129話「怯える鍛冶師」
陸斗たちが、第十六層攻略の記録を探索者協会へ提出していた頃___。
灰色の作業着姿の女性が、工具箱を手に、協会の貸出鍛造工房から現在暮らしているアパートへ戻ってきた。
女性は鞘に収めた一振りの短剣を布で包み、工具箱と一緒に玄関の棚へ置く。そのまま居間へ向かうと、交際相手の男が賭博用の端末を睨んでいた。
「また一本だけかよ、優莉」
「ごめんなさい。せやけど、同じ鉄鉱石を使うても、時間を掛けた分だけ少し品質は良うなります」
「普通の『鍛冶師』なら、その間に十本作れるんだぞ。少し良いだけで十本分の金になるのか?」
「……なりません」
男は賭けに負けた時ほど、優莉が仕事へ使った時間を責めた。
優莉のスマートフォンは男に取り上げられていた。
工房へ行く時刻も帰る時刻も男に決められ、それ以外の外出は許されない。
両親との電話も男に監視され、「問題ない」「仕事が忙しい」と言わされていた。
『速報です』
つけたままのテレビから、アナウンサーの声が聞こえた。
『警察は本日、迷宮素材会社・日本迷宮マテリアルズの元幹部二人と、その親族の男一人を逮捕しました』
画面へ、三人の顔写真が並ぶ。
日本迷宮マテリアルズ。通称、日迷。
逮捕されたのは、元品質管理部長の無野勝、元副社長の具土総司、そして具土総司の息子で、グレイの名で活動していた具土零司だった。
『三人には、社内資料の不正な持ち出しや改変、虚偽情報を拡散した疑いが持たれています___』
「親父……?」
男の顔から血の気が引く。
直後、優莉のスマートフォンが鳴った。
表示された名前は『父様』だった。
男が優莉を睨み、代わりに通話へ出る。
「もしもし」
『雄司君か? 優莉に電話したはずなんだが……。優莉はいるだろうか。代わってほしい』
「すみません。優莉は今、コンビニへ買い物に出ていまして」
『そうなのか? しかし、なぜ自分のスマートフォンを置いていったんだ?』
「少し慌てていたみたいで。優莉は、たまに抜けているところがありますから」
雄司はそう答えながら、横目で優莉を見る。
優莉はいつものように雄司の顔色を窺いながら、夕食の支度をしていた。
今帰ってきたことにして、いつもの言葉を言わせればいい。
「あ、ちょうど帰ってきました。今、代わりますよ」
『何? 本当か! では、頼む』
「お帰り、優莉。お義父さんから電話だぞ」
「え……? ほ、ほんまですか? 父様……?」
雄司はスマートフォンの通話口を手で塞ぎ、優莉へ顔を寄せた
「分かってるだろうな。余計なことを言ったら、どうなるか」
「___っ。ひ、久しぶりやね、父様」
『優莉! 最近はどうだ? 元気にやっているのか?』
「げ、元気やよ。心配性やなあ、父様は」
『そうなのか? それにしては、声に元気がないように聞こえるが……』
父親は、すぐに優莉の異変へ気付いた。
これ以上話をさせれば、余計なことを口にするかもしれない。
「優莉、鍋が吹きこぼれそうだぞ」
「え、あ……ご、ごめん、父様。私、ご飯の支度せんと……」
『……そうか。忙しいところ、すまなかったな。だが、雄司君と少し話したい。代わってくれるか?』
「う、うん。ゆ、雄司さん……」
優莉からスマートフォンを差し出され、雄司は奥歯を噛んだ。
ここで代わることを拒めば、さらに疑われる。
「もしもし。電話を代わりました」
『雄司君。今の報道を見た。君のお父上が逮捕されたそうだな』
「それは……何かの間違いですよ」
『そのことも含めて、直接話を聞きたい。それに、優莉の様子がどうもおかしいのでね。私たちはこれから、そちらへ行こうと思う』
「いや、大丈夫ですよ。優莉は仕事を終えたばかりで、少し疲れてるだけです。元気がないのも、そのせいですよ」
『疲れているなら、なおさら顔を見て安心したい。今の住所を送ってもらえるか? 以前の住所から引っ越したと聞いているが、なぜか優莉からは教えてもらえないのでね』
雄司は舌打ちを堪えた。
優莉の父親は、もう何かに気付いている。
優莉に否定させなければ、これ以上は誤魔化せない。
雄司は通話口を手で塞ぎ、優里へ顔を寄せた。
「いつも通りに言え。余計なことは話すなよ」
声は低かったが、逆らえばどうなるのか、優莉には分かっていた。
これまでの電話でも、雄司はすぐ隣に立ち、同じ言葉を言わせてきた。
何も問題ない。
