15話「陸斗が辞めた後の会社」
陸斗が会社を去ってから、一週間が経った。
もっとも、過労で倒れて二週間入院していた期間を含めれば、彼が職場からいなくなって三週間になる。
その間も、ダンジョンから運ばれてくる素材が減ることはなかった。
「斉藤、この査定はまだ終わらないのか?」
品質管理部長の無野が、斉藤の机を覗き込む
「もう少し待ってください。今、買取価格を確認しているところです」
「その箱、朝からやっているだろう?」
「そう言われても、数が多いんですよ。それに同じ角でも品質にばらつきがありますし……」
斉藤の机には、ホーンラビットの角が入った段ボール箱が置かれている。
中に入っていたのは、全部で四十八本。
斉藤はそのうちの一本を手に取り、『鑑定』を発動させた。
◇____________________
『ホーンラビットの角』
『品質:B』
『用途:武器・魔導具の材料』
____________________◇
表示されるのは、名称と品質、それに主な用途だけ。
ここから買取価格を決めるためには、現在の市場価格を調べなければならない。
斉藤は素材取引サイトを開き、同じ品質の角がいくらで取引されているのか確認する。
「二千百円から二千六百円……幅があり過ぎだろ」
次に、会社が保管している過去の取引記録を開く。
前回の買取価格は二千三百円。
だが、その記録は二か月前のものだった。
現在の流通量や取引先から提示されている販売価格も確認し、利益が出る範囲で買取価格を決める必要がある。
「こっちは二千四百円……いや、輸送費を考えたら二千三百円か?」
ようやく一本目の価格を決め、鑑定記録書へ記入する。
そこで時計を見ると、既に十分近く経っていた。
残りは四十七本。
もちろん、すべて同じ品質とは限らない。
「これを全部、今日中に終わらせろっていうのか……?」
「一城なら、一時間もあれば終わらせていたぞ」
無野部長の言葉に、斉藤の手が止まった。
「……一城と一緒にしないでくださいよ。あいつは、この仕事を十年もやってたんですから」
「君だって八年目だろう」
「それはそうですけど……」
斉藤は言葉を詰まらせる。
陸斗がいた頃、この程度の量なら昼前には査定が終わっていた。
それどころか、自分たちが仕事を追加しても、陸斗は嫌な顔一つせず引き受けていた。
『一城、悪い。この荷物も査定頼む』
『こっちの素材も終わったら確認してくれ』
『今日中に取引先へ送るから急ぎな』
今まで何度口にしたか分からない言葉だ。
頼めば断らなかった。
自分でやるより、一城へ任せた方が早かった。
だから斉藤たちは、次々と陸斗の机へ段ボールを積み上げた。
斉藤自身も、妻から早く帰ってくるよう連絡があった日は、自分の仕事を陸斗へ押し付けて帰ったことが何度もある。
だが、陸斗がいなくなった今、その仕事は自分たちで処理しなければならない。
「無野部長、本当に引き継ぎ資料は残っていないんですか?」
別の社員が疲れた声で尋ねた。
「退職の話し合いでも言っただろう。一城君は仕事を一人で抱え込んでいた。まともな引き継ぎも行わなかったんだ」
「でも、共有フォルダに手順書がありましたよ」
「何?」
社員が印刷した書類を差し出す。
表紙には、『素材査定業務手順書・最新版』と書かれていた。
作成者は一城陸斗。
中には素材を受け取ってから発送するまでの手順が、細かく記載されている。
鑑定結果の記録方法。
市場価格を確認するサイト。
過去の取引記録の保存場所。
品質ごとの価格調整方法。
取引先ごとの注意事項。
必要な情報は、すべて揃っていた。
「これを見ながら作業しているんですが……一城さんと同じ速度では、とても処理できません」
「手順書があるなら、そのとおりにやればいいだろう」
「やっていますよ! やっていても間に合わないんです!」
思わず声を荒らげた社員が、すぐに俯く。
無野部長は不機嫌そうに手順書へ目を通した。
「一城君だけが使っていた別の方法があるんじゃないのか?」
