134話「雄司の自滅」
優莉さんが『蒼雪の宝珠』へ加入してから二日後。
俺と美咲さんは、探索者協会の貸出鍛造工房で、希少金属の加工試験を見守っていた。
専用鍛造工房は、まだ新設申請を出したばかりだ。
許可が下りるまでは、炉や金床、防火設備の整った貸出鍛造工房を使うことになっている。
鍛造室では、優莉さんが希少金属の試料を薄い補強板へ仕上げたところだった。
斉藤さんが作業記録を付け、吾郎さんは鍵付きの保管箱を用意している。
「一城さん、状態を見てもらえますか?」
「分かりました」
『解析鑑定』で確認すると、薄く延ばされた金属の内部に亀裂はなく、魔力経路も均一に保たれていた。
「加工試験は成功です。内部の亀裂もありません」
「本当ですか?」
「はい。これなら、装備の補強材として使えます」
優莉さんが安堵したように息を吐き、自分で炉の火を落とす。
吾郎さんは完成した補強板を保管箱へ収め、鍵を掛けた。
「優莉ちゃん、これで頼んだ試験工程は完了だ」
吾郎さんが、作業明細を一枚差し出す。
担当者の欄には、音無優莉と記されていた。
「試験でも、加工できた分の加工賃は出る。確認したら、自分で受取欄へ署名しろ」
「はい」
優莉さんは工程と金額を一つずつ読み、自分の名前を書いた。
受け取った明細を、新しい支援者証や作業記録用の帳面と一緒に鞄へ収める。
「これから、父様と母様と一緒に、工房で使う手袋を見に行くんです」
「必要な物が決まったら、申請書へ追加しましょう」
斉藤さんの言葉に、優莉さんが笑顔で頷いた。
作業を終えた優莉さんは、貸出工房の入口で待っていた両親と合流した。
その時にはまだ、建物の外で雄司が待っていることを、俺たちは知らなかった。
◇
同じ日の朝。
雄司は、開店したばかりのパチンコ店にいた。
耳を塞ぎたくなるほどの音が鳴り続け、目の前では色鮮やかな数字が何度も回転する。
「次で来る。今度こそ当たる……」
手元に残っていた金は、すでに使い切っていた。
今、台へ入れているのは、昨日借りた金だ。
最初のうちは、何度か玉が増えた。
一度交換すれば、今月の返済分くらいにはなっていた。
だが、雄司は席を立たなかった。
もう少し続ければ、借金を全部返せる。
さらに当たれば、優莉がいなくても困らないだけの金が手に入る。
そう考え、増えた玉を一つ残らず台へ戻した。
一時間後。
箱は空になっていた。
「ふざけんな。さっきまで出てただろうが!」
台を叩き、店員に注意される。
雄司は舌打ちしながら席を立った。
店の外へ出ると、スマートフォンへ何件もの通知が届いていた。
消費者金融からの返済案内。
利用限度額へ達したクレジットカードの通知。
そして、審査もほとんどせずに金を貸した業者からの連絡。
『本日中に連絡してください』
『これ以上、返済をお待ちすることはできません』
『連絡がない場合は、こちらから伺います』
「うるせえな。金なら作るって言ってるだろ」
通知を消しても、借金が消えるわけではない。
優莉が作った短剣を売った金も、すでに残っていなかった。
新しい品を打たせようにも、優莉は両親のもとへ逃げ、協会からは接触を禁じられている。
それでも、雄司は自分が悪いとは考えなかった。
優莉が逃げたから、金が入らなくなった。
優莉が余計なことを話したから、取引先からも協会からも連絡が来るようになった。
優莉さえ戻れば、今までどおりになる。
数日前から両親のあとを付け、優莉が出入りしている建物は突き止めていた。
協会関連施設の中へ入れば、立入制限違反になる。
ならば、外へ出てくるところを待てばいい。
「俺が話せば、あいつは逆らえねえ」
雄司は、残っていた小銭を握り締め、探索者協会へ向かった。
◇
貸出工房のある建物から、優莉が両親と一緒に出てくる。
その肩には、見覚えのない鞄が掛けられていた。
以前、雄司が買い与えた物ではない。
「優莉」
名前を呼ばれ、優莉の足が止まった。
両親がすぐに娘の前へ出る。
「雄司君。優莉へ近付くことは禁止されているはずや」
「親だからって、俺たちのことを決める権利はない」
雄司は父親を無視し、優莉だけを見る。
「帰るぞ。いつまで迷惑を掛けるつもりだ」
優莉の肩が僅かに震えた。
それでも、両親の後ろへ隠れなかった。
「帰りません」
「あ?」
「雄司さんと話すこともありません。私たちの関係は、もう終わりました」
「勝手に終わらせるな!」
雄司が声を荒らげる。
通りを歩いていた人たちが、何事かと足を止めた。
「お前が逃げたせいで、こっちは仕事にならねえんだ。今日も工房で金を受け取ったんだろ。出せ」
「あれは、私が働いて受け取った報酬です」
「お前の仕事は、俺が用意してやったんだ。俺の金だろうが」
優莉は、肩に掛けた鞄の紐を握った。
「違います。材料費も工房代も、取引先が別に払ってました。雄司さんは、私に嘘をついて、私の名前と報酬を取ってたんです」
