143話「二週間の治療」
従魔用品専門店『ひだまり』を訪れてから、三日が過ぎた。
第一回手術から数えて、五日目。
俺は再び、探索者協会本部の医療区画へ来ていた。
「血流は安定しています。接合した骨と主要な血管にも、異常はありません」
豹堂先生が、固定具に覆われた俺の左前腕を診察する。
第一回手術では、切断された左前腕の骨を固定し、主要な動脈と静脈を接続した。
そのおかげで、回収された腕は俺の身体へ定着している。
だが、まだ治療は終わっていない。
「本日は、細い血管と神経、それから損傷した魔力経路を接続します」
「前回より、細かい部分の手術になるんですね」
「はい。わずかな位置のずれが、指先の感覚や魔力の流れへ影響します。そのため、今回も『魔導式微細手術装置』を使用します」
手術台の両側には、銀色の装置が設置されていた。
協会が豹堂先生のために製作した、最新の医療機器。
使用者の魔力へ合わせて調整され、極細の鉗子や縫合針、縫合糸、導管を形成できるらしい。
装置が自動で手術を行うわけではない。
豹堂先生が『診察眼』で接続位置を見極め、『超集中』を使いながら全てを操作する。
「秘薬も、前回と同じように使うのでしょうか?」
「はい。正しく接続できた箇所へだけ、少量ずつ注入します」
透明な保管箱の中には、白金色の薬液が入った密封注射器が置かれていた。
一瓶の秘薬を、三回の手術用に分けたうちの二本目だ。
「接続前に秘薬を入れると、誤った位置で組織が治癒するおそれがあります。私が接続を確認してから、一か所ずつ使用します」
「分かりました。お願いします」
手術室へ入る前、美咲さんとユキが見送りに来てくれた。
「陸斗さん。終わるまで、ユキと待っています」
「ぴる……」
ユキは、固定された俺の左前腕を見つめている。
「大丈夫だよ。これが終われば、指先の感覚も戻ってくるみたいだからな」
「ぴる?」
「終わったら、ちゃんと動くところを見せるよ」
「ぴるっ」
ユキが小さく身体を伸ばした。
「それでは、一城さん。全身麻酔を始めます」
「はい」
麻酔用の器具が口元へ当てられる。
ゆっくりと息を吸うと、天井の明かりが滲み始めた。
豹堂先生の声が遠くなり、俺の意識は静かに途切れた。
◇
目を開けた時、最初に見えたのは白い天井だった。
左前腕には新しい固定具が巻かれている。
痛みはほとんどないが、腕全体が重く感じられた。
「一城さん。聞こえますか?」
「……はい」
豹堂先生が、俺の瞳と呼吸を確認する。
「第二回手術は無事に終わりました。細い血管、神経、魔力経路の接続は全て完了しています。秘薬による異常反応もありません」
「指は……動かしてもいいですか?」
「まだ動かさないでください。今日は接続した箇所を安定させます」
分かっていても、戻った感覚を確かめたくなる。
その時、左手の小指へ何かが触れた。
「触れているのが分かりますか?」
「……はい。小指です」
豹堂先生が、触れる場所を変える。
「今度は?」
「人差し指」
「正解です」
まだ薄い感覚だった。
それでも、自分の指へ触れられていることが分かる。
失ったと思った左手から、確かに感覚が戻ってきていた。
「陸斗さん」
処置室の扉が開き、美咲さんが入ってくる。
その足元から、ユキが真っ直ぐ俺の側へ跳ねてきた。
「ぴるっ! ぴるるっ!」
「手術、無事に終わったよ」
右手を伸ばして、ユキの身体を撫でる。
「左手も、触られているのが分かった。約束どおり、少しずつ戻ってきてる」
「ぴる……!」
ユキは俺の左手へ触れないよう、ベッドの側で何度も身体を伸ばしていた。
◇
翌日。
俺は豹堂先生の指示に従い、左手の指を一本ずつ動かす訓練を始めた。
「最初は、親指から動かしてください」
