157話「魔物の定義」
我妻が石床を蹴った。
「舐めやがってぇ!」
黒い大剣を振り上げ、そのまま美咲さんへ正面から斬り掛かる。
美咲さんは盾を上げなかった。
怒鳴り声にも頭上へ迫る刃にも目を逸らさず、盾を持った左腕を僅かに引く。
その動きを見た我妻の口元が歪んだ直後、美咲さんは左足を軸に身体を回した。
振り下ろされる大剣よりも早く、横薙ぎに振り抜かれた右脚が黒い刃の腹を捉える。
「が、はっ……!?」
鋼を蹴り付けた重い音が、鉱床の広場に響いた。
黒い大剣ごと両腕を外へ弾かれた我妻は、靴底で石床を削りながら後退し、それでも勢いを殺し切れずに身体ごと宙へ浮いた。
複合鉱床の反対側まで吹き飛び、白い岩壁へ背中から叩き付けられる。
轟音とともに壁がへこみ、我妻を中心に亀裂が走った。砕けた岩片が降り注ぎ、その姿が舞い上がった砂埃の中へ消える。
「隊長!」
堂島が長槍を引き戻し、俺たちから視線を外して我妻のもとへ走り出した。
「そ、そんな……隊長が……」
「止まるな! 女を囲め!」
残る三人のうち、刃を持った二人が美咲さんへ駆け出す。大盾の男もすぐ後ろから続いたが、美咲さんは火焔さんたちへ続く道から退かず、盾を正面へ構えた。
その背後では、ユキの結晶冠から溢れた白い光が紅石スライムへ降り注いでいる。
「ぴるるっ……!」
濁った紅色の身体の奥で、消えかけた結晶核が弱く明滅した。
耳飾りから流れ込んでくる感情に、二本の短剣を鞘へ戻す。
美咲さんへ迫る二人が刃を振り上げるより早く石床を蹴り、一気にその頭上へ跳び上がった。
「なっ――」
驚いて顔を上げた二人の後頭部を左右の手で掴み、そのまま前へ出ようとしていた勢いごと石床へ叩き付ける。
「がっ!?」
ほぼ同時に身体が床へ沈み、手から離れた二本の刃が乾いた音を立てて滑っていった。
残った大盾の男が足を止める。
倒れた仲間と俺を見比べた顔が引きつった。
「な、なんで……こいつも……!」
それでも大盾を構え直し、身体ごとぶつけるように突っ込んでくる。
着地した足で石床を踏み締め、その勢いを乗せた右脚を盾の中央へ叩き込んだ。
鈍い金属音とともに厚い盾がへこむ。
「うおっ!?」
盾を抱えたまま男の両足が床から離れ、その先で我妻へ向かっていた堂島が振り返った。
「な――」
避ける間もなく、飛ばされた男が背中から激突する。
「がはっ!」
二人はもつれたまま石床を転がった。
堂島が覆い被さった男を押し退け、口元の血を拭いながら長槍を支えに立ち上がる。
「てめえ……!」
そのまま突き出された穂先を半歩だけ外へずれて躱し、脇を抜けた柄を右手で掴んだ。
「なっ……!」
強く引くと堂島の上体が前へ崩れる。
間合いへ入ってきた鳩尾へ左膝を叩き込み、息を詰まらせた身体から長槍が離れたところで肩と腕を掴む。
その勢いを殺さず背中から石床へ投げ落とすと、堂島の身体は一度大きく跳ね、そのまま動かなくなった。
転がってきた長槍を踏み付け、足先で遠くへ蹴り飛ばす。
「陸斗さん!」
美咲さんの声に振り返る。
砂埃の薄れ始めた岩壁の下で、我妻が片膝をつき、震える腕を黒い大剣へ伸ばしていた。
「ぐ、クソが……!」
指が柄へ掛かる。
だが、持ち上げるより早く美咲さんが間合いへ入り、振り抜いた盾の縁で黒い刃を打った。
大剣が我妻の手を離れ、岩壁の反対側まで弾き飛ばされる。
「が、ぐぅ……て、てめえええええ!!」
「もう終わりです」
美咲さんは盾を下ろさない。
「この子たちに、これ以上武器を向けさせません」
