142話「ユキとひだまり」
第一回の手術を受けた翌朝。
俺は協会本部の診察室で、左腕の状態を確認してもらっていた。
再接合された左腕は固定具で動かないようにされ、吊り帯に収まっている。
豹堂先生は接合部の状態を確認すると、そこへ負担を掛けないように固定具の位置だけを僅かに調整した。
「血流も安定しています。昨日の手術を終えた部分に、問題はありません」
「良かった……」
「ですが、治療が終わったわけではありません。固定具と吊り帯は外さず、左腕を動かそうともしないでください」
「はい」
次の手術まで、身体を休ませなければならない。
迷宮へ入ることはもちろん、訓練も禁止されている。
「協会本部内の一般店舗区画へ行くのでしたね?」
「はい。少しだけ、買い物をしようと思っています」
豹堂先生が、俺の足元へ視線を向ける。
「ぴる……」
ユキは診察が始まってから、ずっと俺の右足へ身体を寄せていた。
昨日、右手だけで一緒に遊んだ時も、少し離れるとすぐに俺のそばへ戻ってきた。
「本部内を短時間歩く程度なら構いません。ただし、少しでも体調に変化があれば、すぐに戻ってきてください」
「分かりました」
「今日は治療を進める日ではなく、皆さんで身体を休める日です」
豹堂先生の言葉を聞き、ユキがゆっくりと身体を伸ばす。
「ぴる……」
返事はしたものの、いつものように跳ねることはなかった。
◇
診察室を出ると、美咲さんとシズクが待っていた。
「陸斗さん。診察はどうでした?」
「昨日手術した部分は、問題ないそうです。短時間なら、買い物へ行ってもいいと言われました」
「良かったです」
「ぷるっ!」
シズクが嬉しそうに跳ねる。
隣にいたユキも身体を伸ばしたが、すぐに小さく縮んでしまった。
「それでは、昨日の約束どおり行きましょうか」
「そうだね。ユキも行こう」
「ぴるっ」
俺たちは、協会本部内の一般店舗区画へ向かった。
探索者協会の本部は、元大型ショッピングモールを利用している。
受付や医務課、訓練場などへ改装された場所だけでなく、一般客も利用できる店舗が今も数多く残っていた。
平日の午前中だが、通路には探索者や協会職員が行き交っている。
俺の左腕へ視線を向ける人もいた。
そのたびに、ユキが俺の右足へ近付く。
シズクは先へ行かず、ユキの隣に並んで進んでいた。
「ぷるっ」
「ぴる……」
蒼い身体が白い身体へ触れる。
ユキは少しだけ身体を伸ばし、シズクへ触れ返した。
◇
しばらく歩いたところで、飲み物や軽食を扱う店へ立ち寄った。
冷蔵棚には、何種類ものカフェラテが並んでいる。
美咲さんはその中から、期間限定と書かれた商品を二つ手に取った。
「陸斗さん。これにしませんか?」
「美咲さんのおすすめですか?」
「はい。以前、別の味や期間限定の物も美味しいとお話ししましたよね」
美咲さんとパーティーを組んだ日。
俺が少し高いカフェラテを持っていたのを見て、今度おすすめを教えると言ってくれた。
「覚えていてくれたんですね」
「もちろんです」
カフェラテと小さなサンドイッチを一人分ずつ買い、通路脇の休憩場所へ移動する。
右手で蓋を開け、カフェラテを一口飲んだ。
以前飲んだ物とは違う甘さが広がる。
「美味しいです」
「良かったです。期間が終わる前に飲めましたね」
美咲さんも隣でカフェラテを飲む。
シズクとユキは、ベンチの前に並んでいた。
シズクは行き交う人や店を見回しているが、ユキは吊り帯に収まった俺の左腕を見つめている。
「ユキ」
「ぴる……」
「昨日も話したけど、ユキが俺を守れなかったなんて思ってないよ」
ユキの身体が、僅かに揺れる。
「あの時、ユキが三つの防具を動かし続けてくれたから、天狐竜の追撃を防げた。だから、俺たちは全員で戻ってこられたんだ」
「私も、ユキちゃんが守ってくれたから、陸斗さんを支えて撤退できました」
美咲さんが、ユキの前へ手を差し出す。
「シズクは陸斗さんの左腕を回収してくれました。私は撤退を決めて、陸斗さんを支えました」
「ぷるっ!」
「誰か一人だけで、全員を守ったわけではありません。みんなで戻ってきたんですよ」
ユキが美咲さんの指先へ身体を伸ばす。
「ぴる……」
「だから、早く元気になってくれユキ。そんなに落ち込まれると、俺も悲しいよ」
「ぴるっ」
小さな返事だった。
それでも、ユキは吊り帯ではなく、俺の顔を見上げていた。
◇
休憩を終え、従魔用品専門店『ひだまり』へ向かう。
