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白銀と黒鋼  作者: ケイ
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2/3

白銀の思考

翌朝。


榊原迅准尉は、第零特務戦術部隊――通称・アヴァロンの執務区画を歩いていた。


昨日一日で、人生観がかなり変わった気がする。


まず、直属の上官が十五歳だった。


しかも車椅子。


そこまでは、まあいい。


いや、全然よくはないのだが、一万歩くらい譲れば受け入れられなくもない。


問題は、その十五歳が本当に化け物だったことだ。


模擬戦十戦。


十敗。


しかもこちらは実戦仕様。


相手は練習機。


それで一度たりともまともに攻撃を当てられなかった。


さらに、その後乗せられた正体不明の機体。


あれに搭載されていた戦闘補助AI。


あれはもっとおかしかった。


敵がどこにいるのか分かる。


何をしようとしているのか分かる。


どこへ動けば攻撃を避けられるのか分かる。


そして、どこを撃てば当たるのかまで分かる。


まるで。


戦場そのものが、自分に答えを教えてくれているようだった。


「……なんなんだよ、あれ」


昨日から何度目か分からない独り言を呟きながら、迅は目的の執務室へ向かう。


午前七時五十八分。


始業二分前。


一佐直属になった初日から遅刻などすれば洒落にならない。


迅は扉の前で立ち止まり、制服を軽く整えた。


ノックする。


「失礼します。榊原准尉、入ります」


「どうぞー」


昨日と同じ。


妙に軽い声。


扉を開ける。


「おはようございます、クロフォード一佐」


「おはよー」


レオン・クロフォード一佐は、すでに執務机についていた。


銀色の髪。


青い瞳。


白い肌。


細い身体。


軍服を着ていなければ、とてもではないが軍人には見えない。


まして一佐など、誰が想像するだろう。


それでも昨日の迅なら、この姿を見て最初に思ったのは「子供」だった。


今日は違った。


――こいつ、俺を十回殺したんだよな。


もちろん模擬戦ではあるが。


それを思うと、子供扱いする気には到底なれない。


レオンは机の上に積まれた書類へ次々と電子署名を入れていた。


昨日とは違い、かなり真面目に仕事をしている。


迅は少し意外に思いながら近付いた。


「……仕事してるんですね」


レオンの手が止まった。


「僕をなんだと思ってるの?」


「昨日ジュース飲みながら俺を煽ってた人」


「一佐だよ」


「知ってます」


「一応これでも、この部隊の指揮官だからね」


「へぇ」


「今ちょっと馬鹿にした?」


「気のせいです」


レオンがじろりと見上げてくる。


迅は視線を逸らした。


机の上を見る。


作戦報告。


人員配置。


整備計画。


物資承認。


戦況分析。


十五歳が処理しているとは思えない書類の山だった。


しかも既に半分以上片付いている。


迅が腕時計を見る。


八時を少し回ったばかり。


「何時からいるんすか」


「六時くらい」


「早くないです?」


「目が覚めたから」


「年寄りみたいですね」


「十五だけど」


「だから余計にですよ」


レオンがくすくす笑う。


そのまま次の書類へ目を落とした。


迅はしばらく待つ。


一分。


二分。


三分。


レオンは仕事を続けている。


迅はとうとう口を開いた。


「……あの」


「ん?」


「俺、何すればいいんすか」


「何って?」


「昨日から専属随伴官とかいう、いまいち仕事内容が分からない役職にされたんですよ」


「ああ」


レオンは今気付いたような顔をした。


「そういえば説明してなかった」


「してくださいよ!」


「ごめんごめん」


まるで悪びれていない。


レオンは端末を操作しながら答える。


「基本は僕の随伴」


「それは名前で分かります」


「護衛」


「はい」


「移動時の補助」


「はい」


「作戦行動時の随伴」


「はい」


「僕が出撃する場合は僚機」


「はい」


「例の機体の運用」


「はい」


「それと雑用」


迅が止まった。


