第112話 通った後ろは閉じる
11階へ入る日、結人は家を出る前に新しいバックパックの中身をもう 1度だけ確かめた。
上位回復薬 2本。
通常回復薬 2本。
ゼリー。
ナッツ。
しっとりしたパン。
肉系スティック。
塩味のクラッカー。
飲み物。
目薬。
布。
ライト。
前より持てる。
前より取り出せる。
そして今は、その違いがかなり大きい。
10階は、止まれない階だった。
11階がどんな階かはまだ分からない。
でも、10階を越えた先なら、たぶん今までよりもっと準備の順番が効く。
結人はバッグを背負い、玄関を出た。
今日は、新しい景色に入る日だ。
⸻
政府ギルドに着くと、入口近くの空気が少しだけ違った。
10階を通したことで、あからさまに騒がれるわけではない。
でも、何人かが結人を見る。
視線が前より少し長い。
売店の前で水を 2本、回復薬を 2本、塩飴を 1袋、それにゼリーを 2本買う。
店員が会計をしながら言った。
「今日は 11階ですか」
「たぶん、入口まで見ます」
店員は小さく頷く。
「10階を通した人でも、11階はまた嫌だって聞きます」
結人は少しだけ笑った。
「それは、かなりありそうです」
かなり、その通りだった。
⸻
相良環の窓口へ向かう。
「今日は 11階ですね」
「はい」
相良は端末を見ながら言った。
「11階は、報告数がかなり少ないです。
ただ、共通している言い方があります」
結人は少しだけ目を上げる。
「何ですか」
「“後ろが消える”です」
かなりいい。
かなり短い。
そして、かなり嫌だ。
「それだけですか」
「はい。
正確には、消える、閉じる、戻れない、で言い方が割れています。
でも意味は近いです」
相良は少しだけ間を置いて続けた。
「10階は残りを読む階でした。
11階は、その残りを踏んだあとが嫌そうです」
かなり、その通りだった。
「ありがとうございます」
「気をつけてください。
11階は、10階を通した人ほど“戻れるつもり”で進むと危ない気がします」
その一言は、かなり深く残った。
⸻
入口前には、坂城迅、真壁遼真、三枝透。
今日は後ろにつく探索者はいない。
真壁が低く言う。
「今日は偵察だな」
「はい。
入口を見て、理屈を 1本持ち帰ります」
坂城も短く続ける。
「増やしすぎない」
三枝が静かに言う。
「10階のあとですからね。
11階は景色と主語だけ拾えれば十分です」
かなり良い。
かなり話が早い。
結人は頷いた。
「10階は“最後に残る場所”でした。
11階は、そのあとに何が起きるかを見ます」
⸻
配信を始める。
終路深界圏 / 11階 初日
同接は 96。
「天城結人です。
今日は 11階の入口を見ます。
10階の続きですが、無理に深くは入りません。
まずは景色と理屈を拾います」
コメント欄が流れる。
炭酸:きた
通り雨:11階だ
澪:お願いします
迷子の斥候:景色変わるかな
凪:10階を越えた先で、何が残るかじゃなく何が閉じるかを見ろ
結人は、その 1行に小さく頷いた。
「はい。今日はそこです」
⸻
11階へ下りる。
その瞬間、景色ははっきり変わった。
10階の白い空間は、平面だった。
白い床。
黒い線。
残る場所。
残る拍。
だが 11階は違う。
まず、床がない。
正確には、足元にだけ床がある。
白い橋。
白い階段。
白い踊り場。
それが黒い虚ろの上に浮いている。
左右にも上下にも、同じような橋や階段が何本も走っている。
だが全部が繋がっているわけじゃない。
白い道は途中で切れ、黒い門枠みたいなものに吸い込まれて終わっている。
白い橋の両脇には柵がない。
階段も細い。
上を見ても下を見ても、白い通路と黒い門枠が重なり続けるだけで、距離感が少し狂う。
同じ終路深界圏でも、10階とははっきり違う。
10階が“残る場所を読む”階なら、11階は“進んだあとが閉じる”階に見えた。
真壁が低く言う。
「……嫌だな」
坂城も短く続ける。
「平面じゃない」
三枝は周囲を見回してから、小さく言った。
