137話「白い霧の向こう」
第十七層の調査を終えて第十五層へ戻ったあと、俺たちは高橋さんと探索記録を確認した。
二機の探索レコーダーには、三種類の魔物が連携する様子だけでなく、混成群を避けて濃霧区域まで往復できる経路も残っている。
「経路は地図へ反映しました。次は、全員が万全な状態で濃霧区域を調査してください」
「はい」
「霧の中では、こちらから映像を確認できない可能性があります。危険だと判断した場合は、討伐にこだわらず撤退してください」
「分かりました」
俺と美咲さんの疲労が抜け、シズクとユキの魔力も完全に戻った日を選び、俺たちは再び第十五層の仮設調査所へ集まった。
前回と同じ武器と防具を点検し、回復薬と上級回復薬、魔力回復薬を俺の魔法鞄と美咲さんの探索鞄へ分ける。
クラン共有の秘宝、『白銀王の銀笛』も携行していく。
ユキの『魔石結晶』による強化は、一個分。
三分の一のままだ。
それでも、今のユキは三つの防具を動かしながら、俺たちへ支援魔法を使うことができる。
準備を終えた俺たちは、第十五層の安全区域にある蒼銀の転移門から、第十六層の大草原へ移動した。
記録済みの経路で魔物の縄張りを避け、大草原を横切る。
解放済みの区域転移門をくぐると、周囲の景色は第十七層の湿原密林へ変わった。
そこからは、前回記録した迂回路を使う。
通常個体と一度も戦うことなく河川を越え、濃霧区域まで辿り着いた。
目印を付けた二本の巨木の間には、今日も白い霧が壁のように留まっている。
耳飾りから伝わる敵意は一体分だけだが、前回と同じように、身体を押さえ付けられるほど強い。
『映像と音声、どちらも届いています』
高橋さんの声が通信機から聞こえた。
「これから濃霧区域へ入ります」
『分かりました』
俺は白銀短剣を抜き、美咲さんも黄金短剣と軽盾を構える。
シズクは俺たちの少し上へ移動し、ユキは俺と美咲さんの間で、二枚の白銀鎧を左右へ、純白の魔法盾を正面へ並べた。
「ユキ、防御を最優先にしてくれ。支援魔法は、俺たちから離れずに使える時だけでいい」
「ぴるっ!」
「シズクは高く飛びすぎないように。霧の中では、俺たちの側を離れないでくれ」
「ぷるっ!」
前回は、ここで引き返した。
今回は、霧の向こうにいる階層守護個体を確認する。
「入ります」
俺たちは、白い霧の中へ足を踏み入れた。
◇
一歩進んだだけで、周囲の色が消えた。
振り返れば、すぐ後ろにあるはずの二本の巨木が白く霞んでいる。
数歩先へ進むと、幹の輪郭すら見えなくなった。
足元の太い根は続いている。
だが、その両側にある泥の深さまでは分からない。
シズクは俺たちの頭より少し高い位置を飛ぶ。
四枚の翼から放たれる淡い光も、霧の中では遠くまで届かなかった。
二機の探索レコーダーも、俺たちの近くへ戻している。
一機でも離せば、白い霧の中で位置を見失う可能性があった。
『霧へ入ったところから、映像の乱れが強くなりました』
高橋さんの声は聞こえる。
だが、高橋さんのいる第十五層へ送られている映像は、白く乱れたままだ。
『音声は届いていますが、こちらから周囲の状況は確認できません。解析した内容を、可能な範囲で伝えてください』
「はい」
外から情報を送ってもらうことはできても、映像を見ながら攻撃の方向を知らせてもらうことはできない。
この霧の中では、高橋さんの映像支援を頼れない。
俺の『解析鑑定』で得た情報を含め、現地にいる俺たちだけで判断する必要がある。
俺は進行方向へ解析鑑定を使う。
◇____________________
『第十七層・濃霧区域』
『状態』
・視界不良
・霧に含まれる魔力濃度が上昇
『魔力反応』
・正面に一体
『距離』
・約三十メートル
____________________◇
「正面、約三十メートルに一体。こちらへ近付いています」
「敵意は、先ほどより強くなっています」
美咲さんの言葉と同時に、霧の奥から音が聞こえた。
硬いものが、巨木の根へ触れる音。
一度。
少し離れた場所でもう一度。
足音の間隔は長い。
だが、一歩ごとに、霧の中の影が大きくなっていく。
「何か、来ます」
美咲さんが俺たちの前へ出る。
霧が左右へ押し分けられた。
最初に見えたのは、青緑色の二つの光だった。
細く縦へ伸びた瞳が、白い霧の中から俺たちを見下ろしている。
続いて、額から上へ伸びる透明な角が現れた。
