第7話 帳簿は隠しません
その週の半ば。独立監査官ダリアの部屋で、オリヴィアは帳簿を膝に置いていた。
四十代半ばの女性監査官は、教材の調査依頼を読み終え、受理の印を押した。
「お申し出のあった、過去の標準教材に関する調査依頼につきましては、当部門で正式に受理し、文書保管室の記録と照合を進めます」
ダリアは手元の書類にサインをしながら、淡々とした声で告げた。
「ありがとうございます、ダリア監査官」
「しかし、ヴァンザール先生。私が今日、あなたに直接お話を伺いたかったのは、教材の件だけではありません」
ダリアの鋭い視線が、オリヴィアを真っ直ぐに射抜いた。
「あなたが今回の実証事業の講師に推薦された経緯についてです。推薦状に名を連ねている辺境伯や軍務局の兵站課長、そして宮廷魔導長……彼らとあなたは、かつて私的な師弟関係にあった。それは事実ですね?」
「はい。十一年前から一年間、神学院の派遣で補習を担当しました。契約は十年前に終了しています」
「その関係が採用へ影響していないか、確認します。金銭のやり取りについても」
「金銭の授受について、隠すつもりはありません。こちらをご覧ください」
オリヴィアは、預かり口座の記録、追加百枚の返還受領書、送金停止の通知を机に並べた。
「最初の半年で一度相談し、教室への使い道を検討する間、もう半年だけ預かることにしました。結局、使わずに返すと決めました。残りの三百九十六枚も今月末に清算します」
ダリアは金額と日付を追い、照会用の欄へ書き込んだ。
「公庫にも確認します。提出書類と記録が一致するか、そこで確かめましょう」
「未使用で返したことと、採用が公正であることは、別に確かめます」
「はい。推薦者は採点しないと伺っていますが、審査中の立ち会いも外していただけますか。受講生にも、審査員にも、意識させたくありません」
ダリアは予定表を取り出した。
「四名は後援側ですから、初めから審査員ではありません。傍聴席の扱いは調整できます。採点するのは、関係を確認済みの実務経験者三名です」
「ほかの候補者と、同じ時間と基準でお願いします」
「その条件は全員共通です。不合格の場合も、受け入れられますか」
オリヴィアは机の上の帳簿を見てから頷いた。
「はい。何が不足したか、伺って帰ります」
ダリアは予定表へ書き足し、写しを渡した。
「ありがとうございます」
「礼には及びません。私は公正な機会を守るだけです。結果を出すのは、あなた自身の手腕ですよ」
ダリアの言葉に深く頭を下げ、オリヴィアは監査室を後にした。
重い扉を閉めて廊下に出ると、少し離れた窓際で、黒い軍服姿の長身が壁に寄りかかって待っていた。
「先生」
フェリクスだった。彼はオリヴィアの姿を認めるなり、足早に近づいてきた。
「お疲れ様です。監査官の面談は、どうなりましたか?」
「ええ、無事に終わったわ。私が実演審査の場に立つ機会は、きちんと守られることになったの」
オリヴィアが微笑んで報告すると、フェリクスは心底ホッとしたように胸を撫で下ろした。
「安心しました。実演の傍聴は、やはり難しいのでしょうね」
「ええ。皆さんには、終わってから報告することになったわ」
「……そうですか」
フェリクスの肩が、ほんの少し落ちた。
「理屈は、わかっているのです」
彼は先にそう言ってから、窓の外へ目をやった。
「ただ、先生の授業を見たいというのは、仕事とは別の望みでもありますので」
その素直な声に、オリヴィアは笑いをこらえきれなかった。
「ふふっ……ごめんなさいね。でも、これは私の誇りのためでもあり、あなたたちの名誉を守るためでもあるのよ」
「頭では理解できます。理解できますが……残念です」
本気で悔しそうに呟くフェリクスを見て、オリヴィアは自然と声のトーンを優しく落とした。
「席には座れなくても、実演が終わったら一番に、結果を知らせるわ」
「……一番に?」
「ええ。誰よりも先に、あなたに」
オリヴィアが約束すると、うなだれていたフェリクスが勢いよく顔を上げた。
「結果を聞くために、ほかの方へ尋ねたりはしません」
彼はそう言って、一度口元を押さえた。
「あなたから聞けるのなら、待つのも……悪くありませんね」
先ほどまでの落胆が嘘のようだった。そんなに嬉しい約束をしただろうか。オリヴィアは、つられて緩む頬を少しだけ引き締めた。
「ええ、約束するわ」
オリヴィアは頷き、少しだけ背伸びをするようにして彼を見上げた。
「さあ、お昼にしましょう。今日は私が奢るわ」
「いえ、そこは私が」
「今日は、私に払わせて。……自分の力で、結果を出せる環境を作れたお祝いよ」
オリヴィアがそう言うと、フェリクスは少しだけ迷った後、嬉しそうに「ご馳走になります」と微笑んだ。
審査まで、あと三日。何を教えるかばかり考えていたのに、今は終わった後、彼がどんな顔で待っているかも気になった。




