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同接0人、時間だけが味方だった。  作者: TimeBender


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74/114

第74話 青は進めじゃない

9階へ下りた瞬間、空気が変わった。


湿った地下の匂いが消える。

代わりに、乾いた埃と焼けた金属の匂いが鼻へ入る。


そして、結人は思わず足を止めた。


「……外だ」


誰より先にそう言ったのは、真壁だった。


9階は地上だった。


いや、本当に地上なのかは分からない。

でも、見える景色は完全に“街の外”だった。


頭上には、夕方みたいな空がある。

暗くなりきらない群青。

赤と紫が薄く混ざった、ずっと沈みかけているような色。

そこに高架橋の残骸が斜めに走り、折れた信号機や道路標識が黒い骨みたいに突き出している。


地面はアスファルト。

ひび割れた車道。

白線。

横断歩道。

中央分離帯。

壊れたバス停。

潰れた案内板。


街だ。


駅でも地下街でもない。

人が“遅れながら移動する場所”を抜けた先にある、

もっと大きな、人の流れそのものの残骸だった。


遅刻廃都圏。


7階で駅。

8階で地下街。

そして9階で街に出る。


かなり綺麗だと思った。

かなり嫌でもあった。



配信を始める。


遅刻廃都圏 / 9階 初踏破


同接は42。


数字が少しだけまた上がった。

それ以上に、コメント欄の空気が前より“待っていた”感じだった。


7階を通し、8階を通し、その先の9階。

ここがこの圏域の最後だと、視聴側もなんとなく分かっているのかもしれない。


「天城結人です。

9階に入りました。

景色がかなり変わってます。

駅や地下街じゃなくて、地上の街です」


コメント欄が流れる。


炭酸:うわすご


通り雨:地上きた


澪:綺麗ですけど嫌ですね


迷子の斥候:ずっと夕方なのか


凪:最後は、街そのものが遅れる


その言葉は、かなりしっくりきた。


街そのものが遅れる。


9階は、そういう景色だった。



最初の道路は4車線ほどあった。


左右に崩れたビル。

片側はガラスの落ちた商業棟。

もう片側はバスロータリーの残骸。

信号機は斜めに垂れ、青も赤も灯っていないはずなのに、ときどき内部でぼんやり光が滲む。


風は弱い。

でも、遠くから遅れてサイレンみたいな音が届く。


7階の音の遅れ。

8階の道の誘導。

その両方が、街全体へ広がったみたいな気配がある。


「9階、かなり広いですね」


三枝が言う。


坂城は高架橋の下を見ていた。


「死角が多い」


真壁は道路の中央を見ている。


「真ん中が嫌だな」


結人も同じだった。


道路は開けている。

でも、開けている場所ほど危ない。

それは8階で学んだ。


だからといって、歩道が安全とも限らない。

9階はまだ、何を信じればいいか分からない。


その時だった。


前方の交差点。


折れた信号柱の下に、何かが立っていた。


高い。


鹿に似ていた。


だが、普通の鹿よりずっと細い。

脚は長く、関節の位置が妙に高い。

肋骨の浮いた胴には、白線みたいな筋が何本も通っている。

首は長く、顔は削り出した金属みたいに尖っていた。


そして何より、角だ。


枝分かれした長い角の先端に、それぞれ小さな灯りが宿っている。

赤。

黄。

青。


信号機そのものを、角にしたみたいだった。


青灯鹿。


9階の道路や交差点に立ち、合図そのものを罠に変える大型下位種。

こいつはすぐに襲わない。

まず止まり、角の灯りを順に点ける。

赤。

黄。

青。


その“進んでよさそうな合図”に合わせて、人が動いた瞬間に踏み抜いてくる。


実用的に言えば、

9階では、青は進めじゃない。

青灯鹿は“動いていい”と思わせてから突っ込む。

信号に合わせて踏み出すと遅れる。


それが、9階の最初の理屈だった。


「止まってください!」


結人が叫ぶ。


真壁が一歩出かけて止まる。

その瞬間、青灯鹿の角先で青が強く灯った。


進め、と言われた気がした。


でも、それは罠だ。


次の瞬間、青灯鹿が道路を踏み砕くように突進した。


速い。


巨体なのに、かなり速い。


真壁が盾を構える。

坂城が横へ回る。

結人は中央ではなく、少し遅らせて右へ踏む。


青灯鹿は“合図に反応した位置”を狙っていた。