「最後だけ急に扱い雑じゃないです?」


「そう?」


「仮にも准尉なんですけど」


「僕、一佐だよ」


「階級で殴ってくるな」


「上官だから」


「……」


レオンは迅を見る。


そして。


「コーヒー」


「は?」


「飲みたい」


迅は無言で見つめた。


レオンも見つめ返す。


数秒。


「……俺が?」


「専属随伴官」


「それ絶対業務内容に入ってないでしょう」


「雑用」


「便利な言葉だな!」


結局。


迅はコーヒーを淹れた。


「砂糖は?」


「二つ」


「ミルク」


「入れる」


「子供舌ですね」


「准尉」


「はい?」


「君も飲む?」


「いただきます」


何事もなかったように二人分を用意した。


こうして迅の《アヴァロン》勤務初日は始まった。


     *


午前八時四十分。


「じゃ、部隊案内するね」


レオンはそう言うと、机の横に置いていた端末を手に取った。


電動車椅子が静かに動き出す。


迅は反射的に後ろへ回った。


「押しますよ」


「いいよ」


「え?」


「自分で動けるから」


レオンは車輪脇の操作装置を軽く叩いた。


「これ電動」


「ああ……」


「というか、後ろからいきなり押されると結構怖いんだよ」


「あ、すみません」


「いいよ。知らなかったんでしょ」


さらりと言って、レオンは廊下を進む。


迅もその隣を歩いた。


車椅子だからといって、特別ゆっくりというわけでもない。


むしろ電動だから迅の普通の歩幅より少し速い。


「ちょ、一佐。速い速い」


「准尉が遅い」


「車輪使ってる人に言われたくないんですけど」


「文明の利器だよ」


最初に案内されたのは作戦管制室だった。


巨大な戦術モニター。


壁一面の通信設備。


複数のオペレーター席。


中央には立体戦域表示装置が設置されている。


「ここが作戦管制。僕が出撃しない場合は大体ここにいる」


「なるほど」


「僕が出撃するときは、副官が指揮を引き継ぐ」


「副官いるんすね」


「いるよ」


「じゃあ俺いらないじゃないですか」


「役割違うから」


次。


医務室。


次。


情報解析室。


次。


専用ブリーフィングルーム。


そして。


格納庫。


扉が開いた瞬間。


迅は思わず立ち止まった。


「……でか」


《アヴァロン》専用格納庫。


通常の部隊とは明らかに設備の規模が違う。


天井は高く。


整備用クレーンが何本も走り。


床では十数名の整備兵が忙しそうに動き回っている。


だが迅が見たのは、そこではなかった。


格納庫中央。


一機の機動兵器が立っている。


黒。


いや。


完全な黒ではない。


光を吸い込むような濃いガンメタル。


肩部と胸部だけ、わずかに銀色の装甲が入っている。


全高およそ十八メートル。


細身。


高機動型。


背部には通常機より大型の推進ユニット。


昨日シミュレーターで使った機体だった。


実物。


迅はしばらく見上げていた。


「……これ」


「うん」


レオンが横に並ぶ。


「昨日君が乗った機体」


迅は機体から目を離さない。


「名前は?」


「まだない」


「は?」


「正式採用されてないから」


「型式番号は?」


「XR-17」


レオンは端末を操作する。


「試験用高機動戦術機動兵器。とりあえず開発側は《ヴァリアント》って呼んでる」


「ヴァリアント……」


迅は名前を口の中で転がした。


悪くない。


いや。


かなり好きだ。


「……これ、俺が乗るんすか?」


「その予定」


「専用機?」


「そうなるね」


「新品?」


レオンが少しだけ考えた。


「一応」


「一応?」


「実機完成してから誰もまともに動かせてない」


迅が振り向く。


「……なんで?」


「昨日説明したでしょ」


「AI?」


「正確には戦術補助演算システム」


レオンは黒い機体を見上げる。


「適合しない」


「誰も?」


「候補者はいたよ」


その時。


近くで作業していた男が振り返った。


四十代くらい。


油で汚れた整備服。


胸には整備主任を示す徽章。


「三十二人な」


迅が男を見る。


