141話「左腕接合」
地上への転移を終えた直後、担架が再び動き始めた。
白い天井と照明が、視界の端から端へ流れていく。
担架の横には、淡い青色の光を満たした保存容器が固定されていた。
中にあるのは、切断された俺の左前腕だ。
「処置室へ入ります」
医療班の声と同時に、両開きの扉が開いた。
室内では、白衣を着た豹堂先生が待っていた。
「一城さん。私の声は聞こえますか?」
「……はい」
「これから切断部と回収された左腕を確認します。眠気や吐き気が強くなった場合は、すぐに教えてください」
「分かりました」
豹堂先生は短く頷き、保存容器へ視線を移す。
医療班が透明な蓋を開き、青い光に包まれた左腕を処置台へ移した。
魔獣革の手甲は、まだ付いたままだ。
「手甲を外します。左腕を動かさないよう、固定を維持してください」
留め具が一つずつ外される。
血と泥に汚れた手甲が透明な受け皿へ置かれ、左腕全体が白い照明の下へ現れた。
自分の腕なのに、離れた場所へ置かれている。
その光景を見ただけで、胸の奥が冷たくなった。
豹堂先生の瞳へ、淡い青色の光が宿る。
以前、明里さんを治療した時にも使っていた『診察眼』だ。
切断された左腕。
俺の左腕があった場所。
豹堂先生は二つを交互に確認し、医療用端末へ結果を入力していく。
室内に響くのは、測定器の小さな作動音だけだった。
「……再接合は可能です」
その言葉を聞き、止めていた息を吐いた。
「本当に、戻せるんですか?」
「はい。保存状態も良好です。ただし、一度の手術で全てを修復することはできません」
「一度では……?」
「秘薬で新しい腕を生やすのではありません。回収された左腕を正しい位置へ接続し、秘薬で損傷した組織を修復します」
左腕を回収できたからこそ、選べる治療だった。
豹堂先生が、切断部の画像を端末へ表示する。
「骨、血管、神経、筋肉、腱。それに、腕へ魔力を通すための経路も切断されています。全てを一度に接続すれば、手術時間が長くなり過ぎ、一城さんの身体へ大きな負担が掛かります」
画像の中では、損傷した場所が色分けされていた。
赤や青の線だけでなく、淡い白色の線も途中で途切れている。
「手術は三回に分けます」
「三回……」
「第一回は、骨の固定と主要な動脈、静脈の接続を最優先します。腕へ血液が流れる状態を作り、必要な周辺組織を接続します」
豹堂先生の指が、画像に表示された太い血管を示す。
「第二回で細い血管と神経、損傷した魔力経路を接続します。第三回で筋肉と腱、残る組織を修復し、創部を閉じます」
「三回とも終われば、左腕は使えるようになりますか?」
豹堂先生は、すぐには答えなかった。
「三回の手術後に、血流、感覚、指先の動き、魔力の伝わり方を確認します。現時点で、必ず元どおりになるとは断言できません」
それでも、治せる可能性はある。
「お願いします」
「承知しました」
豹堂先生が医療班へ目を向ける。
「緊急治療用の秘薬を用意してください」
別の職員が、施錠された保管箱を処置室へ運び込んだ。
中には、白金色の薬液が入った一本の瓶が収められている。
「以前、明里さんの治療時に予備として作られ、その後、協会が緊急治療用に保管していた秘薬です」
俺と斉藤さんが作った秘薬。
今度は、俺の左腕をつなぐために使われる。
「秘薬の正式価格は、一瓶二百万円です」
職員が説明を続ける。
「使用には、一城さんご本人の同意が必要です。事務手続きと支払いは手術後に行います」
「俺が個人で購入します。使ってください」
「承知しました。治療を優先します」
二百万円は、決して小さな金額ではない。
それでも、左腕を取り戻せる可能性を前に、迷う理由はなかった。
秘薬の瓶が、透明な作業箱の中へ移された。
医療班が無菌状態を確認し、白金色の薬液を三本の密封注射器へ分けていく。
一本は、これから行う第一回手術用。
残る二本は、次の手術まで医務課で保管される。
三本の注射器には同じ製造番号が登録され、一本ずつ別の保護容器へ収められた。
白金色の光は、瓶から移されたあとも少しも弱まっていない。
製造工程や効能は、すでに知っている。
だが、三本に分けられた秘薬を見て、今回の治療が今日だけでは終わらないことを改めて実感した。
◇
手術室へ移る前に、美咲さんたちが処置室へ入ってきた。
美咲さんは、二つの魔石結晶を収めた保護ケースを抱えている。
その足元にはシズクとユキがいた。
「陸斗さん」
美咲さんが担架の右側へ立ち、俺の手を握る。
「手術は、三回必要みたいです」
「豹堂先生から伺いました」
握られた手へ、僅かに力が込められた。
