第97話 背負える量
今日は潜らない日だ。
10階から戻った翌朝、結人は珍しく目覚ましより少し早く起きた。
身体は重い。
目の奥も少し熱い。
それでも、今日は休むと最初から決めていた。
10階は入れば入るほど、視線と判断が削られる。
無理に連続で潜る階じゃない。
だから今日は、整える日だ。
顔を洗い、机の上のノートを開く。
* 白い道は道じゃない
* 分かれ目に立つな
* 途切れた先が口だ
* 輪の中に立つな
* 輪の外で動け
* 欠けた所に寄るな
* 形の外で繋げ
* 残る白は減る
* 広い白は残らない
* 残る白は1人分
* 見えた白は渡せ
* 先の白は折れる
かなり増えた。
10階は嫌だ。
かなり嫌だ。
でも、ちゃんと形になってきている。
結人はノートを閉じて、小さく息を吐いた。
今日は、その形を支えるものを整える。
⸻
朝食は、前より少しだけ良くなっていた。
ハムエッグ。
トースト 2枚。
パックのサラダ。
ヨーグルト。
それに、少しだけ高めの野菜スープ。
前なら、こういう日はパン 1つかゼリーで済ませていた。
疲れているから作らない。
金も気になる。
だから適当で終わる。
でも今は違う。
ちゃんと食べる方が、次の潜りに繋がる。
そういう考え方がもう自然になっていた。
食べながら、床に置いてある今のバックパックを見る。
使えないわけじゃない。
でも、もう足りない。
10階に入ってから、特にそう思うようになった。
回復薬。
予備の飲み物。
食料。
布。
目薬。
簡易ライト。
筆記具。
整理用の小袋。
持ちたい物は増えているのに、今のバッグだと詰め込むしかない。
しかも取り出しづらい。
焦った時に、必要な物が必要な順番で出てこない。
10階みたいな階で、それはかなり嫌だ。
結人は食べ終わると、空になった皿を流しへ置き、財布を確かめた。
大丈夫だ。
今の自分なら、買える。
ただ安い物を買うんじゃない。
今の自分に必要な物を、ちゃんと選んで買える。
それがかなり大きかった。
⸻
昼前、結人は街のアウトドア用品店へ向かった。
ダンジョン用装備専門というほどではない。
でも、探索者や山歩きの客も多い店だ。
店の中は静かで、天井からバッグが何個も吊られている。
棚には小分けポーチ、ボトル、レインカバー、保存食、応急用品。
結人は少しだけゆっくり見て回った。
今までなら、まず値札を見ていた。
そして、安い順に妥協できる物を探していた。
でも今日は違う。
先に見るのは、使い方だ。
背負った時に重さがどう分散するか。
ポケットの位置。
前面の小物収納。
サイドポケットに何が入るか。
中の仕切りはどうなっているか。
それを見てから値段を見る。
その順番が、少しだけ嬉しかった。
店員が近づいてくる。
「お探しですか?」
結人は少し迷ってから答えた。
「ダンジョン用で、今より少し容量を増やしたいです。
でも大きすぎると動きにくいので、背負ったまま取り回せるくらいで」
店員はすぐにいくつか候補を出してくれた。
20L台後半。
30L前後。
細長いもの。
横に広いもの。
前面が大きく開くもの。
結人は 3つほど実際に背負ってみた。
1つ目は軽い。
でも中の仕切りが少ない。
2つ目は大容量。
でも、少し大きすぎる。
10階みたいな狭い白の余白で、身体の外側が増えるのはかなり嫌だ。
3つ目を背負った瞬間、少しだけしっくりきた。
今のものよりひと回り大きい。
でも、厚みが出すぎない。
前面が大きく開く。
上部と前面に小物ポケット。
左右にボトルポケット。
中も仕分けしやすい。
かなりいい。
結人は一度バッグを下ろして、今使っている持ち物を頭の中で並べた。
上位回復薬。
通常回復薬。
飲み物。
携行食。
目薬。
布。
ライト。
予備電池。
ノート。
ペン。
小袋。
それが、今のバッグよりかなり自然に入る形だった。
「これ、いいですね」
結人がそう言うと、店員が頷いた。
「取り出しやすいので、現場での整理がしやすいと思います」
現場での整理。
かなり、その通りだった。
結人は少しだけ笑った。
「これにします」
⸻
会計を終え、店の外で新しいバックパックを一度背負ってみる。
かなり軽い。
もちろん中身はまだ入っていない。
でも、背面の感触が今までと違う。
前のバッグは、必要な物を押し込む感じだった。
今のこれは、必要な物を順番に入れられる感じがする。
背負える量が増える。
でもそれ以上に、考えを持ち運べる量が増える。
結人はその感覚がかなり気に入った。
⸻
次は政府ギルドの売店へ向かう。
今日は潜らない。
でも補給はする。
今までは、通常の回復薬を中心に持っていた。
もちろん上位回復薬も知っていたが、値段を考えると“ここぞ”の存在だった。
だが、10階に入ってから考え方が変わった。
あそこは、傷を負ってからどうするかより、
崩れる前に立て直せるかが大きい。
なら、持っておくべきだ。
売店の前で、結人はガラスケースの中を見た。
通常回復薬。
上位回復薬。
状態異常用。
補助用。
値札はやはり高い。