「三十二?」


「お前の前に試したパイロット」


整備主任が工具を肩に担ぐ。


「全員駄目だった」


「……」


「同期前の段階で十三人。軽度同期で十人。実機起動までいったのが九人」


「九人も動かしたなら――」


「動かしただけだ」


男は言う。


「三十秒持たなかった」


迅の表情が変わる。


レオンは黙っている。


整備主任が続けた。


「嘔吐、失神、平衡感覚喪失。重いやつだと二日寝込んだ」


「……」


「なのに昨日、お前は初回起動で同期率八十二パーセント」


迅は眉を寄せた。


「八十二?」


「三戦目には八十九」


整備主任が迅をじっと見る。


「こっちが聞きたい。お前、何者だ?」


「普通の准尉です」


「普通は八十九なんて出ねえよ」


「俺に言われても……」


迅がレオンを見る。


レオンも肩をすくめる。


「だから僕も分からない」


「解析してないんですか」


「してるよ。でも原因不明」


「遺伝とか?」


「一致する既知因子なし」


「脳波?」


「特徴なし」


「訓練歴?」


「似た経歴のパイロットで全滅」


迅はますます分からなくなる。


レオンが楽しそうに笑った。


「だから面白いんだよね」


「……俺、実験動物扱いされてません?」


「半分くらい」


「帰りますよ」


「もう異動命令出てるから無理」


「最悪だ」


整備主任が笑った。


「諦めろ、准尉。こいつに目付けられた時点で終わりだ」


「人聞き悪いなぁ」


レオンが不満そうに言う。


そして格納庫奥へ進んだ。


迅もついていく。


「あ」


レオンが足を――いや、車椅子を止める。


壁際の高い棚を見上げた。


「迅」


「はい」


「あれ取って」


指差した先。


棚の上段。


整備資料。


迅は一瞬黙った。


「……そこは素直に頼むんですね」


「届かないものは届かない」


「さっき押そうとしたら断ったじゃないですか」


「自分でできることは自分でやる」


レオンは当然のように言う。


「できないことだけ手伝ってもらえばいいでしょ」


迅は少しだけ黙った。


「ああ」


棚から資料を取る。


「はい」


「ありがと」


受け取ったレオンは、それ以上何も言わない。


迅も何も言わなかった。


ただ。


その言葉だけは妙に印象に残った。


     *


午前十時。


作戦会議。


迅は本来なら参加する階級ではない。


だがレオンの専属随伴官という立場上、後方待機を命じられた。


円卓には佐官以上が並んでいる。


大佐。


准将。


少将。


そして。


その中に十五歳の少年が座っている。


正確には車椅子だが。


迅は部屋の最後尾に立ちながら、少しだけ不安になった。


昨日の模擬戦を経験した自分は知っている。


レオンは強い。


異常なほど。


しかしそれと、指揮官として認められているかどうかは別だ。


十五歳。


どう考えても若すぎる。


この場にいる将官からすれば、自分の子供どころか孫に近い者もいる。


――舐められてんじゃねえだろうな。


だが。


迅の予想は、開始三分で外れた。


立体戦域図が表示される。


前線。


第七宙域。


友軍第三艦隊。


対する北方連合軍。


情報参謀が説明する。


「現在、第三艦隊は第七宙域外縁にて敵第十一機動艦隊と交戦中。戦力比はおよそ一対一・二。現状維持は可能ですが――」


「下げてください」


レオンが言った。


会議室が静かになる。


迅もレオンを見る。


少将が眉を寄せた。


「クロフォード一佐?」


「第三艦隊を二千キロ後退」


レオンは戦域図の一点を指す。


「この防衛線まで」


「しかし」


別の大佐が口を挟む。


「そこまで後退すれば、第七宙域の民間輸送航路を敵へ明け渡すことになる」


「はい」


「物資輸送への影響は甚大だぞ」


「承知しています」


レオンの口調は穏やかだった。


だが一切迷いがない。


「現在の位置を維持すれば、第三艦隊は六時間以内に戦力の四割を失います」


「根拠は?」


「敵が中央突破を狙っていないからです」


戦域図が拡大される。


敵部隊。


一見すれば中央へ圧力をかけているように見える。


