第十八話 火を消したあと
五月。
夜風が、
少し暖かくなっていた。
窓を開けると、
春と初夏の間みたいな空気が入ってくる。
その夜。
澪の部屋には、
小さな灯りだけがついていた。
テーブルの上。
REPLICA Lazy Sunday Morning
のキャンドル。
柔らかい炎。
静かな匂い。
「これ、
やっぱ落ち着くね」
澪が、
ソファへ寝転がりながら言う。
榊は、
缶ハイボールを片手に、
その炎を見ていた。
「火って、
なんか見ちゃいますよね」
「分かる」
澪は、
天井を見ながら小さく笑う。
「なんもしない時間っぽい」
部屋には、
静かに
Waltz for Debby
が流れていた。
スマホのスピーカー。
少し軽い音。
でも、
それが生活っぽくて良かった。
「ねえ」
澪が、
キャンドルの炎を見ながら言う。
「最初、
BAR LANTERNで会った時さ」
榊は少し笑う。
「はい」
「絶対、
もっと面倒くさい人だと思ってた」
榊は吹き出した。
「失礼ですね」
「だって、
空気めっちゃ読んでたもん」
それは否定できなかった。
「今は?」
榊が聞く。
澪は少し考える。
「今は……」
数秒。
それから、
柔らかく笑った。
「ちゃんと面倒くさい」
榊は苦笑する。
「改善してないですね」
「でも、
人っぽくなった」
部屋には、
静かな空気が流れている。
以前みたいに、
無理に会話を繋がない。
沈黙があっても、
焦らない。
最近、
二人は少しずつ、
“黙ったまま一緒に居る”
ことへ慣れ始めていた。
「ねえ」
澪が小さく言う。
「最近、
不思議なんだよね」
「何がです?」
「恋愛してる感じ、
前より少ないのに」
澪は、
キャンドルの火を見る。
「前より近い感じする」
榊は、
その言葉を静かに聞いていた。
恋愛って、
最初は熱だ。
不安。
期待。
駆け引き。
確認。
でも、
ずっと熱だけでは居られない。
いつか、
生活になる。
沈黙になる。
習慣になる。
でも、
そのあとにしか見えない温度もある。
その時。
キャンドルの火が、
少し小さく揺れる。
澪が、
ぼんやりその炎を見ながら言う。
「なんかさ」
「はい」
「榊さんといると、
“ちゃんとしてなくていい”
が増えた」
榊は、
少し黙る。
その言葉は、
最近の澪を象徴していた。
前より、
無理に明るくしない。
頑張りすぎない。
疲れてる日は、
ちゃんと疲れている。
それでも、
隣に居られる。
「……多分」
榊が静かに言う。
「俺もです」
澪が少し顔を上げる。
「何が?」
「ちゃんとしてなくていい感じ」
澪は少し笑う。
「前、
かなり頑張ってたもんね」
「まあ」
榊は苦笑する。
「ちゃんとしないと、
壊れる気がしてたので」
澪は、
その言葉を聞きながら、
少し黙る。
それから、
静かに榊の肩へ寄りかかった。
本当に自然に。
もう、
確認するみたいな動きじゃない。
ただ、
そこに居る。
しばらくして。
キャンドルの火が、
ふっと消える。
部屋が少し暗くなる。
でも、
香りは残っていた。
「消えたね」
澪が小さく言う。
「ですね」
榊は、
暗くなった部屋の中で思う。
火は消える。
熱も変わる。
でも、
空気は少し残る。
人間関係も、
多分少し似ている。
窓の外では、
夜風が吹いている。
部屋には、
微かな香りと、
生活の静けさが残っていた。
そしてその静けさは、
もう、
怖くなかった。




