第40話 同じ家に帰る未来
聴取を終えた夕方、二人は川から離れた通りを歩いた。
避難に使った広場には、まだ返却待ちの荷車が並んでいる。それでも、店の扉は開き、焼きたてのパンの匂いがしていた。
フェリクスが店先で足を止める。
「少し、待っていただけますか」
買ってきたのは、小さなパンが二つだった。オリヴィアへ一つ渡して、彼は照れたように笑う。
「今日は、私が空腹です」
「安心したわ。いつも私のことばかり聞くから」
二人で公園の長椅子へ座った。紙包みを開くと、まだ温かい。
しばらく食べてから、フェリクスが言った。
「帰る場所を、同じにしたいのです」
オリヴィアの手が止まる。
「任務が終わって、あなたのいる家へ帰りたい。あなたが仕事で遅い日には、私が待っていたい。そういう暮らしを、これから一緒に続けられたらと」
彼は、今度はすぐに言い直さなかった。
オリヴィアは紙を折り、顔を上げた。
「私も、同じ家に帰りたいわ」
フェリクスがゆっくり息を吐く。
その顔を見ると、胸が温かくなった。もう、彼だけに言わせておきたくなかった。
「あなたと結婚したいと思っているの。でも、仕事も続けたい。どんなふうに暮らせるか、一緒に考えてくれる?」
「もちろんです」
オリヴィアの希望は、研修所へ通えることと、机を置ける静かな部屋だった。
彼にも、王都で果たす公務と、公爵家の仕事がある。家令がすべて肩代わりできるわけではなく、当主として人に会う場所も必要だという。
「別邸の北側に、小さな住居棟があります。本館とは門を分けられるので、公務の来客も直接は入りません。あそこなら、どうでしょう」
「お屋敷の中で、迷子にならない?」
「私も一緒に迷える広さではありません」
彼が笑った。オリヴィアも笑う。
護衛と家事の支えは必要だが、日常の部屋まで人を大勢置くことはしない。彼女も説明を聞き、次の休みに見に行くことになった。
「仕事で使う名前は、ヴァンザールのまま続けたいの」
「ええ。公的な婚姻の記録と、仕事の名義は分けて届けられます。書類を確認しましょう」
消された名前を取り戻そうとしている今、それを話しておけたことが嬉しかった。
オリヴィアは、彼の手を取った。
「それから、二人とも休むこと。あなたも、私も」
「では、予定が重なる日は、先に休みとして手帳へ」
「ええ。何もしない予定をね」
フェリクスは本当に手帳を出した。二人で覗き込み、翌週の休日に丸をつける。
「正式な求婚は、改めてさせてください」
彼が手帳を閉じた。
「今日の返事だけでも、十分幸せですが。あなたに渡したいものがあります」
オリヴィアは、少しだけ笑った。
「今度は、百枚の入金通知ではないでしょうね」
「それは、もう二度と」
「なら、楽しみにしています」
研修所との次の契約は、今の実証期間の後の話になる。勤務日が決まれば、引越しや式の時期も選びやすい。
記録の訂正と契約を、二人が会うたびに片付けなくてはならない宿題にはしたくなかった。今日は、結婚したいという気持ちを伝えられた。それでよかった。
フェリクスが手を握り返す。
「来週の審査も、ご一緒していいですか」
「ええ。終わったら、この先のお店で食事にしましょう。あなたが選んで」
「辛くないところでも?」
「知っています」
オリヴィアは笑って立ち上がった。
帰る宿舎は、今日も別だ。けれど、別れるまでの道は短すぎると思った。