レオンが指を滑らせた。


「左翼の機動部隊。十二分ごとに位置を変えている」


「陽動では?」


「陽動です」


迅は眉をひそめる。


陽動なら何が問題なのか。


レオンは続ける。


「中央に注意を向けさせて、こちらの左翼を少しずつ外へ引っ張っています」


戦域図上で味方部隊の予測進路が表示された。


「あと二時間続けば、第三艦隊の陣形はここで分断される」


一本の線。


綺麗に。


味方艦隊が二つへ裂ける。


会議室の空気が変わった。


「その瞬間に敵機動部隊が侵入。指揮艦を狙う」


「……」


「恐らく敵の狙いは第三艦隊そのものではありません。こちらを撤退させたいだけです」


少将が腕を組む。


「ならば、なぜあえて後退する」


レオンが顔を上げる。


「相手がそうしてほしいから」


「……?」


レオンは戦域図をさらに縮小した。


後方。


敵軍補給線。


「北方連合第十一艦隊の現存推進剤残量は推定三十四パーセント」


迅は目を瞬いた。


そこまで分かるのか。


「昨日の戦闘時間、出撃した機動兵器数、推進剤補給記録。今日の機動量から逆算すれば、現在はその程度です」


「なら敵も長期戦は望んでいない」


「はい」


「補給艦隊が来る?」


「十二時間以内に」


レオンが即答する。


大佐が怪訝そうに見る。


「断定できるのか?」


「できます」


「なぜ」


「敵司令官がそういう人だから」


会議室に、一瞬だけ妙な沈黙が流れた。


迅も思わず顔を上げる。


レオンは真顔だった。


「敵第十一艦隊司令、ヴァルター・グレイヴ准将。過去三年間の作戦記録上、推進剤残量が三割を下回った状態で戦闘継続した例は一度もありません」


資料が表示される。


「三十五パーセント付近から必ず補給要求を出しています」


「……」


「かなり慎重な人です」


迅は内心で引いた。


敵司令官の性格まで戦術情報として記憶している。


レオンは何でもないことのように続ける。


「こちらが後退すれば、敵は追撃します。想定より推進剤を消費する」


地図上の敵艦隊が前進する。


「補給艦隊は予定を早める」


後方から別の印が現れる。


「ここ」


一地点。


「この航路を通ります」


少将が戦域図を凝視する。


「確率は」


「八十七パーセント」


「高いな」


「残り十三パーセントなら、僕が修正します」


十五歳。


車椅子。


細い身体。


それなのに。


その場にいる誰も笑わなかった。


誰も年齢を持ち出さない。


誰も彼の判断を「子供の意見」と扱わない。


やがて少将が頷いた。


「クロフォード案を採用する」


「ありがとうございます」


「第三艦隊を後退。敵補給艦隊確認後、反攻作戦へ移行」


迅は後方で敬礼する。


会議が終わるまで。


レオンが十五歳であることを忘れていた。


     *


「……一佐」


会議室を出たところで迅が声をかけた。


「なに?」


「さっきのやつ」


「どれ?」


「十二時間以内に補給艦隊が来るってやつですよ」


「ああ」


レオンは廊下を進む。


迅も横について歩く。


「本当に敵司令官の性格で判断したんすか」


「それだけじゃないよ」


「他には?」


「推進剤消費、母港までの距離、補給艦の現在位置、敵の航行速度、最近の補給周期」


「……」


「あと天候」


「宇宙ですよ」


「恒星風」


「ああ……」


レオンは少し考える。


「でも最終判断は性格かな」


「そこなんだ」


「人間が指揮してるんだから、人間を見るのが一番早いよ」


迅はしばらく黙った。


「……敵の指揮官、全員覚えてるんすか」


「主要人物は」


「何人くらい」


「んー」


少し考える。


「三百くらい?」


迅が止まった。


レオンだけ進む。


三メートルほど離れたところで振り返る。


「迅?」


「……化け物」


「今さら?」


     *


午後一時十七分。


警報が鳴った。


《アヴァロン》全域に鋭い警告音が響く。


迅は食堂で遅めの昼食を取っていた。


箸を置く。


同時に腕の端末が震えた。


緊急招集。


作戦管制室。


迅が駆け込むと、すでにレオンが中央にいた。


先ほどまでの軽い空気はない。