「はい」
動かそうと意識する。
親指が、ほんの僅かに内側へ曲がった。
「動きました」
「無理に大きく曲げないでください。次は人差し指です」
一本ずつ確かめていく。
思ったようには動かない。
指先まで命令が届くのに、少し時間が掛かる。
それでも、五本全てを動かすことができた。
続いて、魔力経路の確認を行う。
「ごく少量だけ、左手へ魔力を流してください」
「分かりました」
身体の中にある魔力を、左肩から腕へゆっくりと流す。
肘を越えたところで、僅かな引っ掛かりを感じた。
だが、流れは途切れない。
手のひらを通り、五本の指先まで魔力が届いた。
測定装置の画面へ、一本の青い線が表示される。
「接続した魔力経路を、正常に通っています」
「よかった……」
「ただし、まだ多量の魔力を流してはいけません。魔法や技能の使用も禁止です」
「はい」
焦る必要はない。
今は、ほんの少しでも動き、魔力が通ったことだけで十分だった。
◇
その日の午後。
診察を終えて一二〇四号室へ戻ると、玄関前に大きな配送箱が並んでいた。
『ひだまり』で注文した商品だ。
一二〇四号室と一二〇五号室へ、それぞれ一式ずつ届けられている。
配送を担当した職員が室内まで運び、設置方法を説明してくれた。
居間には、『癒しの魔力回復従魔ソファー』。
窓際には、小型『従魔の快適タワー』。
床へ置かれた小型『浮遊扇風機』も、すぐに使える状態になっている。
「ぴるるっ!」
ユキが、どれから使えばいいのか迷うように居間を見回す。
「一つずつ試してみようか」
「ぴるっ!」
最初に向かったのは、浮遊扇風機だった。
床のスイッチを押すと、淡い緑色の風が上へ流れ始める。
ユキが風の中央へ跳ねた。
「ぴるっ!?」
純白の身体が、床からふわりと浮かび上がる。
自分の魔力を使っていないためか、ユキは不思議そうに伸び縮みしていた。
「ぷるるっ!」
一二〇五号室の設置を終えたシズクが、美咲さんと一緒に入ってくる。
浮いているユキを見つけると、四枚の羽を動かして隣へ並んだ。
「ぴるるっ!」
「ぷるっ!」
二体は、そのまま快適タワーの周囲を一周する。
最後には、並んで癒しのソファーへ身体を預けた。
柔らかな表面から淡い光が広がり、シズクとユキの身体を包み込む。
「気に入ってもらえたみたいですね」
「ああ。買ってよかったです」
美咲さんと二人で、並んでくつろぐ二体を見守る。
天狐竜から撤退した直後、ユキは俺の側から離れようとしなかった。
今はシズクと身体を寄せ合い、安心したように何度も伸びている。
その姿を見られただけでも、十分だった。
◇
八日目。
第三回手術を翌日に控え、俺たちは協会へ天狐竜初戦の記録を提出した。
医療区画の小会議室には、俺と美咲さん、高橋さんが集まっている。
机の上には、二機の探索レコーダーが残した映像と、損傷した装備の検査記録が表示されていた。
「携行していた回復薬と上級回復薬は、戦闘と撤退で全て使用されています」
高橋さんが、提出記録を確認する。
「魔力回復薬についても、誰がいつ使用したのか、探索レコーダーの映像と一致しています」
「はい。残数を確認しながら使っていましたが、それでも天狐竜の速度には届きませんでした」
映像の中では、白い霧を切り裂く冷光閃が何度も放たれている。
額部の高純度魔石。
再生する外衣。
胸部にある魔核。
倒すための順番は分かった。
だが、初戦では最初の一つへ攻撃を届かせることさえできなかった。
「今回の記録は、第十七層の危険情報として正式に保管します」
高橋さんが映像を止める。
「ただし、再挑戦について話すのは、一城さんの治療と戦闘復帰判定が全て終わってからです」
「分かっています」
