第七話 返事が来ない夜
その夜から、
榊は少し浮かれていた。
自覚はあった。
仕事中でも、
ふと澪のことを考える。
会話。
笑い方。
“可愛かった”
と言われた時の、
自分でも嫌になるくらい分かりやすい動揺。
榊は、
そういう自分を少し客観視していた。
同時に、
少し怖くもなっていた。
数日後。
夜十一時過ぎ。
榊は、
仕事帰りのタクシーへ乗っていた。
窓の外を、
雨が流れていく。
スマホを見る。
澪とのLINE。
昼に送ったメッセージへ、
まだ返信がない。
『今日、
めちゃくちゃ疲れました』
送ったのは、
昼過ぎ。
いつもなら、
もっと早く返ってくる。
もちろん、
忙しいだけかもしれない。
そんなの、
普通にある。
でも榊は、
また考え始めていた。
何か変なこと言ったか。
重かったか。
距離近すぎたか。
テンション間違えたか。
タクシーの窓へ、
街の光が流れる。
榊は、
スマホを閉じる。
また開く。
閉じる。
かなり面倒くさい。
自分でも分かっていた。
帰宅。
部屋は静かだった。
ネクタイを外す。
冷蔵庫から炭酸水を出す。
無意識に、
REPLICA Lazy Sunday Morning
を少しつける。
最近、
この香りをつけると、
少し落ち着く。
多分、
記憶が混ざり始めている。
スマホが震える。
榊は少し早く画面を見る。
でも、
仕事の連絡だった。
榊は、
自分が思った以上に、
期待していたことへ気づく。
その時。
ようやくLINEが来た。
『ごめん
今日ほんと死んでた』
その下に、
床へ転がるコンビニ袋の写真。
榊は、
少し力が抜ける。
同時に、
少し笑った。
『生存確認ありがとうございます』
送って、
また少し考える。
軽すぎたか。
でも、
数秒後。
『今のは70点』
榊は吹き出した。
『厳しいですね』
『疲れてる時に、
重い返事されると死ぬ』
榊は、
その文章を見ながら少し止まる。
多分、
澪は深い意味で言っていない。
でも、
少しだけ分かる気がした。
榊は、
これまで、
ちゃんと返そうとしてきた。
正しく。
誠実に。
でも、
人はいつも、
正しい返事を求めているわけじゃない。
疲れてる時は、
ただ少し笑いたい時もある。
多分、
そういう温度の方が、
人を救う瞬間もある。
『じゃあ次回は80点狙います』
数秒後。
『努力型なの好き』
その返事を見て、
榊は少し黙る。
好き。
多分、
澪は軽く使っている。
でも、
そういう小さい言葉ほど、
意外と残る。
窓の外では、
まだ雨が降っている。
榊は、
炭酸水を飲みながら思う。
人との距離って、
正しさだけじゃ縮まらない。
むしろ、
少し力が抜けた瞬間に、
急に近づくことがある。
その時、
またLINEが来る。
『ねえ』
『はい』
『今、
香水つけた?』
榊は少し止まる。
『なんで分かるんです?』
『なんとなく』
その返事を見て、
榊は少し笑う。
画面越しなのに。
同じ空間にいないのに。
それでも、
少しだけ、
相手の気配が分かる時がある。
榊は、
それが少し不思議で、
少し嬉しかった。




