やっぱそうなるか
「まあ、菜穂子の言いたいことは分かった。
俺も相続のことはまだしも、母さんが一人で暮らしているのは心配だから、もっと安全確保が確実なところに移って欲しいと思っていたし。
だけど、流石に母さんを呪うのは無いだろう?」
依頼主が菜穂子さんに叱りつける様な口調で言った。
「まあ、最初はいざとなったら必要な時に織江さんを呪おうかしらとも思っていたんだけど、こないだお母さんが転んで腰を痛めたって言っていたじゃない。
それなのに相変わらず実家に住むのに固執していたから、取り返しのつかない事になる前にどうにかしなくちゃと思って。
幾ら今は元気でしゃっきりしていても、それこそ大腿骨骨折とかで入院したら一気にボケちゃうらしいのよ?」
菜穂子さんがため息を吐きながら言った。
「確かに、そう言うことを考えると転ばない様に気をつけるわと言うよりも、家の中に段差がない高齢者用マンションに引っ越す方が安全ではあるわね」
美紗子さんがため息を吐いて頷いた。
新しいならまだしも、依頼主の親が住んでいる家となると……子供が成人した後ぐらいにリフォームしたとしても築三十年、そんな買い替えとか建て替えをしてなければ下手したら築五十年以上もありえそうだからねぇ。
リフォームして手摺りとかをあちこちに設置しても、部屋の入り口の敷居にある床の出っ張りや、お風呂場の段差とかは残っている可能性が高いだろう。
第一、戸建てだったら階段があるのだ。
2階を完全に封鎖しているとでも言うのでない限り、階段で転ぶリスクはゼロには出来ない。
健康なつもりでいるのだったら普通に2階も生活の一部として使っていそうだし。
「だけど、面と向かって話し合うと感情的な思い入れが消えるなんて、随分と変わった呪詛があったんだな」
依頼主が感心した様に言った。
ある意味、変に頑固な相手に使いたくなる気持ちは分かるけど、呪詛は普段使いしちゃダメだよ?
2回目からは、たとえ害意が低い呪詛だとしても多分かなり厳しいペナルティが科されるから。呪詛は内容に関係なく、二回目以降は重犯罪扱いな筈。
「友人が、DVをしてくるから逃げたのに離婚を拒否してストーカーしてくる夫の問題で悩んでいたら、突然あっさり別れられたの。
よっぽど良い縁切りな神社でも見つけたのかと思って聞いてみたら、なんか江戸時代とかに大奥で流行った、女性への愛情を消す呪詛の変形版を使ったんだって聞いて。
細かい条件とかを交渉できない神様より、ずっと良いと思って呪師の連絡先を紹介してもらって色々と条件を詰めて、出来るだけお母さんにも害がないようにして貰ったのよ」
菜穂子さんが答えた。
へぇぇぇぇ〜!
大奥の呪詛!?
でもまあ、確かに殿様からの寵愛が消えたら、一気に奥での権威が落ちるよね?
狙った人間の特定人物からの愛情を消す様な呪詛があるとしたら、使いたがる人は多そう。
思わずと言った感じで依頼主が菜穂子さんに更に詳しく話を聞き始めた。
ちょっと混沌とし始めた部屋で、パン!と美紗子さんが手を叩いた。
「菜穂子。
その呪詛は掛けた人間側で好きな時にキャンセルできるの?」
「ええ。
だけど、もう退魔師の人を雇ったんだから呪詛を返しても良いわよ?
自分へ返されても極端に問題がない様に、条件には気をつけたし」
菜穂子さんがこちらを気にした様に言った。
「出来れば、どこかに良い施設に入って家を売り、遺言書を作り終えるまで呪詛は残しておいて欲しいの。
私としても、『長男だからと言って両親の世話を見るなんてことはしなくて良いとプロポーズした時に約束したんだ』なんて寝ぼけたことを言って、お父さんが入院した時ですらお見舞いに来なかったあの人たちに遺産を多めに残したくはないわ。
遺言書を作成するにしても三等分にするかすらも決めかねているし。それに、分けた内容に関して喧嘩をしない様に説明文を付けたら恨み言ばかりになりそうなのも嫌で、後回しにしていたんだけど……この呪詛があれば論理的に皆の今までの手伝いや孫のことなんかも考えて納得のいく遺言書を作れると思う。
だから、呪詛返しは取り敢えず現時点では取りやめて、遺言書を作成し終わった段階であなたが呪詛をキャンセルしてちょうだい」
美紗子さんが言った。
おやま。
長男ったら、父親が入院してもう直ぐ死にそうって時にもお見舞いに行かなかったの??
長男の嫁が義理の両親の世話に苦労するって話は良く聞くけど、世話しなくていいと約束したからって嫁だけでなく長男本人までお見舞いにも行かないのは反対の方向にぶっ飛んでるねぇ。
それを恨んでいるけど、遺言書にまで恨み言を載せたくないと美紗子さんは遺言書自体を後回しにしていたのかぁ。
「……ええと、依頼のキャンセルってどうするんでしょうか?」
依頼主が私たちの方を向いて気不味げに聞いてきた。
「依頼の失敗の場合は全額返金なのですが、単に依頼主の都合で当日キャンセルの場合は返金はありません」
碧がちょっと申し訳なさげに言った。
と言うか、ここまで呪詛を辿る仕事はしたんだし、この状況なら呪詛返しなんて1分で終わるんだから、それをやらないから返金しろとか減額しろって言われてもこちらとしては納得できない。
「それで構いません。
何か書類を書きましょうか?
それとも退魔協会の方へ電話した方がいいですか?」
依頼主が尋ねた。
「依頼終了の書類に、呪詛を辿るのは完了、呪詛返し自体は依頼主の要請でキャンセル、返金無しに合意と書いて署名いただけますか?」
碧が紙を取り出して言った。
へぇぇ。
キャンセル時ってそうやるんだ?




