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150話「次の階層へ進む前に」


 天狐竜が消えたあと、俺たちはしばらく動けなかった。


 白い霧は薄くなり、倒れた巨木や砕けた根が見えるようになっている。

 戦いの間に凍り付いた泥からは、今も冷気が立ち上っていた。


 俺は濡れた根へ腰を下ろし、乱れた呼吸を整える。


 魔力を巡らせようとしてみるが、身体の中にはもう僅かしか残っていない。

 立ち上がることはできても、今すぐ戦えと言われたら無理だ。


 美咲さんも同じように呼吸を整えながら、傷だらけになった『王蠍の反射殻盾』を見ている。

 シズクの『反射筒』も低い位置を漂い、ユキが動かしていた二枚の反射鎧と魔法盾に宿る光も弱くなっていた。


「ぷるぅ……」

「ぴるぅ……」

「二人とも、よく頑張ったな」


 シズクとユキへ手を伸ばす。

 二人は力の抜けた鳴き声を漏らしながら、俺の手へ身体を寄せてきた。


 天狐竜を倒したことで、第十八層への進入権限は解放されている。

 けれど、今の状態でその先を確認しに行く余裕なんて、俺たちには残っていなかった。


「今日は戻りましょう」

「そうだな。第十八層の調査は、全員が万全な時にしよう」


 美咲さんの言葉に頷く。

 しばらくその場で休み、呼吸が落ち着いてから立ち上がった。


 濃霧区域を出たあとは、前回の調査で記録した経路を使って湿原密林を引き返す。

 通常個体の縄張りを避けながら、第十六層へ戻る区域転移門を目指した。


 転移門をくぐると、視界が白い光に包まれる。

 次に景色が戻った時には、湿った空気も深い木々も消え、見渡す限りの大草原が広がっていた。


 第十六層に降りた俺たちは、既知の経路を進み、第十五層へ戻るための転移門をくぐる。

 白金色の中央祭壇へ戻ると、髙橋さんが俺たちを待っていた。


「お帰りなさい」


 俺たちの姿を確認すると、髙橋さんがすぐにこちらへ歩いてくる。


「ただいま戻りました。なんとか、天狐竜を討伐できました」

「はい。音声はこちらでも確認していました」


 髙橋さんは俺、美咲さん、シズク、ユキへ順番に目を向ける。


「全員が無事に戻ってきてくれて、本当に安心しました」


 その言葉を聞いて、ようやく帰ってきたんだと実感する。

 二機の探索レコーダーを髙橋さんへ渡すと、その場で簡単な確認だけが行われた。


「詳しい報告はあとにしましょう。仮設休憩所に回復系のポーション類を用意してあります。今はゆっくり休んで下さい」

「ありがとうございます」

「そうさせてもらいます」


 持ち帰った『天狐竜の外套』も、取得記録と一緒に封印容器へ収められ、協会の管理端末へ登録された。

 透明な容器の中には、天狐竜の体毛と同じ白金色の外套が収められている。


 それを見て、以前、美咲さんと交わした会話を思い出した。


「美咲さん」

「はい?」

「この外套、美咲さんが使ってください」

「私が、ですか?」


 美咲さんが驚いたように俺を見る。


「『夜嵐外套』を俺が使うことになった時、言っていましたよね。次の階層守護個体が落とす装備に期待しますって」

「……覚えていてくれたんですね」

「もちろんです」


 俺も改めて封印容器の中へ目を向ける。


 白金色の外套。

 夜空を思わせる俺の『夜嵐外套』とは、まるで正反対だ。


「それに、その外套は美咲さんに似合うと思います」

「……ありがとうございます」


 美咲さんはもう一度外套を見て、小さく笑った。


「大切に使わせてもらいます」


 その後、安全検査を終えた『天狐竜の外套』は、美咲さんの装備として正式に登録されることになった。



 ◇



 翌日。


 俺たちは地上にある探索者協会の確認室で、髙橋さんと第十七層の戦闘記録を見ていた。

