2 刺繍のハンカチ
「…ええと、え?…あいたっ!」
勢い込んで始めた刺繍だけれど、一向に進まない。だって私は正真正銘の不器用人間。
ヒロイン補正という魔法が私を助けてくれるはずだと期待していたけれど、ここにはないみたい。
何故だか糸は永遠に絡まり、針は布ではなく私の指を刺す。
「これ絶対無理だよぉ…」
私は迷った末に「刺繍が上手な人に助けてもらいたい」とお願いした。
「奥様…!こんなに指を傷だらけにして…!」
そう声をあげるこの人は、メイド頭のゾフィーさん。
原作では超絶いい人で、エマのことも「女性嫌いの旦那様がようやく迎えた、小動物のように可愛い奥様」として丁重に扱っていた。
「私どもが代わりにさせていただくこともできますが」
「ええと…あの…結婚の記念として旦那様にお渡ししたくて。だから自分でやりたくて…」
「まあ奥様ったら、お顔だけではなくて心まで可愛らしくていらっしゃる…!!」
「いや、それほどでも…」
ゾフィーさんに指導してもらって、丸二日。
物理的に血の滲む努力の結果、ハンカチへの刺繍はなんとか完成した。
「でも…なにこれ」
私はごくりと喉を鳴らす。ちらっとゾフィーさんを見ると、彼女は気まずそうに目線を逸らした。
それもそのはず。
白い高級なハンカチの上に鎮座するのは、天仙花では、決してなかった。
うねうねとのたうつ緑の糸に、歪に絡まって立体的な塊と化している銀の色。
いやしかし、このイベントの心はハンカチの出来栄えではなくて、ヒロインの”一生懸命さ”と”健気さ”にあるのだから大丈夫なはず。
「遠くから目を細めて見れば、ちょっと枯れかけた天仙花に見えなくもないし…」
私は震える手で、ノートの「イベント1」のページに「途中経過」を追記した。
《自分の不器用ぶりがわかった。ゾフィーさんに散々迷惑かけて指からいっぱい血も出して、なのに天仙花というよりは魔界の植物になってしまった。こんなので戦場での無事が叶うのかな。でもきっと気持ちは伝わる、と信じてる》
◆
ヴィルフリート様の執務室のドアを、緊張しながらノックする。
「なんだ」
初めてここに来た日以来に会ったけれど、相変わらず冷たい琥珀色の瞳。
その冷たさがギャップを好むヴィルフリート担にはたまらないので、これは私にとって、物語前半でしか味わえないご褒美に他ならない。
「結婚の記念に、ハンカチに刺繍をしました。その…上手にはできなかったのですが、ぜひお受け取りいただけたらと思いまして…」
本来ならプレゼントになどできようもないクオリティ。
しかし原作のエマがここでヴィルフリート様の心を軽くプッシュしている以上、私だってイベントこなさないわけにはいかないのだ。
「これが…?」
ヴィルフリート様は目の前に差し出されたハンカチを、戦慄の表情で眺める。驚いている表情すらソービューティフル。
「この意匠は一体…」
「天仙花…です」
「天仙花…!?どこがどう…」
そして彼は、絆創膏だらけの私の指に目を止めた。
「いや、そうだな。天仙花だ。ありがたくいただこう。しかし今後はこういった気遣いは無用だ。気を遣わずにゆっくり過ごすといい」
「…はい!」
受け取ってくれて、お礼まで。天仙花だと伝わったし、絆創膏にもちらりと目を向けてくれた。
有能な旦那様の細かい観察眼、良き。
原作のエマが刺繍の上手さでアピールしたのとはちょっと違ったけど、ヴィルフリート様のために頑張った健気さは伝わったはず。
私はるんるんと部屋に戻る。
「ゾフィーさん!協力してもらえたおかげで、旦那様に喜んでいただけたみたい!」
「よかったですわ!」
ノートには《結果:受け取ってもらえたし、お礼も言われたし、しかも超絶下手な刺繍を天仙花と認めてくれた!ヴィルフリート様って、冷たく見えるけど本当の本当は優しくて、そこが最の高!好きすぎる。これでちょっと私のことを意識してくれるようになったと思う!》と記入する。
私は知らない。
執務室でヴィルフリート様がハンカチを凝視しながら、何を考えているかなんて。
◆
「おぞましい刺繍に手の傷…まさか、この刺繡には血の呪いが込められているのか…!?」
広い領地と強大な軍事力を有する公爵家。
それゆえ、私に近づいてくる女や家門は、富と栄誉を求めているか、反対に公爵家を没落させようとしているかだった。
うっとりと近づいてきた女に毒を盛られそうになったことも、数知れない。
だから人畜無害な家門から妻を選んだのに、こんなことになるとは。
「焼いてしまうか?いや、下手に処分しようとして呪いが発動するのは危険…」
私ははっとした。
「まさかこの結婚は、私を呪い殺すための暗殺計画なのか…?」




