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140話「二つの魔石結晶」


 濡れた巨木の根を、一歩ずつ進む。


 左腕があった場所から、心臓の鼓動に合わせて熱が広がっていた。

 止血帯とユキの回復魔法で血の滲みは弱まっている。

 それでも、完全には止まっていない。


「陸斗さん。もう少しです。転移門まで、必ず連れていきます」


 美咲さんが、俺の右側から身体を支えてくれている。

 その声も、肩へ回された腕も震えていた。


「……ああ」


 返事をしたつもりだったが、自分でも聞き取れないほど掠れていた。


「ぴる……!」


 ユキは俺たちのすぐ前で、二枚の白銀鎧と純白の魔法盾を動かしている。

 何度もこちらを振り返るが、回復魔法は使わない。

 これ以上魔力を使えば、三つの防具を維持できなくなると分かっているのだろう。


「ぷるぅ……」


 後ろから、シズクの弱い鳴き声が聞こえた。


 清潔な布で包まれた俺の左前腕。

 魔獣革の手甲が付いたままの腕を、シズクが何重もの風で包み、地面へ触れないように運んでくれている。


 振り返ることは出来なかった。

 ただ、風の音が途切れていないことだけを確かめる。


『星川さんと豹堂さんが、第十六層にある第十七層行きの区域転移門へ向かっています』


 通信機から、高橋さんの声が届く。


『お二人は第十六層側で待機します。転移門をくぐれば、すぐに合流できます』


「分かりました」


 美咲さんが答える。


『医療班にも救援を要請しました。第十五層の仮設調査所で受け入れ準備を進めています』


 地上まで戻らなくても、医師に診てもらえる。

 その言葉を聞き、意識をつなぎ止めるように足へ力を込めた。


 だが、次の根へ足を乗せた瞬間、視界が大きく揺れた。


「陸斗さん!」


 膝が落ちるより先に、美咲さんが身体を引き上げる。


「眠らないでください。私の声を聞いていてください」

「……聞こえてる」

「では、返事をしてください。何でも構いませんから」

「分かった……」


 右足。

 左足。


 足元だけを見て進む。

 ユキの白い身体と三つの防具が、俺たちの歩みに合わせてゆっくりと後退していた。



 ◇



 湿った地面の先へ、白い石造りの区域転移門が見えてきた。


 門の左右では、水膜のような魔法力場が揺らいでいる。

 第十六層へ戻るには、あの門を通るしかない。


「転移門です。陸斗さん、着きましたよ」


「ぴるるっ!」

「ぷるっ……!」


 ユキとシズクの声が重なる。


 美咲さんに支えられたまま、区域転移門へ足を踏み入れた。

 白い光が視界を覆う。


 湿った土と水の匂いが消え、代わりに乾いた草と風の匂いが届いた。


「リンくん!」


 白い光を抜けた直後、さりなさんの声が聞こえる。


「一城さん、意識はございますの!?」


 姫乃さんも転移門の側へ駆け寄ってきた。

 二人とも、普段とは違って装備を身に着けたままだ。


「あります。でも、出血が完全には止まっていません」


 美咲さんが答えると、さりなさんは腰の収納ケースから一本の薬瓶を取り出した。


「上級回復薬だよ。リンくん、飲める?」


「……はい」


 瓶の口が唇へ当てられる。

 少しずつ流し込まれた薬を飲み込むと、温かな魔力が喉から全身へ広がった。


 左腕の切断部へ、強い熱が集まる。

 痛みが完全に消えたわけではない。

 失われた腕が戻ることもなかった。


 それでも、身体から力が抜け続ける感覚が、少しずつ弱まっていく。


「血が……」


 美咲さんが、左腕へ巻かれた布を見つめる。

 新しい血は滲んでいなかった。


「止まりましたわ。ですが、腕を接続できたわけではございません。すぐに第十五層へ戻りましょう」


 姫乃さんの言葉に、さりなさんが頷く。


「ウチが前を見る。姫っちはリンくんを支えて。ミサキちゃんはシズクちゃんの側にいてあげて」


「承知しましたわ」


