ですぺら〜と☆くわく 聖杯探索のその横で (7)
宴の余韻がまだ村に残る翌朝、広場の方から上がった声が、ゆるんでいた空気を揺らした。
「コボルトだ!」
「また出やがったぞ!」
村人たちはぞろぞろと広場に集まり、近くにあった農具や棒切れを手に取る者も現れる。
もっとも、その顔に浮かんでいるのは恐慌ではなく、緊張まじりの苛立ちといったところだった。
ゴブリンやホブゴブリンならともかく、コボルトであれば数匹程度なら村人だけでも何とか追い払える。
だからこそ、「またか」と舌打ちしながら表に出る余裕もあるのだ。
「コボルトなら俺たちでも何とかなるだろう!」
「数が多くなきゃな!」
そんな声が飛び交い、広場は妙な勢いを帯びてざわついていた。
村長の家で休んでいた三人も、その声を聞いて顔を見合わせる。
「……またかよ」
ボガートが呆れたように肩をすくめる。
とはいえ、その声音には昨夜までの気詰まりはなく、どこか軽さがあった。
「まあ、放っておくほどでもないが、放っておけん相手だな」
ホッブは大きく息をつきながら立ち上がる。
文句を言っているようでいて、その口元はわずかに緩んでいた。
ニーアは壁に立てかけてあった新しい槍を手に取り、軽く重さを確かめるように振った。
穂先の重みと柄のしなりを確かめるその仕草には、隠しきれない満足が滲んでいる。
「コボルトくらいなら、ちょうどいい試し相手かもしれないわね」
「頼むから、あんまり楽しそうに言わないでくれよ、姐さん」
ボガートが苦笑すると、ニーアは槍を肩に担ぎ、少しだけ口元を上げた。
「気のせいよ」
そう言って、彼女は誰より先に部屋を出ていった。
★ △ ★
三人が広場へ向かうと、村長が村人たちを落ち着かせようと声を張り上げていた。
「落ち着け! どうやら奴らは、この村を襲うつもりじゃない!」
その言葉に、村人たちはひとまず動きを止めた。
拍子抜けしたような顔をする者もいたが、だからといって警戒を解く者はいない。
つい先日、ゴブリンの騒ぎを経験したばかりなのだ。村全体が、物音ひとつにも敏感になっていた。
三人は村長のもとへ歩み寄り、ホッブが真っ先に尋ねた。
「村長、状況を聞かせろ」
村長は額の汗を拭いながら、少し早口に説明する。
「さっき村外れで見かけたんだが、どうもコボルトどもは、この村を狙ってるわけじゃないらしい。いや……むしろ、何かに追われて逃げているように見えたんだ」
「追われてる?」
ニーアがわずかに眉を上げると、村長は強くうなずいた。
「ええ。後ろを何度も振り返っていたし、傷を負ってる奴もいた。あの様子じゃ、かなり混乱していたはずです」
ボガートは腕を組み、口元をわずかに歪めた。
「へぇ、追われてる相手ねえ。そいつを確かめに行けば、ゴブリン以上の手ごたえがあるかもしれないっすね」
軽い言い方ではあるが、その目はもう広場の先――村の外に向いている。
つい昨日までは“稼ぎの種”としか思っていなかったくせに、こうして村の騒ぎとなれば真っ先に乗り出すあたり、我ながらお人好しだとボガート自身もどこかで思っていた。
「相変わらず、戦いになると調子がいいわね」
ニーアがじろりと睨む。
だが、その顔にもどこか楽しげな色が混じっていた。新しい槍を軽く振り、重心を確かめながらぽつりと漏らす。
「……まあ、ちょうどいいわね。腕試しには」
それは半分本音で、半分は照れ隠しだった。
この村の前で無様は見せられない――そんな気持ちが、彼女の中にもいつの間にか根を張っている。
「姐さん、それ完全にワクワクしてる顔っすよ」
ボガートが苦笑混じりに肩をすくめると、ホッブが低い声でまとめた。
