表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同接0人、時間だけが味方だった。  作者: TimeBender


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

57/62

第57話 映りは遅れる

次の日、結人は朝から政府ギルドへ向かった。


休んだあとの身体は軽い。

4階の重さはまだどこかに残っている。

けれど、無理に押している感じはない。


今日は下へ行く。

5階を見る。


売店で水を2本、回復薬を2本、塩飴を1袋。

それに、滑りやすい床を意識して靴底の簡易止めを1つ買った。


4階の湿気とは違う。

5階はまだ見ていない。

でも、下から上がってきた空気は、湿っているのに冷たかった。

あれは多分、床の性質が変わる。


会計を済ませると、昨日より少しだけ多く視線を感じた。

話しかけられるほどではない。

でも、前みたいに完全に誰の視界にも入らない感じではない。


4階の入口の言葉。

4階の奥まで通ったこと。

そういうものが、少しずつ残り始めている。


相良環の窓口へ向かう。


「今日は5階ですね」


「はい」


相良は端末を見ながら続ける。


「後ろにつく探索者は3人です。

4階ほどではありませんが、見たい人はいます」


結人は少しだけ頷く。


「ありがとうございます」


「5階はまだ報告が薄いです。

景色が変わるところで、だいたい1回みんな読みを捨てます」


かなりありそうだった。


4階までの読みが通ったからこそ、5階でそれをそのまま持ち込むと崩れる。

階が変わる時は、だいたいそうなる。


「今日は、まず景色を見るところからですね」


「はい。

その方がいいと思います。

4階の続きとして見ないでください」


その一言は、かなり重かった。



入口前には、坂城迅、真壁遼真、三枝透が揃っている。

後ろには3人。

4階の時より少ない。

でも、それでいい。


未知の階を初日に大人数で踏む意味はない。

少ない方がいい。


坂城が短く言う。


「今日は4階を捨てる日だな」


「はい」


真壁も頷く。


「入口の言葉は残る。

でも、それで押し切る階じゃない」


三枝が静かに続ける。


「下から上がってきた空気、湿ってるのに冷たい。

水か、膜か、反射か。

5階はそのどれかが強いと思う」


かなりその通りだった。


結人は後ろの3人を見て、短く言う。


「今日は正解を急ぎません。

4階の言葉が出ても、いったん疑ってください」


1人が頷く。


「はい」


配信を始める。


灰石坑道の先 5階 / 初見


同接は15。

少しずつだ。

でも、確かに増えている。


「天城結人です。今日は5階を初見で見ます。

4階の言葉は残っていますが、今日はそれをそのまま持ち込まず、景色から見ます」


コメント欄が流れる。


炭酸:きた


通り雨:5階だ


澪:お願いします


迷子の斥候:風景変わるところ好き


凪:前の正解を急ぐな


結人は、その最後の1行に小さく頷いた。


「はい。今日はそこです」



4階の奥。

黒い幹の列の向こうにあった灰色の石段を下りる。


湿気はある。

白い根もある。

黒い幹も見える。


でも、数歩下りた時点で、もう違った。


まず、床が違う。


4階の繊維層みたいな沈みがない。

代わりに、灰色の石が濡れている。

薄く水を引いたような冷たい光を持っていて、靴裏が少しだけ滑る。


次に、空気が違う。


4階は湿っていても、どこか土と木の匂いが強かった。

5階はそこに、水の匂いが混じる。

腐ってはいない。

澄んでもいない。

冷たく閉じた、水の匂いだ。


そして、景色が違う。


石段を下り切った先に広がっていたのは、地下樹林の中でもさらに低い場所だった。


黒い幹の根元に、浅い水たまりがいくつも溜まっている。

ただの水たまりじゃない。