「退路が見えにくいですね」
かなり、その通りだった。
⸻
最初の白い橋は、幅 2人ぶんほど。
長さはそれほどない。
向こうに黒い門枠。
その先に、また白い踊り場。
見た目だけなら、普通に渡れそうだった。
だが結人はすぐには足を出さなかった。
橋の付け根。
門枠の上。
そのあたりの黒が、少しだけ濃い。
「……見ます」
真壁が頷く。
「受ける」
坂城は剣を下げたまま門枠を見た。
三枝は橋の端ではなく、今立っている側の付け根を見ていた。
かなりいい。
結人が最初の 1歩を置く。
何も起きない。
2歩。
3歩。
その瞬間、後ろで硬い音がした。
振り向く。
今渡ってきた橋のこちら側の付け根に、白い鳥が 2羽、降りていた。
鴉に似ている。
だが、羽は白い。
翼の縁と嘴だけが黒い。
脚は長く、爪が異様に細い。
止まっている時は、黒い門枠に打ち込まれた白い蝶番みたいに見える。
閉路鴉。
11階の橋や階段の付け根に止まり、通ったあとの道を閉じる下位種。
こいつは前から襲わない。
まず、後ろを閉じる。
退路だと思った道を、門の一部へ変えてしまう。
実用的に言えば、
11階では、通った後ろは閉じる。
閉路鴉は、進んだあとに後ろの橋や階段を先に殺す。
踏み出す前に、全員の位置を揃える。
次の瞬間、閉路鴉が羽を鳴らした。
すると、今渡ってきた橋の根元が上へ持ち上がる。
白い板だった橋が、ゆっくりと黒い門枠へ折り畳まれていく。
かなり嫌だ。
かなり分かりやすい。
「後ろ、閉じます!」
結人が叫ぶ。
真壁がすぐに橋へ入る。
坂城。
三枝。
全員がこちら側へ渡り切った直後、橋は完全に門の一部へ変わった。
もう、戻れない。
かなり、その通りだった。
⸻
コメント欄が一気に流れる。
炭酸:うわ
通り雨:後ろから来るのか
澪:かなり嫌です
迷子の斥候:10階と主語が違う
凪:通った後ろは閉じる
かなりいい。
短い。
強い。
そして、11階の入口をそのまま言っていた。
結人はその言葉を胸の中で転がした。
通った後ろは閉じる。
かなり、その通りだった。
⸻
踊り場は狭い。
3人並ぶと窮屈だ。
その先には、上へ行く階段。
右へ渡る細い橋。
そして、黒い門枠が 2つ。
10階のように“残る場所”を読む感じではない。
むしろ、どこを通ったらどこが閉じるかを考えなければいけない。
三枝が小さく言う。
「11階、前を選ぶというより、後ろを捨てる階ですね」
真壁も低く続ける。
「しかも、捨てる順番まで関わりそうだ」
かなり、その通りだった。
結人は右の橋ではなく、上へ行く階段を見る。
理由は簡単だ。
橋は後ろが閉じる。
なら、横へ渡すより高さを取った方が、閉じたあとも先の選択肢が残りやすい。
「上、見ます」
坂城が即答する。
「いい」
⸻
白い階段は細い。
1人半ぶんほどの幅。
途中に小さな踊り場がある。
その上に、また門枠。
結人が先に上がる。
真壁が続く。
坂城。
三枝。
途中の踊り場で、結人はすぐに振り返った。
下の階段の付け根に、また閉路鴉が 1羽降りる。
やはりそうだ。
1本通るたびに、後ろが死ぬ。
「やっぱり閉じます!」
結人が声を飛ばす。
真壁が最後の 1段を上がり切った直後、下の階段が折れて、黒い門枠へ吸い込まれた。
11階は、“後ろがあるうちに考える”階じゃない。
揃って進んで、揃って切る階だ。
かなり嫌だ。
でも、かなり分かりやすい。
⸻
上の踊り場は、最初より少し広かった。
そこから左右に橋が 2本。
前に細い階段が 1本。
そのどれも、白い。
だが向こう側の門枠の位置が少し違う。
右の橋は近い。
左の橋は長い。
前の階段は暗い。
普通なら近い右を選びたくなる。
だが、結人はそこでもすぐには動かなかった。
近いということは、閉じる速度も速いかもしれない。
逆に長い左は、途中で何かを挟めるかもしれない。
かなり嫌だ。
三枝が低く言う。
「11階、近い方が正解とも限りませんね」
坂城も短く続ける。
「閉じ方次第だ」
かなり、その通りだった。
