第15話 返せば終わると思っていた
週明け。オリヴィアは公益研修所内にあるダリア監査官の執務室を訪ねていた。
机の上には、いくつかの古びた書類の束が置かれている。
「ヴァンザール先生。先日ご依頼いただいた、標準教材の原型に関する調査の進捗です」
ダリアは冷静な声で、調査状況を報告し始めた。
「保存目録に、補習図解案という表題と、担当部門の番号がありました。あなたの提出したものか、原稿番号で確認したいのです」
「村に置いたノートの、見返しに番号を書いたと思います」
「発送用の控えでも構いません。先に保管場所を絞れれば、原本の照合を始められます。教材の安全確認は別に進んでいますから、こちらは審査までに揃えましょう」
オリヴィアは隣人のマルタへ、書棚の発送控えを送ってもらう手紙を書くことにした。授業用ノートには生徒の私的な記録もある。第一段階の実証試験が終わった休暇に、自分で選び、持ち帰る予定をダリアへ伝えた。
「その日程で進めましょう。控えが届いたら、一度お持ちください」
自分の名前を取り戻すための、確かな一歩。オリヴィアは胸を撫で下ろし、執務室を後にした。
その日の午後、公庫で四人分の返還同意書が揃ったと知らされた。
並ぶ署名は、手紙で見慣れたものばかりだった。
「定期分の三百九十六枚は、指定された口座へ。三名様は書面で、ロッシュ公爵様は週末にご自身の分を確認されます」
オリヴィアは返還先を確かめ、確認欄へ署名した。口座の閉鎖は、全員分の処理が終わってからだ。
窓口を離れると、もう一度、週末の予定を確かめたくなった。
帰り道、宿舎の手前にある食堂へ目が留まった。
看板には、焼き林檎とある。甘いものを食べた時の、フェリクスの顔を思い出した。
入ってみようか。フェリクスと一緒に。
誘う文句を考えると、足が遅くなった。用件のある手紙ならすぐ書ける。けれど、店と日にちを決めて返事を待つのは、少し怖かった。
窓越しに、向かい合って座る客が見えた。
オリヴィアは鞄の中の本へ触れた。彼がくれた木の栞が挟んである。本を選んだ日の会話まで、浮かんできた。
月謝を返したいから会う、ではなく、またあんなふうに話したいから。
オリヴィアは店の前まで戻り、戸を開けた。
「土曜日も、焼き林檎はありますか」
店員の返事を聞き、手帳に店の名を書いた。
誘う言葉は、まだ決まっていなかった。それでも、帰り道の足は少し軽くなった。
そして、約束した週末。
オリヴィアは市公庫の簡素な面談室で、一人静かに待っていた。
テーブルの上には、預かり金口座の閉鎖を示す最終の処理書類が置かれている。
コンコン、と控えめなノックの音が鳴り、重い扉が開いた。
「お待たせしました、オリヴィア」
部屋に入ってきたフェリクスの姿を見て、オリヴィアは少しだけ目を見張った。
彼は、落ち着いた私服に身を包んでいた。手にしているのは、本人確認用の封筒だけだった。
「フェリクス……仕事の書類は、持っていないのね」
「はい。今日は公務ではありませんから」
フェリクスはテーブルを挟んで向かいの席に座ると、穏やかに、だが少しだけ緊張した面持ちで微笑んだ。
書類を確かめ終えたら、次の約束を自分から尋ねる。オリヴィアは、朝から考えていた言葉を、胸の中でもう一度繰り返した。