「それは分かりません。でも、この手順書に書かれている作業だけでも、かなり時間がかかります」
「慣れていないだけだ。続けていれば早くなる」
「……はい」
部長はそう結論付け、自分の席へ戻っていく。
斉藤は小さく息を吐くと、次の角を手に取った。
品質はC。
先ほどの角とは価格を変えなければならない。
「これを一時間で……どうやってたんだよ、一城」
答える者はいなかった。
◇
午後三時。
品質管理部の電話が鳴った。
「はい、品質管理部です」
電話を取った社員の表情が、徐々に強張っていく。
「申し訳ございません。現在、最終確認を行っておりまして……はい。本日中には必ず……」
何度も頭を下げながら電話を切る。
「どこからだ?」
「今日発送予定だった取引先です。まだ届かないのかと」
「査定は終わっていないのか?」
「半分ほど残っています」
「急いで終わらせろ。今日の集荷には間に合わせるんだ」
「集荷まで一時間もありませんよ!」
「だったら全員でやればいいだろう!」
無野部長の声が、事務所へ響き渡る。
これまでにも忙しい日はあった。
だが、取引先への発送が遅れたことはほとんどない。
陸斗が、必ず間に合わせていたからだ。
「……一城さんがいた時は、午前中に終わってましたよね」
誰かが小さく呟く。
その言葉に答える者はいなかった。
社員たちは自分の机へ戻り、山積みになった素材へ手を伸ばす。
結局、その日の集荷には間に合わなかった。
会社は取引先へ連絡し、発送が翌日になることを伝えた。
まだ一日だけの遅延だ。
大きな問題ではない。
部長も、社員たちも、そう考えていた。
◇
午後七時五十分。
事務所には、ほとんどの社員が残っていた。
斉藤のスマートフォンへ、妻からメッセージが届く。
『今日は何時頃に帰ってくるの?』
斉藤はしばらく画面を見つめたあと、短く返信する。
『ごめん。今日も遅くなる』
送信を終えたところで、机へ影が落ちた。
顔を上げると、無野部長が三つの段ボールを抱えて立っていた。
「斉藤、悪い。これも頼む」
「……今日中ですか?」
「ああ。急ぎなんだ」
どこかで聞いたことのある会話だった。
いや、何度も自分が陸斗へしてきた会話だ。
「今やっている分も、まだ終わっていません」
「明日の朝には発送しなければならない。何とかしてくれ」
「何とかって……」
「君が無理なら、他の社員にも手伝わせろ」
無野部長はそれだけ言うと、段ボールを置いて立ち去っていく。
斉藤は積み上げられた箱を見つめ、頭を抱えた。
「一城は……毎日こんな量を処理してたのか?」
誰も答えない。
聞こえてくるのは、パソコンの排熱音とエアコンの送風音。
そして、休むことなく鳴り続けるキーボードの音だけだった。
その時、事務所の扉が開いた。
「失礼します。緊急搬入の素材をお持ちしました」
運送業者の後ろには、台車が三台並んでいた。
そこへ積まれているのは、合計十二箱の段ボール。
すべての箱に、赤い文字で『至急』と書かれている。
「こんな量、聞いていないぞ……」
「大口取引先からの依頼です。明日の午前十時までに、査定結果が欲しいとのことでした」
運送業者は書類を確認しながら続ける。
「いつも一城さんにお願いしていた便だそうです」
その名前が出た瞬間、事務所が静まり返った。
無野部長はわずかに表情を引きつらせたが、すぐに咳払いをする。
「……そこへ置いてください」
「どちらへ?」
「一城君が使っていた机へ」
誰も座らなくなった陸斗の机へ、段ボールが次々と積み上げられていく。
一箱。
二箱。
三箱。
やがて机の上だけでは足りなくなり、床にまで箱が並べられた。
その山の奥に、持ち主を失った椅子だけが取り残されている。
陸斗がいなくなって、まだ一週間。
会社はまだ、自分たちが失ったものの大きさを理解していなかった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。




