133話「優莉の選択」
取引書類へ自分の名前を書いた三日後、優莉さんは探索者協会の貸出鍛造工房へやって来た。
探索者食堂あかりの隣にあるクラン専用工房は、斉藤さんが調合に使うために用意された場所だ。
薬品を扱う場所で、火と粉塵の出る鍛造作業を行うことはできない。
そこで吾郎さんは、協会が管理する貸出鍛造工房へ利用申請を出していた。
炉や金床、換気設備、防火設備は最初から整っており、協会による使用前の安全確認も終わっている。
鍛造室へ入った優莉さんが、小型の炉と金床を見て、入口で足を止めた。
「この工房を、私が使ってもええんですか?」
「ああ。まずは三日間、借りてある」
「でも、工房代まで出してもろたら……」
「借り賃は、修理を頼むために必要な経費だ。あんたの加工賃から引いたりはしねえ。明細にも分けて残す」
吾郎さんが、依頼書の内訳を優莉さんへ見せる。
工房使用料と材料費、優莉さんへ支払われる加工賃は、それぞれ別の欄に記されていた。
「……私に、仕事を頼んでくれるんですか?」
「試作小刀を見て、任せられると思った。それだけだ」
優莉さんは依頼書を何度か読み返したあと、小さく頷いた。
吾郎さんが、作業台へ三つの品を並べる。
刃こぼれした採取用の小刀。
留め具が緩んだ訓練用の剣。
変形した探索者ベルトの金具。
「どれも、うちの店で預かった修理品だ。最初は一つ選べ」
「お客さんの品を、私が触ってもええんですか?」
「持ち主には、試作小刀を打った本人へ頼むと説明してある。その上で、任せたいと言われた」
優莉さんの視線が、採掘用の小刀へ向く。
刃は何度も研ぎ直され、元の幅より細くなっていた。
欠けた箇所だけでなく、その周囲にも小さな歪みが残っている。長く使われてきた品なのだろう。
「これを直したいです。欠けたところだけ削ったら、刃がもっと細うなります。周りの歪みも残したままやと、次に欠けた時は使えへんようになると思います」
「分かった。納期は三日後だ。今日中に終わらせる必要はねえ」
「……三日、掛けてもええんですか?」
「優莉ちゃんが必要だと言った日数で、持ち主から了承をもらってある。今日中に直す仕事なら、最初から別の鍛冶師へ頼むさ」
吾郎さんは、作業台に置かれた依頼書を指で叩いた。
「三日で仕上げる仕事として、優莉ちゃんに頼んだんだ」
優莉さんは採掘用小刀を両手で持ち、今度は先ほどより深く頷いた。
◇
炉で熱した刃へ、金槌が振り下ろされる。
一度打っては、刃の色と形を確かめる。
急いで欠けた部分を埋めるのではなく、その周囲に残った歪みまで、少しずつ整えていく。
俺は作業の妨げにならない位置から、何度か小刀へ『解析鑑定』を使った。
刃の奥にあった細かな亀裂は、打撃を重ねるたびに短くなっている。歪んでいた魔力経路も、少しずつ均一な流れへ変わっていた。
昼を過ぎても、修理は半分ほどしか進んでいない。
優莉さんが吾郎さんの様子を窺い、金槌を置いた。
「すみません。やっぱり、時間が掛かってしもうて……」
「予定どおりだろ」
吾郎さんは壁の時計を確認し、作業記録へ時刻を書き込む。
「遅いかどうかは、必要な時間を無視して決めるもんじゃねえ。優莉ちゃんが出した予定では、今日はここまでだ」
「もう少し続けた方が、ええんやないですか?」
「それを決めるのは俺じゃねえ。今の状態を見て、作業を続けられるか判断するのは優莉ちゃんだ」
優莉さんは、まだ熱の残る刃を見つめた。
しばらく考えたあと、ゆっくりと首を横へ振る。
「これ以上続けたら、今日中に進めなあかんって焦ってしまうと思います。今日は、ここで止めたいです」
「なら止めろ。それも、仕事に必要な判断だ」
自分から作業を止めても、怒鳴られない。
言い訳をしろとも、終わるまで帰るなとも言われない。
優莉さんは不思議そうに吾郎さんを見たあと、炉の火を落とした。
様子を見に来ていた斉藤さんが、途中の小刀を保管箱へ入れる。
「作業者は音無優莉さん。今日は刃先の成形まで。中断した工程と、明日再開する場所も記録しておきます」
「私の名前を、途中の記録にも残すんですか?」
「もちろん。完成した時だけじゃなく、誰がどこまで作業したのかも大事な記録だからね」
