145話「幻魔短剣」
ユキが二個目の魔石結晶を取り込み、純白スライムとしての強化が三分の三へ到達してから、俺はもう一度、探索者協会の医務課を訪れていた。
診察台の前で左腕を伸ばし、指を一本ずつ曲げる。
手首を返し、肘を曲げ、豹堂先生に指示された方向へ力を加えた。
「痛みはありませんか?」
「ありません」
「痺れや、右腕との感覚の違いは?」
「僅かに力加減を意識することはあります。でも、感覚が途切れたり、遅れたりすることはないです」
豹堂先生が、左腕の各部へ『診察眼』を向ける。
続いて俺は、鞘へ収めた短剣を左手で握った。
柄元へ少量の魔力を流し、切っ先まで届いたところで止める。
何度か握り直しても、痛みはない。
指先まで流れた魔力にも、引っ掛かるような感覚はなかった。
「血流、神経、骨、筋肉と腱に異常はありません。接合した魔力経路にも、伝導の遅れは出ていません」
豹堂先生が検査記録を保存し、俺と美咲さんへ向き直る。
「日常生活に続き、条件付きで戦闘へ復帰することを認めます」
「本当ですか?」
「はい。ただし、第十七層へ戻る許可ではありません」
すぐに続けられた言葉で、浮きかけた気持ちを引き締める。
「最初は、すでに環境と魔物を把握している第十層から第十四層までです。痛み、痺れ、魔力伝導の乱れ。そのうち一つでも現れた場合は、予定を中止して帰還してください」
「分かりました。小さな異常でも、すぐに美咲さんへ伝えます」
「私も陸斗さんの動きを確認します。無理はさせません」
美咲さんが、はっきりと答える。
予定している修行期間は十日間。
俺と美咲さんは一人一日一個ずつ、豹堂先生の管理下で結晶飴を摂取する。
シズクとユキは結晶飴を使わず、実戦の中で魔法や防具の扱いを身に付けていく。
「十日間という予定を、必ず守り切る必要はありません。身体に異常が出れば、その時点で中止です」
「はい」
第十七層の濃霧区域で、俺は左腕を失った。
三回の手術と治療を終え、指も魔力も動くようになった。
だが、治ったことと、すぐに以前と同じように戦えることは違う。
まずは、戻ってきた左腕の感覚を、一つずつ戦いの中へつなげていく。
◇
医務課での検査を終え、俺たちはクラン拠点へ戻った。
共有スペースの机には、細長い武器箱が置かれている。
その前で待っていた優莉さんが、俺の姿を見ると立ち上がった。
「一城さん。戦闘復帰の許可、出たんですね」
「第十層から第十四層までに限ってですけどね。少しずつ慣らしていくことになりました」
「それなら、間に合うてよかったです」
優莉さんが、武器箱へ両手を添える。
「一城さんが療養してはる間に、打ってた短剣です。何日も掛かってしもうたんですけど、協会の武器安全検査も、所有者登録も終わってます」
製作に使った素材は、クラン保管庫から正式に出庫され、使用記録も残されている。
隣にいた髙橋さんが、端末に保存された検査記録と登録情報を見せてくれた。
「どうぞ。左手で持ってみてください」
武器箱の蓋が開く。
収められていたのは、黒い刃身を持つ湾曲した短剣だった。
「これは……」
「陸斗さんのお力になればと思い用意した短剣です」
前方へ弧を描く刃は、中心部が光を吸い込むような黒色で、研ぎ澄まされた刃先だけが銀白色に輝いている。
鍔には、角を広げた幻獣の頭部を思わせる鈍い金色の意匠が施され、その一部が刃の背へ沿うように伸びていた。
柄は片手で扱える長さに収められ、表面は茶色。
指を掛ける位置に合わせて緩やかな凹凸が付けられている。
銀色の柄頭は、角の先端のように二股へ分かれていた。
華美に見えても、握りと刃の動きを妨げる装飾はない。
幻獣を思わせる形を、実戦用の短剣へ落とし込んだ姿だった。
俺は差し出された短剣を、再接合した左手で受け取った。
柄へ指を掛け、ゆっくりと握る。
重さが掌へ伝わる。
手首を返しても、指が柄から離れることはない。
