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同接0人、時間だけが味方だった。  作者: TimeBender


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71/113

第71話 危ないのは前じゃない

8階へ下りた瞬間、結人は7階との違いをすぐに感じた。


まず、広さだ。


7階は駅だった。

ホーム、広場、改札、通路。

人を流すための形が、まだ分かりやすく残っていた。


でも8階は違う。


もっと街に近い。


足元は磨かれた石みたいなタイル。

左右には店だったらしい区画が並び、割れたショーウィンドウの向こうに、倒れた棚や黒ずんだ陳列台が見える。

天井からは長い案内板。

交差する通路のたびに、色の剥げた床線が伸びている。


広い。

枝分かれが多い。

前後左右の道が、いくつも繋がっている。


地下街だ、と結人は思った。


閉じたシャッター。

割れたガラス。

色あせた広告。

人の気配だけが抜け落ちて、流れの形だけが残っている。


そして、その流れが嫌だった。


7階は順番を狂わせる階だった。

8階はもっと、進む方向そのものを迷わせる形をしている。


「……こっちは街だな」


真壁が低く言う。


坂城は通路の分岐を見ていた。


「交差が多い」


三枝は床線の消えかけた矢印を見ている。


「誘導の跡だけが残ってますね」


かなり、嫌な言い方だった。


でも、その通りだった。



配信を始める。


遅刻廃都圏 / 8階 初踏破


同接は33。


7階の突破を見て、そのまま来ている人が何人かいる。

数字はまだ大きくない。

でも、続けて見る理由がちゃんと生まれている感じがした。


「天城結人です。

今日は8階の入口確認です。

7階とは景色がかなり違います。

地下街みたいな構造で、交差が多いです」


コメント欄が流れる。


炭酸:ほんとに街だ


通り雨:7階より嫌そう


澪:視線の向きが増えますね


迷子の斥候:横道が多い


凪:次は、前だけ見てると遅れる


結人はその1行を見て、少しだけ頷いた。


前だけ見てると遅れる。


たぶん、そうなる。



入口近くの通路は静かだった。


7階みたいな遅れた金属音も薄い。

代わりに、遠くでシャッターの軋むような音が断続的に響く。


右に店跡。

左に細い脇道。

前方に広い交差点のような空間。


タイルの床には、白い帯が何本も走っている。

横断歩道みたいだった。


その時だった。


前方の交差点に、何かが見えた。


低い。

細い。

長い脚。


狼に似ていた。


だが、普通の狼じゃない。


身体は妙に薄く、肋骨の浮いた横腹には白い帯が何本も入っている。

まるで横断歩道の線を、そのまま体に貼りつけたような模様だった。

四肢は長く、関節が異様に高い。

頭部は前へ尖り、目に当たる位置には緑と黄の光が交互に瞬く。

尻尾は細く、先だけが赤く点る。


横断狼。


広い通路や交差点に棲み、直線ではなく横切る動きで獲物を裂く8階の下位種。

こいつは真正面から威嚇しない。

むしろ正面で一度見せて、注意を前へ集める。

その上で、本命は横道から抜く。


実用的に言えば、

8階では、危ないのは前じゃない。

横断狼は正面で止まり、交差の瞬間に横から来る。

前方確認だけでは遅れる。


それが、8階の最初の理屈だった。


「前に1……いや、横!」


結人が叫ぶ。


正面の狼は動かない。

だが左の脇道、床の埃が跳ねる。


本体はそっちだ。


真壁が即座に盾を左へ返す。

次の瞬間、横から灰色の影が走り抜け、盾へ激突する。


速い。


かなり速い。


しかも、真正面に見えていた個体は、まだその場に立っている。


威嚇役。

本命は横道。


坂城が低く言う。


「正面は囮か」


「はい。

交差点で横を切ってきます!」


もう1体。

今度は右。


通路の先に見えた影に意識が寄った瞬間、右脇の店跡から狼が跳ねる。


結人が槍を横へ振る。

脇腹を掠める。

白い帯の入った毛皮が裂け、黄の目が強く瞬いた。


遅れて、正面にいた個体が走り出す。


前と横。

同時じゃない。

でも、意識をずらしてから本命が入る。


かなり嫌だ。



交差点の手前まで下がり、結人は素早く周囲を見た。


前方。

左右。

店跡の入口。

細い通路。

広告板の陰。


8階は、視線を前に固定すると危ない。


7階は順番を疑う階だった。