明るい木目の入口には、丸い太陽を描いた看板が掲げられていた。
タワーマンション三十階で利用した従魔用品店にも、同じ看板がある。
あちらは『ひだまり』の出張所で、協会本部のショッピングモール区画にあるこちらが本店だ。
本店へ来るのは、今日が初めてだった。
「三十階のお店より、ずっと広いですね」
「出張所には置いていなかった商品もありそうです」
店内には、従魔用の食事や手入れ用品、家具、玩具が種類ごとに並んでいる。
従魔は人間向けの食べ物も基本的には食べられる。
取り込んだ食物を魔力へ変えるため、通常の排泄も必要としない。
そのため、犬や猫の店にあるようなトイレ用品の棚はなかった。
「いらっしゃいませ」
穏やかな声とともに、二人の店員が近付いてくる。
一人が着けている名札には、『店長 森宮琴音』。
もう一人の名札には、『森宮小春』と書かれていた。
「店長の森宮琴音です。こちらは娘の小春です。何かお探しでしたら、いつでもお声がけください」
「森宮小春です。試せる商品もありますから、ゆっくり見ていってくださいね」
「ぷるっ!」
小春さんに声を掛けられ、シズクが元気よく返事をする。
「ぴるっ」
ユキも遅れて返事をした。
最初に二匹が足を止めたのは、従魔用の菓子が並ぶ冷蔵ケースだった。
小さな物から、丼ほどの大きさがある物まで用意されている。
シズクは迷わず、特大ケーキの前へ跳ねていった。
「ぷるるっ!」
「シズク。それが食べたいの?」
「ぷるっ!」
隣には、同じくらいの大きさの特大プリンが置かれていた。
ユキはプリンへ近付いたものの、俺の左腕を見上げて動きを止める。
「ユキは、プリンがいいのか?」
「ぴる……」
「欲しい物を選んでいいんだぞ」
それでも、ユキはすぐには返事をしなかった。
「ぷるっ」
シズクがケーキの前から戻り、ユキの隣へ並ぶ。
そして、白い身体を特大プリンの方へそっと押した。
「急がなくていいからね」
小春さんも離れた場所でしゃがみ、ユキが自分で選ぶのを待っている。
しばらくして、ユキが身体を伸ばした。
先端が冷蔵ケースの透明な扉へ触れる。
「ぴるっ」
「このプリンにする?」
「ぴるっ!」
今度の返事は、先ほどよりも少し大きかった。
「ケーキとプリンは、一個一万円になります」
琴音さんが商品の説明をしてくれる。
「従魔用というのは、人の食べ物を与えられないという意味ではありません。身体の大きさや栄養、含まれる魔力、食べやすさを従魔に合わせている商品です」
「能力が上がる効果もあるんですか?」
「いいえ。この二つは、純粋な嗜好品です。戦闘能力を上げる効果はありません」
一個一万円の高級品だ。
だが、シズクとユキが欲しがっている。
「二つとも、お願いします」
「ありがとうございます」
琴音さんが注文用の端末へ商品を登録する。
食べ物を選んだあと、生活用品の並ぶ区画へ移動した。
中央には、小型従魔が横になれる大きさのソファーが置かれている。
「こちらは『癒しの魔力回復従魔ソファー』です。長いので、私たちは『癒しのソファー』と呼んでいます」
琴音さんが、値札の横にある説明を示す。
「横になっている間、従魔の体力と魔力の自然回復を促進します。一台十三万円です」
「回復道具なら、迷宮でも使えるんですか?」
「効果があるのは、ソファーで安静にしている間だけです。戦闘中に使える物ではありません」
「ぷるっ!」
シズクが試用品のソファーへ飛び乗る。
柔らかな座面へ身体が沈み、そのまま平たくなった。
「ぷるるっ〜」
「シズク。もう眠りそうですね」
美咲さんが苦笑する。
「ユキも試してみるか?」
「ぴる……?」
「これは、戦うための装備じゃない。家で休むための物だよ」
俺は右手を伸ばし、ユキの柔らかな身体を撫でる。
「ユキには、俺たちを守る時だけじゃなくて、シズクと遊んだり、ゆっくり休んだりしてほしいんだ」
「ぴる……」
ユキがソファーへ跳び乗る。
シズクの隣へ身体を置くと、白い身体も柔らかな座面へ沈んだ。
「ぷるっ」
「ぴるっ」
二匹が並んで横になっている。
「二つ、必要ですね」
「そうですね。俺たちの部屋と、美咲さんたちの部屋に一台ずつ置きましょう」
次に二匹が見つけたのは、小型の『浮遊扇風機』だった。
床へ置かれた丸い魔道具のスイッチを小春さんが押す。
外側の輪に沿って淡い光が灯り、中央から風の魔力が流れ始めた。