鞘から刃を抜き、少量の魔力を流した。
魔力は柄元から刃身へ入り、そのまま切っ先まで真っ直ぐに届く。
短剣へ意識を向け、『解析鑑定』を発動させた。
◇____________________
『幻魔短剣』
『希少度』
・A+
『製作者』
・音無優莉
『登録所有者』
・一城陸斗
『付与技能』
・斬鉄
・残像
『斬鉄』
・刃の斬れ味を倍加
『残像』
・使用者の残像へ敵の注意を誘導
____________________◇
「斬鉄と残像……すごい性能が付与された剣ですね」
「力になればと思い、仕上げました」
刃元には、『音無優莉』と銘が刻まれていた。
「ありがとう、優莉さん。大切に使わせてもらうよ」
そう言って俺は、クラン拠点の端末を操作し、俺の個人口座から優莉さんの登録口座へ、決めていた製作報酬を振り込んだ。
「ありがとうございます。きちんと受け取らせてもらいます」
そして、俺の左手にある短剣を見る。
「使うてて気になるところがあったら、いつでも言うてください。打ったんも、銘を入れたんも私です。最後まで、私が手入れします」
「はい。お願いします」
『幻魔短剣』を鞘へ戻し、腰の副武器用の位置へ装着する。
主武器の『白銀短剣』は、これまでどおり反対側にある。
二本の柄へ、左右の手を順番に重ねた。
左手へ戻ってきたのは、以前と同じ短剣ではない。
優莉さんが自分の名前を刻み、俺のために打ってくれた、新しい一本だった。
◇
「新しい装備の素材を探しているんだって〜?」
共有スペースで髙橋さんと天狐竜の戦闘記録を確認していると、さりなさんが端末を覗き込んできた。
隣には姫乃さんもいる。
「はい。冷炎や冷光閃を防ぐだけではなく、軌道を逸らせるような素材がないか探しています」
初戦では、ユキの防具があっても全ての攻撃を防ぎ切れなかった。
俺が額の魔石へ届くまでの時間を作るためにも、四人で攻撃を受け流す手段が必要になる。
「それなら、十二層の奥に珍しい魔物がいたんだよ〜。大きなトカゲみたいな子」
「第十二層に、ですか?」
「縄張りへ入ってきた魔物の泥弾を、鱗で別の方向へ跳ね返していましたわ。返り討ちにしたあとは、その魔物を呑気に食べていましたの」
姫乃さんが説明し、さりなさんが携帯端末へ映像を表示する。
水没湿原の葦の向こうに、トカゲのような魔物がいる。
別の魔物が泥弾を放つと、着弾した泥は鱗の表面で向きを変え、横の水面へ弾かれた。
直後、それまでゆっくりと動いていたトカゲの様子が変わる。
縄張りへ踏み込んだ魔物を返り討ちにすると、再び動きを緩め、その魔物を餌として食べ始めた。
「さりなさんたちは、襲われなかったんですか?」
「ウチらは縄張りの外にいたからね〜。こっちを気にはしてたみたいだけど、襲ってこなかったよ〜」
「襲われた時だけは様子が一変して、侵入者を排除するため激しく攻撃していましたわ」
姫乃さんが、第十二層の地図へ印を付ける。
「遭遇地点はこちらです。通常の探索経路から外れた、水没湿原の奥地ですわ」
「映像も送っとくね〜」
「ありがとうございます」
髙橋さんも映像を確認し、泥弾が逸れた瞬間を停止させた。
「正式な名称と能力は不明ですが、攻撃の軌道を変える性質がある可能性は高そうです」
「第十二層なら、環境も出現する魔物も把握しています。左腕を慣らしてから、調べに行きたいです」
「順序は守ってください」
髙橋さんが、すぐに念を押す。
「映像の魔物が、確認済みの通常個体と同程度の危険度とは限りません。先に第十層からほかの階層で戦闘動作を確認し、異常がないことを確かめてからです」
「はい。そのつもりです」
まずは、左腕と『幻魔短剣』を実戦へ慣らす。
そのうえで、第十二層の奥地へ向かうことにした。
◇
十日間の修行が始まった。
迷宮へ入る日は、俺と美咲さんが豹堂先生の管理下で、一人一個ずつ結晶飴を摂取する。
身体と魔力に異常がないことを確認してから、シズクとユキを連れて迷宮へ向かった。