表面が妙に静かで、天井の白い根や黒い幹をそのまま映している。

上も下も、同じように見える。


白い根は垂れている。

でも4階みたいに獲物を絡め取る感じではなく、水面の上へ細く影を落としている。

天井からは、一定間隔で雫が落ちる。

ぽつ、と小さく鳴る。

その音だけが、4階より少しはっきり残る。


5階は、地下樹林圏の中でも水面が景色を二重にする階だった。


結人はその場で足を止める。


「……かなり違う」


配信へ向けて、そのまま言葉にする。


「5階は、水面があります。

4階みたいな沈みより、反射と滑りが強いです。

同じ地下樹林でも、戦い方が変わります」


コメント欄が流れる。


炭酸:いい


通り雨:かなり変わったな


澪:水面がすごいです


迷子の斥候:これは嫌だ


かなりその通りだった。



最初の異変は、音ではなかった。


水面だった。


正面の浅い水たまり。

黒い幹と白い根を、鏡みたいにそのまま映している。

何もいないように見える。


だが、結人はそこで足を止めた。


映っている白い根が、少しだけ遅れて揺れた。


本物の根は揺れていない。

でも、水面の中だけが、ほんの少しだけあとから揺れる。


次の瞬間、水たまりの縁から何かが飛んだ。


水鏡蛙。


蛙に似ている。

だが、身体が平たい。

背中は黒く、濡れた石みたいな光を持ち、腹だけが薄く白い。

目は横に広く、口は笑っているみたいに大きい。

止まっていると、水面に映った影と区別がつかない。

そして飛ぶ時、映りが一拍遅れてついてくる。


実用的に言えば、

本体を見ると遅れる。

水面の映りも遅れる。

先に見るべきなのは、水面の縁で最初に走るわずかな揺れだ。


「本体じゃない! 縁の揺れです!」


前にいた探索者の目が、水面の中央から縁へ戻る。

坂城がそこへ剣を入れる。


水鏡蛙の腹が裂け、水面へ黒い血が散る。

黒い表面に赤が落ち、すぐに広がった。


かなり嫌な階だ。

かなり、見えているものが信用できない。


真壁が低く言う。


「本体も、映りも遅れるのか」


三枝が続ける。


「先に変わるのは、水面の端だな」


かなりいい。

入り口の言葉が見え始めている。



少し進む。


5階は歩くだけで神経を使う。


濡れた石。

浅い水。

黒い幹の間に落ちる白い根の影。

上と下が似ていて、視線の置き場がぶれる。


次に来たのは、黒い水際にいた小さな群れだった。


薄膜魚。


魚に似ている。

だが、身体は細長く、背びれが薄い膜みたいに広い。

浅い水の中を泳ぐというより、水面のすぐ下を擦るように走る。

その膜が光を拾って、上から見ると水面そのものが生きているみたいに見える。


実用的に言えば、

群れを見て追うと遅れる。

先に裂ける水面だけを見ろ。


「群れじゃない! 裂けたところ!」


結人が言うと、真壁が盾を踏み込み、坂城がその細い裂け目を横に斬る。

薄膜魚がまとめて跳ねる。

小さい。

だが、足元へまとわりつくとかなり嫌だ。


5階の入口は、もうかなり見えてきた。


* 本体より先に変わるものを見る

* 水面の中央じゃなく縁

* 群れじゃなく裂け目


まだ短い。

でも、かなり入口だ。



そのあと、さらに奥へ進んだところで、また違和感が来た。


今度は、水面が揺れない。


目の前に広がる浅い水たまり。

天井の白い根と黒い幹を、妙に綺麗に映している。

雫が落ちたはずなのに、輪が広がらない。


結人の背中が少しだけ冷える。


おかしい。


本物の水面なら、何かが落ちれば広がる。

なのに、そこだけが静かすぎる。


「……そこ、水じゃないです」


前にいた探索者の視線が止まる。

真壁が盾を少し上げる。

坂城が足を止める。


次の瞬間、鏡みたいな黒い表面が持ち上がった。


水膜蜥蜴。


蜥蜴に似ている。

だが、背中を覆っているのは鱗ではなく、薄い透明な膜だ。

その膜の上に水を張っていて、止まっている時は本当に水面にしか見えない。