もし今、青に合わせてまっすぐ出ていたら、正面から潰されていた。


「青は罠です!」


三枝がすぐに言葉を合わせる。


「合図で動かない!」


真壁が受ける。

鈍い衝撃。

盾の縁が悲鳴を上げる。


坂城の剣が後脚を浅く裂く。

結人は槍を首の付け根へ滑らせる。

だが硬い。

骨か金属か分からない感触が返ってくる。


青灯鹿は一度跳ね、また信号柱の下へ戻った。


そしてもう一度、角の灯りが点る。


赤。

黄。


かなり嫌だ。


本当に、進めと言っているように見える。



「……分かりやすいですね」


三枝が小さく言った。


「分かりやすいぶん、引っかかる」


「はい」


結人も短く返す。


9階は、街だ。

だから人が従ってきた“合図”をそのまま利用してくる。


止まれ。

待て。

進め。


普通なら安全のための情報が、ここでは逆になる。


それがかなり性格が悪い。


でも、理屈としては強い。


「次、青でも出ません」


結人が言う。


「青になった瞬間じゃなくて、その後の踏み込みを見ます」


真壁が頷いた。


「合図じゃなく脚を見る」


坂城も位置を下げる。


「動き出しに合わせる」


かなりいい。


青灯鹿がまた角を点す。


赤。

黄。

青。


今度は誰も動かない。


すると、青灯鹿の巨体がほんの少しだけ前へ沈む。

踏み込みだ。


その瞬間、坂城が横から入る。

後脚の腱を深く断つ。

青灯鹿の体勢が崩れ、真壁の盾が角を弾く。

結人の槍が喉へ食い込む。


血とも油ともつかない黒い液が、アスファルトへ飛び散った。


青灯鹿は数歩たたらを踏み、それでもまだ立っていたが、最後は道路脇のガードレールに首を引っかけるように崩れ落ちた。


角先の青が、遅れて消えた。



静かになる。


道路の真ん中に、巨大な死体が横たわる。

白線みたいな筋。

三色の角。

ずっと夕方の空。


景色としては、かなり綺麗だった。

でも、綺麗なだけに嫌だった。


結人は配信へ向けて言う。


「9階、最初の大型は鹿型です。

信号みたいな角で合図を出します。

でも、青で動くと危ない。

たぶん最初の言葉は“青は進めじゃない”です」


コメント欄が速く流れる。


炭酸:きた


通り雨:めっちゃ分かりやすい


澪:街の階らしいですね


迷子の斥候:安全情報が逆になるの嫌すぎる


凪:正しい合図ほど、この街では遅い


その1行も、かなりよかった。


正しい合図ほど、この街では遅い。


9階は、そういう階かもしれない。



今日は、入口の大通りと最初の交差点までで引いた。


9階は広すぎる。

そして、見えるもの全部が“従ってよさそう”に見える。


信号。

白線。

道路。

標識。


人が安心するためのものが多すぎる。

だからこそ、その全部が罠になりうる。


帰り際、結人は倒れた青灯鹿をもう一度見た。


あれはたぶん、ただの大型じゃない。

この階の思想そのものだ。


動いていいと言われた時に、動かせて潰す。


かなり、9階らしい。



政府ギルドへ戻ると、相良環はいつもより少しだけ早く立ち上がった。


「9階、どうでしたか」


結人は答える。


「地上の街です。

道路と交差点があって、鹿型の大型が出ました。

信号みたいな角で合図を出して、青で動くと踏み抜いてきます」


相良の指が止まる。


「合図に従わせて潰す」


「はい。

最初の言葉にするなら、“青は進めじゃない”です」


相良はすぐに打ち込む。


「……いいですね」


「9階、今までより“従ってきた常識”が危ない気がします」


相良は静かに頷く。


「7階は順番。

8階は道。

9階は合図、ですか」


「たぶん」


「遅刻廃都圏の最後らしいです」


その言い方に、結人も少しだけ頷いた。


最後らしい。

確かにそうだった。



部屋へ戻り、ノートを開く。


* 9階

* 地上の街

* 夕方みたいな空

* 道路と交差点

* 安全情報が多い

* 青灯鹿

* 信号の角

* 合図に合わせて突進

* 青は進めじゃない


最後に、1行だけ足した。


* 9階は、“従ってきた合図”を信じると遅れる階


書いてから、結人はペンを置いた。


7階で順番。

8階で道。

9階で合図。


この圏域は、人が都市の中で当たり前に使ってきたものを、順番に裏返している。


だから難しい。

でも、だからこそ言葉にした時の手応えも強い。

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