最初に選んだのは、第十層だった。
右手には『白銀短剣』。
左手には『幻魔短剣』。
危険度を抑えた相手と戦いながら、二本の短剣を握り直す。
踏み込み、止まり、身体の向きを変える。
最初は左腕へ力を入れ過ぎることもあった。
だが、一度動くたびに感覚を確かめれば、次は余分な力を抜くことができた。
「左腕はどうですか?」
「痛みも痺れもない。魔力も、遅れずに流れてる」
魔物が正面から迫ってきたところで、『幻魔短剣』へ魔力を流す。
「『残像』」
俺が横へ動いたあとも、直前までいた場所へ俺の姿が残った。
魔物の視線が、俺から残像へずれる。
その間に側面へ回り、右手の『白銀短剣』で魔核へ攻撃を通した。
次は、『斬鉄』を試す。
左手の刃へ魔力を集めると、切っ先まで流れていた魔力が鋭く整った。
狙った狭い箇所へ刃を通す。
◇____________________
『斬鉄:発動』
『効果』
・幻魔短剣の斬れ味を倍加
『使用者の左腕』
・痛み:なし
・痺れ:なし
・魔力伝導:正常
____________________◇
発動後も、指は柄を握り続けている。
急に止まっても、手首や肘へ異常は出なかった。
そこで初日の探索を終え、地上へ戻る。
まだ動ける。
そう感じても、予定以上の戦闘は行わなかった。
翌日以降も、階層と確認する動作を変えながら、少しずつ負荷を上げていく。
第十一層では、前衛と後衛に役割を分ける複数種の魔物を相手にした。
俺が『残像』で前衛の一体から注意を外す。
美咲さんが軽盾で隊列を支え、シズクが後衛の動きを魔法で止める。
ユキは三つの防具を必要な場所へ動かし、俺たちへ支援を掛けたあと、同じ魔法を無駄に使い直さなかった。
第十三層では、物理攻撃も通常魔法も通じない『精霊の鬼火』が現れた。
新しい短剣があるからといって、無理に斬ろうとはしない。
右手の『白銀短剣』で『腐食』を与え、精霊魔力体の無効化能力を低下させる。
そこへシズクの魔法を重ね、これまでと同じ攻略手段で魔核を破壊した。
第十四層では、上空を飛ぶ魔物の影と羽音へ注意を向ける。
ユキの防具が急降下攻撃を受け流し、シズクの魔法が飛行経路を狭める。
俺は左手から『幻魔短剣』を離さず、足場を移りながら全員へ次の動きを伝えた。
地上へ戻るたび、左腕の検査を受ける。
痛みも痺れもない。
魔力経路にも異常はない。
それでも、負傷前と全く同じだとは思わなかった。
短剣を止める位置。
踏み込んだあとに左腕へ残る力。
二本の刃を入れ替える時の距離。
一度の戦闘ごとに確かめ、一つずつ取り戻していった。
◇
複数の階層で異常が出ないことを確認したあと、俺たちは第十二層へ向かった。
灰色の霧に覆われた水没湿原。
泥水と高い葦の間を、さりなさんの映像と姫乃さんの位置情報に沿って進む。
水草に隠れた深みを『解析鑑定』で避け、地盤の硬い場所を選ぶ。
すでに調査済みの経路を外れたあとは、二機の探索レコーダーにも周囲を記録させた。
「この先です」
美咲さんが、地図に残された印を確認する。
葦の隙間から、トカゲ型の魔物が見えた。
俺たちへ気付いている。
だが、すぐに襲い掛かってくる様子はない。
魔物は、すでに動かなくなった別の魔物を、ゆっくりと食べ続けていた。
映像の時と同じように、縄張りへ侵入して返り討ちにされた魔物らしい。
俺は現在地から動かず、トカゲ型の魔物と周囲へ『解析鑑定』を発動させた。
◇____________________
『反射蜥蜴』
『危険度』
・B-
『特性』
・反射鱗
・湿地適応
・強い縄張り意識
『敵対条件』
・縄張りへの侵入
『反射対象』
・魔法
・放出型特殊攻撃
『反射の弱い箇所』
・鱗の継ぎ目
・腹部
____________________◇
「名前は『反射蜥蜴』。危険度はB-です」
解析された縄張りの範囲を、美咲さんたちへ伝える。