 二機の探索レコーダーが撮影した映像は、濃霧区域へ入った辺りから白く乱れている。


 天狐竜が霧へ姿を消すたびに輪郭が崩れ、冷光閃が放たれた瞬間には、画面の半分以上が青白い光で埋まっていた。

 それでも、二方向から撮影された映像と音声を重ねれば、戦闘中に誰がどう動いていたのかは確認できる。

 画面の横には、帰還後に行われた装備検査の結果も並んでいた。


「ここですね」


 髙橋さんが映像を止め、『反射筒』の検査結果を表示する。


「冷炎と冷光閃を取り込んだ時の負荷が、かなり残っています。内部の魔力経路までは壊れていませんが、このまま使い続けるのは避けた方がいいでしょう」

「優莉さんに見てもらった方がよさそうですね」

「はい。調整をお願いした方がいいと思います」


 続いて表示されたのは、ユキと美咲さんの装備だった。


「こちらも随分使い込んでいますね」


 二枚の『白銀の反射鎧』には、冷炎や冷光閃を逸らした際の負荷が残っている。

 『純白の魔法盾』にも何度も攻撃を防いだ痕跡があり、美咲さんの『王蠍の反射殻盾』には、爪や尾を受け流した際についた傷がいくつも残っていた。


 改めて映像を見ると、よく分かる。

 シズクは属性魔法で天狐竜の逃げ道を削り、『反射筒』へ取り込んだ攻撃を次の攻撃へぶつけていた。

 ユキは二枚の反射鎧と魔法盾を動かしながら、俺たちへの支援も続けている。


 美咲さんは天狐竜の爪や尾を盾で逸らし、隙が生まれれば『断魔短剣』を叩き込んで外衣の魔力を乱していた。

 そのどれか一つでも欠けていたら、俺の短剣は額の角にも、胸部魔核にも届かなかったと思う。


 髙橋さんが映像を少し巻き戻した。


 美咲さんが盾で天狐竜の爪を逸らす。

 その横を俺が抜けると、すぐにユキの反射鎧が追従してくる。

 さらに別方向から、シズクが次の魔法を放とうとしていた。


「最初に戦った時とは、全然違いますね」


 髙橋さんの言葉に、俺も頷いた。


「はい。あの時は、攻撃を防ぐだけで精一杯でしたから」


 初戦では天狐竜の速さについていくことすら難しかった。

 攻撃へ転じるどころか、防御と回避を続けるだけで追い詰められた。


 けれど、今回は違った。

 俺たち自身が天狐竜の動きへ対応し、そのうえで互いを支えながら攻撃まで繋げられている。

 髙橋さんは映像を進め、俺が天狐竜の胸部へ迫ったところで再生を止めた。


「十日間の修行も、新しく用意した装備も、しっかり結果に繋がっていますね」

「はい。それは俺も実感しています」


 俺と美咲さんは、修行中に結晶飴を使いながら実戦を重ねた。

 シズクとユキも、何度も戦う中で魔法と防具を同時に扱うことに慣れていった。

 初戦の時より、間違いなく強くなっている。


 それでも――。


「ここまでやっても、最後はほとんど余力が残りませんでした」


 髙橋さんの表情が僅かに引き締まる。


「そうですね」


 俺も停止した画面を見つめる。

 天狐竜を倒した時には、俺だけじゃない。

 美咲さんも、シズクも、ユキも、体力と魔力をほとんど使い切っていた。


「今回は、そのまま帰還できたからよかったです。ですが、第十八層でも同じ状態になれば……」

「何かあった時に動けませんね」

「はい」


 天狐竜を倒した直後に、別の魔物に襲われていたら。

 誰かが怪我をして、自力で動けなくなっていたら。


 第十八層で、天狐竜よりさらに強い魔物が待っていたら。

 今の俺たちでは、必ず対応できるとは言えない。


「もう少し、余裕を持って戦えるようになりたいですね」


 美咲さんが停止した映像を見ながら呟いた。


「俺もそう思います」


 勝てたから、そのまま先へ進む。

 それでは、初めて天狐竜へ挑んだ時と同じだ。


 あの時、俺は左腕を失った。

