144話「ユキの強化」
俺の左腕が日常生活に支障のない状態まで治ったと診断されてから、数日後。
探索者協会本部の従魔検査室では、二個の魔石結晶が別々の透明容器へ収められていた。
容器を囲む銀色の輪には細かな文字が流れ、結晶の内側を巡る魔力を読み取っている。
豹堂先生が検査結果を確定させると、壁面の表示が青から白へ変わった。
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『検査対象』
・魔石結晶 二個
『成分』
・既存記録の魔石結晶と一致
『毒性・汚染反応』
・検出されず
『適合対象』
・ユキ
『入手経緯』
・魔石王スライムからの自発的譲渡
『討伐由来』
・該当せず
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「二個とも、ユキさんが使用できる状態です」
豹堂先生が端末を閉じる。
「魔石王スライムの魔力から分離されたあとも、結晶の状態は安定しています。従魔核との間に拒絶反応も見られません」
「では、協会の記録もこれで確定ですか?」
俺が尋ねると、高橋さんが手元の端末を見せてくれた。
「はい。探索レコーダーと第十五層医療拠点の映像も照合しました。二個とも、魔石王スライムが自らユキへ譲った物として登録します」
「討伐品として扱われることはないんですね」
「ありません。魔石王スライムは討伐されていませんし、今回の出現自体もユキさんの技能による召喚ではありません。その点も、記録へ明記しました」
「ぴるっ」
検査台の上で、ユキが小さく伸びる。
二枚の白銀鎧と純白の魔法盾は壁際の専用架台へ置かれていた。今日はユキ自身の変化を正確に調べるため、まだ魔力を通していない。
シズクは美咲さんの腕の中から、容器を交互に見ている。
「ぷる……」
「大丈夫。二つを続けて使うわけではないからね」
美咲さんが伝えると、シズクの四枚の翼が静かに閉じた。
二個とも問題がないからといって、同じ日に使う予定はない。
一個目を使ったあとは、増えた魔力がユキの身体へ完全に馴染むまで待つ。二個目を使えるかどうかは、その後の検査で決めることになっていた。
「ユキさん。最終確認をします」
豹堂先生が検査台の高さまで目線を下げる。
「最初の一個を使用すると、今より多くの魔力が身体を巡ります。終わったあともしばらく検査と訓練が必要です。それでも使用しますか?」
ユキは俺を見上げた。
戻った左手を差し出すと、白い身体の先端が指先へ触れる。
「俺たちはここにいるよ。急ぐ必要もない。ユキが使いたいと思うなら、一緒に進めよう」
「ぴるっ!」
指へ触れていた身体が、迷いなく持ち上がった。
「使用の意思を確認しました。では、一個目だけ始めます」
豹堂先生が片方の容器を開く。
魔石結晶は小さな受け皿へ移され、検査台の中央まで運ばれた。
ユキが結晶を包むように身体を広げる。
青い輪郭が白い身体の中へ隠れた。
直後、ユキの従魔核を起点に、髪の毛より細い光の筋が幾重にも伸びた。
光は身体の表面を明るく染めるのではなく、内側へ新しい道を描いていく。枝分かれした先から別の筋へつながり、やがて純白の身体全体へ細かな網目を作った。
「ぴる……」
ユキが低く鳴く。
苦しんでいる様子はない。
それでも、俺は左手を検査台から離さなかった。
手のひらへ、一定の間隔でかすかな震えが伝わってくる。ユキの身体へ流れ込む力が強くなるたび、監視装置の輪も一つずつ点灯した。
最初は結晶の形が白い身体越しにも分かった。
だが、青い角が一つ見えなくなるごとに、網目の光が太くなる。最後に残った中心部は、ユキの従魔核へ細い線を結んだあと、輪郭ごとほどけた。
検査室に大きな光が弾けることはなかった。
代わりに、ユキの内側へ作られた全ての光路が一度だけ脈打ち、静かに従魔核へ収束していく。
「取り込みが完了しました。ユキさん、そのまま動かないでください」
豹堂先生はユキの周囲へ検査用の薄い膜を展開した。
膜の表面へ次々に測定結果が浮かぶ。