「第一回手術が終わるまで、すぐ近くで待っています」
「うん。ユキとシズクをお願いします」
「任せてください」
「ぷるぅ……」
シズクが担架へ身体を伸ばす。
左腕を第十七層から運び続けてくれた身体は、今も普段より小さく縮んでいた。
「シズク。腕を運んでくれて、ありがとう」
「ぷる……!」
ユキも、俺の右手へ近付く。
「ぴる……」
身体を手のひらへ押し付けてくるが、いつものように跳ねようとはしない。
契約を通じて、沈んだ感情が伝わってきた。
今は、ゆっくり話す時間がない。
「ユキ。手術が終わったら、たくさん遊ぼうな」
「ぴるぅ……」
小さな返事のあとも、ユキは手のひらから離れなかった。
「一城さん。手術室へ移ります」
豹堂先生の声に、美咲さんがユキをそっと抱き上げる。
シズクも、その腕の中へ身体を寄せた。
「待っていますから。必ず戻ってきてください」
「ああ、必ず戻ってくるよ」
美咲さんの手が離れ、担架が動き始める。
「ぷるっ……!」
「ぴるるっ……!」
二体の声を聞きながら、俺は手術室へ運ばれた。
◇
手術室の中央には、見たことのない医療装置が設置されていた。
白銀色の台座から複数の細い操作腕が伸び、それぞれの先端へ微細な鉗子や縫合器具が取り付けられている。
装置の表面には淡い青色の魔力線が走っていた。
「『魔導式微細手術装置』です」
豹堂先生が、操作盤へ手を置く。
「協会が私の操作に合わせて調整した医療機器です。私が『診察眼』で接続位置を確認し、この装置で細かな処置を行います」
装置そのものが、自動で腕を治すわけではない。
豹堂先生の技能と技術を支えるための物だ。
医療班が俺の身体と回収された左腕を、手術台の上で一直線になるように固定する。
切断部の上へ操作腕が移動し、複数の画面へ骨と血管の拡大画像が表示された。
第一回分の秘薬も、装置の横にある無菌区画へ設置される。
密封注射器の内部で、白金色の光が静かに揺れていた。
「第一回手術では、骨を固定したあと、主要な動脈と静脈を接続します。正しい位置へ接続したことを確認してから、その箇所へ秘薬を少量ずつ注入します」
「接続する前には、使わないんですか?」
「はい。先に秘薬を使えば、誤った位置で組織が修復される危険があります。必ず接続後に使用します」
以前の治療でも、秘薬は必要な場所へ直接注入していた。
今回は、その前に手術で切断された組織を正しくつなぐ必要がある。
「手術中は『診察眼』と『超集中』を使用します。血流が回復するまで、私と医療班が状態を確認し続けます」
「お願いします」
左腕へ視線を向ける。
切り離されていた腕が、自分の身体と同じ手術台へ並んでいる。
次に目を覚ました時も、同じ場所にあってほしい。
「麻酔を開始します」
口元へ透明な器具が当てられた。
吸い込んだ空気に、僅かに甘い匂いが混じっている。
「一城さん。目を閉じてください」
豹堂先生の瞳に、『診察眼』の青い光が宿る。
「左腕を、お願いします……」
「最善を尽くします」
天井の照明が滲む。
遠くで装置の起動音が聞こえたところで、意識が暗闇へ沈んだ。
◇
目を開くと、白い天井が見えた。
身体が重い。
喉も渇いている。
規則的な測定音と、消毒薬の匂い。
何度か瞬きをして、ここが手術室ではなく病室だと分かった。
だが、最初に意識を向けたのは左側だった。
左腕は、胸の横で固定されている。
切断部を覆う厚い保護材と白い固定具。その先には、手のひらと五本の指があった。
まだ感覚はない。
動かそうとしても、指一本動かなかった。
左側へ重さがある。
切断されたあとにはなかった、腕そのものの重さだった。
それでも、そこに左腕がある。
「陸斗さん……」
右側から、美咲さんの声が聞こえた。
椅子へ座っていた美咲さんが立ち上がる。
目元は赤くなっていたが、俺と目が合うと、安心したように息を吐いた。
「手術は……?」
「終わりました。第一回目の手術は成功したそうです」
「そうか。良かった」
「ぷるぅ!」
「ぴるっ……!」
少し離れた椅子の上から、シズクとユキが身体を伸ばす。
ユキはすぐにでも近付きたそうにしているが、美咲さんの言葉を守ってその場に留まっていた。
病室の扉が開き、豹堂先生が入ってくる。
「目が覚めましたね。気分はいかがですか?」
「少し、身体が重いです。左腕の感覚はありません」
「麻酔の効果が残っています。それに、神経の接続は第二回手術で行います。無理に動かそうとしないでください」
「はい」
豹堂先生が、左腕へ取り付けられた測定器を確認する。
「骨を正しい位置で固定し、主要な動脈と静脈を接続しました。指先まで血液が流れていることも確認できています」