「黙れ!」
雄司が腕を伸ばし、優莉の鞄を掴んだ。
「返してください!」
優莉が鞄を押さえる。
だが、雄司は肩紐を力任せに引いた。
「優莉!」
身体を引かれた優莉を、父親と母親が左右から支える。
肩紐が腕から抜け、鞄が雄司の手へ渡った。
「最初から素直に渡せばいいんだよ」
雄司は鞄を抱え、通りへ走り出そうとした。
「その子、嫌がってるよ〜」
気の抜けた声が、行く手から聞こえた。
腰まで届く長い黒髪。
少し眠そうな目。
女の傍らには、星空を閉じ込めたような鞘があった。
雄司は女を押し退けようとした。
だが、女は片手で鞄の肩紐を掴み、その場から動かない。
「離せ!」
「それ、君の鞄じゃないでしょ?」
「俺たちの問題だ。関係ない奴は引っ込んでろ!」
「関係あるかどうかは置いといて、今のはひったくりだよね〜。鞄、返そっか」
「うるせえ!」
雄司が女の顔へ拳を振り上げた。
殴ったはずだった。
だが、拳が届くより早く、女の姿が視界から消えた。
「遅いよ〜」
声は、すぐ横から聞こえた。
次の瞬間、雄司の右手首が掴まれる。
腕を捻り上げられ、爪先立ちになったところで足を払われた。
「ぐっ!」
背中から歩道へ落ちる。
息を詰まらせた雄司の手から、鞄が離れた。
女は落ちる前に肩紐を掴み、汚れ一つ付けずに受け止める。
「人の物を取ったうえに、いきなり殴るのはダメでしょ〜」
「この……!」
雄司が起き上がり、今度は女の身体へ掴み掛かった。
女は半歩だけ横へ動いた。
雄司の両腕は空を掴み、そのまま前へつんのめる。
襟元を取られたと気付いた時には、身体が宙へ浮いていた。
「ほいっ」
景色が上下へ回る。
雄司は再び歩道へ転がされた。
「くそっ!」
痛む身体を無理に起こし、三度目は肩からぶつかろうとする。
女は避けなかった。
雄司の胸へ、開いた手のひらを軽く当てる。
「ていっ」
短い衝撃が、胸から背中へ突き抜けた。
雄司の足が地面から離れ、数歩分も後ろへ弾き飛ばされる。
尻から歩道へ落ち、何度息を吸っても声が出なかった。
女は剣を抜いていない。
本気で殴ってすらいない。
それでも雄司は、一度も触れることができなかった。
「まだやる?」
眠そうだった女の目が、僅かに細くなる。
雄司は、女の顔と傍らの長剣を見比べた。
その姿を、探索者向けの映像で何度も見たことがある。
「星川……さりな……?」
「あ、ウチのこと知ってた?」
国内探索者ランキング一位。
一級探索者、星川さりな。
危険度A+の魔物を単独で両断した、国内最強の探索者だった。
「なんで、ランキング一位がここに……」
「協会に用事があっただけだよ〜。終わったら、リンくんたちのところへ顔を出そうと思ってたんだ」
「リン……?」
さりなが鞄を優莉へ返そうとした時、開いた口から一枚の証明書が滑り落ちた。
「あ、ごめんね」
さりなが拾い上げ、記された所属クランを見る。
「『蒼雪の宝珠』……? リンくんとミサキちゃんのクランだ」
「はい。二日前に、生産支援者として加入しました。音無優莉と申します」
「そっか〜。優莉ちゃんだね。ウチは星川さりな。よろしく〜」
さりなは支援者証を鞄へ戻し、優莉へ手渡した。
「ウチ、リンくんたちとは何度も一緒に迷宮へ入ってるし、一か月ずっと訓練もしたんだ。大事な友達だよ〜」
雄司の顔から、怒りが消えていく。
「じゃあ……こいつのクランは、ランキング一位と繋がってるのか……?」
「繋がってるよ。今日のことも、リンくんたちと協会へちゃんと伝えるね〜」
さりなの声は、変わらず軽い。
だが、雄司には、その言葉が何よりも重く聞こえた。
陸斗と美咲だけではない。
協会だけでもない。
優莉が加入したクランの向こうには、自分では絶対に敵わない国内一位の探索者までいる。
優莉を脅せば、以前のように従わせられる。
雄司が当然のように信じていた逃げ道は、もうどこにもなかった。
「雄司さん」
優莉が、返された鞄を両手で抱く。
「この中にある支援者証も、仕事の記録も、報酬の明細も、雄司さんの物やありません」
まだ声は僅かに震えていた。
それでも、雄司から目を逸らさない。
「私は、もう雄司さんのところへ戻りません。私の仕事も、私のお金も、二度と渡しません」
優莉は、一度息を吸った。
「私のことは、私が決めます。もう二度と、近付かんといてください」
雄司は何も言い返せなかった。
遠くから、協会の警備職員が走ってくる。
母親が緊急連絡を行い、通行人も警察へ通報していた。
雄司は逃げようと周囲を見る。
さりなが、その進路へ静かに立った。
「逃げない方がいーよ。周りの記録魔導具にも、さっきの全部が映ってるからね〜」
雄司の足が止まる。
最後まで自分から謝ることはなかった。
それでも、もう優莉へ近付くことも、鞄へ手を伸ばすこともできなかった。
◇
