第75話 屋根の下で待つな
9階は、青を信じると遅れる。
その1本が立っただけで、大通りの最初の交差点まではかなり見やすくなった。
信号に合わせない。
脚を見る。
踏み込みを待つ。
それだけで、青灯鹿の理屈はだいぶ剥がれる。
でも、9階がそれだけで終わるとは思っていなかった。
ここは街だ。
しかも、“人が当たり前に従ってきたもの”を裏返す階だ。
なら次に来るのは、たぶん待ち方だ。
結人はそう思いながら、今日の配信を始めた。
遅刻廃都圏 / 9階 更新2日目
同接は44。
少しずつ増えている。
しかも最近は、コメントの反応が早い。
見てから考えるんじゃなく、一緒に考えながら見ている感じがある。
「天城結人です。
今日は9階の大通りの先を見ます。
今ある言葉は1本。
“青は進めじゃない”
その先を見ます」
コメント欄が流れる。
炭酸:9階続き
通り雨:街の先だ
澪:お願いします
迷子の斥候:次は何が逆になるんだろう
凪:進む合図を疑えたなら、次は待つ場所を疑う
結人はその1行を見て、少しだけ目を細めた。
やっぱり、そこか。
⸻
交差点を抜けて少し進むと、道路の形が変わった。
片側3車線ほどの大通りが、ゆるく円を描くように広がっている。
中央にはロータリー。
その周囲に、いくつもの停留所跡が並んでいた。
バス停だ。
低いベンチ。
透明だったはずの板はもう割れ、金属の骨組みだけが残った屋根がいくつも並んでいる。
時刻表のケースは黒く汚れ、中身は空。
案内の矢印だけが、まだかろうじて見える。
待つ場所だったのだと、すぐに分かった。
人が立ち止まり、次を待つ場所。
遅れてくるものに合わせる場所。
かなり、9階らしかった。
「嫌な場所ですね」
三枝が静かに言う。
「かなり嫌です」
結人も同意した。
青灯鹿の交差点を越えたあとで、今度は停留所。
進む合図を疑った次に、待つ場所が出てくる。
この階、分かってて並べているみたいだった。
⸻
最初の停留所の屋根の下に、何かがぶら下がっていた。
結人はすぐに足を止める。
虫に見えた。
だが、近づくとかなり大きい。
人の上半身ほどはある。
細長い胴。
節の多い脚。
背中は時刻表ケースみたいな半透明の板で覆われていて、その内側に黒い筋が何本も走っている。
腹の先端は鋭く、細い針になっていた。
顔の位置には複眼ではなく、小さな数字板みたいな光点がいくつも並んでいる。
停留蜂。
バス停や待合屋根の裏に張りつき、“止まる人間の真上”を取る9階の待ち伏せ型下位種。
こいつは歩いている相手には飛びかからない。
人が“安全そうな屋根の下”で足を止めた瞬間、上から針を落としてくる。
実用的に言えば、
9階では、屋根の下で待つな。
停留蜂は立ち止まった瞬間の真上に落ちる。
止まる場所そのものが罠になる。
それが、9階の2本目になりそうだった。
「屋根の下、入らないでください!」
結人がすぐに言う。
真壁が反射で止まる。
その一拍後、停留所の屋根裏から黒い影が落ちた。
速い。
屋根の真下、ちょうど人が立ちそうな位置へ一直線だ。
真壁が半歩だけ外へ逃がし、盾を上へ跳ね上げる。
金属音。
停留蜂の針が盾に刺さる。
長い。
かなり深い。
もし直撃していたら、肩ごと持っていかれていたかもしれない。
坂城が横から斬る。
脚が2本飛ぶ。
結人の槍が腹へ刺さる。
黒い液が、ベンチの残骸に垂れた。
その死骸が落ちた直後、さらに隣の停留所屋根からもう1匹。
やはりそうだ。
待つ場所ごとにいる。
⸻
「9階、屋根の下は待機位置じゃないです!」
結人は配信へ向けて言う。
「止まるなら、屋根の真下を避けます!」
コメント欄が流れる。
炭酸:うわ最悪
通り雨:バス停そのものが罠か
澪:待合の機能が逆転してますね
迷子の斥候:待つ場所が危ないの嫌すぎる
凪:待てと言われる場所ほど、この街では遅い
かなりいい。
待てと言われる場所ほど、この街では遅い。
結人はその感覚を胸の中で転がす。
9階は、本当に“正しさ”を裏返す階なんだと思う。
進んでいい。
待っていい。
止まっていい。
そう思える場所全部が、怪しい。
⸻
停留所の並ぶロータリーは見通しがいい。
でも、だから安心というわけじゃなかった。
屋根。
ベンチ。
案内板。
時刻表ケース。
どれも人にとっては“ここに立てばいい”という目印だ。
だから敵も、そこを狙う。
結人は停留所の外側、道路寄りのラインを選んだ。
屋根の下には入らない。
ベンチの前にも立たない。
止まるなら、何もない場所で止まる。
かなり奇妙だった。
街では普通、何もない場所で立ち止まる方が危ない。
でも9階では逆だ。
「こっちですね」
三枝がロータリーの外周を見て言う。
「停留所を使わない方が通りやすい」
「はい。
待合を捨てた方がいいです」
真壁が苦く笑う。
「待つ場所が待てない場所か」
「そうです」
かなり嫌な言い方だった。
でも、かなり正確でもあった。
⸻
ロータリーの中央付近で、青灯鹿が1体、道路の向こうに現れた。
角の先に赤、黄、青。
巨体。
道路の真ん中。
その奥には停留所が3つ並んでいる。
かなり分かりやすい。
青灯鹿で動かせて、停留所で待たせて、停留蜂で刺す。
9階はそういう連携をしてくる。
「青見ても出ません!