仕事が忙しいだけ。
心配しなくていい。
そう答えれば、電話の間だけは雄司を怒らせずに済んだ。
雄司が通話口から手を離す。
「父様……」
『優莉、そこにいるのか?』
「……はい」
『どうした? 声が震えているように聞こえるが、本当に大丈夫なのか優莉?』
優莉は雄司の顔を見た。
雄司は目を細め、早く言えと顎を動かす。
「何も……問題、ないです。ほんまに、疲れてるだけやから」
何度も口にしてきたのと同じ嘘だった。
だが、電話の向こうの父親は、すぐには答えなかった。
『優莉』
穏やかな父親の声。助けを求めたい気持ちに駆られる。
『今度は、雄司君のことは気にせずに答えなさい』
「___っ」
『私は、お前に「問題ない」と言ってほしいんじゃない。本当のことを聞きたいんだ。私たちに来てほしいか? 帰りたいなら、そう言いなさい。私たちが、必ず迎えに行く』
雄司がスマートフォンを引こうとする。
「もういいでしょう。こいつは疲れてるんです」
『待て、雄司君。優莉に話をさせなさい』
いつものように黙っていれば、雄司を怒らせずに済む。
だが、また同じ嘘をつけば、父親と母親を遠ざけてしまう。
優莉は震える両手を握り締めた。
「問題ない、なんて……嘘です」
『優莉?』
「私、帰りたい。父様と母様のところへ、帰りたいです」
「な___!?」
雄司の顔から、取り繕っていた笑みが消えた。
スマートフォンを遠ざけられる前に、優莉は初めて、自分の意思で声を上げた。
「助けて、父様……!」
『優莉!? お、おい、雄司君、どういうこ___』
「ちっ、うるせえ!」
通話を切っても、すぐにまた着信音が鳴る。
一度、二度と切っても、父親からの電話は止まらなかった。
「しつこいんだよ!」
雄司がスマートフォンを床へ叩き付け、何度も踏みつけた。
硬い音と共に画面が砕ける。
雄司の視線が足元へ向いた。
その一瞬だけ、優莉を監視する目が外れた。
優莉は工具箱も完成した短剣も残し、玄関へ走った。
扉を開け、そのままアパートの外へ飛び出す。
「優莉!? ッチ、待て!」
背後から怒声が追ってきた。
それでも、優莉は振り返らなかった。
どこへ行けばいいのかは分からない。
ただ、人のいる大通りへ出て、目に入った探索者協会本部の建物を目指した。
今度こそ、誰かに助けを求めるために。
◇
第十六層の攻略記録を提出し、調査課の確認室を出た。
大きな怪我はないが、美咲さんたちは多くの魔力を使い、俺にも二日続きの探索の疲れが残っている。
「帰ったら、全員でゆっくり休もうな。どうせだから、明日は休みにしてゆっくりしようか?」
「そうですね。第十七層のことを考えるのは、明後日からにしましょう」
「ぷるっ」
「ぴるっ」
俺たちはそんなふうに雑談をしながら、協会本部の正面入口へ向かう。
その時、外から女性が駆け込んできた。
灰色の作業着は乱れ、靴も片方が脱げている。
指先には細かな傷と火傷の痕があり、腕には古い痣がいくつも残っていた。
女性が俺たちの姿を見て、足を止める。
何かを訴えようと口を開くが、声が出てこない。
「優莉!」
後ろから追ってきた男が、女性の腕を掴んだ。
「勝手に逃げるな!」
「いやっ……!」
男は整えられた髪と線の細い顔立ちをしていた。
怒鳴り声を聞かなければ、人当たりの良い優男に見えただろう。
女性が腕を振りほどこうとする。
「離して……!」
「黙って戻れ!」
男が空いた手を振り上げる。
俺が駆け出すより早く、その掌が女性の頬を打った。
乾いた音が響き、女性の顔が横へ弾かれる。
「な、何をしているんですか!?」
俺と美咲さんは、同時に二人の間へ入った。
「うるせえ! 俺の女だ! 何をしようが俺の勝手だろうが!」
「そんなわけないじゃないですか!」
美咲さんが女性を男から引き離し、背後へ庇う。
「どけ!」
男が俺を押し退け、もう一度女性へ手を上げようとした。
「やめろ! 女性に手を上げるなんて、何を考えているんだ!!」
俺は振り上げられた腕を掴んで止め、男の進路を塞いだ。
「そこまでです!」
協会本部から、二人の警備職員が走ってくる。
一人が男を引き離し、もう一人が携帯端末で記録を始めた。
「優莉! 余計なことを言うなよ!」
「……っ!」
女性の身体が跳ねる。
両腕で頭を守り、その場へしゃがみ込んだ。
その動きには、迷いがなかった。
