第45話 教え子たちの祝い方
婚礼を翌週に控え、王都の街路樹がすっかり色づき、落ち葉が石畳を舞う季節。
オリヴィアの毎日は、間近に迫った婚礼の準備と、研修所での新しい成人基礎研修の立ち上げに向けた準備で、目が回るような忙しさだった。
だが、その忙しさは決して苦しいものではなく、未来に向かって自分の足で進んでいるという確かな充実感に満ちていた。
そんなある日の午後、研修所の事務室に、辺境伯ラウル・ダーラムからの小包が届いた。
「……まあ、素敵なティーセット」
同僚のニナと一緒に包みを開けると、中から現れたのは、夫婦二人で使うのにちょうど良いサイズの、上品な絵付けが施されたティーセットだった。添えられていた手紙には、ラウルの几帳面な字でこう記されていた。
『ご結婚、本当におめでとうございます。今回はエダとも相談し、先生が以前仰っていた「夫婦で一息つくための時間」に合うよう、適量の特産品のお茶と茶器を選びました。燻製肉も、今回は切り分けたものです』
その文面に、オリヴィアはふふっと笑みをこぼした。
オリヴィアは娘の名も添えられた手紙を、ニナに見せた。
「前は、燻製肉を丸ごと送りたいと言っていたのよ」
「お二人では、食べきれませんね」
「ええ。今度は、ちょうどいいわ」
同じ柄の茶器を二つ並べ、オリヴィアは礼状の最初の言葉を考えた。
コンラッドからは、細い革の書類入れが届いた。内側に、ヴァンザールの名が小さく刻まれている。
『これからの記録を収めるものとして。私費の贈り物ですから、軍の備品番号はありません』
生真面目な一行に、オリヴィアは笑った。
法人宛てには、一般公募の備品譲渡の案内が別便で届いていた。事務局へ渡し、私物の書類入れだけを膝へ置く。コンラッドらしい分け方だった。
「先生、お忙しいところすみません」
その日の夕方。事務室の扉を叩いてやってきたのは、王立学院の研究室主任であるシリル・ノルデンだった。
「シリル、どうしたの? 学院の研究で忙しいでしょうに」
「いえ、先生にどうしても、これだけは先にお見せしておきたくて」
シリルが鞄から出したのは、完成した改訂教材だった。
原案にオリヴィア、実践にニナ、検証にシリルと研究室、技術監修には担当技師の名がある。三人で校正して返した時と、同じ順序だった。
「間に合いました。研究論文の方は、まだ修正中です。六名でわかったことと、まだ確かめていないことを分けて書くようにと、指導を受けまして」
シリルは少し照れてから、教材の奥付を開いた。
「この『ほかの説明で試した記録』の欄、ニナ先生に何度も直していただきました」
ニナが横から覗き込み、頷いた。
「私も使いますから。書きにくいままでは困ります」
「はい。印刷されたものを、次の講師研修にも持っていきます」
「ありがとう、シリル。これなら、次に教える方も、困った時に誰へ聞けばいいかわかるわね」
オリヴィアは教材の表紙を撫で、胸がいっぱいになった。
「……皆、自分らしい贈り物を選んでくれたのね」
夜。仕事を終えて迎えに来たフェリクスと、研修所から二人で歩きながら、オリヴィアが今日届いた祝いの品々について話すと、フェリクスは深く頷いて微笑んだ。
「ラウルには、私からも礼状を。あの茶器で淹れる時は、匙を間違えないようにします」
「また濃くても、一緒に飲むわよ」
彼が笑い、少し声を落とした。
「式の後、二人で使うのが楽しみです。招待する方の名簿も、今夜確かめませんか」
「そうね。式に呼ぶ方の名簿は、あらかた書き上がったわ」
オリヴィアは手帳を開き、フェリクスと一緒に名前を確認した。
フェリクスは公爵という身分であり、本来ならば王都の貴族たちを大勢招いた、豪華絢爛で大掛かりな夜会を開くこともできたはずだ。
だが、二人はそうした見栄を張るための場を望まなかった。
「招待するのは、ラウルたち三人と、ダリア監査官。それに、村のマルタさんやニナ先生、水門管理局のトマさんたち……本当に、これで十分?」
「はい。十分すぎるほどです」
フェリクスは、手帳に記された名前のリストを愛おしそうに見つめた。
「形式的な挨拶だけの何百人よりも、私たちが心から笑い合える、本当に大切な方々だけをお招きしたい。……あなたが気兼ねなく過ごせる、温かい規模の式にしましょう」
「ありがとう、フェリクス。……私も、それが一番嬉しいわ」
そして、式の前夜。
オリヴィアは、王都に来てからずっと滞在していた研修所の宿舎で、最後の荷造りを終えていた。
綺麗に片付いた部屋には、もう彼女の私物はほとんど残っていない。
ガランとした空間を見渡し、彼女はふと、手元に残していた革鞄を開けた。
その鞄のいちばん上に、大切に収められている一冊の帳簿。
最後の頁を開く。『全額返還済。残高〇』。あの日と同じ字だった。
閉じた帳簿の隣へ、赤い糸のノートを入れた。どちらも、新しい家の書棚へ置こうと思う。
明日の時刻は、帳簿ではなく手帳に書いてある。フェリクスと並べて確かめた集合場所を、もう一度見た。
「……寝坊は、できないわね」
そう呟いて笑い、鞄の留め金を閉じた。
オリヴィアは鞄を椅子へ置いた。明日の朝は少し早い。灯りを落とし、最後の一晩をこの部屋で眠ることにした。




