156話「傷ついた安全区域」
第十九層を出て、第十八層を抜け、十七層の湿原密林まで戻ってきたところで、先頭を飛んでいた探索ドローンから切迫した声が響いた。
『一城さん、美咲さん! 聞こえますか!』
「聞こえています。どうしました?」
『第十五層の仮設調査所から緊急連絡が入りました。武装した探索者が、スライムたちを襲っていると――』
「スライムたちを?」
『はい。ですが、通信は途中で切れました。こちらから呼び掛けても応答がありません』
腕の中にいたユキの身体が強張る。
「ぴる……!」
耳飾りから流れ込んできた動揺に重なるように、美咲さんの肩で休んでいたシズクも四枚の翼を広げた。
「ぷるっ!」
「急ぎましょう」
「はい」
探索ドローンが速度を上げる。
俺たちも湿った地面を蹴った。
倒木を越え、泥濘んだ地面を駆け抜ける。
第十六層へ続く区域転移門をくぐると、乾いた風が頬を打った。
大草原を横切り、安全区域の丘を駆け上がる。
第十五層へ戻る転移門の前では、髙橋さんと二人の護衛職員が待っていた。
「状況は?」
「最初の連絡以降、仮設調査所とも常駐職員とも繋がっていません。応援は要請しました」
髙橋さんの後ろで、転移門が白く輝いている。
「行きましょう」
美咲さんが盾を展開する。
俺もユキを抱え直し、全員で転移門へ踏み込んだ。
◇
白い光が消えるより先に、焦げた臭いが鼻へ入った。
白金色の石床を、黒い焦げ跡が何本も走っている。
仮設調査所の窓は割れ、入口の扉が蝶番から外れかけていた。
その前に、協会の制服を着た男性がうつ伏せで倒れている。
「大丈夫ですか!」
髙橋さんと護衛職員が駆け寄った。
男性の肩を抱き起こすと、閉じていた瞼が僅かに開く。
「鉱床……あいつらを、止め……」
言葉が途切れ、再び身体から力が抜けた。
「意識を失っただけです。呼吸はあります」
護衛職員が回復薬を取り出す。
折れた資材の陰には、腕を押さえた探索者が二人座り込んでいた。胸当てが深くへこみ、床へ置かれた剣は半ばから折れている。
「鉱床に、五人……」
一人が苦しそうに顔を上げた。
「全員、強い……俺たちじゃ……」
「ここは任せてください」
美咲さんが複合鉱床へ続く通路を見る。
奥から、炎の弾ける音が響いた。
壁を赤い光が走り、少し遅れて地面が揺れる。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
シズクとユキが同時に通路へ身体を向けた。
倒れている人たちを護衛職員の一人へ任せ、俺たちは焦げ跡を追った。
◇
白い岩壁の間を抜けた瞬間、熱風が押し寄せた。
複合鉱床の前で、巨大な炎の獣が五人の男たちと向かい合っている。
四本の炎脚。
岩壁近くまで持ち上がった頭部。
その胸元で、火焔さんの赤い身体が強く輝いていた。
黒い大剣を持つ男が、炎獣の正面へ踏み込む。
「堂島、右だ! 残りは左へ回れ!」
長槍の男が右側へ走る。
残る三人も二手に分かれ、岩壁沿いから炎獣の後ろへ回ろうとした。
火焔さんを包む炎が、左右へ大きく広がる。
右側の通路へ炎の壁が立ち上がった。
同時に左前脚が大きく伸び、岩壁沿いへ踏み込んだ二人を薙ぎ払う。
「ぐっ!」
二人は武器を交差させ、炎脚を受け止めた。
耐火外套の表面が赤く染まり、靴底が石床を滑っていく。
それでも倒れない。
正面に残った大剣の男が、その間に距離を詰めた。
黒い刃へ濃い魔力が集まる。
振り下ろされた大剣を、炎獣が頭から受け止めた。
爆音とともに炎が吹き上がる。
大剣の男の外套が激しくはためき、頬へ赤い火傷が広がった。
「クソがぁ……!」
大剣を押し込もうとする両腕が震えている。
炎獣の頭部は動かない。
火焔さんの周囲へ、圧縮された火球が幾つも浮かび上がる。
直後、背後で何かが崩れた。
火焔さんの身体が揺れる。
火球が放たれることなく消えた。
炎獣は大剣を弾き返すと、鉱床の前まで一歩下がった。
その後ろに、白金スライムが倒れている。
鏡のように滑らかだった大きな身体には、何本もの亀裂が走っていた。白金色の表面も広く欠け、鉱床へ重ねた身体の端から淡い光が零れている。
その身体の下へ、翠石スライムと蒼石スライムが隠れていた。
どちらも結晶の一部が砕け、動くことができない。
白金スライムのすぐ横には、紅石スライムが横たわっている。
透き通った紅色の身体は薄く濁り、内側にある結晶核の光も弱い。
白金スライムが、亀裂の入った身体を持ち上げようとする。
僅かに浮いた直後、重い身体が石床へ沈んだ。
それでも鉱床から退こうとはしない。
黒い大剣の男が口元を拭い、もう一度刃を持ち上げる。
「いつまで粘ってやがる……!」
周囲の四人も武器を構え直した。
全員の耐火外套が焼け焦げている。
腕や脚に火傷を負っている者もいる。
だが、五人とも立っていた。