屋根の下も入りません!」
結人が叫ぶ。
青灯鹿の角が順に点く。
赤。
黄。
青。
誰も動かない。
すると青灯鹿が痺れを切らしたように踏み込み、その瞬間、停留所屋根の裏で黒い影が一斉に揺れた。
やはりいた。
停留蜂が3匹。
「坂城さん、鹿の脚!
真壁さん、上見ます!
三枝さん、右の屋根!」
一気に指示が飛ぶ。
坂城が青灯鹿の前脚へ入る。
真壁が落ちてきた蜂を盾で受ける。
三枝の声で、右の停留所の屋根裏にいた影の位置が通る。
結人は真ん中の蜂へ槍を突き上げた。
針が顔の横を掠める。
冷たい感触。
紙一重だった。
でも、抜けた。
槍先が腹を貫き、停留蜂が落ちる。
そのまま結人は踏み込み、青灯鹿の喉元へ二撃目を入れた。
巨体がぐらつく。
真壁の盾が蜂を弾き、坂城の剣が脚を落とす。
最後は道路の真ん中で、青灯鹿がゆっくり膝を折った。
信号の青が遅れて消える。
その後に、停留所屋根から落ちた停留蜂の脚が、ぱらぱらとアスファルトを叩いた。
静かだった。
かなり嫌な静けさだった。
⸻
結人は大きく息を吐き、配信へ向けて言う。
「9階の2本目、たぶんこれです。
“屋根の下で待つな”」
コメント欄がすぐに反応した。
炭酸:いい
通り雨:わかりやすい
澪:綺麗につながりますね
迷子の斥候:青は進めじゃない、屋根の下で待つな
凪:進む合図と待つ場所、その両方が敵になる
そのまとめ方も、かなりよかった。
進む合図。
待つ場所。
どっちも敵。
9階は、都市の“正しい使い方”そのものを逆転させる階なんだ。
⸻
今日はロータリーの半周までで引いた。
無理をすればもう少し先へ行ける。
でも、9階は雑に進むと理屈が崩れる。
街は広い。
だからこそ、言葉を雑にすると全部がぼやける。
帰り際、結人は停留所の残骸を見上げた。
屋根。
案内板。
ベンチ。
時刻表。
本来なら、人を落ち着かせるための場所。
ここでは逆に、人を止めて刺す場所。
かなり9階らしかった。
⸻
政府ギルドへ戻ると、相良環は端末に向かったまま言った。
「どうでしたか」
「停留所が出ました。
屋根の下に蜂型が張りついてて、止まった位置へ落ちてきます」
相良が顔を上げる。
「待機位置そのものが罠になる」
「はい。
青灯鹿と組み合わせるとかなり嫌です。
青で動かせて、停留所で止めて、上から刺してきます」
相良はすぐに打ち込む。
「……綺麗に悪いですね」
結人は少しだけ笑った。
「かなり悪いです」
「2本目は?」
「“屋根の下で待つな”です」
相良はその一文を入力したあと、少しだけ考えるように言った。
「9階は、“街のルール”がそのまま逆転している感じですね」
「そう思います」
「だから、日常の感覚ほど危ない」
その一言が、かなりしっくりきた。
日常の感覚ほど危ない。
そういう階だ。
⸻
部屋へ戻り、ノートを開く。
* 9階
* 地上の街
* 大通り
* ロータリー
* 停留所
* 青灯鹿
* 青は進めじゃない
* 停留蜂
* 屋根の下で待つな
* 止まる位置の真上を取る
最後に、1行だけ足した。
* 9階は、“普段なら正しいこと”をすると遅れる階
書き終えてから、結人はしばらくその文を見ていた。
普段なら正しいこと。
信号に従う。
屋根の下で待つ。
それがここでは、死ぬ側の選択になる。
だからこそ、ここを抜けた先にいるものは、きっともっと厄介だ。




