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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【断章】幽鬼篇
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(4/7)じゃ、私は見つかると面倒だから!

 眩しい光が壱政を襲った。紫、だったように思う。しかしそんな色の光など、生まれてこの方見たことがない。

 だから、見間違いだと。自分の知識で説明したくとも何も思い浮かばず、ただただ混乱を見間違いだと言い聞かせることで静めていたせいで、浮遊感に気付くのが遅れた。


 首根っこを掴まれ、どこかに放り投げられる。その頃にはもう紫の光は収まっていた。砂利のような固い地面に倒れ込み、無意識のうちに手を突いた先に目を向ける。そこにあった小さな雑草は見たことのない種類だった。というより、何やら視界がおかしい。

 青い。先程まで紫色に包まれていたのに、今度は周りがやたら青く思える。夜闇と似た暗さなのに、夜闇とは違う青さ。例えば行燈の明かりが青かったらこのように見えるのかもしれないが、やはり青い光を放つものなど知らない。


 そこまで知らず知らずのうちに考えて、壱政はそんなことはどうでもいい、と首を振った。


「ここは……」


 何処だ――その答えが、全く浮かばない。


「戦場。お前にとっちゃ地獄だな」


 聞こえてきたのは麗の声だ。地面に倒れ込む壱政とは違って、彼女はしっかりと地に足をつけて立っている。市女笠を鬱陶しそうに外し、「ほら、あれ」と少し先を指差した。


「お前にも見えるだろ? ありゃ戦争だ。赤と青でやり合ってるんだが、まァお前にゃ関係ねェ。あいつらもお前がどちらかなんて気にしない」


 麗の語り口に、壱政の脳裏にはある予想が生まれた。だがそれを深く考える余裕はなかった。遠くに見える戦場が、自分の知るそれとはあまりに違いすぎるせいだ。

 槍のような武器を手に戦っていることは理解できるが、それ以外が違う。遠目で見ても彼らが人間では有り得ない速度で動いていることが分かる。時折消えるのは目の錯覚か。考えたくとも、考えるための材料がない。


 しかしそれでも、麗の言葉が頭から離れない。


『あいつらもお前がどちらかなんて気にしない』


 これではまるで、自分もあそこに混ざれと言われているようではないか――考えようとして、やはり思考が止まる。あれは駄目だと本能が叫んでいる。


「お、嫌か? けど残念、お前に選択肢はない。お前がどれだけ逃げようと、あいつらはお前を見つけたら追ってくる」

「何故……」


 無関係の自分を追うのか。そう壱政が問う前に、麗が答えた。


「餌だから」


 壱政の顔に怪訝が浮かぶ。言われている意味が分からない。分からないのに、事実であると感じてしまう。そのせいで彼の表情は怪訝から当惑へと変わっていって、それを見た麗はおかしそうに目を細めた。


「言っとくが本当に食うぞ。ここの連中にとってお前は最高の餌だからな。お前はここで、そうだな……三ヶ月生き延びてみろ。青い月が空にあれば夜で、一日の長さは大体おんなじ。三ヶ月経った後、覚えてたら首を斬りに来てやるよ。食糧はそのへんの草でも食っとけ」


 自分を殺すと言っているのに、それまで三ヶ月もの間を生きろと言う。

 混乱の中でも矛盾していると分かるのに、壱政は何も言うことができなかった。麗にもたらされた情報が処理しきれない。それなのに彼女は「あ、そうそう!」と話を止めないものだから、壱政はずっと置いていかれたままだ。


「お前も相手を殺すなら首を斬り落とせよ。他にもやりようはあるんだけどまァ、説明すんの怠いから後は自分で学べ。ちなみに首をぶった斬っても、完全に死ぬ前にくっつけたらそれも治るから。あとは上手いことやるんだな」


 意味が分からなかった。麗が自分にやらせようとしていることも、軽く説明されたことも。自分は餌で、青い空は夜で、首を斬り落としても相手が死ぬとは限らなくて――一つ一つの事柄にどうにか壱政が追いつけそうになった時、麗が「以上!」と話を打ち切った。


「じゃ、私は見つかると面倒だから!」


 言って、()()()。目の前の光景に折角追いついた思考がまた止まるのだけはどうにか感じ取れても、壱政は何も言葉にすることができなかった。


 けれど、考え込む時間はなかった。


「――ッ!?」


 咄嗟に後ろに飛び退く。着地した後で壱政は自分が避けたことを知った。何を避けたのかと前を見れば、そこにいたのは一人の男。

 異人に見える。それはその顔立ちと、大きな体躯と、それから――


「どこから……」


 現れた?