脚は低く、首は長い。

口は細く裂けていて、噛みつくというより、水際から滑るみたいに伸びてくる。


実用的に言えば、

揺れた水面より危ないのは、揺れない水面だ。

そこは景色じゃなく、本体の背中かもしれない。


「静かすぎる方です!」


坂城が即座に剣を振る。

真壁が盾を前へ送る。

水膜蜥蜴が横へ滑る。

だが、水をまとった膜が切れて、黒い身体が露出する。


三枝が低く言う。


「5階、水は“揺れる”だけじゃないな。

“揺れなさすぎる”も嘘だ」


かなりその通りだった。


4階は環境の答えが連なっていた。

5階は、景色そのものが嘘になる。


結人は配信へ向けて短く整理する。


「5階は、本体や映りだけを見ると遅れます。

入口の見方は、水面の端、裂け目、静かすぎる場所です」


コメント欄が流れる。


炭酸:かなり嫌だ


通り雨:5階おもしろいな


澪:景色がそのまま嘘になりますね


迷子の斥候:静かすぎる方か


その最後の1行に、結人は少しだけ目を細めた。


静かすぎる方。

かなりいい。


でも、その前にもっと土台になる言葉がある。


結人は、水面に映る白い根を見ながら、短く言った。


「……映りは遅れる」


坂城がそれを聞いて、すぐに頷く。


「いいな」


真壁も続ける。


「5階の入口、それでかなり通る」


三枝が小さく言う。


「映りを信用しないための最初の言葉としては強い」


かなり良かった。


5階の入口の言葉が、立った。



今日は、それ以上進まなかった。


初日は景色を見る日だ。

景色が見えたなら、それで十分だ。


石段を戻りながら、結人は5階の空気を頭の中で整理していた。


4階は、入口の言葉を場へ残した階だった。

5階は、まず景色を疑う階だ。


政府ギルドへ戻ると、相良環は結人の顔を見るだけで少しだけ頷いた。


「5階、見えましたか」


「はい。かなり違いました」


袋を渡す。


今日は水鏡蛙の薄皮と、薄膜魚の膜片、水膜蜥蜴の外膜。

どれも高くはない。

でも、初見の階で持ち帰るには十分だった。


「どう違いましたか」


相良の問いに、結人は短く答える。


「水面が景色を二重にします。

本体も映りも、そのまま信用できません。

入口の言葉は、“映りは遅れる”です」


相良の手が少しだけ止まる。


「……かなり共有しやすいですね」


「はい。

あと、“揺れない水面”も怪しいです。

静かすぎる場所が本体のことがあります」


相良はすぐに打ち込む。


「5階は、水面の嘘を見抜く階ですね」


かなりその通りだった。



帰り道、結人は冷たい飲み物と、少しだけ塩気の強い弁当を買った。


今日は足より目が疲れている。

視線の置き場をずっとずらしていたせいだ。


部屋へ戻る。


机の上に弁当、飲み物、換金票、ノートを並べる。

ノートを開く。


新しいページに、短く書く。


* 5階

* 濡れた石

* 浅い水

* 水面が景色を二重にする

* 音より映り

* 入口

* 映りは遅れる

* 水面の縁

* 裂け目

* 静かすぎる方


そこまで書いて、少しだけ止まる。


それから、最後に1行だけ足した。


* 5階は、景色そのものを疑う階


書いてから、結人はしばらくその文字を見ていた。


4階の入口を通ったから、5階は最初から少し違って見えた。

でも、4階の正解をそのまま持ち込んだわけじゃない。

景色を見て、違いを認めて、入口の言葉を立てた。


今日はそれでいい。


端末を見る。

コメント欄にも同じ熱が残っている。


5階めっちゃ好き


映りは遅れる、かなりいい


次はもっと深いところ見たい


結人は、その最後の1行を見て、小さく息を吐いた。


そうだ。

次はもっと深いところを見る。


5階はまだ入口だ。

でも、入口の言葉は立った。


今日は、その最初の1本をちゃんと置けた日だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