その時、右の橋の向こうの門枠で白い影が動いた。
閉路鴉じゃない。
もっと細い。
もっと長い。
蛇に似ている。
だが地面は這わない。
黒い門枠の縁を絡むように吊られ、体の途中に白い節がいくつもある。
頭は平たい。
その先端だけが、ちょうど階段や橋の終わりの角みたいに直角へ折れている。
継角蛇。
11階の門枠や橋の終端に潜み、閉じたあとに次の角をズラす下位種。
こいつは道を壊すのではなく、閉じた先の“次の接続”を少しだけズラす。
実用的に言えば、
11階では、後ろが閉じるだけじゃなく、次の接続も信用しきらない。
近い道ほど接続のズレが致命傷になりやすい。
かなり嫌だ。
でも、今日はそこまで細かくは拾わない。
結人はすぐに右を切った。
「右、近すぎます。
ズレが速いです。
左を見ます」
真壁が頷く。
「了解」
坂城も続ける。
「今日の 1本はもうある」
かなり、その通りだった。
今日は 11階の入口で十分だ。
新しい嫌さを増やしすぎる必要はない。
⸻
左の橋は長い。
でも、その分、渡る間に全員の位置を揃えられる。
結人が先に入る。
真壁。
坂城。
三枝。
その途中で、やはり後ろの踊り場に閉路鴉が降りる。
だがもう驚かない。
「そのままです!」
全員が渡り切る。
背後の橋が閉じる。
かなりいい。
11階の入口としては、十分だった。
* 通った後ろは閉じる
* だから全員の位置を揃えてから進む
* 近い道ほど次のズレが速い可能性がある
* 後ろを退路として考えない
このくらいで十分、次に繋がる。
⸻
橋を渡り切った先の踊り場で、結人は配信へ向けて短く整理する。
「11階の 1本目です。
“通った後ろは閉じる”
10階みたいに最後の残りを読むというより、進んだあとに戻れなくなる階です。
だから、踏み出す前に全員の位置を揃えた方がかなり通ります」
コメント欄が流れる。
炭酸:かなりわかる
通り雨:主語が変わったな
澪:11階らしいです
迷子の斥候:10階突破後にこれ出すの強い
凪:残る場所を読む階の次は、閉じる順を読む階だ
かなり、その通りだった。
⸻
今日はそこまで深追いしなかった。
11階は、10階を通した直後の勢いで深入りすると危ない。
景色も理屈も違う。
まずは入口の主語を持ち帰る方がいい。
結人は配信へ向けて言う。
「今日はここまでにします。
11階は、通ったあとに後ろが閉じる階です。
だから、戻れるつもりで進まない方がいいです。
次はこの続きを見ます」
コメント欄が流れる。
炭酸:いい区切り
通り雨:11階いいな
澪:次も楽しみです
迷子の斥候:景色の変化かなり好き
凪:11階は、残るものを拾う階じゃない。切って進む階だ
かなり、その通りだった。
⸻
政府ギルドへ戻ると、相良環はすぐに言った。
「どうでしたか」
結人は答える。
「11階は、通ったあとに後ろが閉じます。
橋も階段も退路として考えない方がいいです。
全員の位置を揃えてから進まないと、誰かが切られます」
相良の指が止まる。
「……かなりはっきりしていますね」
「はい。
10階より理屈は少ないですけど、嫌さはかなり強いです」
相良はすぐに打ち込む。
「かなり良いです」
その一言が、妙に嬉しかった。
10階を越えたからといって、全部が複雑になるわけじゃない。
11階はもっと単純に、もっと嫌だった。
⸻
部屋へ戻り、ノートを開く。
* 11階
* 白い橋
* 白い階段
* 黒い門枠
* 上下に重なる構造
* 1本目
* 通った後ろは閉じる
* 全員の位置を揃えてから進む
* 退路前提で考えない
* 閉路鴉
* 通過後の橋や階段を閉じる
* 後ろから殺す
* 継角蛇
* 次の接続を少しズラす
* 近い道ほど危ない可能性
最後に、1行だけ足した。
* 11階は、残す階じゃなく切って進む階
書いてから、結人はペンを置いた。
10階を越えた。
でも、11階はまた別の嫌さで待っていた。
かなり良い。
かなり、先がある。
今日はそういう日だった。




