135話「音無優莉の銘」
雄司の探索者資格取消しが正式に決まってから、三日後。
優莉さんはご両親と一緒に、探索者協会の貸出鍛造工房へやって来ていた。
炉の火はまだ入っていない。
その代わり、作業台の上には、昨日まではなかった三つの木箱が並べられている。
「吾郎さん。これは?」
「優莉ちゃんに用意した材料だ。開けてみろ」
優莉さんが一つ目の蓋を開ける。
中に入っていたのは、暗い銀色をした十個の鉱石だった。
二つ目の箱には、黒い表面へ淡い光の筋が走る鉱石。
三つ目の箱には、普通の銀より僅かに青みを帯びた鉱石が入っている。
それぞれの箱には、素材名と数量が書かれた札が付いていた。
俺も箱の中身と納品記録へ『解析鑑定』を使う。
表示された数量と購入区分は、札の記載と一致していた。
◇____________________
『魔鉄鋼石』
・数量:十個
『魔鉱石』
・数量:十個
『銀鋼石』
・数量:十個
『購入者』
・佐伯吾郎
『購入区分』
・個人購入
____________________◇
「優莉ちゃん。これをやるから、好きなように打ってみろ」
「こ、こんなにぎょうさん……ほんまによろしいんですか?」
「ああ、先行投資だからな。思う存分使え」
優莉さんは、箱の中と吾郎さんの顔を何度も見比べる。
「でも、もし失敗してしもうたら……」
「失敗しても、構わねえさ」
「三十個、全部ですか?」
「ああ、全部だ」
吾郎さんが一枚の書類を作業台へ置いた。
素材の譲渡先は、音無優莉。
クランに所属しているため、代金の返済義務もない。
完成品の所有者と処分方法も、製作前にその都度決めると書かれている。
涼介の各種調合品の素材と同じだ。
「先行投資といっても気負う必要はねえぞ? 今の優莉ちゃんに必要なのは、数をこなす事だ。たくさんの素材へ触って思う存分に打ち、感覚を自分のものにする事さ」
吾郎さんが、木箱の蓋を一つ閉じる。
「ただし、一日で使い切ろうなんて考えるなよ? 一本ずつ時間をかけて打て。失敗したら、どこで失敗したのかを残せ。上手くいったら、次は何が良かったのかを確かめろ」
「……はい」
優莉さんの父親も、箱の中の鉱石を見て頷いた。
「たくさんあるのは、急いで使うためじゃない。一つずつ向き合うためだ。優莉なら、できる」
優莉さんは、もう一度三枚の札を読む。
そして、吾郎さんから渡された書類の受領欄へ、自分の名前を書いた。
音無優莉。
「ありがとうございます。無駄にせんように、一本ずつ打ちます」
「無駄かどうかを、打つ前から決めるな。まずは好きにやってみろ。足りなくなったら言え、都度追加発注してやる」
「はい」
今度の返事には、先ほどよりも力があった。
◇
「で、最初は、何を打つんだ?」
吾郎さんに尋ねられ、優莉さんは三つの箱の前で考え込んだ。
珍しい素材へ手を伸ばすこともできる。
装飾品や、これまで作ったことのない武器へ挑むこともできる。
だが、優莉さんが選んだのは、『魔鉄鋼石』の箱だった。
「一城さん。今使うてはる『魔鋼短剣』を、見せてもろてもええですか?」
「もちろんです」
俺は腰の多機能探索者ベルトから、市販の『魔鋼短剣』を外した。
第十一層の攻略前に、探索者ストア佐伯で購入した副武器だ。
白銀短剣を使えない状況に備え、今も手入れをして持ち歩いている。
鞘から抜き、布を敷いた作業台へ置く。
優莉さんは刃へ触れないよう気を付けながら、厚みや重心、柄の形を確かめた。
次に、僅かな魔力を流し、柄元から切っ先まで伝わる速さを何度も確認する。
「これと同じ短剣を作るんですか?」
美咲さんが尋ねると、優莉さんは首を横へ振った。
