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私の教え子、王国最強になったあとも家庭教師代を払い続けているのですが~恩返しだと思っていたら、年下公爵の恋でした~  作者: 他力本願寺


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第30話 肩書きのない人たちから

利用者報告の時間になり、日焼けした顔に土や油の匂いを染み込ませた市民たちが、会議室へ入ってきた。


 先日の実証研修で教壇の前に座っていた水門見習いのトマを始めとする成人受講生たち。そして、彼らだけではない。その背後には、朝の乗り合い馬車で王都まで来た、ミル村の青年たちの姿もあった。


「報告の時間は限られている。感想だけで判断するわけにはいかないぞ」


 セドリック副議長が顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。


 しかし、独立監査官のダリアは冷徹な眼差しでセドリックを制した。


「副議長。この成人教育事業の主役は、他ならぬ彼ら市民です。実施記録に加え、利用した側の話も伺います。……お入りなさい。そして、あなたたちの言葉で話しなさい」


 ダリアに促され、市民たちは少し緊張した面持ちで会議室の中央へと進み出た。


 オリヴィアは信じられない思いで、隣に座るフェリクスを見上げた。彼が権力を使って証人を手配したのだろうか。だが、フェリクスは小さく首を横に振り、優しい声で囁いた。


「利用者からの申込みです。私も、参加者名簿で知りました」


「……俺たちは、王都の学院に通うような学はありません」


 最初に口を開いたのは、ミル村で農作業の傍ら、オリヴィアの読み書きの教室に通っていた青年だった。


「でも、オリヴィア先生が村の集会所で、根気よく文字や計算のやり方を教えてくれた。ただ覚えろって言うんじゃなくて、俺たちの生活に合わせて、どうしてこの計算が必要なのかを教えてくれたんです。おかげで俺たちは、王都から来る商人の契約書を自分で読めるようになり、不当に安く買い叩かれることがなくなりました」


 青年の言葉に、他の村人たちも深く頷く。


 それに続くように、トマが一歩前に出た。


「俺たちも同じです。あの難しい公式マニュアルを読まされても、どこから魔力を流せばいいのか分からず、何度も失敗していました」


 トマは、上座に座るセドリックを真っ直ぐに見据えた。


「先生には、わかったふりをしていたのを見つけられました。今は、管理局でも、わからない番号があったら班長へ聞きに行けます。聞き直しても、仕事を続けていいんだと思えるようになったんです」


 オリヴィアは胸の前で両手を組み、その証言を一つひとつ、自分の耳で受け止めていた。


 村の青年が、折り畳んだ納品契約の写しを出した。代金の欄に自分で入れた確認印を、少し誇らしそうに示す。


 オリヴィアはその印を見て、思わず笑った。村の教室で、何度も書き直していた字だった。


「……お聞きになりましたね、副議長」


 ダリア監査官が、静寂の落ちた会議室で口を開いた。


「利用者報告は、研修の記録に添えます。今後の範囲拡大には追加の検証が必要ですが、本日示された送金の事実だけで事業を止める理由はありません」


 ダリアは議事録を担当者へ渡した。


「それよりも問題なのは、現場の安全に関わる『調整の注意書き』を、標準教材から意図的に削除した改訂の経緯です。これについては、評議会の決裁記録を含め、私のもとで徹底的に調査させていただきます」


 セドリックは資料提出の期限を確認すると、短く会釈して退室した。ヘルマンがその後を追う。以前なら、その背中を見ただけで口を閉ざしていた。


 今日は、自分の言葉を議事録に残せた。


 オリヴィアは席を立ち、証言のために駆けつけてくれたトマや村の人々に向かって、深く、深く頭を下げた。


 長い会議が終わり、オリヴィアとフェリクスは研修所の控え室に戻ってきた。


 張り詰めていた緊張の糸が切れ、オリヴィアはソファに深く腰を沈めて息を吐いた。


 フェリクスが紅茶を淹れ、隣へ座った。少し濃い香りに、ようやく知っている場所へ戻ってきた気がした。


「村の子たちが、自分で契約書を確かめていたわ。私がいなくても」


「ええ。文字を見せてくれた時の、あなたの顔も忘れられません」


 オリヴィアがカップを置くと、彼はその手を取った。


「それから、あなたが私を好きだと、あの場で言ってくれたことも」


「事前に、相談したでしょう」


「はい。聞くのは、また別でした」


 彼の親指が、手袋を外した指の付け根に触れる。


「何度でも、思い出してしまいそうです」


 会議室では何もできなかった手が、今は彼女を離さない。オリヴィアは彼の肩へ少し身を寄せた。


「……では、書類の順番を思い出すのは、今日はもうやめましょう」


 フェリクスが笑った。彼も近づき、オリヴィアが目を閉じたところで、唇がそっと触れた。


 離れてからも、カップを取る気にはなれなかった。


 やがて扉がノックされた。二人が座り直すと、水門管理局の連絡係が顔を覗かせた。


「ロッシュ公爵閣下。設備の照会について、ご報告があります」


「入ってくれ。ヴァンザール先生にも伺っていただこう」


 フェリクスが応じると、連絡係は足早に近づき、一枚の書類をテーブルに置いた。


 村で出した照会には、いったん受付と初期確認の返答をもらっていた。今日は、管理局で点検票を照合した結果だった。


「共通教材と設備別の操作書の違いを、確認しました。点検済みの値を確かめず、共通教材の数値を流用している箇所がないか、順次点検しています」


「やはり……」


 オリヴィアが顔をしかめると、連絡係はさらに声を潜めた。


「問題はそれだけではありません。マニュアルに調整の指示がないにも関わらず、水門の各部品の直近の定期検査記録を確認したところ……すべての魔力負荷の数値が、寸分違わず『基準値』に揃っているのです」


 その報告に、室内の空気が一瞬で凍りついた。


 連絡係は報告書の別の欄を示した。実測するはずの値がすべて同じなのに、検査者の署名や測定時刻が抜けているという。


「……検査記録が、改ざんされているということですか」


 フェリクスの声が、底冷えのする魔導長のものに変わった。


「技師長が、元の測定票の確保と再点検を要請しています」


 連絡係の指した設備名を、オリヴィアは知っていた。トマが毎朝、仕事へ行く場所だった。

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