これまでにも、同じように身を守ってきたのだと分かった。
「ぷる……」
「ぴる……」
シズクとユキが、不安そうに鳴く。
「大丈夫です。もう、あの人は近付けません」
美咲さんが女性と同じ高さまで腰を下ろす。
「触れてもいいですか?」
女性はしばらく動かなかった。
やがて、小さく頷く。
美咲さんが肩へ手を添え、ゆっくりと立ち上がらせた。
男の身分証を確認した警備職員が告げる。
「無野雄司さん。女性を叩いた行為と、見受けられる怪我について事情を確認します」
「俺は何もしてない! こいつが勝手に逃げただけだ!」
無野。
聞き覚えのある姓に、男の顔を見直す。
だが、今は女性の安全が先だ。
「中で休みましょう」
美咲さんの言葉に、女性が震える唇を動かした。
「……助けて、ください」
今にも消えそうな声だった。
それでも、警備職員ははっきりと頷いた。
◇
安全管理課の面談室では、女性職員と医務課の職員が待っていた。
女性の頬は赤く腫れ、腕や背中には新旧の打撲痕が残っていた。
治療を受けたあと、女性職員が穏やかな声で尋ねた。
「お名前を教えていただけますか?」
「私は……音無優莉です」
「無野さんとは、どのような関係ですか?」
「結婚を前提に、お付き合いしていました。雄司さんのお父さんが、叔父で上司でもあった具土さんに頼んで、京都の私の家へ話を持ってきはって……」
日迷の元副社長・具土は、元部長・無野の叔父であり上司だった。
二人は俺の成果を横取りして懲戒解雇され、具土の息子グレイも俺たちの探索を妨害した。
優莉さんの両親は三人の逮捕を知り、聞かされていた話がおかしいと気付いたらしい。
「スマートフォンは雄司さんに取られていました。両親との電話も隣で聞かれ、問題ないって言うしかなかったんです」
優莉さんが、膝の上で荒れた指を握る。
「今日、父から何度も電話が来て……雄司さんがスマートフォンを壊した隙に、逃げました」
「逃げてくれてよかったです」
美咲さんの言葉に、優莉さんの目から涙が落ちた。
「音無さん」
警察官が面談室へ入ってきた。
「お父様から警察へ通報がありました。娘さんご本人の無事を確認したいと、今も連絡を待っておられます」
「父様……!」
「この端末から、お話しできます。無野さんへ居場所が伝わることはありませんから安心して下さい」
優莉さんは何度も頷き、差し出された端末を受け取った。
『優莉か!?』
「父様……!」
『怪我は? 今、安全なところにいるのか!?』
「うん。探索者協会におる。職員さんと警察の人も、そばにいてくれてる」
『そうか……よかった。そこから動かなくていい。私たちが迎えに行くまで、皆さんのそばにいなさい』
「うん。母様は?」
『隣にいる。今、代わるからな』
電話の向こうで、端末を手渡す気配がした。
『優莉……?』
「母様……!」
『よう逃げてくれたなあ。怖かったやろ。もう大丈夫やからね』
「ごめんなさい……。私、ずっと大丈夫やって、嘘ついて……」
『謝らんでええ。優莉は何も悪うないよ。助けてって言うてくれて、ほんまによかった』
母親の声も、涙で何度も途切れていた。
『今から二人で迎えに行くから、協会の人と一緒に待っててな。もう一人で頑張らんでええんよ』
「うん……待ってる。ここで、待ってるから……」
それ以上は言葉にならず、優莉さんは声を上げて泣いた。
母親も泣きながら何度も優莉さんの名前を呼び、端末の向こうからは父親の声も聞こえていた。
やがて通話を終えても、優莉さんは端末を胸元へ抱いたまま、しばらく肩を震わせていた。
誰も急かさず、その泣き声が静まるのを待った。
優莉さんが両手で端末を警察官へ返すと、女性職員が穏やかに告げた。
「ご両親が到着するまで、安全な場所で保護します。無野さんのところへ戻る必要はありません」
優莉さんが、閉じた扉を見る。
その身体は、まだ僅かに震えていた。
「優莉さんは、どうしたいですか?」
美咲さんが急かさずに尋ねる。
長い沈黙のあと、優莉さんは顔を上げた。
「……戻りたく、ないです」
消えそうな声だった。
それでも、今度は自分で選んだ言葉だった。
「承知しました。もう、戻させません」
女性職員が、はっきりと答える。
雄司への怯えは、まだ消えていない。
それでも音無優莉さんは、両親へ無事を伝え、自分の意思で雄司の元へ戻らないことを選んだ。