左手の指は動くようになった。
少量の魔力も、途切れずに通せる。
だからといって、短剣を握り、天狐竜と戦える状態ではない。
「今は、明日の手術へ集中します」
「お願いします」
高橋さんへ記録を預け、俺たちは小会議室を出た。
◇
九日目。
第三回手術が始まる。
「本日は、筋肉、腱、残っている微細組織を接続します」
豹堂先生が、手術前の検査結果を示す。
「骨、血管、神経、魔力経路も、最後にもう一度調整します。問題がなければ、残っている創部を閉じます」
「これで、最後なんですね」
「はい。ですが、手術が終わっても、すぐに腕へ力を掛けてはいけません。十四日目の検査までは、段階的に動かします」
「分かりました」
三本目の密封注射器が、保管箱から取り出される。
これが、三回に分けた秘薬の最後の一本だ。
「今回も、接続を確認した箇所へだけ使用します」
魔導式微細手術装置が起動する。
銀色の装置へ豹堂先生の魔力が流れ、光で作られた細い鉗子と縫合針が手術台の横へ並んだ。
「一城さん。全身麻酔を始めます」
「お願いします」
ゆっくりと瞼を閉じる。
これまで、左手に触れられても何も感じない時間があった。
今は指を動かし、魔力を通せる。
次に目を覚ました時には、残る治療も終わっている。
そう信じながら、意識を手放した。
◇
「一城さん。第三回手術は終了しました」
目を覚ますと、豹堂先生が俺の側に立っていた。
「筋肉、腱、微細組織の接続は完了しています。骨、血管、神経、魔力経路にも異常はありません。創部も閉じました」
「秘薬は……」
「必要な箇所へ全て注入しました。一瓶分を使い切り、異常反応は確認されていません」
三回の手術が終わった。
左前腕には固定具が残っている。
まだ自由に動かすことはできない。
それでも、切断された左前腕を治すために必要な処置は、全て終わったのだ。
「ぴる……?」
処置室へ入ってきたユキが、俺の顔を覗き込む。
「無事に終わったよ」
「ぴるっ!」
右手で撫でると、ユキが安心したように身体を押し付けてきた。
◇
十日目から、左前腕のリハビリは次の段階へ進んだ。
指を曲げる。
手のひらを開く。
手首をゆっくりと上下へ動かす。
最初は柔らかな訓練球を握っても、ほとんど形を変えられなかった。
だが、十一日目には少しだけ潰せるようになった。
十二日目には、左手で空のコップを持ち上げられた。
十三日目には、水を半分入れた状態でも、こぼさずに机へ移せるようになった。
魔力伝導の訓練も続ける。
測定装置へ手のひらを当て、少量の魔力を一定の強さで流す。
初めは波形が僅かに揺れていた。
繰り返すうちに、右手と同じような安定した線へ近付いていく。
「昨日より、長く維持できています」
美咲さんが、測定装置の画面を見る。
「はい。でも、まだ短剣は握らないように言われています」
「当然です。豹堂先生の許可が出るまで、触らないでくださいね?」
「分かっています」
「ぴるっ!」
ユキまで美咲さんへ同意するように鳴く。
「ユキも、俺が無理しないように見ていてくれるのか?」
「ぴるるっ!」
「心強い監視役ですね」
美咲さんが笑う。
俺も、左手を開いたり閉じたりしながら頷いた。
◇
第一回手術から十四日目。
俺は、最後の検査を受けるため、探索者協会本部の医療区画を訪れていた。
固定具は外されている。
豹堂先生が『診察眼』を発動し、左肩から指先までを順番に確認する。
「血流、正常です」
指先へ触れ、感覚を確かめる。
「五本全て、感覚に異常はありません」
指を曲げ、手首を回す。
大きく動かしても、痛みはない。
骨、筋肉、腱の状態も、医療用の測定装置で確認される。
最後に、左手から測定器へ魔力を流した。