俺もユキへ『解析鑑定』を発動させた。
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『魔石結晶の使用を確認』
『対象』
・ユキ
『種族』
・純白スライム
『純白スライム段階における魔石結晶強化』
・2/3
『基礎魔力量』
・増大
『現在の状態』
・変化定着中
・異常反応なし
『注意』
・新たな魔力量への適応を優先
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「二段階目になりました。身体にも異常はありません」
「ぴる?」
ユキが架台の方へ身体を向ける。
三つの防具を動かしてみたいらしい。
「今日は見るだけです」
豹堂先生が先に言うと、ユキの身体が途中で止まった。
「ぴる……」
「増えた量を確かめたくなるのは分かります。ただ、今は身体の内側で魔力の流れが組み替わっているところです。防具へ強く流せば、その調整を乱す可能性があります」
「明日から、許可された範囲で練習しような」
「ぴるっ」
ユキはもう一度だけ白銀鎧を見たあと、素直に俺の左手へ身体を預けた。
シズクが美咲さんの腕から飛び、検査台へそっと降りる。
「ぷるっ」
「ぴるるっ」
二体が触れ合うと、シズクの翼に巡る四色の光へ、ユキの内側の白い魔力が短く応えた。
◇
二個目の使用を急ぐ理由はなかった。
ユキの状態が完全に安定したと判断されるまで日を置き、その間は毎日、豹堂先生の検査を受けた。
最初は、身体の近くで純白の魔法盾を浮かせるだけ。
次は一枚の白銀鎧を加え、決められた線の上をゆっくり往復させる。
二枚目を動かす日になっても、速度は上げない。
以前にも行った操作を一から説明し直すことはなく、増えた魔力を流し過ぎないことだけを確かめていった。
俺も同じ訓練室で、左腕のリハビリを続けた。
掌を上へ向け、指を一本ずつ曲げる。
肘を固定したまま手首を返し、ごく細い魔力を指先まで通す。
動作そのものはできる。
けれど、速くしようとすると、接合された魔力経路の一部へ意識が引っ掛かった。痛みではない。長く使っていなかった道へ、流れが一瞬迷うような感覚だった。
「そこで止めてください」
豹堂先生の指示に従い、魔力を切る。
「今の遅れは悪化ではありません。日常動作より複雑な命令を、左腕がまだ思い出している途中です」
「繰り返せば戻りますか?」
「急がなければ。力を込めて上書きしようとせず、正しい経路を何度も使ってください」
「分かりました」
俺が左手を開くと、少し離れた場所にいたユキも二枚の白銀鎧を止めた。
「ぴる?」
「大丈夫だ。今日はここまでって言われただけだよ」
「ぴるっ」
ユキは安心したように身体を戻し、今度は流す魔力を抑えて鎧を動かし始める。
その横で、シズクが四枚の翼を順に光らせていた。
一枚目から二枚目へ。
二枚目から三枚目へ。
三枚目から四枚目へ。
必要な場所だけへ魔力を渡し、残る翼の光は消さない。
「ぷるっ」
見ていたユキが、二枚の白銀鎧と純白の魔法盾を等間隔へ並べた。
一つを動かしている間も、残る二つは揺れない。
「シズクが、力の分け方を見せているみたいですね」
美咲さんが声を落とす。
「同じくらいの魔力を持っていても、使い方はすぐ同じにはなりませんから」
「そうですね。シズクは今までの戦いで、何度も属性を切り替えてきましたから」
シズクが積んできた経験は、魔力量だけでは埋まらない。
ユキは動きを真似しながら、一度に流す魔力を少しずつ整えていった。
◇
二個目を使用できると判断された日。
従魔検査室には、最初の使用記録と当日の測定値が並べて表示されていた。
「一個目による変化は定着しています」
豹堂先生が、全ての項目を照合する。
「体力、従魔核、魔力経路に異常はありません。二個目を使用しても問題ないと判断します」
「ユキ。どうする?」
尋ねるまでもなく、ユキは残った容器の前まで跳ねていた。
それでも勝手には触れず、俺たちの方へ振り返る。
「ぴるっ!」
「うん。始めよう」
