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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【断章】幽鬼篇
206/208

(5/7)良い気味だ

 ――全ては突然のことだった。


 真夜中、いきなり叩き起こされた。起こしてきたのは壱政の父の部下だった。説明を求めれば自分と同じ表情をした妻に刀を向けられ、いくらなんでもと抵抗しようとすれば、部屋の外から子供達の不安げな声が聞こえた。

 だから抵抗できなかった。何がなんだか分からないまま一人家族から引き離され、移送され、押し込められたのはどこかの土牢(つちろう)


 牢屋番は憎しみのこもった目で壱政を睨んだ。扱いもぞんざいで、裏切り者だとか卑怯者だとか、そんな悪態を何度も吐き捨てた。

 狭く汚い牢の中、壱政は食事も十分に与えられないまま何日も過ごした。そんな彼の前に一人の男が現れたのは、やっと自身が何の咎で捕らえられたか、打首に処すというお達しとともに告げられた翌日のことだった。


「やつれたな、壱政」


 そう声をかけてきたのは、浅倉時頼(ときより)――壱政の二番目の兄だった。右腕の着物の袖の下からは見慣れない包帯が覗いている。その腕を使いにくそうにしながら時頼が牢屋番に何かを握らせれば、彼らは少し休憩に出てくると持ち場を離れた。

 それが、自分を助けるためのものだと。壱政が希望を抱いて兄を見れば、その時頼はふっと微笑んだ。


「良い気味だ」


 頭を殴られたような衝撃だった。たったその一言が、壱政に全てを理解させたから。


 今自分が置かれている状況は、兄が仕組んだものなのだ。


 ……しかし、分かったのはそれだけだった。


「何故、兄上が……」


 少なくとも壱政には時頼に恨まれる覚えはなかった。よくある跡継ぎ問題も、自分達兄弟の間には存在しないと思っている。何故なら壱政は三兄弟の末っ子。更に次兄である時頼と壱政は八つも年が離れていて、時頼の身に何かが起こらない限り、浅倉家の嫡子としての役割は壱政には回ってこないはずだったからだ。

 時頼と衝突しがちだと言うのなら、長兄・義政(よしまさ)の方。義政は身体が弱かった。だから父親の妾の子である時頼が引き取られたのだ。そのせいで年の近い二人は長年比べられてきた。義政は争いを好まなかったが、時頼の方は何かにつけて義政に突っかかった。


 そんな兄達の姿を見て育った壱政は、二人の邪魔はすまいとなるべく静かに過ごしてきたつもりだ。勉学も武術稽古もそつなくこなし、必要がない時は自室にこもるか、一人で町に出かけるようにしていた。そうして自分は跡目争いに混ざる気はないのだと、だから兄達の憂いにはならないと表明してきた――というのが、壱政の認識だった。


 だから時頼()にとって、自分()は取るに足らない存在であるはずだった。もしかしたら煩わしく思う部分はあるのかもしれないが、こんな罪を着せられるほど恨まれているはずがない。

 何故なら時頼のやったことはただの兄弟喧嘩では済まない。彼が壱政(自分)の名を騙り行ったのは家への、ひいては浅倉が仕える主君への裏切りだ。そのせいで浅倉家は取り潰されるという噂は、牢の中にいる壱政の元までも届いていた。