 姫乃さんが俺の右側へ入り、美咲さんと二人で身体を支える。

 さりなさんは少し先へ出ると、草原に魔物がいないことを確認した。


「ぷるぅ……」


 シズクは左腕を包む風を解かない。


「シズク。あと少しだからね。絶対に落とさないで」

「ぷるっ……!」


 美咲さんの声へ応え、風が幾重にも重なった。


 俺たちは第十六層の既知経路を進む。

 途中で遠くに魔物の姿が見えたが、さりなさんが進路を変え、戦闘にならない道を選んでくれた。


 やがて、白い境界石に囲まれた安全区域へ入る。

 中央に残っている帰還用の転移門をくぐり、俺たちは第十五層へ戻った。



 ◇



「一城さん!」


 第十五層へ到着すると、高橋さんと白衣を着た医療班が待っていた。

 担架へ横たえられ、そのまま蒼銀の転移門の側にある仮設調査所へ運ばれる。


「意識はありますか?」

「……はい」


「切断部の出血は止まっています。上級回復薬を使用したのですね?」

「ウチが使ったよ。第十六層の転移門で一本」


 後ろから、さりなさんが答えた。


「承知しました。圧迫を外します」


 医師が止血帯と布の状態を確認する。

 痛みは残っているが、先ほどまでのように血が流れ出すことはなかった。


「切断された左腕をこちらへ」


「ぷるぅ……」


 シズクが、風に包んだ左腕を処置台へ下ろす。

 何重にも重なっていた風が、一枚ずつ消えていった。


「運んでくれたのですね。ありがとうございます」


「ぷる……」


 シズクは処置台の側から離れようとしなかった。


 別の医師が、布を僅かに開いて左腕の状態を確認する。

 魔獣革の手甲は付いたままだ。


「汚染は見られません。保存処置へ移ります」


 医療班が細長い専用容器を処置台へ置いた。

 内側へ淡い青色の光が満ち、布に包まれた左腕が慎重に収められる。


 透明な蓋が閉じられた。

 青い光が左腕全体を包み、容器の側面へ緑色の表示が灯る。


「切断部と回収された左腕の状態から見て、再接合できる可能性は高いです」


「本当……ですか?」


「はい。ただし、血管や神経だけでなく、魔力の通り道にも大きな損傷があります。ここで行える処置ではありません」


 医師は、保存容器の表示を確認しながら続ける。


「地上へ搬送し、医務課の豹堂綾乃先生に診察を依頼します。豹堂先生であれば、治療できる可能性があります」


 左腕を元へ戻せるかもしれない。


 その言葉を聞いた途端、張り詰めていた力が抜けていく。


「陸斗さん……よかった……」


 美咲さんが、俺の右手を両手で包む。

 冷たくなった指先へ、震えが伝わってきた。


「まだ治療前です。すぐに搬送します」

「はい。お願いします」


「室内を空けます。従魔の皆さんと付き添いの方は、搬送準備が整うまで外でお待ちください」


 美咲さんが右手を離す。


「すぐ外にいますから」

「……うん」


「ぷるぅ……」

「ぴる……」


 シズクとユキも、何度もこちらを振り返りながら仮設調査所の外へ出ていった。



 ◇



 医療班が、担架を地上搬送用の物へ交換する。

 保存容器は、俺の身体と一緒に運べるよう隣へ固定された。


 瞼が重い。

 それでも、外から聞こえてきたユキの鳴き声に、意識が引き戻された。


「ぴる……ぴるるぅ……!」


 今までに聞いたことのない、悲痛な声だった。

 耳飾りを媒介に、ユキの感情が強く、俺の心に伝わってくる。


 俺を守れなかった悔しさ。

 もっと強くなりたい。今度こそ、俺を守れるほどに。


「ユキ……?」


 顔を横へ向ける。

 仮設調査所の窓の向こうに、純白の小さな身体が見えた。


 ユキは、閉じられた扉へ身体を伸ばしている。

 その隣にはシズクが寄り添い、透明な身体を押し付けていた。


「ぷるぅ……」


 ユキの身体から、白い魔力が溢れ出す。

 三つの防具を動かす時とも、回復魔法を使う時とも違う。


 白い光は空へ上がらず、第十五層の地面を静かに広がっていった。