「寸法をそのまま写すんやなくて、同じ『魔鋼短剣』を、自分で打ってみたいんです」
優莉さんが、俺の短剣を両手で持つ。
「いきなり希少な素材で、一点物を作ってみたいとは言えません。まずは普通に流通してる素材で、鍛造も、焼き入れも、研ぎも、魔力の通り道を整えるんも、最初から最後まで覚えたいです」
「それでいい」
吾郎さんが即座に頷いた。
「作ったこともねえ物へ、高い素材だけ突っ込む必要はねえ。今の短剣を見本にして、一本打ってみろ」
「はい」
優莉さんは『魔鉄鋼石』を一つ取り出し、残りの箱へ蓋をした。
『魔鉱石』と『銀鋼石』には、まだ手を付けない。
使える素材が三十個あるからといって、三十個を同時に炉へ入れることはしなかった。
最初の一本を、最初から最後まで打つ。
優莉さんが決めたのは、それだけだった。
◇
最初の『魔鋼短剣』を作る作業は、四日間にわたって続いた。
一日目は、『魔鉄鋼石』を精錬して地金を作り、含まれている不純物を少しずつ取り除く。
優莉さんは炉の色を確かめ、一度打つたびに、地金から返ってくる振動へ意識を向けた。
早く形を作ろうとはしない。
熱し、打ち、折り返す。
作業の区切りごとに記録を残し、地金の温度が下がれば、もう一度炉へ戻す。
日が傾いたところで、優莉さんは自分から金槌を置いた。
「今日は、ここで止めます。続けたら、疲れたまま打ってしまいそうです」
「分かった。中断したところを記録して、保管箱へ入れろ」
吾郎さんは、それ以上続けろとは言わなかった。
一本目は、その日のうちに短剣の原型で止めた。
◇
二日目。
精錬した地金を再び熱し、短剣の形へ延ばしていく。
刃の厚みを揃えるだけなら、もっと早く進められたのかもしれない。
だが、『鉄打ち』の打撃は、地金の形だけでなく、内部にある魔力の流れまで少しずつ変えていた。
優莉さんは金槌を振るうたび、俺へ解析を頼むのではなく、まず自分で地金の状態を確かめる。
昼を過ぎた頃、切っ先に近い場所を打った直後、金槌を止めた。
「一城さん。今の状態を、見てもろてもええですか?」
「分かりました」
本人の同意を確かめ、途中の刃へ『解析鑑定』を発動する。
◇____________________
『製作途中の魔鋼短剣』
『状態』
・成形途中
・亀裂:なし
・刃身内部の魔力経路:切っ先付近で分岐
『注意点』
・現在の形状のまま工程を進めた場合、魔力伝導に偏りが残る可能性あり
____________________◇
「亀裂はありません。ただ、魔力経路が切っ先の手前で二つに分かれています。このまま形を整えると、偏りが残る可能性があります」
「やっぱり、さっきの一打が強すぎました」
優莉さんが、刃の色と形をもう一度確かめる。
以前なら、失敗だと責められる前に、休まず打ち続けていたのかもしれない。
だが、優莉さんは焦って金槌を振らなかった。
「一つ前の工程まで戻します。今日は形を進めるより、分かれた流れを直すことに時間を使いたいです」
「そうしろ」
吾郎さんが頷く。
「完成を急いで、直せる物を駄目にする方がもったいねえ。戻せると判断したなら、戻せ」
「はい」
謝るのではなく、自分の判断を伝える。
優莉さんは刃を炉へ戻し、熱し直した。
打つ位置と力を変えながら、何度も同じ場所と向き合う。
日が暮れる頃には、二つに分かれていた魔力経路が、再び一つへ重なり始めていた。
三日目は、刃の厚みと反りを整え、焼き入れを行う。
水から引き上げた刃に亀裂がないことを、自分の目と俺の『解析鑑定』の両方で確かめる。
四日目。
研ぎと柄の取り付けを終え、最後に魔力経路を調整する。
夕方になって、優莉さんはようやく金槌を置いた。