大型モニターに敵影。


「クロフォード一佐!」


「来たね」


「補給艦隊?」


「違う」


レオンが表示を拡大する。


機動兵器四機。


小型輸送艦一隻。


「敵の偵察部隊。航路を外れて侵入してる」


迅はモニターを見る。


「迎撃部隊は?」


「近隣部隊が出るより君が早い」


「……俺?」


レオンが振り向いた。


「初仕事」


迅は少し固まる。


「一佐は?」


「行かない」


「え?」


「僕はここにいる」


迅が思わず声を上げる。


「昨日配属されたばっかなんですけど!」


「知ってる」


「実機であれ乗るの今日初めてですよ!」


「そうだね」


「相手実戦部隊ですよ!」


「うん」


迅はレオンを見る。


「……信用しすぎじゃないです?」


「違う」


その答えだけ。


少し声が低かった。


青い瞳が迅を真っ直ぐ見る。


「昨日見た」


「……」


「君なら勝てる」


ただそれだけだった。


根拠を並べるでもなく。


励ますでもない。


事実を言うように。


迅は数秒黙った。


それから。


「了解」


敬礼する。


「榊原迅准尉、迎撃に出ます」


レオンも敬礼した。


「行ってらっしゃい」


     *


《ヴァリアント》コックピット。


固定具が迅の身体を包む。


システム起動。


計器点灯。


黒い機体の双眼が光る。


『XR-17、起動確認』


整備員の声。


『戦術補助演算システム接続』


迅の視界に表示が走る。


脳波同期。


神経反応。


視線追跡。


予測演算。


SYNC 41。


55。


68。


79。


84。


止まった。


『同期率八十四。安定』


「昨日より低い?」


『実機だからな。十分異常だ』


整備主任の声。


『無茶すんなよ』


「了解」


通信が切り替わる。


レオン。


『迅』


「はい」


『怖い?』


迅は少し笑う。


「緊張はしてます」


『それなら大丈夫』


「怖くない方がヤバい?」


『そういうこと』


発進シークエンス。


カタパルト接続。


格納庫前方が開く。


その向こう。


暗い宇宙。


迅は操縦桿を握る。


昨日はシミュレーターだった。


今日は違う。


撃たれれば死ぬ。


撃てば。


相手が死ぬ。


『XR-17《ヴァリアント》、発進許可』


迅は息を吐いた。


「榊原迅。《ヴァリアント》、出ます!」


加速。


身体がシートへ押し付けられる。


黒い機体が宇宙へ飛び出した。


     *


敵影四。


距離、一万二千。


迅はレーダーを見る。


「……いる」


シミュレーターとは違う。


ノイズ。


通信障害。


センサー誤差。


敵の熱源も綺麗な数字では表示されない。


その瞬間。


視界の端に光が走った。


右上。


迅は反射的に操縦桿を倒す。


ビーム。


避ける。


「っ!」


来ると思った。


いや。


分かった。


《ヴァリアント》が教えた。


次。


左下。


敵二機。


一機が正面。


もう一機が回り込む。


「そこか!」


旋回。


照準。


引き金。


ビームが敵機の肩を撃ち抜く。


迅の目が見開く。


「当たる……」


敵が急旋回する。


その進路が薄い線になって視界へ浮かぶ。


未来軌道。


完全ではない。


だが。


そこへ撃てば。


「――当たる!」


発射。


命中。


敵機が爆発する。


一機撃墜。


迅の呼吸が少し荒くなる。


実戦撃墜経験はある。


それでもこれは今までと全く違う。


自分が上手くなったわけではない。


自分の感覚そのものが拡張されている。


二機目。


高速接近。


近接装備。


敵がブレードを展開する。


斬撃。


迅は半歩――機体なら数メートル分、前へ踏み込む。


敵の剣が背後を通る。


懐。


「もらった!」


腹部へ射撃。


撃破。


三機目。


遠距離。


狙撃。


視界に警告。


迅は回避。


同時に反撃。


敵のライフルを撃ち抜く。


「すげぇな、これ……」


思わず笑いそうになる。


怖いほど。


機体が自分に馴染む。


