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【改稿版】マリオネットララバイ  作者: 丹㑚仁戻
【断章】幽鬼篇
204/208

(3/7)話通じねー……

 林道を抜けると、麗達の右手に大きな川が現れた。渡し船が水面を滑らかに進んでいくことから、それなりの水深があるのだろう。人間を遥かに凌駕する麗の視力を以てしても、自らの足で渡っている者は見つけられない。

 これはちょうどいい――麗は口元に笑みを浮かべると、くるりと後ろを振り返った。


「なァ、お前どこまでついてくんの?」


 ふらふらとついてきていた壱政は、麗が問いかけると顔を上げた。しかし、足は止めない。どうやらわざと距離を空けていたわけではなく、単に歩く速度の違いのせいだったようだ。

 壱政は真っ黒に汚れた顔を重たい動きで持ち上げると、「あなたが俺の首を斬るまで」と麗に答えた。


「まだ言ってんのかよ、それ」


 錯乱ついでの世迷い言かと思っていたが、今の壱政は至って正気に見える。ならば彼は本気で首を斬って欲しいと言っているのだ。「面倒(くせ)ェなァ……」麗は(むし)の中でガシガシと頭を掻くと、乱暴な足取りで壱政の方へと歩いていった。


「お前自分の()()分かってるか? めちゃくちゃ(くせ)ェぞ」

「これから死ぬのに気にしてどうする」

「そっかそっか。――じゃァ溺れ死ね」


 (むし)を軽く捲り、布に覆われた足を振り抜く。その足が捉えたのは壱政の腹。痛めつけるためではなく、蹴り飛ばすための動きだ。


「っ!?」


 ポーン、と音がつきそうだった。まるで毬でも蹴ったかのように、壱政の身体が道から川の方へと飛ばされる。見事な放物線を描いて飛ばされた壱政はそのままドボンと川に落ちて、数秒の後に近くの大岩に縋り付くようにして浮き上がった。


「つまんねェな……」


 どうせならそのまま流されてくれても良かったのに。


 麗が白けた目で見ていると、未だ川の中にいる壱政は「いきなり何を……!」と非難の声を上げた。その身体がガタガタ震えているのは恐怖からではないだろう。

 何せ、季節は冬。そしてこの男は衰弱している。健康な者でも触れることを躊躇うような冷たさの水に浸かっているのだから、身体が本人の意思を無視してしまうのも致し方ない。


 が、元凶の麗が反省することはなかった。


「お前(くせ)ェの。迷惑なの。ンな奴に周りチョロチョロされたら私の鼻がひん曲がるんだよ。臭い取れるまで出てくんな」


 そこまで言って、ふんっ、と鼻息で先程詰めた鼻栓を押し出す。ポポンッ、と下に飛び出た鼻栓は、反対側の乾いた部分が大きかったためひらひらと舞いながら落ちていく。


 けれど二つの鼻栓が地面に落ちた時にはもう、そこに麗の姿はなかった。



 § § §



 平和だ――壱政を川に放り捨ててから二日、麗は少し高いところにある木の枝に座って清々しい気分を味わっていた。冬の川に衰弱した人間を放り込んだ罪悪感など微塵もない。汚れを落とそうとしているうちに凍え死ぬかもしれないが、もはやそれでもいい。その程度の()()だったというだけだし、何よりあの鼻の曲がる悪臭に曝され続けることと比べれば些末な問題なのだ。

 とはいえ、種子を無駄にするのは少し嫌だった。あれは体力を食らう。休めば回復するが、通常の怪我とは比にならないほどの時間がかかる。この気怠さもそういうことだ。しかもただ怠いだけではなく妙に不快なものだから、いくらそれが仕事といえど無駄打ちはしたくない。


「クッソ、人を戦争から遠ざけやがって」


 何故自分がこんな仕事を押し付けられたのかは麗自身も知っていた。楽しくなると敵味方関係なく斬りかかってしまうからだ。戦争の最中なのだからそれくらい許してくれればいいのに、青軍のお偉方が揃って文句をつけてきたらしい。

