」
星川部長が段ボール箱を指差す。
「この取引先とは五年以上付き合っているが、返品されたことなんて一度もなかったぞ!」
「すぐに確認します」
「確認ではなく、原因を調べてくれ! 先方は再納品だけでなく、今回発生した運送費の負担も求めている!」
品質管理部の社員たちが、互いの顔を見合わせる。
斉藤は査定記録書へ視線を落とした。
右下の担当者欄に、自分の名前が書かれている。
「斉藤君」
無野部長が低い声で呼ぶ。
「これは君が査定した物だな?」
「はい……」
「品質Bとして記録されているが、どういうことだ?」
「それは……」
斉藤は言葉を詰まらせた。
この素材を査定した日のことは覚えている。
陸斗が会社を去って一週間。
取引先への発送が初めて遅れた日の翌日だった。
事務所には大量の段ボールが積み上げられ、どの箱も発送期限を過ぎかけていた。
アイアンリザードの鱗が入った箱も、その一つだった。
「全部は鑑定していません」
「何?」
「二十枚ほど抜き取り、その中に品質Cがなかったので、すべて品質Bとして処理しました」
「なぜ全品を鑑定しなかった!」
「無野部長が、間に合わせるために査定を簡略化しろと言ったんじゃないですか!」
斉藤も思わず声を荒らげる。
「同じ探索者が、同じ日に持ち込んだ素材でした。だから、同じ品質として扱っても問題ないだろうと……」
「私は、そんな指示を出していない」
「出しましたよ!」
無野部長が眉間に皺を寄せる。
「言い掛かりはやめたまえ」
「言い掛かりじゃありません! 同じ種類の素材なら、十個に一個だけ確認すればいいと言ったでしょう!」
「それは、品質が同じだと確認できた場合の話だ」
「確認する時間なんてなかったんですよ! 明日の朝までに全部終わらせろって……!」
「やめろ!」
星川部長の一喝で、二人の言い争いが止まる。
「責任の押し付け合いをしている場合か! まずは返送された素材を全て再鑑定しろ!」
「だが、他にも今日中の査定が……」
「この取引先を失ってもいいと言うのか?」
無野部長が黙り込む。
「先方には、明日の午前中までに正しい査定結果を提出すると伝えてある」
「明日の午前中……」
「それと、代替品も用意してくれ。品質Bの鱗を二百枚だ」
「在庫を確認させる」
「急いでくれ。次に同じことがあれば、取引そのものを見直すと言われている」
営業部長はそう言い残し、足早に事務所を出ていった。
残された社員たちは、返送された段ボールを見つめる。
誰も、すぐに動こうとはしなかった。
「……斉藤君」
無野部長が沈黙を破る。
「君が担当した仕事だ。責任を持って再鑑定してくれ」
「俺一人で二百枚ですか?」
「他の社員は、別の仕事を抱えている」
「俺だって抱えていますよ!」
斉藤の机には、既に四つの段ボールが積まれている。
どれも今日中に査定を終えなければならない素材だ。
「だったら、残業して終わらせろ」
「昨日も一昨日も、終電まで残りました!」
「今は非常事態なんだ」
「毎日それを言ってるじゃないですか!」
斉藤の声が、事務所へ響く。
一週間前まで、早く帰ることが当たり前だった。
残った仕事は陸斗へ渡せばよかった。
自分の担当であっても、急ぎだと言えば陸斗が処理してくれた。
今は違う。
どれだけ机へ箱が積まれても、それを引き受けてくれる人間はいなかった。
◇
返送された箱が開けられる。
中には、灰色の鱗がぎっしりと詰め込まれていた。
斉藤はそのうちの一枚を手に取り、『鑑定』を発動させる。
◇____________________
『アイアンリザードの鱗』
『品質:B』
『用途:防具・魔導具の材料』
____________________◇
鑑定結果を記録し、次の一枚を手に取る。
それも品質B。
三枚目も、四枚目も同じだった。
「やっぱり、ほとんど品質Bじゃないか……」
これなら、抜き取り確認でも問題ない。
そう思い始めた二十三枚目。
鑑定結果が変わった。
◇____________________
『アイアンリザードの鱗』
『品質:C』
『用途:防具・魔導具の材料』
『状態:表面に亀裂あり』
____________________◇
「……本当に混ざってる」
光へ透かしてみると、鱗の表面に細い亀裂が入っていた。
よく見なければ気付かない程度の傷だ。
さらに確認を続ける。
三十七枚目が品質C。
四十一枚目にも欠けがあった。
百枚まで確認した時点で、品質Cは十二枚見つかった。
「同じ日に採れた素材でも、全部同じ品質とは限らない……」
当たり前のことだった。
魔物の個体差。
倒し方。
素材を剥ぎ取る時の技術。
持ち運び方。
同じ探索者が持ち込んだ素材でも、状態が完全に揃うことなどない。
斉藤は共有フォルダを開き、陸斗が残した手順書を確認する。
◇____________________
『同一探索者・同一搬入日の素材であっても、品質差が発生する場合があります』