「いずれにせよ、妙なことが起きてるのは確かだ。洞窟の奥……いや、その先まで見に行く必要がありそうだな」
ぶっきらぼうな言い方だったが、その実、彼もまた放っておく気はなかった。
せっかく守った村のすぐ近くで、また厄介事が広がるのは面白くない。
それだけのことだ――少なくとも、本人はそういうつもりでいた。
★ △ ★
「しかし……」
村長が少し不安げに口を開いた。
「洞窟の奥の森は、我々村人は近づかぬ場所です」
三人の顔を順に見やり、村長は心配そうに眉をひそめる。
「我々ですら滅多に足を踏み入れません。昔から、あそこには“危ういものが潜む”と言い伝えられておりましてな……。どうか、お気をつけくだされ」
その言葉に、ボガートがにこやかに手を振った。
「心配しないでくださいよ」
そしてホッブが静かにうなずき、落ち着いた声で続ける。
「大丈夫だ。何かあれば、すぐ引き返す。……逃げ足には、それなりに自信がある」
その淡々とした返答に、村長はかえって少し表情を和らげた。
「いや、頼もしいのやら頼もしくないのやら……」
そう言って苦笑したあと、村長は小さくうなずく。
「ですが、少し安心しました。
本当に場数を踏んだ冒険者ほど、決して無理はしない――そう聞いたことがあります」
その声音には、先ほどまでよりもはっきりとした信頼が滲んでいた。
「とはいえ……どうか、本当にご無理はなさらぬように」
すると、ボガートが村長の方へ歩み寄り、軽く肩をすくめる。
「それにしても、村長さん。ゴブリン退治に続いて、今度はコボルト絡みとは……ずいぶん厄介ごとが続きますねぇ」
村長は苦笑しながら頷いた。
「ええ、本当に。今年は厄年かと思うほどです。ですが、勇者様方がいてくださるおかげで、村人たちもずいぶん心が軽くなっております」
その言葉に、ニーアが槍を軽く肩に乗せながら、少し茶化すように返した。
「安心するのは良いことね。でも、何か起きたら村長が村人をまとめて、逃げ道くらいは確保しておいてよ」
「その通りだ」
ホッブが短く続ける。
「いくら俺たちでも限度はある。まず生き残ることを考えろ。大けがさえしなけりゃ、後はどうにでもなる」
「心得ておりますとも」
村長は苦笑しつつ、三人に深く頭を下げた。
「どうか、お気をつけて……」
村人たちに見送られながら、三人は再び洞窟の方へ歩き出した。
「コボルトが追われるなんて、いったい何がいるんだろうね」
ニーアがふと呟くと、ボガートが口元を歪めた。
「それを確かめに行くのが、俺たちの仕事でしょう? ゴブリンみたいな小物じゃないことを祈りますよ」
ホッブは少し前を歩きながら、短く答える。
「祈る必要はない。どんな相手でも、やることは同じだ」
それから、少し間を置いて付け加えた。
「……面倒な仕事ではあるがな」
その声にはわずかな疲れもあったが、同時に、長年こういう厄介ごとをくぐってきた者だけが持つ落ち着きもあった。
「ほら、ホッブも案外楽しみにしてるじゃない」
ニーアが軽く笑い、新しい槍を手に取って、その重みを確かめるように振ってみせる。
「せっかくだもの。この槍がどれだけ使えるか、試しておきたいのよね」
「姐さん、その顔は完全に戦い好きの顔っすよ」
ボガートが苦笑混じりに言うと、ニーアは否定もせず、小さく笑うだけだった。
ボガートは軽く肩をすくめた。
「まあ、どんな相手でも結局は同じっすよ。いざとなったら逃げりゃいい。生きて帰れりゃ、それで次がある」
「違いない」
三人は笑いながらも、足取りそのものは慎重だった。
どこか余裕を見せながらも、油断だけは決してしない。
その歩みには、これまで積み重ねてきた経験と、自分たちの腕への静かな確信が滲んでいた。