一本の角は、幾つもの氷晶を重ねたような形をしている。
頭部は、白い狐を思わせた。
尖った耳。
細長い口元。
首の周囲には、薄い氷の刃にも見える白銀の毛が幾重にも広がっている。
だが、霧から現れた身体は狐のものではない。
俺たちを見下ろすほど大きな四足の身体は、竜のような白銀の鱗に覆われていた。
前脚の先には、根へ食い込む長い爪がある。
背中から側面にかけて、半透明の外衣が何層にも重なっている。
薄い氷晶と長い毛を合わせたような一枚一枚が、身体を動かすたびに淡い光を返した。
後方では、何本もの長い尾が扇のように広がっている。
尾の先も半透明で、白い霧と重なるたびに輪郭が見えなくなった。
獣の姿と、竜の身体。
前回聞こえた鳴き声が、どちらとも取れた理由が分かった。
巨大な魔物へ、解析鑑定を発動する。
◇____________________
『魔物解析』
『名称』
・天狐竜
『危険度』
・A+
『状態』
・良好
『備考』
・第十七層階層守護個体
____________________◇
「天狐竜。危険度A+です」
俺が伝えると、美咲さんが僅かに息を呑んだ。
第十五層で戦った雷光スライムと同じ危険度。
だが、あの時は俺たちが試練を受ける側であり、雷光スライムには俺たちを殺す意思がなかった。
目の前にいる天狐竜からは、隠す気のない敵意が向けられている。
『危険度A+、天狐竜。記録しました』
高橋さんの声が通信機から届く。
『無理に詳細を調べようとせず、危険だと判断したらすぐに撤退してください』
「はい」
返事をした直後、天狐竜の姿が揺れた。
白い身体が、霧の中で左右へ分かれる。
一体。
二体。
三体。
同じ青緑色の瞳を持つ天狐竜が、別々の巨木の根の上に立っていた。
「増えた……?」
美咲さんが三体へ視線を動かす。
魔力反応は、最初から一体分しかない。
だが、目の前にある三つの姿は、どれも霧を押し分け、根の上へ影を落としている。
「幻惑です。本体は一体だけです!」
俺は解析表示を本体へ重ねる。
その瞬間、三体が同時に消えた。
「ぴるっ!」
二枚の白銀鎧が俺と美咲さんの前へ飛ぶ。
甲高い衝突音が、すぐ横から響いた。
天狐竜の前脚が、俺の前へ移動した白銀鎧へ斜めに切り付けている。
三本の爪が白銀の表面を滑り、細い傷と火花を残した。
姿が見えた時には、もう攻撃が届いていた。
「っ、横です!」
美咲さんが黄金短剣を振るう。
天狐竜は前脚を引くと同時に、根を蹴った。
白銀の身体が美咲さんの前から消え、いくつもの残像だけが弧を描いて残る。
黄金短剣は、最後尾の残像を通り抜けた。
直後、俺たちの後方で、何本もの尾が大きく開く。
「後ろ!」
美咲さんは俺の声より早く振り返っていた。
軽盾を構え、横から迫った尾を受け止める。
重い衝突音が響いた。
一本ではない。
幾重にも重なった尾が、広い範囲を一度に薙ぎ払っている。
美咲さんの足が根の上を滑り、身体が俺の近くまで押し戻された。
「美咲さん!」
「大丈夫です!」
軽盾を持つ腕は下がっていない。
俺が白銀短剣を向けた時には、天狐竜は再び霧の奥へ下がっていた。
「ユキ、支援を!」
「ぴるるっ!」
ユキの『結晶冠』が白く光る。
柔らかな光が、俺と美咲さん、シズクを包んだ。
身体が僅かに軽くなり、白銀短剣を握る腕も先ほどより動かしやすくなる。
支援魔法が発動している間も、二枚の白銀鎧と純白の魔法盾は止まらない。
「シズク、風で霧を開いてくれ! 無理に本体へ当てなくていい!」
「ぷるっ!」
シズクの前へ、緑色の魔力が集まる。
圧縮された風が正面へ放たれ、白い霧を左右へ押し広げた。
開いた視界の先に、天狐竜がいる。
シズクは続けて二発目の風弾を作る。
だが、撃つより先に、天狐竜がその場から動いた。
「ぷるっ!?」
風弾が放たれた時には、白銀の身体があった場所には残像しかない。
弾けた風が、巨木の根を浅く削った。
天狐竜は、シズクが魔法を放ってから避けたのではなかった。
魔力が集まり、狙いが定まった時には、もう動き始めていた。
「反応が速すぎる……」
霧の右側で、青緑色の瞳が光る。
「来ます!」
美咲さんがシズクの前へ踏み込んだ。
天狐竜の爪と黄金短剣が交差する。
美咲さんは真正面から受けず、刃の側面で爪の向きを逸らした。
そのまま反対の手にある軽盾を、天狐竜の胸元へ打ち込もうとする。
