BGB 第十四話 「狩り」
「ねぇ、ハクちゃん、魚とお肉どっちが食べたい?」
烏がタイヨウをどこかへと連れて行ったあと、エペレは唐突にそんなことを聞いた。
「うーん……魚かなぁ」
指を口にあて、少し上を向きながら最近食べたものを思い出す
。
この世界に来てから、陸のものしか食べていない。
最もハクは“山”においての食は肉に偏っていたが。
「よし、じゃぁ川に行こうか」
すっくと立ちあがり、エペレは笑顔を向けながら言う。
「川?とりにいくのか、魚」
「狩りにいくって言ったでしょ?多分カラスさんとタイヨウはしばらく帰ってこないだろうし」
「そっか。じゃぁ行く」
トテトテと、床を鳴らしながらハクもついていった。
その川は家からさして遠くなかった。
木々に隠れてはいるが、ちらちらとその隙間から小さく鳥居が見える。
その程度の距離だ。
「うん、いるね」
岸辺で、両手を腰にあてて、視線を川底に送りながらエペレがつぶやく。
ハクの瞳には水面が陽光を照らしているだけで、そこに魚がいるかどうかは見えなかった。
「見えるのか?」
「いや、見えないよ?」
ニコリと。
「……へ?」
「見るんじゃなくて感じるの。もちろんまずは目を向けるところからだけど」
いわゆる気配というものだろうか。
「だから、こんなこともできる」
エペレは目をつむり、腰に下げていた大きな湾曲した刃物を抜く。
人間の言葉ではククリナイフと称されるものだが、ハクはもちろんエペレもその名称を知らなかった。
しかし彼女にとって物の名はさして重要ではない。
その本質さえ捉えているなら、形だけを示す名に意味はない。
そのナイフを、ほんの少しだけかかげ、静かに川の中へと投げた。
ブーメランのような回転を縦にしながら、飛沫をあげて川へと刺さった。
「よしよし」
エペレにはその結果が見えているのか、満足げにじゃぷじゃぷと川に入っていく。
「よい……しょっと。ほら」
川底からナイフを抜き、それに貫かれた大きな魚をハクに見せる。
「ね?見なくても大丈夫」
「おー……」
あまりの鮮やかさに、さしもの竜も感嘆せざるを得なかった。
「でもオレ、そんな投げるもの持ってねーぞ。火は吐けるけど……」
当然ながらハクは武器を持っていない。
持つ必要がないからだ。
竜をはじめとした伝説と称されるような生き物は己の体に、あるいはその内に、強大な力を持っている。
ゆえに、武器を持つ必要がない。
「大丈夫、コレを使わないやり方もあるから」
ひょいと魚が刺さったままのククリナイフを投げ、木につきさす。
「とりあえず、川の中に入ってきなよ。取り方教えてあげる」
「おう」
少し着ているものの裾をあげて川に入る。
ひんやりとした清流がハクには心地よかった。
「それじゃ、私のむかいに、そうそこらへん。そこなら魚が見えるでしょ」
深さはハクの膝に届くかどうかといった浅い川。
その中に、そこそこ大きな魚がいくらか流れに沿って泳いでいた。
「カラスさんが言ってたけど、ハクちゃん、竜なんだっけ」
「おう、そうだぞ」
尻尾をふって見せる。
「ならたぶん大丈夫、かな……。まず自然と一つになる感じ」
その言葉を聞きながら、ハクは己の眼を疑った。
集中しないと見失ってしまいそうなほどに、エペレの気配が消えていくのだ。
「こんな感じにね、すーっと……」
その説明は言語で表現されてはいるものの、人間には到底理解できない感覚である。
「……自然と……すーっと……」
ただしそれは人間の範疇での話だ。
この場にタイヨウがいたならこう言っていただろう。
「あれ、ハクどこいった?」
と。
ハクがエペレから教わった感覚は、タイヨウに呼び出された後、池で行ったことのちょっとした発展だ。
あの池でハクがやったのは全身にふれる水を通してこの世界に己をなじませ、人化をやりやすくすること。
世界になじませるとはすなわち極限までつきつめれば同化することを意味する。
一度やったことがあったがゆえに、エペレの観念的な説明を、ハクは感覚的に捉え行動にうつせたのだ。
「そうそう、すごいよハクちゃん」
「むふふ、そうだろ?」
褒められたハクはえへんと胸をはる。
やはりその言動はどこか幼い。
「それじゃ、次。ちょっと見ててね……」
そう言うとエペレはほんの少し腰をおとし、水の中に意識を集中させる。
ちょうど、エペレの視線が貫いているところに魚が来たその瞬間。
ほとんど音をたてることさえなく、魚は水ごとすくいとられ岸辺に放られていた。
「……と。こんな感じ」
満足げに微笑みながら今度はエペレが胸を張っていた。
「……おー……」
ハクにはその動作が見えていた。
人間には追えない速度の世界で、エペレはただ右手をさすように川につっこみ、間断なくそのまま魚の腹をうちつけるようにして、周囲の水ごとすくい上げたのである。
正確性によってではなく、純粋にその並々ならぬ力によってエペレは魚を捉えていた。
「よし。やってみる」
エペレと同じ向きに身体の位置を変え、右手に力を込める。
ただし、気配は消して。
同時に、正面の水面下。