「何だ……?」


 医療班の一人が窓へ目を向ける。


 ユキの周囲にいたスライム達が、一体ずつ身体を輝かせ始めた。


 赤。

 青。

 緑。

 黄色。


 色の異なる魔力が、ユキの白い光へ重なっていく。


 遠くから、青白い雷が地面を走った。

 雷光スライムが、仮設調査所の前へ集まったスライム達の間まで跳ねてくる。


 白金色の身体を巡る雷が強く輝き、光の一部がユキへ向かって伸びた。


 三つの魔力が混ざり合う。


 ユキの白。

 第十五層に暮らすスライム達の色。

 火焔スライムの炎熱の光

 雷光スライムの青白い光。


 それらは虹色の波となり、第十五層全体へ広がっていった。


「綺麗……」


 窓の外から、美咲さんの声が聞こえる。


 虹色の魔力が、中央祭壇へ続く通路の前へ集まっていく。

 強い光の奥から、深い青色の身体がゆっくりと現れた。


「魔石スライム……?」


 高橋さんの声がする。


 以前見た魔石スライムと、身体の色も、内側で輝く星屑のような結晶もよく似ている。


 だが、大きさが全く違った。


 以前に出会った個体より、はるかに大きな青い身体。

 その内側では、数え切れないほどの結晶が星空のように巡っている。


 その姿を詳しく確かめようとしても、意識を保つだけで精いっぱいだった。


 巨大な魔石スライムは、ユキの前までゆっくりと進んだ。


「ぴる……?」


 ユキが小さく身体を揺らす。


 雷光スライムも、周囲のスライム達も逃げようとしない。

 さりなさんと姫乃さんも武器を構えず、青い身体の動きを見守っていた。


 巨大な魔石スライムの内部で、無数の結晶が一斉に明滅する。


 星屑のような光が二か所へ集まり、少しずつ大きくなっていった。

 二つの青い結晶が身体の表面へ浮かび上がる。


 巨大な身体が、僅かに震えた。


 二つの結晶が柔らかな身体から離れ、ユキの前へ並んで転がった。


「ぴる……!」


 ユキはすぐに結晶へ触れなかった。

 巨大な魔石スライムと、仮設調査所の扉を何度も見比べている。


「ユキに、渡してくれたのでしょうか?」


 美咲さんが呟く。


 巨大な魔石スライムは、その言葉へ答えるように一度だけ跳ねた。


「ぴるるっ……!」


 ユキが身体を大きく伸ばす。

 泣いているような鳴き声だった。


 青い身体はもう一度だけ跳ねると、来た道へゆっくり戻っていった。

 内部の結晶が、最後まで淡く輝いている。


 虹色の光も少しずつ薄くなり、第十五層へ元の穏やかな明るさが戻った。


「二個とも、その場では使わせないでください」


 高橋さんの声が聞こえる。


「一城さんの治療を最優先します。魔石結晶は保護ケースへ収め、地上で正式な検査を受けましょう」


「分かりました」


 美咲さんが答える。


 間もなく仮設調査所の扉が開いた。

 美咲さんが、二つの青い結晶を収めた保護ケースを手にしている。


「陸斗さん。あの大きな魔石スライムが、ユキに渡してくれました」


「……二つも?」

「はい」


 美咲さんの足元では、ユキが心配そうに身体を伸ばしている。


「ぴる……」


「ユキ」


 右手を、担架の外へ僅かに伸ばす。

 ユキがすぐに近付き、手のひらへ自分の身体を押し付けた。


「守ってくれて……ありがとう」


「ぴるぅ……!」


 ユキの身体が震える。

 その隣へシズクも寄り添った。


「ぷるぅ……」


「搬送準備が整いました」


 医療班が、担架と左腕の保存容器をもう一度確認する。


「地上へ戻ります。豹堂先生にも連絡済みです」


 担架が動き始める。

 美咲さんは二つの魔石結晶を抱え、ユキとシズクは俺のすぐ側を離れなかった。


 左腕を取り戻せるかは、まだ分からない。


 それでも、霞む視界の中で、保護ケースに収められた二つの青い光だけは、地上へ戻るまで消えることなく輝いていた。


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