第4話 その百枚はお返しします
市公庫の面談室で、オリヴィアは入金通知と帳簿を並べた。
対面のフェリクスは、追加百枚と書かれた欄を見ている。広場で重い木箱を浮かせた手が、今日は膝の上で動かない。
「先生。お金をお返しになるということは……今後は、ご連絡も控えた方が」
「どうしてそうなるの?」
思わず問い返すと、彼は困った顔をした。
「お役に立てれば、と思っておりましたので」
オリヴィアは、昨日の短い散歩を思い出した。彼が知っている本屋の話をしているうちに、予定より一つ先の通りまで歩いてしまった。
あの時間に、銀貨は要らなかった。
「お手紙は嬉しいわ。昨日のお話も。でも、お金をいただく理由にはなりません」
彼女は追加分の返還欄へ署名した。
「机は直したいの。けれど、買い替えたいわけではないし、冬支度も自分で用意できます。百枚をいただく前に、どうしたいか聞いてほしかった」
フェリクスの視線が下がった。
「……申し訳ありません。困っておられると決めつけました」
「困ることはあるわよ。あの引き出し、湿った日には開かないもの」
彼が顔を上げたので、オリヴィアは笑った。
「その時に頼める職人を知っていたら、教えて。それが今は一番助かります」
「古い家具を直す工房に心当たりがあります。木目も、傷も、残すところを相談できます」
返事が急に早くなった。膝の上で動かなかった手も、工房の場所を示すように開いている。
「……フェリクス。職人を知らなくても、お手紙はちょうだいね」
彼の手が止まった。
「本屋のお話、まだ途中だったでしょう」
「はい。続きを、書きます」
今度の返事は少し遅く、声が柔らかかった。
「さっき、傷も残せると仰った?」
「ええ」
オリヴィアは少し考えた。
「角の焦げ跡は、残してもらおうかしら」
フェリクスが目を伏せた。彼が補習の初日に焦がした跡だ。
「……あれは、削っても構いません」
「あなたが初めて灯りをつけた日の記念でしょう」
「机まで明るくする予定ではなかったのですが」
笑ってから、二人で返還書類に目を通した。
職員が百枚の返金を確認し、預かり残高を三百九十六枚と記した。
オリヴィアが息をつくと、彼も椅子の背に少し体を預けた。
「定期分は、約束した今月末までに、四人それぞれへお返しします。教室を広げるお話も考えたけれど、今は法人の事業に応募したいから」
「承知しました。返金先の確認は、私の分は今日できます」
フェリクスはもう、引き留めなかった。
職員が書類を取りに席を外すと、彼は窓辺の古い机へ視線をやった。
「先生の机、王都まで運べば直せると思います」
「休みが取れた時に頼んでみます。まずは、採用されないとね」
「その後の休日なら……私も、村へ伺っていいでしょうか」
返金書類を挟んで交わす約束がおかしくて、オリヴィアは笑った。
「ええ。次はお菓子を買って待っています」
研修所へ戻ると、受付から封筒を渡された。採用前に確認する勤務条件と、実演審査の要領だった。
廊下の長椅子で開くと、給与だけでなく、教材を作る時間、準備業務の日数、作成者を記録する欄がある。
教室に立っている時間だけが、仕事ではないと書いてある。
オリヴィアは、その一行を指で押さえた。
「どうかなさいましたか」
「授業の準備にも、報酬が出るのね」
かつては夜中に図解を清書しても、翌朝の授業に間に合えばそれでよかった。その紙を誰が書いたか、問われることもなかった。
書面には、実演通過後に講師として正式採用、準備業務は別途日当を支給、とある。働く期間も終わりも、はっきりしていた。
「この仕事、受けたいわ」
言ってから、まだ合格していないことを思い出す。
「……そのために、まず審査ね」
フェリクスが頷いた。
「書き込み用の紙を、いただいてきましょうか」
「お願い。聞いておきたいことが、いくつかできたの」
彼が受付へ向かう間、オリヴィアは報酬欄の下へ、小さく『教材への記名』と書いた。
今度は、署名する前に確かめる。