我妻は歯を食いしばって立ち上がろうとしたが、震える左脚では身体を支え切れず、再び膝を石床へついた。
「そこまでです」
髙橋さんが護衛職員へ片手を上げる。
「今の殺害命令も記録されています。武器を回収し、全員を拘束してください」
待機していた護衛職員が一斉に動き、倒れた男たちの間へ入っていく。
堂島の長槍も、ひしゃげた大盾も、床へ落ちた刃も次々と遠ざけられ、我妻たちの手首へ拘束具が掛けられていった。
その時、耳飾りから伝わる感情が大きく揺れた。
振り返る。
「火焔さん……?」
炎獣の巨体が、紅石スライムを包み込むように低く沈んでいた。
その内側では、ユキが紅石スライムのすぐそばから離れず、結晶冠を強く輝かせている。
「ぴるるっ……! ぴるっ……!」
何度も白い光が降り注ぐ。
それでも、紅石スライムの身体を覆う濁りは消えなかった。
内側にある結晶核の明滅が、少しずつ弱くなっていく。
「紅石、スライム……?」
我妻たちの拘束を護衛職員へ任せ、炎獣のもとへ駆ける。
近付いた俺の前で、火焔さんの炎が左右へ開いた。
紅石スライムの前へ膝をつき、『解析鑑定』を発動させる。
◇____________________
『紅石スライム』
『現在の状態』
・本体損傷:致命的
・魔力:枯渇
・生命反応:消失寸前
・本体維持:不能
____________________◇
表示が出た瞬間、探索鞄へ手を突っ込んだ。
最上級回復薬を掴み出し、蓋を外す。
「ユキ、そのまま続けてくれ!」
「ぴるっ!」
白金色の薬液を、紅色の身体へ落とした。
雫は表面で広がらず、そのまま身体を通り抜けて石床へ落ちる。
続けてもう一滴垂らしても、同じだった。
「……っ」
瓶を握ったまま、紅石スライムへ手を伸ばす。
指先が触れる。
はずだった。
何の抵抗もなく、指が紅色の身体をすり抜けた。
「紅石……」
「ぴるっ……!」
ユキの結晶冠がさらに強く輝き、溢れた白い光が紅石スライムを覆う。
その中で、身体の端から赤い光の粒が一つ浮かび上がった。
続いて、もう一つ。
火焔さんを形作る炎が大きく揺らめく。
少し離れた場所では、亀裂の入った白金スライムが身体を持ち上げようとしていた。
僅かに伸びた白金色の身体が、石床へ崩れる。
それでも、もう一度身体を起こそうとする。
「ぴるるっ……!」
白い光は止まらない。
けれど、その中で紅石スライムの輪郭は少しずつ薄れていった。
透き通った身体も、その奥に残っていた小さな結晶核も、境目から赤い光へ溶けていく。
伸ばした手の向こうで、最後に残った紅色が消えた。
「ぴる……?」
ユキの回復魔法だけが、何もない石床へ降り続けていた。
やがて光が弱まり始めた時、小さな硬い音が響く。
紅の結晶核が石床へ落ちて、一度跳ねた。
緩やかな傾斜を転がっていき、黒く焦げた岩片にぶつかって止まる。
ユキはその場から動かなかった。
「ぴる……ぴるぅ……」
炎獣を形作っていた炎が、ゆっくりと火焔さんへ戻り始める。
四本の炎脚が崩れ、大きな頭部も火の粉となって赤い身体へ吸い込まれていった。
元の小さな姿へ戻った火焔さんが、身体を跳ねさせる。
一度、二度。
紅の結晶核の前まで進む。
細く伸びた炎が、核のそばに落ちていた黒い岩片を押した。
一つ退け、さらにもう一つ。
焦げた欠片がなくなるまで炎を動かすと、今度は紅の結晶核を囲むように細い火が伸びていく。
小さな火の輪が閉じる。
その中央で、紅の結晶核は光を失ったまま、静かに横たわっていた。