◇
完成した短剣には、華美な装飾はなかった。
片刃の暗い銀色の刃と、滑りにくさを優先した柄。
俺が使っている市販品と同じ種類だが、柄の太さと刃の重心は、優莉さん自身が使いやすいと考えた位置へ僅かに変えられている。
優莉さんから短剣を受け取り、『解析鑑定』を発動した。
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『魔鋼短剣・改』
『品質』
・A
『希少度』
・B
『状態』
・完成
・刃身強度:良好
・刃身内部の魔力経路:均一
・魔力伝導:良好
『製作者』
・音無優莉
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「完成しています。品質A、希少度B。魔力経路は、柄元から切っ先まで均一です」
「……本当に?」
「はい。途中で分かれていた流れも、きれいにつながっています」
俺の短剣と並べ、少量の魔力を流して比べる。
どちらも、普通の鋼短剣より魔力を通しやすい。
優莉さんが打った一本にも、探索用の武器として問題になるような欠陥はなかった。
吾郎さんも刃の両面を確認し、柄を握る。
「売り物として検査へ出せる出来だ。最初の一本で、よくここまで整えたな」
「私が、作れたんですね……」
「四日間、優莉ちゃんが打った。ほかに誰が作ったっていうんだ」
優莉さんの父親が、完成した短剣を光へ翳した。
「頑張ったな、優莉」
「うん」
母親も隣で微笑んでいる。
優莉さんは短剣を受け取ると、しばらく刃を見つめていた。
やがて、工具箱から小さな鏨を取り出す。
柄に近い刃元には、銘を刻める平らな場所が残されていた。
だが、作業台へ短剣を固定したあとも、優莉さんは鏨を当てようとしなかった。
「優莉?」
父親に呼ばれ、優莉さんの肩が僅かに揺れる。
「……私、銘を切ったことがないんです」
鏨を持つ手が、強く握られる。
「今まで作った物は、全部無銘でした。私は半人前やから、名前を入れる資格なんかないと思うてました」
雄司の名前を刻んでいたのではない。
優莉さんが時間を掛けて打った品には、最初から誰の銘もなかった。
書類の製作者欄だけを雄司に奪われ、無銘の品が、雄司の仕事として売られていたのだ。
「書類に自分の名前を書くんと、ここへ刻むんは、全然違います」
優莉さんは、まだ何も刻まれていない刃元を見る。
「これを使う人が怪我をしたら、この名前を見て、私が打った物やと分かります。もし壊れたら、私の仕事が悪かったんやと分かってしまいます」
「そうだな」
吾郎さんは否定しなかった。
「銘を切るってのは、上手さを自慢するためだけじゃねえ。誰が打ったのか、誰がその仕事に責任を持つのかを残すためでもある」
優莉さんが顔を上げる。
「まだ、半人前やと思います」
その声は小さい。
それでも、鏨から手を離すことはなかった。
「せやけど、半人前やからって、誰が作ったんか隠してええ理由にはならへんと思います」
優莉さんは一度深く息を吸い、鏨の先を刃元へ当てた。
最初の一打は、弱かった。
甲高い音が工房へ響いたが、刃元に残った線は浅く、短い。
優莉さんは慌てて次を打たず、鏨の位置を確かめ直す。
二打目。
今度は、僅かに右へずれた。
「……難しい」
「最初から上手く切れる奴なんていねえさ」
吾郎さんは手を出さなかった。
優莉さんの父親も、代わりに金槌を持とうとはしない。
優莉さん自身が、ずれた線の続きを確かめ、鏨の角度を変える。
一打ずつ、ゆっくりと刻んでいく。
音。
最初の横線が、僅かに浅い。
無。
中央の幅が、少しだけ広くなった。
優。