「本当に分からないのか?」


 やけに不快な声だった。時頼はその声で壱政を嘲笑い、「そういうところだよ」と口角を上げた。彼の鼻の横の筋肉は、ぴくぴくとぎこちなく震えていた。


「お前は全部持っていた。俺が欲しかったもの全てをな。正室の子という立場も能力も……その上、女まで攫って行った……!」

「女……?」


 時頼の言葉に壱政が眉をひそめる。何を言っているのか本気で分からないからだ。

 正室の子の立場というのは分かる。能力も、確かに努力はした。長男を無下に扱われたと憔悴した母は自分に殊更強くあれと言い聞かせてきたから、母の期待に応えようとした。

 しかし、女というのだけは分からない。口振りから己の妻のことを言われているのだとは理解できても、攫って行ったなどと言われる筋合いはない。


 そんな壱政の様子に気が付いた時頼は暗く笑うと、「自覚もないんだろう?」と声に憎悪を滲ませた。


「彼女は……りんは俺が好いた女だった! 頃合いを見て側室にと考えていたのに、お前が先に娶るから手に入らなくなったんだ!」

「……失礼ですが、兄上は彼女と面識はなかったはずでは? 祝言の場が初対面だったと仰っていた記憶がありますが」


 そしてそれは壱政の妻、りんも同じだった。りんは町人の子で、本来であれば浅倉の人間とは接点などない。幼い頃の壱政が町人に紛れて過ごしていたからこそ出会ったようなもの。幼少期より幼馴染のように過ごしてきたが、そこに時頼がいたことはなかったし、壱政も時頼にりんの話をしたことはなかった。

 だから兄の発言はおかしい。そう込めて壱政が指摘すれば、時頼の口角の震えが止まった。


「面識がなければ惚れてはならぬのか?」


 ぞっとする笑みだった。この男は何かがおかしい――壱政が直感した時にはもう遅く、時頼は「お前には分からんだろうな」と語り始めた。


「お前にりんの本当の価値など理解できはしない。幼い頃から当然のようにりんと話していたお前には! あの可憐な少女が日に日に女になっていく様はどれほど美しかったことか! 他の男共には見向きもしないその姿がどれほど高貴であったことか! まるで良家の姫君が如き清廉さを纏い、決して触れてはならぬ花を思わせる彼女の価値は! それを当たり前に享受していたお前には到底理解できやしない! あの花を手折りこの(かいな)に掻き抱けたらどれほどかと毎日、毎日、毎日毎日毎日!」


 時頼が頭を掻き毟る。正気を失ったようにも見えるその姿が、壱政の抱いていた気味の悪さを増長する。

 するとそれまで興奮のままに声を荒らげていた時頼はすっとその勢いを殺して、泣きそうな顔を壱政に向けた。


「それなのにいつも俺の腕の中にいるのは違う女なんだ……目を閉じている間は確かにりんを抱いているのに、俺に抱き縋るのはりんじゃない……!」

「――ッ、あなたはなんてことを!!」


 激しい嫌悪感が壱政を襲う。己の妻を妄想の中でとはいえ抱かれていたこと。そしてそのために、時頼が彼自身の妻を蔑ろにしていたこと。愛する女を穢されたような気持ち悪さと、不道徳な兄への落胆が、壱政の中の嫌悪感を怒りに変えた。


 けれどそれを言葉にすることはなかった。先に時頼がニッタリと嗤ったからだ。


「だから殺してやったんだ」


 突然のことに壱政の思考が止まる。「ころ、した……?」鸚鵡返しにそれだけ呟けば、時頼は顔いっぱいに笑みを浮かべた。


「ああ、殺してやったんだよ! あの女も、お前の子供達も!! どいつもこいつもお前はやっていないと馬鹿みたいに信じていたから!!」


 高笑いしながら右腕を出す。そこに巻かれた包帯を指差して、「この傷はなぁ、あの女が俺に噛みついてきたんだ」と思い出すように続けた。


「子供を守るために俺にしがみついて噛んできたんだよ。どれだけ顔を殴っても離れなくて、やっと剥がれたと思ったら傷口に折れた歯が突き刺さってた。そんなことしなければ美しいまま死ねたのに、お陰であの女の死に顔は酷く醜かった。あれだけの美貌を持った女がこうも醜女になるのかとおかしくして仕方がなかった!」


 時頼の高笑いが響く。壱政の耳に届くその声は、どんどん遠くなっていった。



 § § §



 そこからのことを壱政はよく覚えていなかった。まだ何か言われたような気もするし、何も言われなかった気もする。気付けば腕は格子の外に伸びていて、そこで生ぬるい肉のついた骨を掴んでいた。

 それが時頼の喉笛だと分かっても、特に何も思わなかった。戻ってきた牢屋番に同じことをして、鍵を奪って、気付けば家に向かって走っていた。


 ただ、時頼の言うことを確かめなければと。あれだけ頭のおかしな男のことだから、彼が現実のように語ったことの中にはまだ妄想が含まれていたかもしれない。


 しかし家に戻った壱政を待っていたのは、焼け落ちた屋敷跡だった。


 人々が噂するところによれば、壱政に打首のお触れが出された後、息子の不始末を嘆いた父が腹を切って火を放ったのだという。

 しかしそれもどこまでが正しいかは分からない。噂では父親の傍で焼け死んだのは、壱政の母と長兄である義政、そしてりんと子供達。だが、時頼は壱政の妻子のことはその手で殺めたと言っていた。彼が本当のことを言っていたかはやはり定かではないが、もし少しでも事実があるのであれば、これはやはり不自然なのだ。


