第十一話 冬の朝みたいな匂い
クリスマスが近づいていた。
街は、
少し光りすぎている。
澪は、
イルミネーションを見るたび、
「電気代すごそう」
と言った。
榊は、
そういう夢のない感想が、
少し好きだった。
その日。
二人は、
表参道を歩いていた。
空気はかなり冷たい。
澪は、
白いマフラーへ顔を半分埋めている。
「寒い」
「冬ですから」
「ほんと、
榊さんって会話が教科書」
澪は笑う。
でも今日は、
その笑い方が少し柔らかかった。
前みたいに、
無理に空気を明るくしていない。
二人は、
以前行ったフレグランスショップへ入る。
白い照明。
静かな音楽。
外の冷たい空気とは違う、
柔らかい匂い。
「ここ来ると、
時間止まる感じするね」
澪が小さく言う。
榊は少し頷く。
実際、
この店は少し現実感が薄い。
香りって、
時間の感覚を曖昧にする。
「そういえば」
澪が、
棚を見ながら言う。
「最近、
榊さんの匂いすると、
ちょっと安心する」
榊は少し止まる。
不意打ちだった。
「……それ、
嬉しいですね」
澪は、
キャンドルを手に取りながら笑う。
「でもたまに、
頑張りすぎの日ある」
榊は苦笑した。
「まだ言います?」
「だって面白かったもん」
棚には、
REPLICA Lazy Sunday Morning
のキャンドルが並んでいた。
澪が、
箱を持ち上げる。
「これ好き」
「冬の朝っぽいやつですね」
「そう」
澪は少し目を細める。
「洗いたての布団みたいな匂い」
榊は、
その表現を少し好きだと思った。
その時。
店内のBGMが変わる。
静かなノイズのあと、
Little Brown Jug
の軽いジャズアレンジが流れる。
澪が少し笑う。
「この曲、
なんか休日感ある」
「前も言ってましたね」
「言ったっけ」
「サンドイッチ食べたくなるって」
澪が吹き出す。
「覚えてるんだ」
榊は少し肩をすくめる。
「意外と」
澪は、
少し黙って榊を見る。
「榊さんって、
ほんと変なとこ記憶力いいよね」
「そうですか?」
「うん」
澪は、
キャンドルの箱を撫でながら言う。
「多分、
人の“空気”
覚えてるタイプ」
榊は、
その言葉を少し考える。
確かに、
最近は、
会話の内容より、
匂い
温度
沈黙
歩幅
笑う間
みたいなものの方が、
記憶へ残っている気がした。
会計を終えて、
二人は店を出る。
外はもう夕方だった。
街路樹のイルミネーションが、
冬の空気へ滲んでいる。
「ねえ」
澪が歩きながら言う。
「今日、
このあとどうする?」
榊は少し考える。
「ご飯でも行きます?」
「んー……」
澪は少し迷う顔をしたあと、
小さく笑った。
「今日、
なんか静かな日だから」
「はい」
「コンビニで適当に買って、
だらだらしたい」
榊は少し笑う。
「かなり現実的ですね」
「クリスマス前とは思えない」
二人とも少し笑う。
コンビニの袋を提げて、
二人は澪の部屋へ向かう。
途中、
小さなケーキ屋の前を通る。
カップルが並んでいた。
澪が、
ちらっと見て言う。
「世の中、
ちゃんとイベントしてるね」
「ですね」
「私たち、
なんか普通」
榊は、
その言葉を少し考える。
普通。
でも、
最近それが悪くない。
特別な演出より、
コンビニ
味噌汁
映画
沈黙
コンビニ袋
みたいな時間の方が、
深く残る気がしていた。
部屋へ入る。
暖房。
コンビニの匂い。
脱いだコート。
少し散らかった部屋。
澪が、
ソファへ倒れ込む。
「なんか今日、
疲れた」
「人多かったですからね」
榊は、
買ってきた缶ハイボールを開ける。
炭酸の音。
生活の音。
澪が、
ソファから榊を見る。
「ねえ」
「はい」
「最近、
榊さんといると、
ちゃんとしなくていい感じする」
榊は、
少し止まる。
その言葉は、
思っていたより深く残った。
部屋には、
微かな香水と、
冬の空気と、
コンビニの匂いが混ざっている。
REPLICA Lazy Sunday Morning
は、
もう“香水”というより、
二人の時間の匂いになり始めていた。