雑に買えるものじゃない。
でも、前みたいに“無理だな”では終わらなかった。
今は、“何本持てるか”を考えられる。
結人は少し迷ってから、上位回復薬を 2本、通常回復薬を 2本選んだ。
全部を上位にするわけじゃない。
それはまだ違う。
でも、上位回復薬を前提装備に入れられる。
そこがかなり大きい。
売店の職員が、商品を袋へ入れながら言った。
「10階ですか?」
結人は少しだけ目を上げる。
「はい」
「上位を持っていく人、増えますよね。
あそこ、立て直しの速さが大事ってよく聞きます」
結人は小さく頷いた。
「かなり、そうです」
その短いやり取りが、妙に嬉しかった。
今の自分の買い方が、ちゃんと“今の階に入っている探索者の買い方”になっている。
それが分かるからだ。
⸻
食べ物も少し変えた。
今までのゼリーや簡易バーだけじゃない。
個包装のナッツ。
少ししっとりした高カロリーパン。
肉系の保存スティック。
塩分が取れるクラッカー。
それに、飲みやすい小型の栄養ゼリー。
どれも、いきなり豪華になるわけじゃない。
でも、ラインナップが“とりあえず腹に入れる物”から、
現場で判断を保つための補給に変わっている。
それがかなり大きかった。
結人は買った物を袋へ入れながら、少しだけ思う。
昔は、ダンジョンに持っていく物も“安いから”が最優先だった。
今は違う。
“今の階に必要だから”で選べる。
それは、かなり静かな成長だった。
⸻
部屋へ戻る。
床へ新しいバックパックを置き、今までのバッグの中身を全部出す。
並べる。
通常回復薬。
飲み物。
ゼリー。
バー。
布。
小型ライト。
電池。
目薬。
ノート。
ペン。
小袋。
そこへ今日買ったものも足していく。
上位回復薬 2本。
ナッツ。
高カロリーパン。
肉系スティック。
塩クラッカー。
新しいゼリー。
スポーツドリンク。
並べるだけで、前より“ちゃんとしている”感じがあった。
結人は 1つずつ考えながら詰め直していく。
取り出しやすい上部ポケットに、目薬と上位回復薬。
前面ポケットにゼリーと通常回復薬。
サイドに飲み物。
中には食料を種類ごとに小分け。
布とライトはすぐ触れる位置。
ノートとペンは一番奥にしない。
詰め終わると、かなり違った。
前のバッグは膨らんでいた。
今のバッグは、整理されていた。
背負ってみる。
少し重い。
でも、重さが嫌じゃない。
前より“持てる”感じがある。
結人は鏡の前に立って、少しだけ自分を見る。
前より、ちゃんと探索者に見える。
かなり小さいことかもしれない。
でも、本人にはかなり大きい。
⸻
夕方、机の上で新しい補給の並びを見ながら、結人はノートを開く。
* バックパック新調
* 上位回復薬 2本を前提装備へ
* 食料の質が上がる
* 取り出し順まで整理できる
* 持てる量が増える
* 迷わず補給を選べる
そこまで書いて、少しだけ手が止まる。
前は、“持ちたい物がある”こと自体が少し苦しかった。
金が追いつかないからだ。
今は違う。
全部ではない。
でも、必要な物を必要なだけ持てる。
それだけで、次の潜りの不安が少し減る。
かなり大きい。
⸻
夜、簡単に夕飯を作る。
肉と野菜を炒める。
味噌汁。
ごはん。
それにヨーグルト。
食べながら、結人は新しいバックパックを視界に入れていた。
妙に嬉しい。
派手な武器じゃない。
レア装備でもない。
でも、このバッグはたぶん今の自分にかなり合っている。
10階みたいな階では、
強い武器より先に、必要な物を必要な順番で持ち運べることがかなり大事になる。
それをようやく、自分の側にも揃えられた。
その実感が、かなり嬉しかった。
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スマホを開く。
アーカイブのコメントが増えている。
10階ほんと嫌だけど面白い
入口の言葉かなり助かる
“見えた白は渡せ”好き
この人、攻略を言葉にするの上手い
装備もだいぶ整ってきそう
最後の 1行で、結人は少しだけ笑った。
見えている人には、そういう変化も少し分かるのかもしれない。
実際、だいぶ整ってきた。
数字だけじゃない。
生活だけでもない。
装備、補給、準備、見え方。
その全部が少しずつ揃ってきている。
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夜、最後にノートを開く。
* 次の休みで整えたこと
* バックパック新調
* 上位回復薬を前提装備へ
* 食料ラインナップ改善
* 変わったこと
* 持てる量が増えた
* 取り出し順が整った
* 迷わず補給を選べる
* 次の潜りへの不安が少し減った
最後に、1行だけ足した。
* 強くなると、持てる物が増える
書いてから、結人はペンを置いた。
かなり静かな休みだった。
でも、かなり大きい休みでもあった。
次に潜る時、背中にある物は前より少し多い。
その分、前より少し遠くまで行ける気がする。
今日は、そういう日だった。