 だが壱政にはもう、どうでも良かった。


 見張りの目を掻い潜って敷地内に忍び込み、そこで誰が死んだのかだけははっきりと理解することができたから。

 倒れる大人に縋り付く、二人の小さな子供。真っ黒に焼け焦げたその三人の身体の大きさは、熱で縮こまっていたとはいえ壱政もよく知るものだったからだ。


 あの時にきっと、自分はおかしくなってしまったのだろう――血塗れで家畜の死骸を貪りながら、壱政はふと、こうなる前のことを思い出した。


 全てを失ってから、人を斬り続けた。

 最初は追手だった。その後はもう、よく分からない。ただ自分に向かってくるというだけで誰でも斬り伏せた。中にはこの姿を見て怯えただけの人間もいたかもしれない。けれど構わず斬った。何かを壊さずにはいられなかった。そのくせ腹は減るものだから、家畜や動物を襲ってそのまま食べた。

 今と同じだ。麗によって化け物同士の戦場に放り込まれ、常に命を狙われ。背を向けて逃げることも厭わず、卑怯な手を使うことにすら躊躇を抱かず。とにかく追いかけてくる者達の首を狩り続け、腹が減ったらそこらへんにあるものを食う。

 盗みもした。腐りかけの何かの死骸も食べた。斬り落とした化け物の腕に食らいついた時もあったが、その者が死ぬと黒い霧になってしまうから、腹が膨れるほどは食えなかった。


 幽鬼が如く戦場を彷徨い、烏のように屍肉を漁る。そうまでして生きたいのかという疑問が背後を付き纏っていたが、いつからか考えることは放棄した。生き残る手段を探すためにはそんな時間すら勿体なかった。

 生きるために必要な刀は、最初の一日で使い物にならなくなった。食べ物と同じくらい必死に牙となるものを探し、見つけられれば安心して、見つけられなければ家畜の死骸の中に身を隠した。そうしないと、生き残れなかった。生き残ることを優先するあたりで疑問の答えが出ている気がしたが、何故だかそれは受け入れたくなかった。


 そうして日々を過ごすうちに、約束の三月(みつき)が過ぎていた。


「――うっそ、五体満足かよ」


 久しぶりに聞いた、理解できる言語。獣のように屍肉を貪っていた壱政がゆるりと目を上げると、そこには最後に見た時と全く変わらない、能天気そうな女がいた。


「生きてるのは分かってたけ……どォ!?」


 麗の話も聞かずに襲いかかる。そうした理由は、壱政には分からなかった。


「はっ! また獣に逆戻りか!!」


 その嘲笑じみた声が聞こえた時にはもう、壱政は地面に落とされていた。強かに胸を打ち付けた衝撃で呼吸が飛ぶ。しゃくり上げるようにも似た動きで息を吸おうと頭を上げようとすれば、すかさず後頭部を押さえつけられた。

 どうにか顔を横に向け、息を吸う。全く持ち上げられない頭は、彼女の足で踏み付けられていた。


「前より動きが良くなったのは認めてやるよ。つっても人間にしては、って話だけどな」


 言いながら麗が自らの腕に指を這わす。指が通った箇所から血が滴り落ちる理由はもう、壱政は知っていた。そして、彼女がこれまで相手にしてきた化け物と同類だということも。


「獣でも鎖つけときゃいいか」


 麗の瞳が紫色に染まる。それに呼応するように、壱政の胸の奥で何かが叫ぶ。ざわざわと喧しく、けれど音はなく。

 その感覚の正体を追おうとする壱政の顔に、上から麗の血が滴り落ちてきた。避けようにも、顔を踏み付けていた足がいつの間にか頬に移動していたせいで、口を閉じることすらできない。


「ほら、餌だ」


 ぼたぼたと落ちてくる血が口いっぱいに溜まった頃、壱政の喉がゴクリと動いた。

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