俺たちがいる場所は、まだ境界の外側だった。
「魔法と、放出型の特殊攻撃を反射します。直接触れる斬撃や打撃まで、そのまま返す能力ではありません。ただ、鱗そのものは硬いみたいです」
「反射が弱い場所はありますか?」
「鱗の継ぎ目と腹部です」
反射鱗。
映像で見たとおりなら、天狐竜の攻撃を逸らす装備へ使える可能性がある。
だが、素材を手に入れるには、目の前の反射蜥蜴を倒さなければならない。
縄張りへ踏み込めば、戦闘は避けられない。
「左腕は?」
美咲さんが、最後に確認する。
指を開き、もう一度『幻魔短剣』の柄を握る。
「問題ありません。痛みも痺れもないです」
「分かりました。深い泥へは入らないでください。正面は私が受け持ちます」
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
シズクとユキも、戦う意思を伝えるように身体を伸ばした。
「背中の鱗は、できるだけ傷付けない。狙うのは鱗の継ぎ目と腹部だけです」
「はい」
全員で退路を確認する。
俺たちは、自分たちの意思で縄張りの境界を越えた。
直後。
反射蜥蜴が、食べていた魔物から顔を上げた。
先ほどまでの緩慢な動きが消える。
泥水を激しく揺らし、侵入した俺たちへ向かってきた。
◇
「こちらです!」
美咲さんが前へ出る。
反射蜥蜴の身体が『複合防護の軽盾』へぶつかった。
美咲さんは正面から押し返そうとせず、盾を斜めにして進路を泥の浅い方へ逸らす。
「陸斗さんは、そこから動かないでください!」
「分かりました!」
足元の泥が深い。
力任せに踏み込めば、左腕より先に足を取られる。
「シズク、氷槍!」
「ぷるっ!」
青白い氷槍が、反射蜥蜴へ向かって放たれた。
切っ先が背中の鱗へ触れる。
だが、氷槍は突き刺さらなかった。
鱗の表面で軌道を変え、俺たちの右側へ弾かれる。
「ぴるっ!」
ユキの白銀鎧が射線へ入り、飛んできた氷槍を受け止めた。
氷が砕け、泥水へ落ちる。
「やっぱり反射した!」
反射蜥蜴の鱗へ残った魔力と、氷槍が曲がった軌道を解析する。
◇____________________
『反射鱗:反射挙動』
『反射方向』
・命中した鱗面の角度に沿って偏向
・入射角によって変化
『非反射対象』
・地面への作用
・水面への作用
・周囲の空気への作用
____________________◇
「攻撃した相手へ返しているわけじゃない! 当たった鱗の角度で、方向が変わっています!」
反射蜥蜴が身体の向きを変える。
鱗の角度も変わり、次に魔法が逸れる方向まで動き続ける。
「シズク、本体を狙わなくていい! 周りの水と泥へ魔法を使って!」
「ぷるっ!」
シズクが、反射蜥蜴の進路にある水面へ氷槍を放った。
水と泥が凍り、足場が狭くなる。
反射蜥蜴が凍った場所を避ければ、進める方向は限られる。
続けて、別方向の水面へ二本目の氷槍が突き刺さる。
凍った泥と水が、反射蜥蜴の動ける幅をさらに狭めた。
反射蜥蜴へ直接魔法を当ててはいない。
そのため、どちらも反射されなかった。
「ぴるるっ!」
ユキの結晶冠が白く輝く。
俺と美咲さんの身体を、支援魔法の光が包んだ。
二枚の白銀鎧は左右の射線を守り、純白の魔法盾はユキとシズクの前へ残している。
支援を使ったあとも、ユキは回復魔法まで続けて使おうとはしなかった。
必要な技能だけを選び、残った魔力を守っている。
「美咲さん。次に正面へ来たら、一度だけ姿勢を崩してください」
「はい!」
俺は右手の『白銀短剣』を鞘へ収めた。
左手にある『幻魔短剣』へ、魔力を集める。
反射蜥蜴が、凍っていない細い進路を選んだ。
その先にいる俺へ、身体ごと迫ってくる。
「『残像』!」
俺は一歩だけ横へ移動した。
直前まで立っていた場所へ、俺の姿が残る。
反射蜥蜴の視線が残像へ向き、進路もそちらへずれた。
「今です!」
美咲さんが斜めから軽盾を当てる。