美咲さんが微笑み、シズクも四枚の翼を一度だけ広げた。
「ぷるるっ!」
一度目と同じ確認を済ませ、二個目の魔石結晶がユキへ渡された。
手順は変わらない。
だから今度は、結晶が消えていく様子を追うのではなく、ユキ自身を見ていた。
白い身体の奥で、先に作られた光路が一本ずつ開いていく。
新しい力は行き場を探して暴れることなく、その道へ分かれ、従魔核と身体の各部を何度も往復した。
ユキも途中で身体を動かそうとはしない。
一個目を使った時より長く感じたのは、俺が変化を待っていたからかもしれない。
やがて監視装置の全ての輪が白くそろい、終了を示す低い音が鳴った。
ユキの姿は、純白スライムのままだった。
身体の大きさも、結晶冠の形も変わっていない。
ただ、内側に満ちる魔力だけが、以前とは比べられないほど濃くなっていた。
意識を集中させ、解析結果を開く。
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『魔石結晶の使用を確認』
『対象』
・ユキ
『種族』
・純白スライム
『純白スライム段階における魔石結晶強化』
・3/3
『基礎魔力量』
・大幅に増大
『現在の状態』
・安定化中
・異常反応なし
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「三分の三です」
声に出すと、ユキがその意味を確かめるように一度だけ縮んだ。
「純白スライムの段階で行える魔石結晶の強化は、これで三回目まで進みました。基礎魔力量も大きく増えています」
「ぴる……!」
ユキが高く伸びる。
「すぐに防具を動かしてはいけませんよ」
「ぴるっ」
豹堂先生に先回りされ、伸びていた身体がすぐ元へ戻った。
高橋さんが測定画面を見ながら尋ねる。
「魔力量は、どの程度まで増えたのでしょうか」
「正確な上昇幅は、定着後の再測定が必要です。ただ、現在確認できている総量だけなら、シズクさんと同程度の範囲に入っています」
「ユキが、シズクと同じくらいに……」
美咲さんの腕の中で、シズクが嬉しそうに翼を震わせる。
「ぷるるっ!」
「ぴるるっ!」
二体が声を交わす。
だが、豹堂先生は測定画面の別の項目へ指を動かした。
「同程度なのは、あくまで魔力の総量です。魔力を出し入れする精度、複数の術式へ振り分ける速さ、身体の基礎的な働きには差があります」
「シズクが上ですか?」
「現時点では。シズクさんは四属性と複合魔法を実戦で使い分け、強い魔物との戦闘も多く経験しています。同じ量の水を持っていても、注ぐ速さや器の選び方まで同じになるわけではありません」
シズクは先に進んだ分だけ、身体と魔力の扱い方を身に付けている。
ユキが得たのは、その差を一度に消す力ではない。
これから経験を積むための、大きな余裕だった。
「支援魔法や回復魔法にも、変化はありますか?」
美咲さんの問いに、豹堂先生は首を横へ振る。
「新しい術式の形成は確認されていません。魔石結晶で基礎魔力量が増えても、それだけで上位の魔法を扱えるようにはなりません」
「では、今までの魔法を練習しながら、段階を踏む必要があるんですね」
「はい。防具との並行制御も含め、実際に使った経験を積み重ねることが必要です」
今回の検査で確定したのは、三分の三へ到達したことと、基礎魔力量が増えたことだけだった。
それで十分だ。
今は、先の名前を知ることより、この力を安全に使えるようになる方が大切だった。
◇
二個目の魔力が落ち着いたあと、俺たちは医療区画に隣接する訓練室へ入った。
これは戦闘復帰の訓練ではない。
豹堂先生が許可した動作だけを、一つずつ確かめるための時間だ。
床には三本の軌道が引かれ、その先に攻撃を模した弱い光を放つ訓練器が置かれている。
別の場所には、回復対象を示す赤い灯りを備えた人型の魔道具が一体だけ立っていた。
「最初から全てを同時に行う必要はありません」
豹堂先生がユキへ順番を示す。
「まず三つの防具。安定したら支援魔法を加えます。回復魔法は合図が出た時だけです」
「ぴるっ!」