だが、天狐竜は軽盾が届く直前に首を捻った。
首を覆う外衣が大きく広がり、その周囲へ白い魔力が集まる。
美咲さんは攻撃を止め、後ろへ跳んだ。
天狐竜の周囲へ、白い炎が浮かんでいる。
炎が近付いているのに、熱は感じない。
代わりに、指先から感覚が消えていくような冷気が届いた。
「ユキ、魔法盾!」
「ぴるっ!」
純白の魔法盾が、美咲さんと白い炎の間へ移動する。
炎の一部が盾へ触れ、白い魔力に弾かれた。
だが、全てが同じ場所へ飛んできたわけではない。
細かな火の粉が巨木の根へ落ちる。
白い炎は消えなかった。
乾いた根の表面を這い、普通の炎と同じように周囲へ燃え広がっていく。
ただし、炎が通り過ぎた場所は黒く焦げていない。
白い霜が生まれ、根の表面が次々と凍り付いていた。
◇____________________
『技能解析』
『名称』
・冷炎
『種別』
・魔法攻撃
『効果』
・対象から熱を奪う
・接触地点を凍結させながら燃え広がる
____________________◇
「『冷炎』です! 触れた場所を凍らせながら、普通の炎のように燃え広がります!」
「足元に気を付けてください!」
美咲さんが凍り始めた根を蹴り、炎のない場所へ移動する。
俺も追おうとした。
だが、天狐竜が先に動いた。
白い身体が、燃え広がる冷炎の間を走り抜ける。
凍った根の上でも、速度は落ちない。
右へ進んだと思った残像が、炎の向こうに残る。
本体は、その反対側からシズクへ跳び上がっていた。
「シズク!」
「ぷるるっ!」
シズクの四枚の翼が強く光る。
正面から来る爪を避け、天狐竜の頭上へ上がった。
そのまま身体を反転させ、至近距離から風弾を放つ。
天狐竜は空中で首を傾けた。
風弾が首元を掠め、白銀の外衣だけを大きく揺らす。
その一瞬で、美咲さんが天狐竜の着地点へ踏み込んでいた。
黄金短剣が、前脚の付け根へ迫る。
天狐竜は着地と同時に身体を捻り、刃を避けた。
だが、美咲さんも止まらない。
軽盾を尾の側面へ当て、薙ぎ払いの向きを変える。
「今です、シズク!」
「ぷるっ!」
シズクの二発目の風弾が、逃げようとした天狐竜の正面へ落ちた。
天狐竜が初めて、後ろへ下がる。
俺は開いた距離を詰めようと、凍っていない根を蹴った。
しかし、踏み込んだ時には遅かった。
天狐竜は美咲さんの横を抜け、すでに俺の間合いの外へ移動している。
白銀短剣を振るうことさえできない。
解析表示は、本体の位置を正確に捉えている。
それでも、そこへ身体を向けて踏み込む前に、本体はすでに次の場所へ移動していた。
ユキが動かす三つの防具も、攻撃が来る直前に進路へ入れるだけで精一杯だ。
それでも、美咲さんは天狐竜の次の動きへ身体を向けている。
シズクも、残像ではなく本体を追い、すでに新しい魔法を作り始めていた。
天狐竜の全身へ、もう一度解析鑑定を重ねる。
◇____________________
『行動解析』
『確認された特性』
・幻惑
・残像
・高速移動
・極めて高い反応速度
『外装』
・全身を覆う白銀の外衣
・高密度の魔力を含む
____________________◇
支援魔法を受けていても、俺の基礎能力値では天狐竜の動きに追いつけない。
解析鑑定で本体の位置を捉え、美咲さんとシズクの動きを見ながら、ユキへ防御の指示を出す。
司令塔として戦場全体を把握し続けなければならず、俺は防御と解析だけで手いっぱいだった。
攻撃へ移る余裕はない。
一級探索者の美咲さんは、支援魔法を受ける前から天狐竜の動きへ辛うじて追従していた。
そこへ、支援魔法で全能力値を一割上げたシズクも、ようやく本体の動きへ食らいついている。
しかも、二人の攻撃も、まだ天狐竜へ傷を与えていない。
危険度A+。
表示された一つの段階が、これまで戦ってきた守護個体との間に、あまりにも大きな差を作っている。
天狐竜が霧の中で身体を低くした。
何本もの尾が白い外衣と重なり、その姿が再び三つへ分かれる。
左右と、正面。
三体全ての青緑色の瞳が、同時に俺たちへ向けられた。
「また来ます!」
美咲さんが軽盾を上げる。
シズクがその頭上で翼を開き、ユキの三つの防具が俺たちの周囲へ並んだ。
俺も白銀短剣を握り直し、解析表示を本体へ重ね続ける。
白い霧の向こうにいた階層守護個体との戦いは、まだ始まったばかりだった。