 だから戦力集めだなんてつまらない仕事をさせられている。有望そうな人材を見つけ、交渉し、種子を与えてこちら側に引き込む――それがこの仕事。交渉は省きがちだが、拒まれれば力尽くで頷かせればいいだけなのだから決まりを守る必要はない。


 今のところ壱政に与えた種子の死は感じ取れない。ということはまだ彼は生きているはずだから、もう少し生き延びてもらって発芽させ、上に届ければしばらくのんびり過ごせるだろう。


「拗らせ野郎でもまァ、いないよりマシか」


 考えながら種子の気配を辿る。動けないほど衰弱しているのなら、一回くらい食事を届けてやってもいいかもしれない。その後は自分で生きてもらって、良い頃合いで発芽させに戻ればいい。


「……あ?」


 麗の口から怪訝な声が漏れたのは、種子の気配が近すぎるからだ。

 しかし、あの悪臭がない。ということは汚れを落としたのだろうか。けれどそれもおかしい。壱政と別れた後はさっさと歩いたから、あんなにふらふらだった彼がすぐに追いかけてきても追いつけるはずがない。仮に健康だったとしても追いかけ始めるまで時間が空いたはずだから、自分の行き先を知らない彼がやはり簡単に追いつけるわけがないのだ。


 と、麗が考えていると、彼女の耳が足音を拾った。どことなく聞き覚えがある気がして目を向ければ、そこにいたのは一人の浪人。長い髪を後ろで一つに束ね、淀みなく歩くその姿は身分の高い武士を思わせる。しかも女に好かれそうな顔立ちでもあるものだから、服装さえ整えれば良家の子息であると誰も疑わないだろう。麗が浪人だと思ったのはそのくたびれた着物を見たからで、男の立ち居振る舞いのためではない。

 坊っちゃんが忍んでいるのか、それとも最近落ちぶれたか――しばしその男を見つめた後、麗はあっと口を開けた。


「お前、浅倉壱政か!」


 別人のようだが、確かに相手から種子の気配がする。あの悪臭のせいで個人の匂いは掻き消されていたし、顔ごと全身が古い血で真っ黒と言えるくらいに汚れていたから気付くのに時間がかかった。

 ついでに足音もそうだ。足音で個人の判別はできると自負していたが、あのふらふらの足取りと今の彼の歩みは全く違う。どうやらこの男は身支度だけでなく、体調の方もこの二日で整えてきたらしい。


 どうやったかは、どことなく察しがつく。彼が今着ている着物は別人のものだが、そこに女の匂いが混ざっている。濡れ鼠になったお陰か、その容姿につられ甲斐甲斐しく世話した女がいたのだろう。それに壱政が応えたかどうかは定かではないが、もらえるものはもらったらしい。

 そのお陰ですっかり身綺麗になった壱政は麗を見ると、涼し気だった切れ長の目にぐっと力を入れた。


「お前は人として信用できない」

「ほう、蛙ごときが私を〝お前〟に降格か」


 くっく、と木の上から見下ろして笑う。その間も壱政は歩を止めなかった。近付けば近付くほど彼の首を上に上がり、麗を見上げる格好になる。その首が完全に上がりきる前に壱政は足を止め、「その人を見下した態度もな」と眉をひそめた。


「ほーお? でも実際お前、私よりずぅっと弱いじゃん」

「礼儀の問題だ」

「野蛮な人斬りがンなモン語るなよ。つーかその割には私の言うこと聞いてきっちり綺麗にしてきたじゃねェの。律儀だねェ」

「そうしなければお前に首を斬って欲しいと頼むこともできないからだ」

「真面目か。ってことは不真面目な奴に嵌められたのかな?」

「っ……」


 壱政という男はそれなりに優秀なのだろうな、と相手の渋面を見ながら麗は鼻を鳴らした。こちらに追いつけたということは、少なくとも情報収集能力はある。加えて欲しいものを他人からもらえる器用さもあるのだから、先日茶屋の店主から聞いた話と合わせても、優秀で人徳のある人間だったのだ。