通りの記録魔導具には、雄司が優莉へ金銭を要求し、鞄を奪った場面が残っていた。
通行人が撮影した映像には、雄司が先にさりなへ殴り掛かったことも、はっきりと映っている。
警察の捜査とは別に、探索者協会は当日中に雄司の資格を緊急停止した。
その五日後。
安全管理課の審査室で、雄司本人へ正式な処分が伝えられた。
◇____________________
『探索者ライセンス・正式処分』
『対象者』
・無野雄司
『処分』
・探索者資格:取消
・ダンジョンへの入場:禁止
・探索者協会関連施設の利用:禁止
『確認された行為』
・緊急接触禁止措置への違反
・音無優莉への威圧及び金銭要求
・音無優莉が所持する鞄の強奪
・制止した第三者への反復した攻撃行為
____________________◇
「待てよ! 俺は、あの女に一方的に殴られたんだぞ!」
雄司が机を叩く。
「映像では、無野さんが先に星川さんへ拳を振り上げています」
女性職員は、記録を確認しながら答えた。
「星川さんは鞄を取り戻し、無野さんの攻撃を制止しています。無野さんが繰り返し攻撃しなければ、その後の制圧も行われていません」
「あいつが邪魔しなければ、優莉と話ができたんだ!」
「音無さんとの接触は、すでに禁止されていました」
「協会が勝手に決めただけだ!」
「無野さんは通知を受け取り、その内容を確認した記録へ署名しています」
机の画面へ、雄司自身の署名が表示された。
知らなかったという言い訳もできない。
「資格を返せ。迷宮へ入れなかったら、金を稼げねえだろうが!」
「それは処分を変更する理由にはなりません」
女性職員が、正式処分の画面を閉じる。
「本日から、探索者ライセンスは使用できません。今後、音無さんへ接触した場合は、協会の措置とは別に、直ちに警察へ連絡します」
雄司が何を怒鳴っても、処分が消えることはなかった。
優莉の仕事を自分の物として売り、その金を使い果たした。
さらに借金を重ね、返済するために優莉の金を奪おうとした。
その結果、迷宮へ入って稼ぐための資格まで、自分の手で失ったのだ。
◇
その夜。
雄司がアパートへ戻ると、部屋の前に二人の男が立っていた。
二人とも黒い服を着ている。
一人は笑みを浮かべていたが、目は少しも笑っていなかった。
「無野雄司さんですね」
「……誰だよ」
「何度も連絡を差し上げた者です。お忘れですか?」
男がスマートフォンの画面を見せる。
雄司が無視し続けた番号と同じだった。
「返済もない。連絡もない。そのうえ、お貸しした金をパチンコで使い切ったそうで。随分と余裕がおありのようですね」
「違う。あれは金を作るために___」
「増えましたか?」
雄司は答えられない。
「金なら、すぐに用意する。優莉が___」
言い掛けたところで、歩道に立っていたさりなの姿が頭へ浮かんだ。
国内探索者ランキング一位。
その向こうには陸斗たちと探索者協会がいる。
もう優莉へ近付くことはできない。
近付いたところで、金を奪うこともできない。
「優莉さん、という方から取るおつもりでしたか?」
男の笑みが深くなる。
「ですが、その方への接触は禁止。探索者資格も取り消されたそうですね」
「なんで、それを……」
「お金をお貸しする相手のことは、調べますよ」
もう一人の男が、一枚の書類を開いた。
借用証書。
債務者の欄には、雄司が自分で書いた名前が残っている。
無野雄司。
「こちらへ署名したのは、あなたです」
「待ってくれ。もう一度だけ金を貸してくれたら、今度こそ増やして___」
「そのお話は、事務所でゆっくり伺いましょう」
二人の男が、雄司の左右へ立った。
「車を待たせています。どうぞ」
「いや、俺は___」
「これ以上は待てないと、何度もお伝えしましたよね?」
一人の手が、雄司の肩へ置かれる。
強く掴まれたわけではない。
それでも、雄司は振り払うことができなかった。
アパートの前には、黒い車が停まっていた。
後部座席の扉が開けられる。
「お乗りください、無野さん」
雄司は何度も後ろを振り返った。
だが、助けを求められる相手は、もう誰も残っていない。
父親も、優莉もいない。
取り消された探索者資格も、もう何の盾にもならない。
二人の男に挟まれ、雄司は黒い車へ乗せられた。
扉が閉まり、車が夜の通りへ走り出す。
優莉が打った品からは、作った本人の名前を奪った。
報酬も奪い、賭博へ使い、それでも足りずに借金を重ねた。
最後に雄司の手元へ残ったのは、借用証書に書かれた自分の名前と、自分で増やした借金だけだった。
それだけは、もう誰にも押し付けることができなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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