そこに意識を集中させる。
ゆらゆらと、魚が泳いで
「ッ!」
右手を切るようにつっこみ、水をたたく。
ざぱぁっと音をたてて、岸辺には水だけが届いた。
「んー……思ったより難しいな……」
その速度も性格さも、常軌を逸しているものではあるが、とはいえ神の領域ではない。
「なー、エペレ。今の、どうだった?」
「うーん、右手に集中しすぎちゃったかな?見てて、もう一回やるから」
そこからは、川のえぐり合いだった。
エペレが見本を見せ、ハクが修正しまねる。
またエペレがやり、ハクが追い、の繰り返し。
ハクがうまく魚を川から叩き出せるようになるころには、岸辺に放り出された魚は30を超えていた。
「結構とれたね。そろそろ帰ろうか」
木にさしてあったククリナイフを抜き取り、ハクと二人で取った魚を持ってきたひもでくくりながら、エペレはしゃべり続けた。
「ねぇ、ハクちゃん。竜ってどんな生き物なの?」
「どんな……って言ってもな。オレまだそんな長く生きてねーから……」
うーんと唸る。
自分の種族について語るには、ハクはまだ若すぎた。
「じゃぁさ、どんなところに住んでるの?」
ほんの少しだけ、その調子が暗くなる。
ハクが気づかないほどの、ほんのわずか。
「んー?“山”のことか?わりとここに似てるぞ。こんなに木は生えちゃいないし、もうちょっとぼこぼこしてるけど」
「そっか」
やっぱりそうなんだ、と続く言葉はエペレの口から出ることはなかった。
そのわずかに憂いを帯びた少女の表情は、背を向けられた竜には見えなかった。
「どうかしたのか、エペレ?」
「ううん。なんでもない。帰ろうか」
家に戻ったエペレとハクは、まずとった魚を床下に置きにいった。
「こんなところでいいのか?」
「うん、少し冷たいところにおいとかないと痛んじゃうし」
現実の世界における床下収納と同じものが、一つのただっぴろい部屋しかないこの家にも一応存在した。
「これでよし。まだカラスさんとタイヨウは帰ってないよね……」
「そーだなー。まだタイヨウは少し離れたところにいるっぽい?」
自分に繋がっているタイヨウの術式に少しだけ意識を集中させて、タイヨウの状態を探る。
先日無理やり遡ったときに思いついたやり方だ。
「そっか……じゃぁまだ帰ってくるまで時間あるかな」
「ん?なんかするのか?」
「ねぇ、ハクちゃん?温泉は好き?」
その言葉で、ハクの尻尾が揺れに揺れた。
「温泉!あるのか?!」
「あるよ。いこうか」
エペレが案内したのは川とはまた別の方角に少し行ったところにあった、一見すれば小さ目の湖のようなところだった。
よくよく目を凝らすと、うっすらと湯気が立ち上っている。
「おー。温泉だ!」
「好きなだけ入っていいよ。どうせ私たちしかいないし」
言われずとも、ハクはその場で服をぬいでザブンと音をたてながら温泉に突入した。
「あらら……」
エペレも服をぬぎつつ、あとを追う。
ハクのように飛び込みはしなかったが。
「ぷはーっ!気持ちいい!」
水面から顔を出し、尻尾をゆらしながら
「そうでしょ?」
ニコリとエペレが笑う。
「あぁ、空が見えるのもいい感じだなー」
ふひー、と心の底から身体を休める。
疲れどころか、力さえも抜けて行ってしまいそうだ。
「今のうちにゆっくり休んどいてね」
「おう……今のうち?」
何気なく聞き流しそうになったが、ハクは引っかかった。
「今のうちってどういうことだ?」
「……」
少し、エペレの顔が曇る。
「タイヨウたちが来る前、揺れたでしょ?」
「あ……」
その瞬間に飛び起きたのだ。
ハクはその揺れを強烈に覚えていた。
「あの嫌な感じのするやつ……」
直に見たわけではない。
ただ本能的に、その存在をハクは把握していた。
「カラスさんが最近様子が変なのもあるんだけど……たぶん、あの揺れを起こした何かはすぐにこの世界の中に入ってくると思う。だから、今のうちにやすんどいて」
「……逃げないのか?」
「逃げるところ、ないもん」
交差していた視線は外れ、エペレがうつむく。
「それにここは父さんと母さんが帰ってくるところだし」
「じゃぁ戦うんだな、外にいる敵と」
直感ではあるが、ハクはその敵の強大さをなんとなく感じていた。
それと戦うことが、その先に在ることがどれだけ難しいかも。
「……そうなるね。あまりそういうの好きじゃないんだけど」
どことなくしんなりとした金色の髪をいじる。
その姿に、神としての威容は全く感じられない。
「じゃぁオレも戦う」
その力強い言葉に、神は顔を上げた。
瞳にとびこんできたのは少し挑戦的に笑うハクの顔。
「ダメだよ、ハクちゃん。よくはわからないけど……ここに来るってことは目的はたぶん私。巻き込むわけには」
「大丈夫だ、エペレ」
その弱弱しい言葉を打ち消すように、ハクの言葉が力強く響く。
「きっとタイヨウならそう言う」
瞳の奥に、少年の姿がうつったような気がした。
「だから、オレも言う。大丈夫だ、エペレ」
その力強さは、どこか懐かしい感じがした。
「ありがとう……!」