「この上へ身体を預けると、自分の魔力を使わずに浮くことができます。小型、中型、大型があって、小型は一台三万円です」
「ぷるっ!」
シズクが風の上へ跳び乗る。
蒼い身体がふわりと浮かび、床から少し離れた場所で揺れ始めた。
「ぷるるっ!」
四枚の羽を広げなくても浮いているのが面白いらしい。
シズクは風に身体を預けたまま、ゆっくりと回っている。
ユキが、その様子を見上げる。
「ぴる……?」
「ユキちゃんも試してみる?」
小春さんが尋ねると、シズクが風の外へ降りた。
そして、場所を譲るようにユキの背中を押す。
「ぷるっ!」
ユキが恐る恐る風の上へ身体を伸ばす。
白い身体が、ふわりと浮かび上がった。
「ぴる?」
身体を傾けると、風に押されてゆっくり回る。
反対側へ伸びれば、今度は逆向きに回った。
「ぴるっ!」
ユキがもう一度大きく身体を伸ばす。
少し高く浮かび、柔らかな身体が空中で丸く揺れた。
「ぴるるっ!」
床へ降りると、すぐに風の上へ跳び直す。
「ぷるるっ!」
シズクも隣から跳び、二匹が交代で浮かび始めた。
昨日から小さく縮んでいたユキが、初めて何度も大きく跳ねている。
買い物をしただけで、あの時の記憶が消えるわけではない。
俺の左腕も、まだ治療の途中だ。
それでも、ユキが一人で責任を抱えたまま、ずっと沈んでいる必要はない。
「気に入ったみたいですね」
「はい。これも二台お願いします」
「ありがとうございます」
最後に、小型の『従魔の快適タワー』を見つけた。
猫用のタワーに似た形で、段差や小さな部屋、身体を伸ばして遊べる輪が付いている。
こちらも小型、中型、大型があり、小型は一台六万円だった。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
二匹が同時に一番下の段へ跳び乗る。
シズクが先に上の段へ移り、ユキもあとを追う。
途中にある輪をくぐり、小さな部屋へ一緒に入ったかと思うと、反対側から揃って身体を伸ばした。
「ぷるるっ!」
「ぴるるっ!」
もう一度、二匹で上の段へ跳ねる。
「タワーも、二台必要みたいですね」
「うん。二つお願いします」
俺は、吊り帯に収まった左腕を見る。
ユキは俺を守れなかったと思っている。
だが、俺がユキを庇ったことを後悔したことはない。
もし同じことが起きれば、きっとユキも俺たちを守ろうとする。
だから、守れなかった誰かを探すのではなく、次はどうすれば全員で帰れるのかを、みんなで考えればいい。
今はただ、シズクと一緒に跳ねるユキを見ていたかった。
◇
会計では、従魔用特大ケーキと特大プリンが一個ずつ。
『癒しのソファー』、『浮遊扇風機』、『従魔の快適タワー』は、同じ小型商品を二台ずつ購入した。
「合計、四十六万円になります」
琴音さんが会計画面を示す。
ソファー二台で二十六万円。
浮遊扇風機二台で六万円。
快適タワー二台で十二万円。
ケーキとプリンが、それぞれ一万円。
合計額に間違いはない。
「シズクの分は、私が払います」
美咲さんが財布を取り出そうとする。
「シズクにもユキにも心配かけたからな。今回は俺に全部買わせてくれないかな?」
「ですが……」
「探索用の装備でも、パーティーの消耗品でもないから、クランの資金は使わない。俺の個人資産から払うよ」
美咲さんが、快適タワーで遊ぶ二匹を見る。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
ユキは、もう身体を小さく縮めていなかった。
「……分かりました。今回は、陸斗さんの気持ちを尊重します」
「ありがとう」
俺は右手で銀の探索者証を取り出し、会計端末へ読み込ませ、全額を支払った。
ケーキとプリンは、持ち帰れるよう保冷箱へ入れてもらう。
美咲さんが二つの箱を持ってくれた。
生活用品三種類は大きいため、部屋まで配送を頼む。
「琴音さん、ソファーと浮遊扇風機と快適タワーを、一二〇四号室と一二〇五号室へ一式ずつお願いします」
「承知しました」
琴音さんが微笑み、配送先を端末へ登録する。
「お家に届くの、楽しみにしていてね」
小春さんが、二匹へ手を振った。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
シズクもユキも待ち切れないのか、小春さんの言葉に嬉しそうに身体を伸ばした。
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