白い固定具の先にある指を見る。
右手と比べれば僅かに色は薄いが、血の通った人の手だった。
豹堂先生が指先へ小さな測定板を当てる。
画面には一定の間隔で波形が現れ、皮膚の温度と血流の数値が更新されていた。
自分ではまだ何も感じられない。
それでも、血液は確かに左手の先まで届いている。
「接続した箇所には、第一回分の秘薬を局所注入しています。異常な癒着や薬効反応もありません」
「それなら、もう……」
「いいえ」
豹堂先生が、はっきりと遮った。
「細い血管、神経、筋肉、腱、細部の魔力経路は、まだ接続していません。手術部も無菌保護材で仮保護している状態です」
固定具の内側で、左腕は動かない。
「次の三日間は、血流と接合部の状態を確認します。左腕は絶対に動かさず、固定したまま過ごしてください」
「分かりました」
「起き上がる際は、固定具に加えて吊り帯も使用します。ご自身で外さないでください」
「はい」
美咲さんが、俺の右手をもう一度握る。
「陸斗さん。左腕、戻ってきましたね」
「……はい」
濃霧の中で切り落とされた左腕。
シズクが運び、何人もの手で守られた腕が、もう一度俺の身体へつながっている。
まだ動かすことはできない。
治療も終わっていない。
それでも、失ったままではなかった。
「一城さん」
豹堂先生が、固定された左腕から俺へ視線を戻す。
「左腕は、つながりました」
そこで一度、言葉を切る。
「しかし、手術はあと二回残っています」
「分かっています」
つながったという言葉だけで、全てが治ったように考えてはいけない。
今は、左腕へ血液が流れるようになっただけだ。
「今日は、このまま入院ですか?」
「まずは数時間、血流と接合部の状態を確認します。夕方の検査でも異常がなければ、今日中に帰宅して構いません」
「今日、帰れるんですか?」
「はい。ただし、左腕は固定具と吊り帯で固定したままにすること。痛みや熱が強くなった場合、指先の色が変わった場合は、すぐに医務課へ連絡してください」
豹堂先生が、美咲さんへ視線を移す。
「帰宅までの付き添いと、異常があった場合の連絡をお願いできますか?」
「はい。私が対応します」
「明日も血流の検査を行います。問題がなければ、協会本部内を短時間歩く程度なら許可できます」
「分かりました」
自宅へ帰れる。
その言葉を聞いて、ようやく肩の力が少し抜けた。
◇
夕方まで続いた経過観察でも、左腕の血流と皮膚の温度に異常は見つからなかった。
豹堂先生から帰宅の許可が出ると、俺たちは協会が用意した車で自宅へ戻った。
美咲さんに手伝ってもらい、居間のソファーへ腰を下ろす。
左腕は吊り帯に収めたまま、クッションの上へ置いた。
美咲さんは必要な物を手の届く場所へ置くと、何かあればすぐに呼ぶように言い、シズクと一緒に隣の部屋へ戻っていった。
「ぴる……」
家へ帰ったあとも、ユキは俺のそばを離れなかった。
天狐竜戦のことをひどく気にしているらしく、深く落ち込んでいることが耳飾りを通じて伝わってくる。
「おいで、ユキ」
俺は使える右腕を広げ、ユキを呼ぶ。
ユキは俺の声に反応し、おずおずと近付いてきた。そして、俺の右腕と身体の間へすっぽりと収まる。
吊り帯に固定された左腕へ向け、ユキが身体の一部をそっと伸ばした。
「そんなに気にするな、ユキ。今までの攻略が順調だったから、そのまま行けるって俺も勘違いしていたんだ。悪いのはユキじゃなくて、俺の方だ。危険度が表示されていたのに、そのまま戦うと決めたのは俺だからな」
「ぴるぅ……」
「雷光スライムと同じ危険度A+の魔物だったんだ。もっと慎重になるべきだった。ごめんな、ユキ」
「ぴるぴるっ……!」
そんなことはない。
自分がちゃんと守ればよかった。
耳飾りから、そんな感情が強く伝わってくる。
「そっか。じゃあ、おあいこかな?」
「ぴるるっ……!」
俺の言葉に、ユキが頷くように身体を伸ばす。
安堵と、次は絶対に守るという強い意思が伝わってきた。
先ほどまでユキを覆っていた罪悪感も、少しずつ薄れている。
それを感じ取り、俺もようやく胸を撫で下ろした。
「美咲さんにも無理をさせたし、シズクにも心配を掛けたからな。明日は、協会本部のショッピングモール区画へ遊びに行こうか?」
「ぴる?」
「みんなで遊びに行こうってことだ。ユキが気に入った物も買ってやるぞ。美味しいお菓子とか、デザートとかな」
「ぴるるっ!」
「美咲さんとシズクも誘って、四人で行こうか?」
「ぴるるるっ!」
そう話すと、ユキは嬉しそうに身体を弾ませた。
家へ帰ってから初めて見せた、いつもの元気な姿だった。