その時。


警告。


四機目。


位置。


「……輸送艇?」


民間識別信号。


小型輸送艇。


戦域から逃げ遅れたらしい。


敵機が、その背後へ回る。


迅の表情が変わった。


「ふざけんな……」


敵は輸送艇を盾にしている。


こちらが撃てないと分かっている。


その瞬間。


AIが射撃解を表示する。


迅の瞳が止まった。


敵機。


民間輸送艇。


二つが。


同じ射線上にある。


《FIRE》


「……は?」


射撃推奨。


命中率九十四パーセント。


敵撃破確率九十一。


民間艇損耗確率。


迅の顔から笑みが消える。


「おい」


補助表示は消えない。


撃て。


最適解だと。


表示している。


「撃てるわけねえだろ!」


迅は射撃解を強制解除した。


敵機が攻撃。


回避。


民間艇を盾に移動。


「クソッ!」


通常なら退くべき状況。


援軍を待つ。


あるいは敵が民間艇から離れるまで牽制する。


しかし迅は違う選択をした。


「だったら――!」


追加推進器。


最大出力。


警告が鳴る。


《OVER G》


「うるせえ!」


急加速。


敵機の側面へ。


敵が迅を追う。


民間艇から離れる。


ほんの数秒。


それでいい。


迅は機体を反転。


敵が照準を向けるより早く。


「そこだ!」


射撃。


敵機の推進器。


爆発。


行動不能。


迅は追撃しなかった。


「敵機、戦闘不能。救難信号確認」


呼吸を整える。


「民間艇、生きてるな」


『生存確認』


管制から返事。


迅は大きく息を吐いた。


「……帰ります」


     *


帰投後。


コックピットが開く。


迅はヘルメットを脱ぎながら昇降機へ乗った。


身体が重い。


精神的な疲労もある。


格納庫へ降りる。


レオンが待っていた。


「お疲れ」


「……どうも」


迅の声は少し低かった。


レオンがそれに気付く。


「何かあった?」


「一佐」


「うん」


「あのAI」


迅はヘルメットを脇に抱えた。


「民間船ごと撃とうとしましたよ」


周囲の整備員が少しだけ静かになる。


レオンは答えない。


迅が続ける。


「射撃解が出た」


「うん」


「命中率九十四パーセント」


「見てた」


「敵を倒せる代わりに、民間艇にも当たる射線でした」


「そうだね」


迅の眉が寄る。


「……知ってたんすか」


「知ってる」


即答。


迅の顔が険しくなる。


「じゃあ直してください」


レオンが首を傾げる。


「どうして?」


「は?」


「敵を撃墜できる」


「民間人が死ぬでしょうが!」


迅の声が格納庫へ響いた。


レオンは怒らない。


ただ迅を見ている。


「敵一機を逃がした場合、その機体がこの後味方を何人殺すか分からない」


「だからって」


「迅」


声が少し冷たくなる。


「戦場で全員を助けることはできないよ」


迅が黙る。


レオンは続けた。


「一人を助けることで十人が死ぬこともある」


「……」


「十人を助けるために一人を見捨てることもある」


静かな声。


十五歳とは思えないほど。


慣れている声。


「僕たちはそういう選択をする仕事だから」


迅はレオンを見る。


「……それでも」


拳を握る。


「俺は撃てません」


「うん」


「もし同じ状況になっても」


「うん」


「俺は撃たない」


レオンはしばらく迅を見つめていた。


やがて。


「それでいい」


迅が眉を上げる。


「……は?」


「撃たなくていい」


「いや、さっきと言ってること――」


「違わないよ」


レオンは車椅子を少し進める。


黒い《ヴァリアント》を見上げた。


「君が今日使ってた戦術補助AI」


少し間。


「僕が基礎になってる」


迅が止まる。


「……何?」


「正確には、僕の戦闘思考を抽出して構築した戦術演算モデル」


「……」


「敵の動きをどう見るか」


レオンが指を一本立てる。


「どこへ動けば避けられるか」


二本。


「どこを狙えば最短で無力化できるか」


三本。


「戦場で何を優先するか」


迅の顔から少しずつ表情が消える。