ユキの周囲から、二枚の白銀鎧が左右へ離れる。
純白の魔法盾は中央へ進み、三本の軌道を一つずつ塞いだ。
訓練器から放たれた光が、時間をずらして三方向から飛ぶ。
右の白銀鎧が一つ目を止める。
純白の魔法盾が横へ滑り、二つ目へ間に合う。
少し遅れて来た三つ目には、左の白銀鎧が角度を合わせた。
三つとも大きく揺れない。
以前なら、防具を速く動かそうとした時に、どれか一つへ余分な魔力が偏ることがあった。
今は、必要な分だけがそれぞれへ届いている。
「次に、支援魔法をお願いします。対象は一城さんと佐伯さんです」
「ぴるるっ!」
ユキの結晶冠から淡い光が伸び、俺と美咲さんの身体へ静かに重なった。
効果を確かめようと力を試すことはしない。
見るべきなのは、支援魔法を保った状態でも三つの防具が指示どおり動くかどうかだ。
次の光が放たれる。
二枚の白銀鎧は遅れず、純白の魔法盾も中央の軌道を守った。
「ぴるっ!」
ユキが得意そうに身体を弾ませる。
「まだ終わっていません。次が一番難しいですよ」
「ぴる……!」
人型魔道具の腕に、赤い灯りがついた。
ユキは三つの防具を止めずに、回復の魔力を組み立てる。
結晶冠の光が白から淡い緑へ移りかけた時、右側の訓練器が発光した。
ユキの意識が二つに割れる。
右の白銀鎧は攻撃を止めた。
だが、回復の光が魔道具へ届く直前、中央の純白の魔法盾が軌道から僅かに外れた。
「ぷるっ!」
シズクの風が、盾の外を抜けた弱い光を天井へ押し上げる。
訓練用の光は、そのまま消えた。
赤い灯りも、ユキの回復魔法を受けて消えている。
「ぴる……」
「失敗ではありません」
豹堂先生がすぐに告げる。
「どこで操作が遅れるか分かりました。今日は、そこから練習を始めるために試したんです」
「魔力は足りてる。あとは、一度に扱う順番だな」
俺が声を掛けると、シズクもユキの隣へ降りた。
「ぷるるっ」
「ぴるっ」
ユキが身体を持ち上げ、三つの防具を元の軌道へ戻す。
もう一度行う時は、回復の魔力を急に完成させようとしなかった。
純白の魔法盾を中央へ固定し、二枚の白銀鎧へ次の指示を渡してから、赤い灯りへ回復の光を届ける。
今度は三つとも外れない。
「できたな」
「ぴるるっ!」
俺も、自分の訓練へ戻る。
左手には、刃を付けていない訓練用短剣が握られていた。
強く振ることも、何かへ打ち込むことも許可されていない。
右手で行った持ち替えを、左手で同じようになぞる。
順手から、柄を手の中で半回転させる。
指を開き過ぎず、握り直した瞬間だけ魔力を通す。
一度目は、薬指の動きが遅れた。
二度目は、柄を回す途中で魔力が途切れた。
三度目。
刃先に見立てた先端がぶれず、左手の魔力も端まで届いた。
「今の動作で止めましょう」
豹堂先生の声に従い、短剣を下ろす。
「続けられます」
「続けられることと、続けてよいことは別です」
「……はい」
言い返せず、訓練用短剣を台へ戻した。
美咲さんが小さく笑う。
「焦らなくても、きちんと動いていましたよ」
「ありがとうございます。でも、前なら考えなくてもできたので」
「だからこそ、考えて正しく動かすところから始めるんです。ユキと同じですね」
視線の先では、二枚の白銀鎧が別々の軌道を走っている。
純白の魔法盾は中央を守り、ユキの支援の光は俺と美咲さんから消えていない。
赤い灯りがつくと、ユキは一度だけ三つの防具の位置を確かめ、回復魔法を届けた。
今度は、どれも遅れなかった。
「ぴるっ!」
ユキが俺の方へ身体を伸ばす。
俺は左手を開いて見せた。
「俺も、ちゃんと動いたよ」
「ぴるるっ!」
進化はしていない。
支援魔法も回復魔法も、突然別の魔法へ変わったわけではない。
俺の左腕も、治ったからといって、すぐ戦える状態へ戻ったわけではなかった。
それでも、ユキは純白スライムとして三分の三へ進み、俺の左手には短剣を握る感覚が戻っている。
白い防具が三方向へ散り、再びユキの周囲へそろった。
俺も訓練用短剣の柄へ、左手を添える。
天狐竜へ備えるための準備は、ここから始まる。