火焔さんの身体へ『解析鑑定』を発動させる。
◇____________________
『火焔スライム』
『危険度:A+』
『現在の状態』
・本体損傷:なし
・魔力消耗:中
・火焔魔力体:展開中
『現在の行動』
・負傷個体の防護
・侵入者の接近阻止
____________________◇
続けて、倒れている四体へ意識を向けた。
◇____________________
『白金スライム』
『危険度:A』
『現在の状態』
・本体損傷:重度
・魔力低下
・生命反応:低下
『防護対象』
・第十五層複合鉱床
・宝石スライム群
____________________
『翠石スライム』
・本体損傷:重度
・生命反応:低下
『蒼石スライム』
・本体損傷:重度
・生命反応:低下
『紅石スライム』
・本体損傷:致命的
・魔力:枯渇
・生命反応:著しく低下
____________________◇
「紅石スライムが危ない……」
火焔さんが、倒れた紅色の身体を振り返る。
耳飾りから、怒りを上回る焦りが一気に流れ込んできた。
胸の奥が焼け付くように痛む。
紅石スライムの結晶核が、一度だけ弱く明滅した。
火焔さんの周囲で炎が膨れ上がる。
鉱床の前を埋め尽くすほど広がった直後、炎は負傷したスライムたちへ触れる寸前で止まった。
「左から抜けろ!」
長槍の男が炎壁へ槍を突き込む。
穂先を覆った魔力と炎が激突し、白い岩壁まで火の粉が飛び散った。
別の男が大盾を構え、その陰から一歩ずつ前へ進む。
火焔さんは火球を作らない。
炎獣の身体を横へ広げ、白金スライムたちを覆う。
「そこまでです!」
髙橋さんの声が複合鉱床へ響いた。
五人の動きが止まる。
黒い大剣を持つ男が、ゆっくりこちらを振り返った。
髙橋さんの表情が硬くなる。
「探索クラン『黒鉄の猟犬』の、我妻鏡夜さんですね」
「……調査課まで戻ってきやがったか」
我妻は黒い大剣を肩へ載せた。
その後ろで、堂島たち四人も武器を下ろさない。
「気を付けてください一城さん。我妻はA級、周りのメンバーもA-級の探索者です」
髙橋さんが俺たちにだけ聞こえる声で告げる。
「全員、武器を下ろしてください!」
我妻が鼻で笑い、後ろの鉱床を大剣で指した。
「俺たちは鉱石を採ってただけだ。そいつらが勝手に邪魔してきたんだろうが」
「採掘を止めようとした協会職員と探索者へ、あなた方が攻撃したことは確認しています」
「だから何だ?」
我妻の目が、白金スライムたちへ向く。
「魔物が守ってる鉱石なら、魔物ごと狩ればいい。ダンジョンじゃ当たり前だろ」
火焔さんを包む炎が大きく揺れた。
五人へ向けていた炎獣の頭が僅かに下がる。
その時、紅石スライムの結晶核から光が消えかけた。
火焔さんが振り返る。
炎獣の身体を鉱床側へ寄せ、紅石スライムと白金スライムを包み込んだ。
我妻が、その動きを見て口元を歪める。
「今だ。横から回り込め」
「させません」
美咲さんが石床を蹴った。
前へ出ようとした堂島の長槍へ、盾を横から叩き合わせる。
甲高い衝突音が響き、穂先が岩壁へ弾かれた。
「なっ……!」
美咲さんは堂島と火焔さんの間へ着地する。
盾を構える左腕に力が入り、いつもの穏やかな表情は消えていた。
「この子たちから、離れてください」
「隊長!」
反対側から回ろうとした男の前へ、白銀の装甲が飛び込む。
振り下ろされた刃を受け止め、そのまま押し返した。
「ぴるるっ!」
ユキが俺の腕から飛び降りる。
二枚の白銀鎧を白金スライムたちの左右へ移動させ、自分は紅石スライムの前へ着地した。
純白の魔法盾が大きく広がる。
「ぷるるっ!」
シズクも美咲さんの肩から飛び上がった。
四枚の翼が開き、火、氷、風、土の魔力が五人を囲む。
火焔さんから流れ込んでいた焦りが、僅かに弱まった。
「火焔さん」
白銀短剣と幻魔短剣を抜き、美咲さんの隣へ出る。
「ここからは、俺たちが守る」
火焔さんは俺たちを見たあと、炎獣の身体をさらに低くした。
紅石スライムたちを炎で囲み、五人へ背を向ける。
「全員、武器を捨ててください」
髙橋さんが携帯端末を我妻たちへ向ける。
「協会職員への傷害、許可範囲を越えた採掘、非敵対個体への攻撃。全て記録します」
「記録だぁ?」
我妻の口元から笑みが消えた。
「そんなもん、残ると思ってんのか?」
堂島が長槍を構え直す。
残る三人も、美咲さんと俺を囲むように左右へ開いた。
歪んだ大盾の陰で、一人が髙橋さんの携帯端末へ視線を向ける。
「隊長……調査課まで殺すのはマズイですぜ」
「問題ねえ。上がいつものように処理する」
我妻が大剣を両手で握る。
「女は俺がやる。堂島、残りで男と調査課を潰せ」
黒い切っ先が、美咲さんへ向けられた。
四人の武器が、一斉に俺たちへ向く。
その背後では、紅石スライムの結晶核が、消えそうな光をもう一度だけ灯していた。