斉藤さんは、保管箱と作業記録の両方へ、『音無優莉』と書かれた札を付けた。
「これなら、明日も同じところから始められます。それに、途中までの仕事が誰のものか分からなくなることもありません」
優莉さんが、札に書かれた自分の名前へそっと触れる。
「記録は、遅かったことを責めるために残すんやと思うてました」
「作業した人を責めるためじゃないよ。工程と品物、それから作業した人を守るために残すものです」
斉藤さんの言葉を聞き、優莉さんはもう一度、自分の名前を見つめた。
◇
三日目の夕方、採取用の小刀の修理が終わった。
俺が『解析鑑定』で確認すると、刃こぼれだけでなく、その奥にあった細かな亀裂も消えている。
打ち直された部分の魔力経路は均一で、修理前より刃全体の状態が良くなっていた。
「問題ありません。内部の亀裂もなくなっています」
「本当ですか?」
「はい。これなら、持ち主へ返せます」
優莉さんは小刀を光へ翳し、刃の両面を確かめる。
「削り過ぎずに済みました。これなら、まだ長う使ってもらえると思います」
「その説明も、持ち主へ伝えておく」
吾郎さんが修理完了欄へ確認を付ける。
依頼書に記された修理担当者は、音無優莉。
加工賃の受取人も、音無優莉。
どちらの欄からも、その名前が消されることはなかった。
「よし。次は、うちのクランから正式に頼みたい仕事がある」
吾郎さんが、鍵付きの箱と新しい依頼書を作業台へ置く。
箱の中に入っていたのは、迷宮で採取された希少金属の小さな試料だった。
「いきなり完成品を作れとは言わねえ。まずは、この金属を薄い補強板へ加工できるか試したい。途中で難しいと思ったら、そこで止めろ」
「そんな大事な素材を、私に任せてくれるんですか?」
「試作小刀と、今の修理を見て決めた。任せる理由は、それで十分だ」
斉藤さんも、依頼書の加工手順へ目を通す。
「希少素材だからこそ、一度に全部を使わず、試料で加工方法を確かめます。僕も新しい素材を調合に使う時は、工程ごとに記録して、陸斗へ状態を確認してもらっています」
「最初から、一人で全部できんでもええんですか?」
「ええ。分からない状態で無理に進めないことも、生産の仕事では大切ですから」
優莉さんは金属片を受け取り、傷を付けないよう布の上へ置いた。
「時間を掛けても、ええですか?」
「そのために、優莉ちゃんへ頼むんだ」
今度は、優莉さんも謝らなかった。
「分かりました。私に打たせてください」
優莉さんが依頼書へ自分の名前を書くと、吾郎さんは協会へ貸出工房の延長申請を出した。
◇
希少金属の加工試験が始まってから、優莉さんは少しずつ周囲と話すようになった。
斉藤さんとは、素材の保管方法や作業記録について相談する。
俺が『解析鑑定』で素材内部の変化を伝えると、優莉さん自身が次に打つ場所と回数を決めた。
明里さんとメグは、休憩の時間になると、貸出工房に併設された休憩室へ食事と水を運んできた。
「集中してる時ほど、自分では疲れに気付きにくいからね」
「りるっ!」
「ありがとうございます。区切りが付いたら、必ず休みます」
鍛造室の外では、シズクとユキが安全線を越えないよう並んで待っている。
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
二体へ声を掛けられるたび、優莉さんの笑顔も少しずつ増えていった。
作業の速さが違っても、誰も急かさない。
吾郎さんは、優莉さんが出した見積もりを基に納期を決める。
斉藤さんは、途中の工程にも優莉さんの名前を残す。
俺は、優莉さんが必要だと判断した時だけ、素材の状態を確認する。
完成した分と、終わった工程に対して、決められた報酬が支払われる。
ここでは、『鉄打ち』を隠す必要もなければ、作業記録から自分の名前を消されることもなかった。
◇
希少金属を薄く延ばす工程へ入った日の作業後、俺たちは貸出工房の休憩室へ集まった。
優莉さんの両親も同席している。
吾郎さんが、小刀の修理と、加工試験の第一工程までの明細を優莉さんへ渡した。
「ここまでが、頼んだ仕事の報酬だ。これから先も、依頼ごとに仕事を受けるなら、それでも構わねえ」
優莉さんは、明細に書かれた自分の名前と金額を一つずつ確認してから、両手で受け取った。