 その基盤となっていたのが真面目さだろう。こちらの振る舞いにいちいち不快を示すのは、それが彼にとっては有り得ない行動だから。

 優秀で人徳があり、そして礼儀を気にする真面目な堅物――なるほどこれは絶好の()()だと、麗の口端が上がる。


「品行方正なお坊ちゃんは、他人が自分を裏切るだなんて考えてなかったのかな? 弱い上に愚かと来たか」

「……真面目に生きて何が悪い。他人を貶めることこそ愚かしい行いだ」


 模範解答のようなその言葉に、麗は「あっは!」と笑い声を上げた。


「真面目が美徳っつーのは集団を仕切る連中の都合だぞ。一人になったなら真面目にやったとこで誰も見てくれねェし、何の得にもならん」

「見られていなければ規律を破っていいというのは卑怯者の考えだ」

「卑怯の何が悪い? 生きるために手段なんざ選ぶな」

「そういう奴が周りに迷惑をかけるんだろ」

「周りって誰だよ。お前は独りなんじゃねェの?」

「…………」


 麗の問いに壱政が押し黙る。そんな彼を見ながら麗は木の上から飛び降りると、「ああ、独りは嫌なのか」と嘲笑った。


「独りになりきれねェ奴が他人を評価すんなよ。恥ずかしいぞ」


 麗が笑えば、壱政は気持ちを抑えるような深い呼吸をした。二度、三度。自分を落ち着けながらも何かを考えているのだろうということは、その目で分かる。

 次はどんなことを言って笑わせてくれるのかと麗が待てば、壱政は絞り出すように「……俺に、何をした」と口を開いた。


「ん?」

「あの夜だ。初めて会った時、お前は俺に何かを飲ませたな。毒か何かかと思ったが、何も変化はない……一体あれは何だったんだ」

「死にたいのに知りてェの?」

「それとこれとは別だ」

「もっと大雑把になればいいのに」


 己が大雑把な自覚はあるが、それを差し引いてもこの男は頭が固すぎる。もう少し柔軟に物事を考えられないものだろうか、と麗は(むし)の中で頭をガシガシと掻いて、「別に大したことじゃねェよ」とゆるく笑った。


「あれは唾つけといたようなモンだ。お前の体に異変が出るような類じゃない」


 嘘だった。いや、事実でもある。しかし放っておけば一年程度で死に至るから、それを言わないうちは嘘になるのだろう。

 だが、全部教えてやる気も起こらない。


「こないだも言ったが、死にたきゃ勝手に死ね。人様の手を煩わせんな」


 そう、どうせこの男は死にたがっているのだ。そんな奴が一年後のことまで気にするわけがないと考えても何も差し支えはないだろう。この分では大いに気にしそうだが、首を斬ってくれとこちらに頼んでいる以上、それを態度に出すこともできまい。

 だからやはり、説明してやる必要はない。麗が改めてその結論に辿り着いた時、壱政が表情を険しくしたのが目に入った。


「自決じゃ意味がない」

「打首は嫌だったんじゃねェの?」

「あの罪では、の話だ。今は……斬られるべきだと思ってる」

「あっそ」


 本来であればその理由を聞くべきなのだろう。麗にもそのくらいは分かる。分かるが、興味はない。


「言っとくがお前の事情なんざ聞かねェぞ。話したいならそこらの女でも引っ掛けな。その(ツラ)なら簡単にできるだろ」


 どこかへ行けと、(むし)をほんの少し捲って手を外側に払う。そんな麗の態度に壱政はやはり不快そうな顔をすると、「他者と関わる気はない」と語気を強めた。


「私とは関わってるじゃねェか」

「お前に首を斬って欲しいからだ」

「話通じねー……」


 結局そこに繋げるのか、と麗は辟易した。これは首を斬ってやると言うまで考えを曲げる気はないのだろう。意固地なのか頑固なのかどちらでも良いが、何故こちらが死にたがりに合わせてやらねばならぬのかと納得がいかない。


 だから、ほんの少しだけ悪戯してやりたくなる。


「よし、こうしよう」


 どうせこの男は死にたがり。死なれたら種子の分を損することになるが、この頑固さの相手をし続けるよりよっぽどいい。


「地獄で生き抜け。そしたら首くらい斬ってやる」


 (むし)の隙間から麗が妖しく笑えば、壱政はやはり怪訝な表情を浮かべた。

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