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第八話 ちゃんとしない日

 十一月。

 空気が、

 少し乾き始めていた。

 その日は土曜日だった。

 榊は昼過ぎまで仕事をして、

 少し遅れて三軒茶屋へ向かう。

 澪から来ていたLINE。

『今日、

 なんもしたくない』

 その下に、

 コンビニのプリンの写真。


 榊は、

 駅前で少し立ち止まる。

 どう返すべきか、

 一瞬考える。

 でも最近、

 考えすぎると、

 逆にズレることを少し学び始めていた。

『じゃあ、

 なんもしない日にしますか』

 数秒後。

『それ採用』


 澪の部屋は、

 思ったより散らかっていた。

 床に雑誌。

 脱ぎっぱなしのニット。

 ソファにブランケット。

「ごめん、

 今日ほんと無理」

 澪は、

 髪を一つにまとめながら言う。

 いつもの明るさが、

 少し薄い。

 でも、

 無理して明るくしていない感じが、

 逆に少し安心した。


「全然」

 榊は、

 コンビニ袋をテーブルへ置く。

「一応、

 プリン以外も買ってきました」

 澪が少し笑う。

「気が利く」

「努力型なので」

 澪が吹き出した。

「それ、

 まだ引っ張るんだ」


 部屋には、

 小さく音楽が流れていた。

 古いジャズ。

 でも今日は、

 BAR LANTERN みたいに綺麗じゃない。

 スマホのスピーカーだから、

 少し音が軽い。

 それが逆に、

 生活っぽかった。


「なんか食べます?」

 榊が聞く。

 澪は、

 クッションへ顔を埋めたまま言う。

「んー……

 味噌汁なら欲しい」

「かなり限定的ですね」

「味噌汁は裏切らないから」

 榊は少し笑う。


 キッチンは、

 思ったより生活感があった。

 冷蔵庫のメモ。

 開いたままの調味料。

 半分残った豆腐。

 榊は、

 味噌汁を作りながら思う。

 人を好きになるって、

 多分、

 こういう“綺麗じゃない部分”

 を知っていくことなのかもしれない。


「榊さん」

 後ろから澪の声。

「はい」

「味噌、

 多分右」

 見ると、

 本当に右にあった。

「把握されてますね」

「一応、

 私の家なので」

 澪は少し笑う。

 でも、

 まだ少し疲れている。


 味噌汁が出来る。

 豆腐とネギだけ。

 かなり簡単なものだった。

 でも、

 湯気があるだけで、

 部屋の空気が少し変わる。


「……美味しい」

 澪が、

 小さく言う。

「良かったです」

「なんか、

 ちゃんと生き返る」

 榊は少し笑う。

「大袈裟ですね」

「でもさ」

 澪は、

 湯気を見ながら言う。

「こういうので、

 人好きになる時あるよね」

 榊は、

 少し止まる。

 味噌汁。

 部屋着。

 疲れた顔。

 コンビニのプリン。

 多分、

 恋愛って、

 こういう瞬間の方が深く残る。


 しばらくして。

 澪がソファへ寝転がる。

「今日、

 ほんと何もしたくない」

「じゃあ、

 しなくていいんじゃないですか」

 澪は少し黙る。

 それから、

 小さく言った。

「榊さんって、

 最近ちょっと変わったよね」

「そうですか?」

「うん」

 澪は天井を見たまま言う。

「前だったら、

 “元気出させなきゃ”

 ってしてた気がする」

 榊は、

 少し考える。

 確かにそうかもしれない。

 昔の自分なら、

 何か正解を探していた。

 励ます。

 解決する。

 空気を変える。

 でも今は、

 ただ隣にいることの方が、

 大事な時もある気がしていた。


 窓の外は、

 もう夜だった。

 部屋には、

 味噌汁の匂いと、

 微かな香水が残っている。

 REPLICA Lazy Sunday Morning

 と、

 生活の匂いが少し混ざる。

 澪が、

 目を閉じたまま小さく言う。

「ねえ」

「はい」

「今日、

 なんか安心する」

 榊は、

 その言葉へすぐ返事をしなかった。

 安心。

 その言葉は、

 少し怖い。

 でも最近、

 怖いままでも、

 隣に居られる時間が、

 少し増えていた。


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