その様子を見届け、俺は優莉さんへ声を掛ける。
「優莉さん。仕事を見せてもらって、相談したいことがあります」
「何でしょうか?」
「もし優莉さんが望むなら、『蒼雪の宝珠』へ加入しませんか?」
優莉さんが、驚いたように顔を上げる。
「俺たちは、これから装備の修理や希少素材の加工を任せられる鍛冶師が必要になると思っています。優莉さんの仕事を見て、お願いしたいと思いました」
俺は一度言葉を切った。
「ただ、返事を急がせるつもりはありません。加入せず、これまでどおり依頼ごとに仕事を受けることもできます。京都へ戻って、ご両親の工房で働くこともできます」
「加入を断っても、今までの報酬や協会の対応が変わることはありません」
美咲さんも、優莉さんへ頷く。
「ここで働くかどうかは、優莉さんが決めてください」
両親も口を挟まず、娘の返事を待っていた。
優莉さんは、自分の名前が書かれた明細へ指先で触れる。
「少し前まで、一本しか作れへんことが恥ずかしかったんです。父様と母様が励ましてくれても、迷惑を掛けてると思うてました」
そして、鍛造室の方へ視線を向ける。
「でも、ここでは最初に、何日あったらできるかを聞いてくれました。途中で止めても、そこまでの仕事を私の名前で残してくれました」
優莉さんが、一度息を吸う。
「修理も、希少素材の加工も、まだ覚えたいことがたくさんあります」
その声に、先ほどまでの迷いはなかった。
「私、いつか自分の名前で鍛冶店を持ちたいです。作った人の名前が、ちゃんとその人のものとして残る店を、自分で持ちたいです」
優莉さんが、俺たち一人ひとりの顔を見る。
「そのために、ここで働いて、もっと学びたいです。誰かに決めてもろたからやなくて、私がそうしたいんです」
そして、俺へ向き直った。
「私を、『蒼雪の宝珠』に入れてください」
「もちろんです。これからよろしくお願いします、優莉さん」
「はい。よろしくお願いします」
優莉さんの父親が大きく頷き、母親は目元を拭いながら微笑んだ。
◇
翌日、俺たちは探索者協会のクラン登録窓口を訪れた。
女性職員が優莉さんの本人確認を終え、加入申請書を表示する。
「音無優莉さん。生産支援者として、『蒼雪の宝珠』へ加入することを希望されますか?」
「はい。私の意思で、加入します」
優莉さんは確認石へ触れた。
「登録技能は『鉄打ち』。担当は鍛冶及び装備修理で、間違いありませんか?」
「間違いありません」
加入同意欄へ、優莉さんが自分の名前を書く。
音無優莉。
新しく発行された支援者証には、所属クランとして『蒼雪の宝珠』の名が記されていた。
「これで、加入手続きは完了です」
女性職員の説明が終わると、吾郎さんが自分のタブレットへ別の申請書を表示させた。
「吾郎さん、まだ何か手続きがあるんですか?」
「ああ。クラン専用鍛造工房の新設申請を出す」
「新しい鍛造工房を……?」
優莉さんが、驚いたように画面を見る。
「今あるクラン専用工房は、斉藤の調合工房だ。薬品を扱う場所に、炉や金床は置けねえ」
吾郎さんは申請項目を確認しながら続ける。
「クランの鍛冶を任せるなら、必要な作業場を用意するのはクラン側の仕事だ」
「でも、私、入ったばかりです」
「だから、加入が決まった今から申請するんだ。許可が下りるまでは、協会の貸出鍛造工房を使う」
斉藤さんが、吾郎さんのタブレットを覗き込む。
「僕の調合工房も、実際に使う道具や作業の流れを確認しながら整えました。優莉さんの工房も、必要な設備を一緒に考えましょう」
「私も、決めてええんですか?」
「使う本人を抜きにして、勝手に決められるかよ」
吾郎さんが答えると、優莉さんは支援者証を胸元で握り、しっかりと頷いた。
「分かりました。私が仕事をしやすい工房を、皆さんと一緒に考えたいです」
吾郎さんが、新設申請を協会へ送信する。
新しい鍛造工房は、まだ申請書の中にしかない。
優莉さんが加入する前から用意され、そこへ入るよう求められた場所でもなかった。
優莉さんが自分で働きたいと決めたからこそ、その準備が今、始まったのだ。
その日、優莉さんは誰かに決められた場所ではなく、自分で選んだ居場所へ、正式な一歩を踏み入れた。




