第18話 私だけにしかできないでは困ります
「この方は、まだ灯りを保てていないわ」
オリヴィアが指す欄を、シリルは覗き込んだ。
「ですが、初日にここまで観察できるのは先生だからです。熟練講師の特例としてなら、承認も早いかと」
王立学院で申請を重ねてきた彼なりの提案なのだろう。だが、その方式では、教えられる人がいつまでも増えない。
「シリル。あなたが私を評価してくれるのは嬉しいけれど……『私だけにしかできない』と言われては、困るのよ」
「え……? どういうことですか?」
オリヴィアは記録を机へ戻し、ニナの名前がある指導欄を示した。
「この欄を見て。ニナ先生が聞き直してくれたから、わかったこともあるでしょう」
シリルが隣の欄へ目を移した。
「私だけが教えられる、で終わったら、私の教室に入れない人はどうなるの。ほかの講師が試せる形で残したいわ」
「……特例では、先生の担当を増やすだけですね」
「ええ。明日、私が休んでも、教室を開けるようにしたいの」
シリルは、特例申請と書いた行を二本線で消した。
「承認を急ぐ方へ、考えが寄っていました。実証計画を組み直してみます」
シリルは深く頭を下げ、それからスッと研究者らしい知的な顔つきを取り戻した。
「まず、ニナ先生が担当した時の記録も、同じ欄で比べてみます」
「ええ、お願いね」
翌朝、検定部門から照会書が届いた。セドリック副議長の署名がある。
同じ時間内に教えられるか。補助講師を置いた場合の費用はいくらか。別の講師でも同じ到達基準を満たすか。
「手順から外れる方式の常設化は、現状では認め難い、ですって」
ニナが最後の一行を読んだ。
オリヴィアは照会書を置いた。腹は立つ。けれど、費用も時間も、教室を続けるためには答えなくてはならないことだった。
「授業時間と補助の回数も、記録に入れましょう。私が教えた時だけできるのでは、確かに困るわ」
シリルが頷き、測る項目を書き足した。
翌日の実証研修。
昨日のオリヴィアの言葉を証明する機会は、すぐに訪れた。
「あの、目盛りを見ようとしても、その前に魔力が一気に出てしまうんです」
若い女性の受講生が、困り果てた顔で新任講師のニナに助けを求めていた。
ニナは張り切って頷き、「大丈夫ですよ。では、ヴァンザール先生が使っていたように、この三段階の札を使って手順を分けてみましょう」と、オリヴィアの真似をして手作りの札を渡した。
しかし、受講生は札を受け取っても困惑したままだった。
「札の通りにやっても、なんだか最初の『魔力を流す』ところで、ドバッと出てしまうんです……」
「えっ? で、でも、札には順番通りにって書いてありますよね? 落ち着いて、もう一度……」
焦るニナ。オリヴィアが使った「三段階の札」という道具の形だけを真似てしまった彼女は、肝心の「この受講生がどこでつまずいているのか」という相手の言葉を拾い損ねていた。
遠くから見守っていたオリヴィアは、すぐに介入して正解を教えることはしなかった。ただ静かにニナのそばに歩み寄り、小声で囁いた。
「ニナ先生。その方が、一番難しいと感じるのはどこか、もう一度聞いてみませんか」
その助言に、ニナはハッとして立ち止まった。
彼女は深呼吸をし、自分自身の言葉で受講生に向き直った。
「順番ではなく、最初の量が難しいのですね。……お料理は、なさいますか?」
「え? は、はい。スープを作るのが得意です」
「では、魔力を流す時、蛇口から勢いよく水を出すのではなく、お鍋に少しずつ塩を振り入れるようなイメージでやってみてもらえますか?」
「塩を……振り入れる……」
女性は少しずつ流そうとして、また手を止めた。
「塩を振るのと、魔力って……私には、まだ別の感じです」
ニナは札を置き、技師が決めた低出力の範囲で、一回だけ流して止める練習に戻った。女性に合う感覚は、まだ探している途中だった。
最後に、ニナは指導欄へ『比喩だけでは届かず』と記した。オリヴィアもその隣に、試した順序を書き添えた。
その日の終業後。
準備室で片付けをしていると、扉の隙間からひょっこりとフェリクスが顔を出した。
「お疲れ様です、オリヴィア。……なんだか、とても良いお顔をされていますね」
私服姿の彼は、彼女の充実した表情を見て、まるで自分のことのように嬉しそうに目を細めた。
「ええ、まだ迷うことも多いけれど、二人で記録をつけると、違うところが見えてくるの」
オリヴィアが笑い返した時、慌ただしい足音とともに研修所の責任者が準備室に飛び込んできた。
「ヴァンザール先生。週明け、市の倉庫へ伺えますか。新しい保冷箱の操作に困っているそうです。技師の点検には問題がなく、使い方を教えてほしいと」
「今ある食品は大丈夫ですか」
「旧設備へ移しています。次の入荷までに、新しい箱を使えるようにしたいとのことです」
その言葉に、オリヴィアとフェリクスは顔を見合わせた。
教室という守られた空間ではなく、魔法の基礎すら学んだことのない初対面の倉庫作業員たち。彼らはオリヴィアの「元神学院講師」という肩書きなど知らないし、興味もないだろう。
求められるのは、ただ目の前の仕事で使える実益だけだ。
「承知しました。週明け、ニナ先生と一緒に伺います。担当の技師さんにも同席をお願いできますか」
オリヴィアの迷いのない返答に、フェリクスの顔に誇らしげな色が浮かんだ。
教室の外での、本当の実力試しが始まろうとしていた。