『鱗、牙、角、皮革類は原則として全数を鑑定してください』
『亀裂や欠けは肉眼で確認しにくいため、必ず一個ずつ品質を記録すること』
____________________◇
「ちゃんと書いてあるじゃないか……」
引き継ぎがなかったわけではない。
陸斗は、自分がいなくなっても業務を続けられるよう、必要な情報を残していた。
それを無視したのは、自分たちだ。
正確に作業していては、納期に間に合わない。
だから手順を省略した。
その結果が、目の前に積まれた返品の箱だった。
「一城は……これを全部、一個ずつ鑑定してたのか?」
斉藤は小さく呟く。
「そうだよ」
隣の机から、別の社員が答えた。
「牙も角も鱗も、全部一個ずつ見てた」
「でも、そんなことをしてたら時間が掛かるだろ」
「一城は掛かってなかった」
「どうやって……」
「知らないよ。俺たちが仕事を持っていくと、いつの間にか終わってたから」
陸斗がどのように査定していたのか、誰も見ていなかった。
仕事が終わることだけを確認し、次の箱を置いていた。
「一城さんに連絡して、やり方を聞けないんですか?」
若手社員の言葉に、事務所が静まり返る。
無野部長が不機嫌そうに顔を上げた。
「退職した人間へ連絡する必要はない」
「でも、このままじゃ追いつきません」
「手順書は残っている。それに従えばいい」
「従ったら、今の人数では納期に間に合いません」
「人員の追加は申請している」
「追加で来た二人も、もう限界だと言ってますよ!」
他部署から応援に来た社員も、毎日残業している。
それでも、滞留している段ボールは増え続けていた。
「一城さんがいてくれたら……」
若手社員の机からポツリと呟きが漏れる。
それに無野部長が反応した。
「一城君の名前を出すのはやめろ」
部長は苛立った声で言った。
「一人抜けただけで業務が回らないなど、あってはならないことだ」
「実際に回ってないじゃないですか……」
誰かが呟いたが、部長は聞こえなかったふりをした。
◇
午後八時三十分。
アイアンリザードの鱗、二百枚の再鑑定が終わった。
品質Bが百七十三枚。
品質Cが二十五枚。
さらに、品質Dが二枚混ざっていた。
「先方の鑑定結果と、ほぼ同じか……」
斉藤は結果を営業部へ送信する。
品質Bの代替品は、在庫だけでは二百枚に届かなかった。
不足分を集めるには、他の支店へ連絡しなければならない。
再輸送費。
返品分の送料。
代替品を集めるための費用。
今回の取引で得られるはずだった利益は、ほとんど残らないだろう。
それでも、契約を切られるよりはましだった。
斉藤が椅子へ背中を預けると、スマートフォンが振動した。
妻からのメッセージだった。
『今週、毎日帰りが遅いけど大丈夫?』
返信しようとしたところで、無野部長が事務所へ入ってくる。
「全員、聞いてくれ」
社員たちが顔を上げる。
「滞留している査定を処理するため、今週の土曜日は出勤してもらう」
「土曜日もですか?」
「取引先への遅延が増えている。このままでは来週の発送にも影響が出る」
「もう二週間、休んでない社員もいます」
「今を乗り切れば落ち着く。それまでの辛抱だ」
その言葉を、斉藤は以前にも聞いたことがあった。
陸斗が倒れる前。
人手が足りないと訴えた陸斗へ、無野部長が何度も言っていた言葉だ。
『今を乗り切れば落ち着く』
だが、仕事が落ち着いたことなど一度もない。
誰かが処理すれば、その分だけ新しい仕事が運び込まれてくる。
「……分かりました」
斉藤はスマートフォンへ視線を戻す。
『ごめん、明里。今週の土曜日も仕事になった』
そう返信しようとした時、事務所の電話が鳴った。
「はい、品質管理部です」
若手社員が電話を取る。
話を聞くうちに、その顔から血の気が引いていった。
「申し訳ございません。すぐに確認いたします」
電話を切った社員が、震える声で報告する。
「別の取引先からです」
「今度は何だ?」
「先週提出した魔力草の査定価格が、現在の相場と大きく違うそうです」
「どのくらい違う?」
「二か月前の価格を使っていました。現在より、三割以上高く買い取っています」
無野部長の表情が固まる。
「担当者は?」
「記録では……斉藤さんです」
再び、全員の視線が斉藤へ集まった。
「俺……?」
アイアンリザードの鱗だけではなかった。
積み上がった仕事を急いで処理するため、価格の確認にも過去の資料を使った。
一つ一つ現在の相場を調べていたら、いつまで経っても仕事が終わらなかったからだ。
「すぐに取引記録を確認しろ!」
無野部長の怒声が響く。
斉藤は疲れ切った身体を起こし、再びパソコンへ向き直った。
画面の端には、未処理の査定件数が表示されている。
百八十七件。
昨日より、二十三件増えていた。
一城陸斗がいなくなって、二週間。
遅延だけだった問題は、誤査定と返品へ変わり始めていた。
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