 気配も音も、姿もなく。それなのに突如として相手が現れたことが理解できない。

 しかしそれでもやはり考えている時間はなかった。男が再び襲いかかってきたからだ。


「くっ……!」


 相手の槍が着物を掠める。

 また、勘で避けた。見えなかった。消えていないことは見えたのに、それでも襲ってきたと分かった時にはもう体が動いた後だった。

 長年鍛錬を欠かさなかった肉体は優秀で、無意識のうちに刀を抜いた壱政の手には肉を斬ったという感触が残っていた。その証拠に、男も胸から血を流している。着物とは違う衣服の胸元がぱっくりと裂け、その中にあった肌からは赤い血肉が覗いていた。……はずだった。


「……は」


 間抜けな声が漏れたのは、また理解できない光景を目の当たりにしたから。

 男の胸元に走っていた線がどんどん塞がっていく。確かに刀傷は組織をあまり破壊しないから、両側から押さえれば傷口から露出した肉はほとんど隠れる。

 しかし、押さえていればの話だ。目の前の男の両手は何もしていないのに、赤く細い線はどんどん細くなっていって、そこから流れ出る血が少なくなっていく。


『ちなみに首をぶった斬っても、完全に死ぬ前にくっつけたらそれも治るから』


 麗の言葉の意味を唐突に理解する。いや、理解はできていない。それなのにそういうものだと、受け入れざるを得ないだけ。

 川に投げ込まれた時と似ていた。あの時も自分が川の中にいるとすぐには分からなかった。ただ、息ができないから。そしてそこが水だと分かったから。だから考えるよりも先に自分が溺れかけているのだと受け入れて、空気を求めて衰弱で重たい四肢を必死に動かした。

 あの時も自分の身に起きたことを正確に把握したのは、危機を脱した後だった。


「…………」


 ()()なんて、そんな。この身に命の危機なんてあるものか。


 思考に沈みかける。けれどそんな壱政をまた、男の攻撃が止めた。


「ッ……!」


 身体が勝手に動く。男の攻撃を避けて、あわよくば反撃しようと動いてしまう。自分の身体だから間違いなく自分で制御しているはずなのに、その感覚もあるのに、どうしてもそれら全てがどこか他人事のように思えてならない。


 何故ならこの行動は生きたい者のそれだ。死に抗う者のあがきだ。だが、自分は違う。確かに自決では意味がないと思っているが、こうして強者に殺されるのならばいいではないか。

 何者とも分からない狂人に無惨に殺されるのなら、それは罪を犯した己の最期としては十分ではないか。


 絶対的な強者にこの命には何の価値もないのだと嘲笑われるかのような、惨めで間抜けな最期。それこそが自分には相応しい。しかし。


 ――この男は、強者か?


 疑問が落ちる。思考の底にぶつかって、弾けた。


「お前じゃない!!」


 吠えたのは、砕けた疑問が壱政の全身を熱くしたから。こんなのでは駄目だと、こんな相手では駄目だと、憤怒にも似た激情が身体を突き抜けた。


 持て余した熱をぶつけるように腕を振り抜く。青い光が一閃し、直後にその光を追うようにどっぷりと血が吹き出した。


 ごとりと、首が落ちる。


 未だ倒れない身体から噴き出す血は勢い良く上を目指し、しかしそう高く上がらないうちに地面へと落ちていった。赤い雨は先に落ちていた首へと降り注ぎ、その水を嫌がるように生首の目がぐっと閉じられる。


 生きている。まだ、生き残る余地がある。


 壱政がぐちゃりとその頬を踏み潰した音は、首を失った胴体が倒れる音で掻き消された。緩慢な動作で地面に沈んだそれに目を向ければまだぴくりぴくりと動いていて、けれど首から流れる血が勢いを失うと同時に霧となって消えた。


「はっ……」


 まるで全てが幻覚(ゆめ)だったかのように。首無しの肢体も、首も、煙のように消え去った。


 理解できないことだらけだ――黒く揺蕩う何かを見ながら、思う。

 この場所も、この男も、それから自分のことも。今ここで起きている全てが理解できない。

 けれど、運が良かったのだということだけは確かに分かる。


 そう、運が良かった。たった今しがた目の当たりにした驚異的な治癒能力も身体能力も、人間では有り得ない。そして、相手の男には明らかに武芸の心得がなかった。

 ならばもし、少しでも鍛錬を積んだ者が相手だったら?


 運が良かった。獣のように襲いかかってくる相手だったから、どうにか殺されずに済んだ。


 運が――


「……良いわけがない」


 生き残って運が良かったなどと、それは生を望む者の考えだ。確かに強者ではないこの男には殺されてはいけないと思った。しかし、それは運であってはいけない。強者でない者を打ち負かすことは、実力でなければならない。


 実力で生き延びて、実力で殺されなければならない。徹底的に打ちのめされて、どれだけ策を講じても全て一笑に付されるくらいの圧倒的な力。この命も、歩んできた道も、努力も何もかも無価値だったと踏みにじるような、絶望的な力。

 そんな力でこれ以上ないほどに無惨に散らされることが、自分には相応しい。


 でなければ、道理に合わない。


 ――本当にそうか?


「っ……」


 耳元で囁かれた疑問が、再び壱政を混乱させる。考えたいのに、どこからともなく感じる凶暴な殺意がまた、彼から疑問と向き合う時間を奪った。

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