8階は進路そのものを広げて、注意の穴を作る階なのかもしれない。


「前じゃなくて横を見ます!」


三枝が即座に返す。


「交差点に入る前に左右確認ですね」


「はい!」


もう1体が左から来る。

真壁が受ける。

その直後、正面から囮だった個体が踏み込む。


だが坂城の剣が先に入る。

首。

深い。


倒れた。


残った1体は右の店跡へ逃げ込もうとしたが、結人の槍が肩を貫く。

床へ転がる。

白い帯が赤黒く濡れ、目の黄が消えた。


静かになる。


だが、静かになったあとほど8階は嫌だった。

どこからでも来られる形をしている。



結人は配信へ向けて言う。


「8階の入口、前だけ見てると危ないです。

正面に見せて、横から本命が来ます」


コメント欄が流れる。


炭酸:なるほど


通り雨:狼なのに横断なの嫌だ


澪:交差点の作りそのものが罠ですね


迷子の斥候:7階と違って前後左右か


凪:危ないのは前じゃない


その言葉を見た瞬間、結人の中で1本目が立つ。


危ないのは前じゃない。


短い。

強い。

8階の入口としてかなりいい。


「……たぶん最初の言葉はこれです。

危ないのは前じゃない」


三枝が頷く。


「使いやすいです」


真壁は盾の縁についた血を払った。


「横道を見る癖がいるな」


坂城も短く言う。


「交差点に入る前に止まる」


かなり、その通りだった。



さらに少し進む。


8階は7階より明るい。


照明が多いわけじゃない。

でも、広告板の残光や割れたショーケースの反射で、暗さが均一じゃない。

そのせいで通路の奥行きが読みにくい。


しかも、分岐が多い。


十字。

T字。

斜めの細道。

半開きの店跡。


地下街の“便利さ”が、そのまま不便になっていた。


人が通りやすいように作られたはずの形が、

今は獣が横から切り込むための形になっている。


7階の改札みたいな閉塞感はない。

その代わり、8階は開きすぎていて怖い。


その時、少し先の広い通路で、横断狼が2体並んで現れた。


今度は正面だ。


だが結人はもう、正面を信用しない。


「左右の店跡見ます!」


真壁が左。

坂城が右。

三枝が天井の案内板の影を見る。


次の瞬間、左のシャッター下から本命が飛び出した。

真壁が盾で受ける。

同時に右の細道からもう1体。

坂城が斬る。


正面の2体は一拍遅れて前進する。

でも、もう遅い。


結人の槍が1体の喉を穿ち、残る1体は三枝の指示で位置を切られた。


「通りますね」


三枝が静かに言う。


「通る」


結人も同意した。


8階の入口は、前へ進める。


まだ嫌だ。

かなり嫌だ。

でも、理屈が立てば進める。



今日は入口の交差点までで引いた。


無理はしない。

7階もそうだった。

最初の日に全部取ろうとすると、理屈が崩れる。


帰り際、結人はもう一度だけ振り返る。


割れたガラス。

止まった広告灯。

交差する道。

横断歩道みたいな白線。


この階は、人の“前へ進む”を信じて作られている。

だからこそ、前以外から刺してくる。


かなり性格が悪い。


でも、分かりやすくもある。



政府ギルドへ戻ると、相良環はメモを開いたまま待っていた。


「どうでしたか」


結人は答える。


「8階は地下街みたいな構造です。

店跡と交差点が多い。

それで、狼型が出ます。

正面に見せて、横から本命が来ます」


相良の指が止まる。


「前に注意を集めて、横から」


「はい。

入口の言葉にするなら、“危ないのは前じゃない”です」


相良はすぐに打ち込む。


「……いいですね」


「8階は、前だけ見てると遅れます」


相良は静かに頷いた。


「7階が順番を狂わせる階なら、8階は進路を広げて狂わせる階かもしれません」


結人もそう思った。


同じ遅刻廃都圏でも、嫌さの出方が違う。

そこが面白かった。



部屋へ戻り、ノートを開く。


* 8階

* 地下街

* 店跡

* 交差点が多い

* 前後左右の視線が必要

* 横断狼

* 正面で見せる

* 本命は横道

* 危ないのは前じゃない


最後に、1行だけ足した。


* 8階は、“進む方向”を信じすぎると遅れる階


書いてから、結人はペンを置いた。


7階を通したあとで、8階はまた別の嫌さを出してくる。

でも、嫌さが違うということは、言葉もまた新しく作れるということだ。


それなら、まだ進める。

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