青い線が、画面の端まで真っ直ぐに伸びる。
「魔力伝導も正常です」
豹堂先生が、全ての検査結果を端末へ保存した。
◇____________________
『探索者協会医務課・治療後診断』
『患者』
・一城陸斗
『左前腕』
・骨:接合完了
・血流:正常
・神経及び感覚:正常
・筋肉及び腱:修復完了
・魔力経路:接続及び伝導確認
『治療結果』
・日常生活上の完治:確認
『制限』
・高負荷動作:未確認
・実戦動作確認:未実施
・探索及び戦闘への復帰:未許可
____________________◇
「日常生活を送るうえでは、完治したと判断します」
豹堂先生の言葉を聞き、胸の奥に入っていた力が抜けた。
「ありがとうございます」
「よかったですね、陸斗さん」
隣にいた美咲さんも、安心したように息を吐く。
「ただし、表示されているとおり、探索と戦闘への復帰はまだ許可できません」
「はい」
「短剣を使った動作、強い衝撃を受けた場合の安定性、大量の魔力を流した時の状態。全てを確認する必要があります」
「実戦用の動作確認が終わるまでは、迷宮へ入らないということですね」
「そのとおりです」
左手は治った。
だが、治ったことと、天狐竜と戦えることは同じではない。
「焦らず、必要な確認を一つずつ受けます」
「お願いします」
◇
診察のあと、延期していた二個の魔石結晶の正式検査も行われた。
美咲さんが保管していた二つの結晶が、別々の透明容器へ入れられている。
第十五層で、魔石王スライムがユキへ譲った物だ。
医療用の検査装置が二つの結晶へ光を当てる。
豹堂先生は、内部の魔力構造と、ユキの従魔核との適合反応を確認した。
「二個とも、これまで確認された魔石結晶と成分及び魔力構造が一致しています。毒性や汚染反応もありません」
「ユキが使用しても大丈夫ですか?」
「適合反応に問題はありません。ただし、連続して使用することは認められません。一個目を使用したあと、十分な安定化期間を置きます」
「分かりました」
俺は二個の魔石結晶へ解析鑑定を発動した。
◇____________________
『魔石結晶』
『数量』
・二個
『状態』
・魔力構造:安定
・毒性:なし
・汚染:なし
『対象』
・ユキ
『使用』
・可能
『注意』
・一個ずつ使用
・使用後の安定化期間が必要
____________________◇
「解析鑑定でも、二個とも問題ありません」
高橋さんが、入手経緯と検査結果を記録する。
「魔石王スライムからユキさんへ自発的に譲られた品として登録します。討伐による取得品ではないことも記録へ残します」
「お願いします」
魔石結晶は、使用する日まで医務課の保管庫で管理されることになった。
ユキは透明容器の中にある二つの結晶を見つめている。
「今日は使わないぞ」
「ぴる?」
「俺の腕と同じだ。急がずに、一つずつ進めよう」
「ぴる……」
ユキは少し考えるように身体を縮めたあと、ゆっくりと伸びた。
「ぴるっ」
◇
検査を終え、一二〇四号室へ戻った。
左前腕には、もう固定具も吊り帯もない。
俺が居間の床へ座ると、ユキが正面まで跳ねてきた。
「ぴる……?」
視線の代わりに、身体の先を俺の左手へ向けている。
俺は左手を持ち上げた。
肩から肘へ。
肘から手首へ。
魔力を流さなくても、思ったとおりに動く。
五本の指を開き、ユキの頭へ近付けた。
ユキは逃げない。
俺の左手が触れるまで、その場で静かに待っていた。
柔らかな純白の身体へ、指先が沈む。
その感触も、僅かな震えも、全て左手へ伝わってきた。
「待たせたな、ユキ」
指を動かし、戻った左手でユキの身体をそっと撫でる。
ユキは安心したように身体を預け、小さく鳴いた。