「待ってください」


「うん」


「じゃあ」


《ヴァリアント》を見る。


「今日俺に見えてたやつ」


未来軌道。


射線。


敵の動き。


回避可能領域。


「全部……」


レオンが答える。


「僕の見てる戦場に近い」


迅は言葉を失う。


昨日。


レオンは言った。


ビームの隙間を通れば当たらない。


撃ちそうだったから分かった。


あれは。


冗談でも。


強がりでもなかった。


本当に。


この少年にはそう見えている。


「……じゃあ」


迅はゆっくりレオンを見る。


「民間船ごと撃つ判断も」


沈黙。


数秒。


レオンは目を逸らさなかった。


「僕なら撃った可能性が高い」


迅の表情が固まる。


「……」


「敵機一機」


レオンは淡々と言う。


「敵エースなら、今後数十人を殺す可能性がある」


「……」


「民間艇の乗員は六名」


数字。


もう調べている。


「僕なら比較する」


迅は何も言えない。


「それで六を捨てることで三十を救える可能性が高いなら」


レオンは静かに言う。


「撃つ」


十五歳。


そんな年齢の人間が口にする言葉ではない。


しかし。


この少年は。


きっと何度も。


似たような選択をしてきた。


迅は少しだけ。


昨日とは違う意味で、レオンを怖いと思った。


レオンが視線を落とす。


「でも」


声が変わった。


ほんの少しだけ。


柔らかく。


「君は撃たなかった」


迅を見る。


「しかも敵を倒して、民間艇も助けた」


「……偶然ですよ」


「違うよ」


「一歩間違えたら俺も撃墜されてた」


「それでも選んだ」


レオンは静かに微笑んだ。


「僕の演算結果を無視して」


「……」


「自分で考えた」


迅は何も返せなかった。


「たぶん」


レオンが《ヴァリアント》を見る。


「それが正解なんだと思う」


「何がです?」


「AIを僕の完全なコピーにする必要はない」


銀髪が照明を反射する。


「僕の戦い方を君に押し付ける必要もない」


「……」


「僕の考えを使って」


レオンが迅を見る。


「最後は君が決めればいい」


迅はしばらく黙った。


「一佐」


「なに?」


「それ、昨日説明しといてくださいよ」


「説明したら先入観入るでしょ」


「そういう問題じゃない!」


レオンが笑う。


「だから黙ってた」


「俺、戦場で初めて知ったんですけど!」


「あはは」


「笑うな!」


格納庫に迅の声が響く。


整備員たちが苦笑している。


迅は盛大にため息を吐いた。


「……もう一個聞いていいです?」


「どうぞ」


「なんで俺なんです」


レオンが瞬きをする。


「適合したから?」


「それだけですか」


「今のところは」


「……」


「でも」


レオンは少し考える。


「今日、一個増えたかな」


「何が」


「君を選ぶ理由」


迅が怪訝そうな顔をする。


レオンは笑った。


「僕と違うから」


「……それ褒めてます?」


「かなり」


「分かりづらいなぁ……」


迅は頭を掻く。


レオンが車椅子の向きを変える。


「じゃ、帰ろっか」


「どこに」


「執務室」


「まだ仕事あるんです?」


「あるよ」


「俺戦って帰ってきたんですけど」


「知ってる」


「休憩とか」


「コーヒー淹れていいよ」


「俺が!?」


「雑用」


「その言葉便利すぎるだろ!」


レオンはけらけら笑いながら先へ進む。


迅はその背中を見て。


ふと。


《ヴァリアント》を振り返った。


黒い機体。


その中にいる。


レオン・クロフォードという人間の戦場が。


迅の頭にはまだ、あの感覚が残っている。


敵が動く前に分かる。


射線が見える。


逃げ道が見える。


あれが。


この少年が普段見ている世界。


「……そりゃ化け物って呼ばれるわ」


小さく呟く。


少し先でレオンが振り返った。


「何か言った?」


「なんでもないです」


「早くー」


「はいはい」


迅は歩き出した。


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