正面から止めるのではなく、シズクが作った狭い足場へ反射蜥蜴の勢いを流す。
身体が傾き、背中の鱗の継ぎ目が見えた。
「ぴるっ!」
ユキの白銀鎧が俺の側面へ移動する。
反射蜥蜴から来る攻撃を遮る位置を保ち、俺が接近するための進路を守った。
羽靴で、地盤の硬い場所を蹴る。
一歩。
負傷する前よりも、左腕へ意識を向けている。
それでも、指は短剣を離さない。
魔力も遅れず、柄元から切っ先まで届いた。
「『斬鉄』!」
『幻魔短剣』の斬れ味が倍加する。
反射の弱い鱗の継ぎ目へ、左手の刃を振り下ろした。
硬い鱗そのものを砕かず、隙間から刃を通す。
切っ先が身体の内側へ入り、解析で捉えていた魔核へ届いた。
手応えが返ってくる。
左腕へ痛みはない。
指先の感覚も消えていない。
そのまま刃を押し込み、魔核を切り裂いた。
反射蜥蜴の動きが止まる。
身体が光の粒子へ変わり、泥水の上から消えていった。
◇
「陸斗さん、左腕は!?」
美咲さんが、すぐに俺の側へ来る。
『幻魔短剣』を握ったまま、指を一本ずつ動かした。
手首を返し、肘を曲げる。
「大丈夫です。痛みも、痺れもありません」
「魔力経路は?」
左腕へ少量の魔力を流し、もう一度状態を解析する。
「正常です。筋肉と腱にも異常は出ていません」
「ぷるるっ!」
「ぴるるっ!」
シズクとユキが、左右から俺の身体へ飛び付いてきた。
「ありがとう。二人とも、守ってくれて助かったよ」
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
美咲さんも、ようやく軽盾を下ろした。
「条件付きで復帰してから、初めて危険度B-の相手を倒せましたね」
「はい。でも、これで第十七層へ戻れるわけじゃありません」
「ええ。今日は、決めていた一段階を越えただけです」
勝てたからといって、治療前と全てが同じになったわけではない。
それでも、左手で新しい短剣を握り、四人で危険度B-の魔物を倒すことができた。
反射蜥蜴が消えた場所には、二種類の素材が残されている。
一つは、魔法を逸らしていた『反射鱗』。
もう一つは、『反射蜥蜴の牙』だった。
背中の鱗を大きく壊さずに倒したため、残された反射鱗にも目立った損傷はない。
俺たちは二つの素材を回収し、それぞれ封印容器へ収めた。
◇
地上へ戻ると、髙橋さんへ二機の探索レコーダーと戦闘記録を提出した。
反射鱗と牙は封印容器へ収めたまま、取得記録と一緒にクラン保管庫へ入庫する。
その後、俺はもう一度、豹堂先生の検査を受けた。
「戦闘前と比べても、左腕に新しい異常はありません」
血流、神経、筋肉と腱、骨、魔力経路。
全ての確認を終えた豹堂先生が、検査記録を閉じる。
「条件付きの復帰は継続します。残る修行も、今日と同じ撤退条件を守ってください」
「はい」
検査後、クラン拠点へ戻る。
優莉さんは、保管庫へ収められた二つの封印容器を外側から確認していた。
「これが、攻撃を逸らした鱗なんですね」
「はい。牙も別の装備へ使える可能性があります」
「分かりました。せやけど、すぐ炉へ入れるんやなくて、まずは加工できるか確かめます。どれだけ使えるんかも、調べてからです」
「お願いします」
優莉さんは、その場で容器を開けなかった。
加工を始めるとも、すぐに装備を完成させるとも言わない。
最初に性質を確かめ、それから必要な工程を決める。
『幻魔短剣』を完成させるまでと同じように、一つずつ進めるつもりなのだ。
「陸斗さん」
美咲さんが、保管庫の扉を閉じる。
「今日の戦闘が上手くいっても、第十七層へ戻るのは、十日間の修行と装備の準備を全て終えてからです」
「はい。俺も、そのつもりです」
左手を開き、もう一度握る。
腰には、優莉さんが打った『幻魔短剣』。
クラン保管庫には、俺たちが持ち帰った反射鱗と牙。
天狐竜へ再び挑むための準備は、戻ってきた俺の左手から、次に必要な装備へつながり始めていた。