 もう同じ失敗はしたくない。


「私も、第十八層へ進む前に、もう少し準備をした方がいいと思います」


 髙橋さんが操作端末へ触れ、第十六層から第十九層までの調査図を表示した。


「それと、今後は一城さんたちだけが強くなればいい、というわけにもいきません」


 画面には、これまでに記録した経路や調査地点が表示されている。


「階層が深くなるほど、調査にも時間が掛かるようになっています。経路の記録や中継器の設置を続けるには、深層へ入る調査員や、その護衛にあたる探索者も今以上に戦える必要があります」


「確かに……」


 第十五層から先は、一つの階層を調べるだけでも時間が掛かる。


 環境も分からない。

 どんな魔物が、どこにいるのかも分からない。

 俺たちだけが戦えても、後から入る調査員たちが活動できなければ調査は進まない。


 今後さらに深い階層へ向かうなら、俺たちだけではなく、迷宮調査を支える側の戦力も必要になってくる。


 強くなる方法。

 そう考えた時、真っ先に一つの物が頭へ浮かんだ。


「……結晶飴が、もっとあれば」


 俺の言葉に、美咲さんがこちらを見る。

 すぐに何を考えているのか分かったらしい。


「『スライム達の古戦場』ですか?」

「はい」


 第十層に存在する希少区域。

 以前、俺たちはそこで力と守りの結晶飴を手に入れている。


「もう一度入れれば、また結晶飴を持ち帰れる可能性があります」


 俺と美咲さんは、十日間の修行でも結晶飴を使った。

 その効果は、自分たち自身が一番よく分かっている。

 新しく手に入れることができれば、俺たちだけでなく、これから深層調査に関わる人たちの強化にも使えるかもしれない。


 髙橋さんはすぐには答えなかった。

 少し考え込んだあと、席を立って確認室の扉へ向かう。

 施錠を確認し、今度は机の端末を操作して外部回線を切り離した。

 そこまでしてから、髙橋さんが俺たちへ向き直る。


「一つ確認させて下さい。一城さんは、個人的な探索として古戦場へ向かうつもりですか?」

「いいえ」


 俺は首を横へ振った。


「必要なのが俺たちだけなら、それでもよかったと思います。でも、これから調査に関わる人たちにも使うなら、俺たちだけで集めて勝手に使う物じゃないと思います」


 結晶飴は、普通の探索で手に入る物ではない。

 俺の『解析鑑定』でしか見つけられない希少区域から持ち帰る特殊な物だ。


「探索者協会の正式な任務として採取した方がいいと思います」

「私も賛成です」


 美咲さんが続ける。


「誰に使うのかも、私たちだけで決めることではないと思います」


 髙橋さんが静かに頷いた。


「分かりました」


 そこで一度言葉を切る。


「ただし、正式な任務として動くのであれば、結晶飴については国家機密として扱う必要があります」

「国家機密……」


 以前から、俺の『解析鑑定』や希少区域については、情報が厳しく管理されている。

 結晶飴まで正式な強化手段として扱うなら、簡単な話では済まないということか。


「それだと、髙橋さんだけでは決められないんですよね?」

「はい」


 髙橋さんが頷く。


「私から、協会会長を兼任している高町国防長官へ相談します。正式な任務として扱うかどうかも含めて、上で判断していただきましょう」

「分かりました。お願いします」


 第十層の『スライム達の古戦場』が再び現れるまで、あとどれくらいなのか。

 それは、俺の『解析鑑定』なら正確に確認できる。


 天狐竜には勝てた。

 けれど、第十八層へ進むには、まだ足りない。

 次の階層へ向かう前に、俺たちはもう一度、自分たちと、その先の調査を支える戦力を整えることになった。


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