隣の文字との間隔が、揃わなかった。
莉。
最後の一画を打ち終えた時、優莉さんの額には汗が浮かんでいた。
四文字を刻むだけで、短剣を研いでいた時よりも長く感じた。
優莉さんは鏨と金槌を置き、短剣を持ち上げる。
刃元に刻まれた四文字は、真っ直ぐでも、均等でもなかった。
___音無優莉。
「上手には、できませんでした」
「当たり前だ。初めてだからな」
吾郎さんが、歪んだ四文字を見て頷く。
「銘を上手く切る練習も、次の一本からすればいい。だが、その最初の銘は消すな」
優莉さんの父親も、何度も頷いた。
「いい銘だ」
母親は口元を押さえ、目元を拭っている。
優莉さんは、自分で刻んだ名前を指先でなぞった。
「歪んでても、これが私の名前です」
そして、両手で短剣を持ち直す。
「私が打った、最初の『魔鋼短剣』です」
◇
「この一本は、どうする?」
吾郎さんに尋ねられ、優莉さんは少し考えた。
「売らずに、残してもええですか?」
「もう優莉ちゃんの物だ。好きに決めろ」
「次に打つ一本と、比べたいんです。どこを直したらええか、忘れんための見本にしたいです」
「分かった。所有者は音無優莉。用途は製作見本。鍵付きの保管箱へ入れておく」
吾郎さんが新しい保管札を用意する。
優莉さんは、その札にも自分で名前を書いた。
書類の名前と、保管札の名前。
そして、短剣そのものへ刻まれた名前。
三つとも、もう誰かの名前へ書き換える必要はなかった。
◇
一日休んだあと、優莉さんは二本目の『魔鋼短剣』を打ち始めた。
使うのは、一つ目と同じ『魔鉄鋼石』。
最初の一本を横に置き、ただ同じ形を写すのではなく、作業記録を一つずつ読み返す。
精錬の時、どの温度で不純物が抜けたのか。
切っ先の魔力経路が分かれた時、どの一打が強すぎたのか。
焼き入れのあと、刃のどこへ僅かな歪みが残ったのか。
二本目も、その日のうちには完成しなかった。
一日目は精錬。
二日目は成形と魔力経路の調整。
三日目は焼き入れ。
四日目に、研ぎと柄の取り付けを行う。
完成するたび、俺が状態を解析し、優莉さん自身が一つ目との違いを作業記録へ残す。
二本目の銘は、最初の銘よりも僅かに真っ直ぐになった。
吾郎さんは、完成した二本目をすぐに店頭へ並べなかった。
協会の武器安全検査と正式な査定へ出し、合格したあとで、製作者名を消さずに販売する手続きを進めた。
販売されれば、報酬は音無優莉へ入る。
さらに数日後。
優莉さんは、三本目に使う素材を選ぶため、三つの木箱をもう一度開いた。
『魔鉄鋼石』。
『魔鉱石』。
『銀鋼石』。
どれを使い、何を打つのか。
今度も、決めるのは優莉さん自身だ。
「今日は、どれを使う?」
吾郎さんの問いに、優莉さんは急いで答えなかった。
一つずつ手に取り、重さと魔力の感触を確かめる。
「もう少し、『魔鋼短剣』を打ちたいです」
選んだのは、もう一つの『魔鉄鋼石』だった。
「まだ、一回ごとに分かることがあります。次は、魔力の通り道をもっと早う整えられるか、試したいです」
「好きにやれ。そのための材料だ」
「はい」
優莉さんが炉へ火を入れる。
最初の一本に四日掛かったからといって、二本目を一日で仕上げようとはしない。
二本目が上手くいったからといって、三本目へ希少素材を使おうともしなかった。
一本ずつ、時間を掛けて打つ。
それでも、以前とは違うことが一つだけある。
完成した品にも、途中の作業記録にも、音無優莉の名前が残る。
工房へ、金槌の音が響き始めた。
その音の先には、初めて自分の銘を刻んだ『魔鋼短剣』が置かれている。
歪みの残る四文字は、音無優莉さんが鍛冶師として歩き直す、最初の一歩になった。




